[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ふと呼ばれたような気がしてそっと部屋に滑り込むと、ベアトリーチェはベッドに近づいて部屋の主の髪をなでた。
世界で一番愛しい少女。
何か嫌なことでもあったのだろう、その目許は泣きはらして赤くなっている。
「妾がずっと付いているからな、朱志香……」
涙のあとの残る頬に、ベアトリーチェはそっと口づけた。
ぬばたまのひまわり
「朱志香!」
ベアトリーチェが名を呼べば、朱志香はふわふわのポニーテールを揺らして振り返る。
「ベアト!」
そのまま駆け寄って抱きしめれば、彼女の嬉しそうな笑い声が聞こえた。
「会いたかったぞ、そなたがいなくては茶も美味くないのだ」
「私もベアトに会いたかったぜ?会えないのは、やっぱり辛いよ」
けれどもベアトリーチェは朱志香のその言葉にぷぅと頬を膨らませた。
ベアトリーチェは知っているのだ。
朱志香と茶会が開けるのは自分だけではないことを。
朱志香を愛しているのが、独占できる時間があるのは自分だけではないことを。
朱志香は右代宮家の令嬢だ。
彼女に仕える家具たちは時折主人と小さな茶会を開く。
家具たちと言っても週の半分ほどは紗音という朱志香が小さい頃から勤めている家具で、2人は誰よりも仲むつまじい。
残りの半分の大部分は紗音の弟の嘉音という家具が朱志香と共に茶を飲んでいた。
残りの家具はともかく、ベアトリーチェは紗音と嘉音があまり好きにはなれなかった。
あの2人は朱志香を愛しているのだ。
紗音は友人としてではあるが、どうしても朱志香を取られまいと身構えてしまう。
ましてや嘉音は男だ。その上彼が朱志香に向ける眼差しは、紗音が譲治に、ベアトリーチェが朱志香に向けるそれと全く同じものだ。
彼らは友情と恋情の違いこそあれ、朱志香を愛しているのだ。
「どうしたんだよ、ベアト」
自分の背に朱志香の温かい手が触れる。
優しいその手のひらに動かされるようにベアトリーチェは問いかけた。
「朱志香は、妾と嘉音と、どちらかとしか茶を飲めぬとしたら、どちらを選ぶ?」
「……え?」
「妾か、嘉音か、紗音か。いずれかとしか茶が飲めぬとしたら、誰を選ぶのだ?」
「ベアト……何を……?」
朱志香の声が困惑に染まる。
分かっている。
これはすなわち朱志香が誰を一番愛しているかという問いで、彼女は一人だけを選ぶことなどできないということなど。
世界に映る全てを愛すのが右代宮朱志香なのだ。
それでもベアトリーチェは問い掛ける。
自分を選んで欲しくて、問い掛ける。
「朱志香」
「……うん」
「妾は、朱志香を愛している……紗音はそなたを友達だと思っておるし、嘉音はおそらく、そなたを愛している」
「……」
「妾はあやつらではないから家具の心は分からぬが……妾とそなたがこんな関係だと知れれば、奴らは嫉妬に狂うであろうな」
「ベアト……」
朱志香がベアトリーチェにゆっくりと身をゆだねた。それから悲しげな色で言葉を紡ぐ。
「ごめん……私は、まだ誰も選べない」
「……分かって、いた……」
ベアトリーチェは甘い香りのする朱志香の首筋に顔を埋めた。
今彼女が誰かを選ばなければならない訳ではない。選んだからといって、彼女からの確かな愛の証拠を得られる訳でもない。
「妾が悪かった。変な質問をしてしまったな」
そう囁けば、朱志香は首を横に振った。
そうして顔を上げたベアトリーチェの頬に、ふわりと柔らかい唇が触れる。
「ベアト」
「……?」
「今はまだ選べないけど……どうしても選ばなきゃいけないときは来るんだよな」
「そなたが……真に愛する者を決めるときは……いずれは」
朱志香が真に愛する者を決めるとき。
それはいずれ、遠くない未来にやってくるだろう。
ベアトリーチェはそのときが怖かった。
自分が選ばれないのはまだしも、朱志香が六軒島からいなくなるのが怖かったのだ。
それが顔に現れていたのだろう。朱志香は微笑んでベアトリーチェの髪をなでた。
「そのときが来たら……きっと私はベアトと一緒にいることを選ぶよ」
それは千年の孤独を過ごした魔女にとって、何物にも勝る幸せの言葉だった。
「朱志香……!」
「私は……ベアトとずっと一緒にいたいよ」
感極まってベアトリーチェは朱志香を抱きしめた。
嫉妬で黒く塗りつぶされた心が、朱志香の言葉で浄化されてゆく。
「ずっと愛しているぞ、朱志香……」
朱志香が腕の中で頷いた。
「私も、ずっと愛してるよ……ベアトリーチェ」
今は誰も選ばず、全てを一様に愛する朱志香が、いずれは己を選ぶと約束してくれた。
愛する人と、この島で、ずっと一緒。
死が2人を分かつまで。
いや、例え命の花が枯れようと、魂は永遠に寄り添いあうだろう。
何故なら愛は無限なのだから。
その約束は孤独を抱えた者には一番幸せな贈り物だった。
だから今日もベアトリーチェは朱志香に寄り添う。
辛いことも悲しいことも半分にして、二人分の幸せの花を降らせるために。