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7月15日。
その日、右代宮戦人はたまたま新島に行く用事が出来た。
用事自体はすぐに終わったのだが、このまま帰るのはなんだか勿体ない気がして彼はふらふらと新島の町をさまよい歩いていた。
午後の日差しはじりじりと容赦なく注ぎ、日差しを照り返すアスファルトは今にも溶けそうだ。
「……」
ふと一人の少女のことを思い出す。彼女は今もずっとこの島に通ってきているのだろうかと心にしまい込んでいた思い出を引っ張り出す。
揺れる髪の毛が、明るい笑い声が、今でもずっと記憶に残っている。
彼女は元気にしているだろうか。
前を歩く女子高生たちのように、笑って過ごしているだろうか。
「……朱志香……」
懐かしくて、ふと彼女の名前を声に出す。楽しそうに談笑しながら歩いていた女子高生たちのうちの1人の足が止まる。
「……?」
ふわふわの金髪をポニーテールにした少女だ。彼女がゆっくりと振り向く。勝ち気そうな美少女である。思い出の中の少女にどこか似ている気がして、失礼だとは思いつつも彼女をじっと見つめてしまう。
「ジェシ、どうしたの?」
連れの少女が金髪娘に声を掛ける。ジェシ、という愛称に覚えはないが、このあたりであんなに変わった名前の女子高生はいないだろう。
「……朱志香か?」
「そう、だけど……まさか、戦人……!?」
金髪娘、もとい右代宮朱志香が目を見開いた。
フォンダンショコラ
「さっきはびっくりしたぜ……あんまり変わってたから気付かなかった」
一緒に入った喫茶店のテーブルの向かいで朱志香が笑う。
「朱志香こそ全然気が付かなかったぜ~?ずいぶん成長したもんだよなぁ?」
にやにやと笑いながらそう返すと、朱志香にきっ、と睨まれた。
「成長ってどこ見てんだよ!?」
彼女が睨むのももっともだと思いながら、しかし戦人の眼差しはある一部分に固定されていた。
「ずいぶんでかくなったじゃねえか。あとでちょっと揉ませてくんねぇか?」
朱志香がそっぽを向く。
「嫌だ!って、いつまで人の胸じろじろ見てんだよこの変態!」
その頬が僅かに赤く染まっていて、戦人は素直に可愛いと感じた。
くるくる変わる表情も、戦人に何か言い返す時に頬が赤く染まるのも、昔と何も変わらない。変わったといえば二人の外見だけ。
「……朱志香って、可愛いよな」
「え……はぁ!?」
朱志香が頬を真っ赤に染め上げて素っ頓狂な声をあげた。
「な、なな、何言ってんだよお前!何か悪いもんでも……」
「い、いや、俺は本気で言ったんだが……」
朱志香があんまり慌てるものだから、戦人も何となく気恥ずかしくなって二人で俯く。
気まずい沈黙の中でウェイトレスのレモンティーとケーキセットでございます、という声が間抜けに響いた。
「……」
真っ赤な顔で押し黙ったまま、朱志香がケーキの皿をこちらに押しやる。
「朱志香?」
「……いや、その……お前、今日誕生日、だろ?」
「あ、ああ……そうだけど」
彼女は耳まで真っ赤に染めて、目をそらして言葉を紡ぐ。
「ま、まさか会えると思ってなかったから、何も用意してなくてよ……これ、プレゼントってことで……」
「覚えていてくれたのか?」
つい聞き返すと、朱志香は不満そうに唇をとがらせた。
「忘れるわけ……ねぇだろ」
朱志香に誕生日を教えたのはもう何年にも前になる。戦人も朱志香もまだずっと小さくて、彼が彼女を異性として認識していなかった頃の話だ。その頃のことなんてもうとっくに忘れ去られていると思っていた。
「好きだった奴の誕生日なんて、忘れられるわけ……」
小さな小さな声で紡がれたその台詞に戦人は顔を上げた。
好きだった奴。
もしかしたらあの時から朱志香は戦人のことを男として認識していたのかもしれない。戦人は全く朱志香の気持ちに気付いてやることが出来なかったけれど、ずっと彼女は彼を好きでいてくれたのだ。
そんな彼女を、心から愛おしいと思った。
「……なあ朱志香」
「ん?」
朱志香が顔を上げる。
「お前は……」
『お前は今でも俺のことを好きでいてくれるのか?』
そう聞きたいのに、喉がからからに渇いて声が出ない。自分らしくもなく心臓が音を立てて速まる。
女を口説くことに関しては誰よりも優秀な父親の血を引いているのだから自分にもすらすらと口説き文句が言えるはずなのに、どうしても出てこない。
(こういう時に少しぐらい役に立ちやがれ、クソ親父の血!)
「戦人……?」
朱志香が首を傾げる。
「その、だな」
6年前を思い出せ、と戦人は自分を叱咤した。彼女に言えた台詞があったではないか。もうあんな台詞を吐くことは出来ないけれど、今はそれよりも真摯な言葉を伝えられるはずだ。
6年前に一度萎んで、今また膨らんだこの気持ちを、伝えることが出来るはずだ。
伝えなければいけないのは今なのだと、今しか伝えられないのだと、戦人はレモンティーを一気にあおった。
「朱志香」
「?」
「お前は、俺のこと、好きだったのか?」
「あ、ぅ、うぅ……」
朱志香が言葉にならない言葉を漏らしながらこれ以上赤くなりようがないほどに真っ赤になった。
「……」
「どうなんだよ」
「それは……」
朱志香は俯いて、何か決めたように相変わらず真っ赤な頬で顔を上げた。
「好き、だった……ぜ」
「それは、今でも、か?」
「……今でも、戦人が、……好きだ」
一言一言を噛み締めるように、確かめるように紡がれた言葉は目の前のケーキのように甘くて、愛おしさがますます募る。
所在なさそうにテーブルに置かれた朱志香の小さな手に触れる。目を合わせれば、朱志香の潤んだ瞳がこちらを射抜く、
「お前は……戦人は、どうなんだよ。好きな子、いるのか?」
そう聞いてきた朱志香の表情は羞恥と照れと、そして不安が混じっていて、笑顔がひどく不器用に張り付いていた。
だから、答える。
「ああ……いるぜ」
「そ、そっか。うまくいくと……いいな」
朱志香の表情が悲しみと後悔に染まる前に、彼女の手をきつく握りしめる。
「俺は……俺の向かいに座ってる奴のことが、好きだ……朱志香」
朱志香が息をのむ。昔からくるくる変わる表情も、不器用な性格も、明るい笑顔も、頬に差す朱も、全部愛おしい。
「お前が、好きだ」
それなのに気の利いた台詞なんて一つも出てこなくて、内心舌打ちした。
「ばと、ら……」
朱志香は目を見開いて、やっとそれだけ口にした。
「愛してる」
「ほんと、に……?」
「本当だ。俺の命に賭けてもいいぜ?」
そう戦人が笑ってみせると、朱志香は掠れた声で一言、絞り出した。
「ばとら……」
ぽろぽろと彼女の頬を涙が伝う。
それでも、彼女の笑顔が愛おしかった。
涙をぬぐって朱志香がフォークを握る。そうして目の前のチョコレートケーキの端に突き刺した
「ケーキ、食べさせてやるよ……今日だけ、だからな!」
「……ありがとな、朱志香」
朱志香に口に運んで貰ったチョコレートケーキは、中に溢れたガナッシュと二人の想いが溶けあって、愛しくて甘い味がした。