ここは「花待館」の別館となっています。非公式で「うみねこのなく頃に」「テイルズオブエクシリア」「ファイナルファンタジー(13・零式)」「刀剣乱舞」の二次創作SSを掲載しています。
〓 Admin 〓
最後です。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
・ついでにR15くらいです。
・EP6のネタばれらしきものも混じっています(主に嘉音の本名)。
それではどうぞ。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
・ついでにR15くらいです。
・EP6のネタばれらしきものも混じっています(主に嘉音の本名)。
それではどうぞ。
PR
それがこんな事件に発展するなんて思わなかった。
戦人に魔法はあったと信じさせるために、そして蔵臼の事業を助けるために企画した狂言殺人。
そのシナリオの中に、朱志香が読んだ手紙なんて無かった。
思えば嘉音が渡してきた伝説の魔女ベアトリーチェからの手紙が全ての始まりだったのかもしれない。真里亞が楼座に引っぱたかれ、カボチャのマシュマロを壊されるのを見た朱志香に、嘉音が渡した手紙。
おそらく楼座に渡した手紙には親族会議を中座するように指示が為されていたに違いない。
本来のシナリオでは食堂に集まった親たちに事情を話し、協力を仰ぐ予定だった。
嘉音がインゴットを取りに行くと言ったのも、その一部だったはずなのに。
昨晩彼女が紗音の案内で屋敷に行くと親族は誰もいなかった。
『どういうことだ……?』
『どうしたんでしょう……郷田さんが使用人室にいるはずですが……』
『……行ってみよう。紗音、悪いな』
『いえ。お嬢様が旦那様や奥様を思うお気持ち、きっと伝わるはずです』
『ありがとう』
郷田に聞いても、親族の行方は杳としてしれなかった。探しに行きましょうかという郷田に、手をひらひらと振って断った。
『いや、いいんだ。ただ、このことは他言しないでくれ。戦人に狂言だって知られたら、事業がうまくいかなくなるかもしれないし』
『承知しました。お嬢様は……本当に当主様になられたのですね』
そう言ってしみじみと感心する郷田に、朱志香は微笑んだ。
今回の二日間はミステリーナイトを模したもの。
このような事件があったが、犯人は誰かと問い、ゲストハウスを探って貰う。
さらにボトルメールを流しておけばミステリー好きの好奇心をくすぐるだろう。
それをリゾートの時期に二日間にわたって企画し、2日目の回答編には、私が犯人だとベアトリーチェの衣装を着た朱志香が現れる、そういう寸法だった。
しかし、いないものは仕方がない。もう一度行くしかない。
使用人室からの帰り道、朱志香はシナリオを確認した。
『第一の晩に母さん以外の六人、第二の晩に紗音と嘉音くん、第三の晩を飛ばして第四の晩から第八の晩までが南條先生、源次さん、熊沢さん、郷田さん、祖父さま。第九の晩は飛ばして第十の晩に祖父さまの書斎に行って、みんなで戦人をびっくりさせる。終わったら書斎に集合』
『ええ。きっと戦人様、びっくりされると思いますよ……ふふ』
『でも、悪いな。第二の晩、譲治兄さんとのほうがよかっただろ?』
そう問いかけると、紗音は顔を赤くしてはにかんだ。
『いえ、その……あぅ。……でも、特別な場面指定がある訳じゃないですし、明日の晩には譲治様と再会できますし』
そんなやり取りをして、笑いあって、ゲストハウスに帰ったのだ。
その夜、数度にわたって屋敷に行ったのに、親族はいなかった。
だから翌朝、つまり今日1986年の10月4日の朝、礼拝堂で見つかった両親と叔母達が死んでいるとすぐに分かってしまった。
この時点で狂言は出来なくなってしまった。
とっさにベアトリーチェがやったと口走ったのは、戦人や譲治への贖罪もあった。シナリオでも予定していたけれど、本心から叫ぶとは思っていなかった。
--私が……殺したようなもんか……?ごめんな……譲治兄さん、戦人……。
朱志香は椅子の上で身体を丸める。そして、回想を続ける。
両親が殺されて、怒りの炎が燃え上がるままに貴賓室のものを壊してしまった。
金蔵にまた怒られてしまうだろうか。
金蔵が死んだのを知ったのは少し前だった。朱志香が新しいベアトリーチェだと知ってから、彼女は祖父に魔術を教えられた。碑文を解いたと知らせると、金蔵は彼のベアトリーチェの想い出を教えてくれた。
だから、金蔵が死んだと知ったとき、どうすればいいか分からなかった。どうすればいいか分からなくて、祖父の魔女と祖父が黄金郷で愛し合っていることを信じた。
黄金郷に行けば願いが叶う。
魔女も魔術師も関係ない。金蔵の愛したベアトリーチェと、金蔵は黄金郷で幸せになれる。
だから、両親と使用人がぐるになった死亡隠蔽も見て見ぬふりをした。ただ死んだと判明してしまったら、その幻想は崩れてしまうから。
同時に、母の優しい金蔵という魔法でさえも解けてしまうから。
だから、第十の晩までに金蔵は10月3日に死んだと嘘をつきたかったのに。
--どうして、嘉音くん……どうして……!
朱志香は嘉音のことが好きだった。一目惚れ、というわけにはいかないが、とにかく好きだった。6年前に失った「カノン」と同じ名前で、同じぐらい仕事に真面目。
金蔵のベアトリーチェが現在のジェシカ・ベアトリーチェを哀れんで「カノン」を人間に生まれ変わらせてくれたのかと思うほどに、嘉音は朱志香の側にいた。
恋をしたい、と思ったときに真っ先に浮かんだのは嘉音だった。
彼は恋をしたことがあるのだろうか、そう思った。
外の世界を知って欲しかった。彼の世界は六軒島だけじゃない、そう教えたかった。
だから文化祭に誘った。
一番大好きなことをしていられる「朱志香」を教えた。
けれど彼は、人間と家具に恋など出来ないとはねつけた。朱志香の思いに応えられないと言った。
恋心が砕かれて、彼女はこれ以上嘉音の前にいられなくて、部屋に帰ってしまったが、嘉音はあのあとどうしたのだろうか。
その後、いつからか嘉音の目に宿る光が違うような感じがした。
そう、確か戦人が来るという話を聞いた後からだったか。朱志香に何かを訴えるような光。
『嘉音くん……あの、何かあったら、私に話して良いから……』
『ありがとうございます、お嬢様。ですが、僕は……家具ですから』
家具ではないと叫んでも、彼女の言葉は嘉音には届かない。
だから、自分の想いを叶えることは諦めていたのに。
『ずっと、ずっと好きでした』
その言葉に、朱志香は何故だか背筋が震えるのを感じた。
嘉音は緊急事態なのに、その瞳に情欲の炎をちらつかせて朱志香に愛を迫った。
『すべて、僕がやりました』
『仕方なかったのです』
朱志香と結ばれるためには殺人さえいとわないという嘉音。
何がなんだか、朱志香にはさっぱり分からない。
ただ、彼女が出演料兼迷惑料として使用人や親族のそれぞれの家族に贈った1億円がどうやら慰謝料になりそうだという予感がした。
嘉音が恐ろしい。
朱志香に掴みかかられてもなお、彼女の愛を求め、彼女と愛し合うためなら殺人すら厭わない彼が、恐ろしい。
嘉音が愛しい。
家具と念じる気持ちの向こう側で、彼女を求める彼が愛おしい。
二つの心の狭間で前者に少しだけ寄り添って揺れながら、朱志香はゆっくりと瞳を閉じた。
何人殺そうと、嘉音は朱志香を求め続ける。
彼の思いを拒絶しようと無理だと、南條と熊沢が殺されたときに思い知った。
それから、当主の指輪が消えたことも。
強引な口移しによる昼食を終え、ベッドに再び移された後、彼女は自分がドレスに着替えていることを知る。
母が少し前の誕生日プレゼントにくれたドレス。ピンクと白が基調のそれは朱志香が着ると少し甘すぎる色合いだったが、それでも彼女はこれが気に入っていた。
左腕の辺りに刻まれた片翼の鷲が貰ったときに少しだけ苦しかったのを思い出す。
足下はおそらくタイツだろう。朱志香が睡眠薬で眠らされている間に嘉音がやったに違いない。
「朱志香様……」
「こんなことして……満足なのかよ……?」
彼は優しい笑みを浮かべて頷く。けれど、それは朱志香には狂気の笑みに見えた。
「満足です……これで、朱志香様と二人きりになれたのですから」
「ふたり……きり……?まさかっ……!」
「紗音と譲治様と、郷田が最後の生け贄です」
「郷田さん……譲治兄さん……紗音……!!」
「朱志香……僕が死んでも、そんな風に泣いてくれましたか……?」
--あの文化祭の夜も、あなたは泣いてくれましたか?
朱志香は嘉音の肩口に顔を埋めて泣いた。
「何言ってるんだよ……!泣くに決まってるだろ……文化祭の時も……泣いたよ……!」
「……僕を愛してくれますか?」
「……っ」
苦しいほどに愛情で拘束され、今更ながら自分に逃げ場がないということを思い知った。答えられずにいると、嘉音は彼女を抱きしめたまま語り出した。
「……僕は紗音が憎らしかった。僕の朱志香への恋心を玩具にして、陰で叶わぬ恋に落ちた愚か者と笑っていたから……あんな蝶のブローチで恋が叶うなんて言って……騙して……」
「違う……違うよ……嘉音くん……」
朱志香はゆっくりと首を横に振る。
「あの蝶のブローチは……私がお守りにあげたんだ。私は物語に出てくるような魔女じゃないから本物の魔法のブローチをあげることは出来なかったけど……信じれば奇跡は起こるって……だから紗音は信じて、譲治兄さんに想いを伝えたんだ。……嘉音くんがこんなに苦しむなら、あのとき……紗音がブローチを返してきたとき、貰っておけば良かった」
それは去年のこと。譲治への恋煩いに悩む紗音を幸せにしたくて贈った、祖父から貰った伝説の魔女の形見。代わりに紗音に頼んだのは全てを跳ね返す鏡の破壊。それがこんなことになるとは朱志香にも分からなかった。
ブローチの返却を受け付けなかったのは、それが2人を永遠に結びつけて欲しいと願ったからだったのに。
鏡を割って貰ったのは親族みんなに幸せになって欲しかったからだったのに。
嘉音はもしかしたらその言葉に気分を害したのかもしれない。一瞬だけ仕舞った、という表情をした後で朱志香をさらに抱きしめた。
「では、紗音の代わりでもいいから……僕を幸せにしてください」
柔らかな檻の中に押し倒され、朱志香は自分の血の気が引いた音を聞いた。
彼の目に宿るのはどんな手を使っても彼女を手に入れたいという渇望の昏い焔。
肥料袋一つ持ち上げられなかったはずの嘉音の腕は、今は信じられないほど強い力で朱志香を押さえつける。
「か、嘉音くん……嫌だっ!やめて!離してっ!」
「僕だけを見てください……僕だけを愛してください……朱志香……っ」
互いの服を隔てて肌と肌が触れ合う感触で、今更ながら彼女は下着をつけていないことを知った。腰で締めてあるリボンを解かれ、装飾品が何もない胸元を遠慮のない指が這う。
「ずっと、ずっと愛しています……朱志香……」
その熱の籠もった声すら自分を凌辱していくようで、こんな形で抱かれるのを嫌悪していたはずなのに、朱志香は快楽の淵に沈む錯覚を覚えてしまう。目の前の少年に手を伸ばそうとも、6年前に『殺された』家具の少年に助けを求めようとも、救いを求める腕は拘束されて動かない。もし彼女に本当の魔法が備わっていたならば。その想いが、かつての魔女同盟の仲間の名を叫ばせた。
「嫌っ……嫌ぁっ……助けてっ……戦人ぁっ!」
悲鳴を上げた瞬間に胸元を強く握り込まれ、そこに痛みが走る。いつのまにやら嘉音の片手は朱志香の背中を下りて腰の辺りで好き放題に暴れていた。彼の瞳に宿るのが負の感情を燃やした炎ということしか彼女には分からない。
ただ、彼女は錯覚しそうになる。
これが嘉音の望みならば、それを叶えてやりたいと思ってしまう。
ずっと待っていた白馬の王子様は6年前に罪を犯した戦人ではなく、今朱志香を犯そうとしている嘉音なのだと思いそうになる。
白馬の王子は朱志香にとってその文字通り、もう一度ジェシカ・ベアトリーチェを白き魔女に導いてくれる存在だった。けれど、その定義が崩れ落ちそうになる。嘉音が鳥籠に閉じこめておこうとするのはジェシカ・ベアトリーチェであり、右代宮朱志香だ。そこにはおそらく導くという概念はない。それでも、嘉音に囚われてもいいと思う自分がいることに朱志香は困惑する。
「朱志香……っ」
無理矢理の口付けにも、もう抵抗できない。彼がそうしたいのならそうすればいいと諦めたとき、彼女は自分が抱えていた白馬の王子の概念が崩れ去るのを感じる。戦人が好きだったのかは分からない。けれど今は嘉音が好きなのだから、全て彼の望むままに蹂躙されてしまえばいいと自分の純潔の花を諦めた。
ノックが響いたのはそのときだった。
「やっ……誰か、来たから、やめて……っ」
純潔の花を散らされるところを誰にも見られたくないという矜持から来る朱志香の懇願も来訪者には聞こえない。ノックにいらだってか嘉音は小さく舌打ちして、タイツに掛けていた手を離す。そして彼女を横抱きにして金蔵の椅子に再び拘束した。
「失礼致します」
入ってきたのは、今現在生き残っている全員だった。楼座、真里亞、源次、そして、戦人。リボンがほどけたまま力無く椅子に座る朱志香に、源次以外が驚きの表情をつくる。
「朱志香……嘉音くん……生きてたのか!?」
「最初から殺されてなどおりません」
戦人の驚愕の声に、嘉音は素っ気なく答えた。銃を構える楼座の横をすり抜けて、真里亞がこちらに近づく。
「う~、朱志香お姉ちゃん……ベアトリーチェ。どうして泣いてるの?」
「ま……真里亞……」
「朱志香ちゃんが……ベアトリーチェ!?」
「……朱志香がベアトリーチェってことは……」
楼座と戦人の顔が険しくなる。六軒島の魔女ベアトリーチェ。それは大人達が密かに噂した祖父の妾の名であり、マリアージュ・ソルシエールにおける朱志香の名前だった。
戦人が驚いたことに、少し寂しくなる。彼はきっと、「カノン」を「殺した」ことを忘れてしまったのだろう。
もうそれでもいい。
朱志香が為し得なかったことを彼はやってのけたのだから、後はもう、彼女が赦してしまえばいい。
「朱志香様が右代宮家の当主です」
全てを赦すことが魔法なのだから。
けれどそのことが新しい惨劇のトリガーになってしまったことは否めなかった。だから、こらえきれない涙を必死で押さえながら囁く。
「……真里亞の……マシュマロをなおしたのは、私……暗号を解いたのも、私……っ」
霧江の前に魔女ベアトリーチェとして現れたのも朱志香だった。全てミステリーナイトのための余興のつもりだった。
真里亞のマシュマロだって、楼座に折檻される彼女を元気づけたかったから、貰ったばかりのマシュマロをもう一度渡したのだ。楼座が真里亞のために買った、たった一つのマシュマロだと信じて。
それが白き魔女として、いつか最初の「ともだち」と交わした約束なのだから。
「楼座叔母さん、朱志香は犯人なんかじゃねえ」
「根拠は?」
あの手紙を渡した朱志香をまだ疑っているらしく冷たい声の叔母に、戦人は黙って少女を戒める手錠を指さした。
「朱志香が拘束されている以上、朱志香にみんなを殺すことは出来ねえ。それにこいつは、昨日の夜俺たちと一緒にいた。犯行は無理だ」
「それもそうね……朱志香ちゃん、知っているんでしょう?兄さん達を殺したのは誰?」
問いつめる楼座に、朱志香は答えられない。答えてしまえば嘉音がどうなるか分からなかった。
「朱志香、答えてくれ!」
戦人の懇願。自分が殺した、と言えればどんなに楽か。けれど、彼女は魔女であっても犯人ではなかった。
「……っ、それ、は……」
朱志香は怯えるように嘉音のほうを見る。彼は朱志香に歩み寄り、彼女を抱きしめた。
「僕がやりました」
「ほら、言ったじゃない……嘉音くんが狼だって!」
楼座の勝ち誇ったような台詞を遮って、戦人が叫ぶ。
「何でやったんだよ!親父達を、紗音ちゃん達を殺して……何が望みだったんだ!」
「お嬢様と幸せになるためです」
その台詞を聞くのは今日何度目だろう。朱志香と幸せになるために、彼女を閉じこめるために、彼はその手を血に染めた。
「なんだよそれ!好きなら好きって、そう言やあ良いじゃねえかよ!どこにみんなを殺す必要があった!?」
「戦人様には分からないでしょう……こうでもしなければ愛する人と幸せに……結ばれない家具の気持ちなんて!分からないでしょう!」
「わかんねえよ!今の朱志香を見て、嘉音くんはこいつが幸せだと思えるのか!?」
嘉音は彼女を真っ直ぐに見つめた。きっと今、彼女の顔は涙で酷い有様になっているだろう。それなのに彼は嬉しそうに口元を緩める。
「今は幸せでは無いかもしれませんが、僕たちはもうすぐ幸せになれるのです」
確かに、朱志香は今幸せではない、はずだった。それなのに、断定できない。魔法で幸せになろうと思っているわけではないのに、不幸せだとも幸せだとも断定が出来ない。
抱きしめられたまま髪を梳かれて懐柔されているわけでもない。
あの文化祭の日に諦めたはずの恋が叶ったことが嬉しいわけでもない。
けれど、両親を殺されて、親族を殺されて、親友までも殺されて、悲しくて悔しくて怒りの炎で身を焼かれてしまいそうなのに。
それなのに、目の前で自分を抱きしめている犯人に復讐する気が失せてしまった。嘉音を責める気持ちが萎えてしまった。
「僕は朱志香を愛しています。あのままではいずれ朱志香は旦那様達に従って他の男の元に嫁いでしまう。ならば僕が朱志香の鳥籠を解放するまでです。もうすぐ……もうすぐ朱志香を幸せに出来る!こんなところよりも遙かに広い僕の鳥籠に朱志香を永遠に閉じこめることが出来る……!もう誰にも邪魔はさせない」
「……何を言っているの?」
けれど、朱志香がその心を無くしたからと言って、他の親族も同じわけもない。楼座の怒りを纏った嘲笑の言葉が嘉音の熱に浮かされた言葉を遮る。
「あんたと結婚したって、朱志香ちゃんが幸せになれるわけ無いじゃない」
「ろ……楼座叔母さん!?」
戦人の狼狽えた声。嘉音の鼓動は一定のリズムを刻み続けるが、彼の息が少し乱れた、ような気がした。
「あんたみたいな使用人で義務教育に行かせてやった恩も忘れて主人を殺すようなやつに、朱志香ちゃんが喜んで嫁げるとでも思ってるの?私がそんなやつと姪を一緒にさせるとでも思ってるの?」
「う~……ママ?」
「ま……真里亞、聞くな……耳をふさいで、小さな声で……私に歌を聴かせてくれ。そうすれば真里亞には……何も見えない、聞こえない……!」
朱志香が掠れた声でそう頼めば、真里亞は椅子と背を向けあう形で立って、歌い出す。
それは楼座との幸せの想い出の歌。愛の無い視点で見ればただの古くさい童謡だけれども、真里亞にとっては楼座との数少ない想い出の歌。
幸せの呪文の、母とずっとずっと仲良しでいられる魔法の、最初の原点。
楼座は忘れてしまったのだろうか。
真里亞とあんなにも笑いあった日々を。
その間も楼座は嘉音を罵倒する。
けれど、真里亞には何も見えない、聞こえない、分からない。それだけが朱志香の救いだった。
黒き魔女へと足を踏み入れてしまった原始の魔女に、最後だけは幸せの白き魔法を授けたかった。
「どうせそこにいる源次さんも共犯でしょう?最初から信用なんてしてなかったわよ、この家具どもが!……真里亞、その椅子から離れなさい。離れなさいって言ってるでしょうっ!」
「真里亞……私の……ベアトリーチェの、最後の贈り物だ……歌、ありがとう。楼座叔母さんのところに行って、絶対に離れるなよ……」
「う~……」
それでも、もう限界だ。もしかしたら嘉音はここで殺人劇のフィナーレを飾るつもりかもしれない。だから、せめて最後だけは真里亞を母親と引き離すことはしたくなかった。どうせ皆殺されるのならば、真里亞と楼座を一緒にさくたろうたちとあわせてやりたかった。
顔は見られなかったが、真里亞は歌をやめると、素直に楼座のところへ歩いて行き、衣服にぎゅっとしがみついた。
「楼座叔母さん……何を!?」
銃を構え直す音が響く。おそらく楼座だ。
「家具どもを殺すのよ」
「なっ……!?」
「このまま恩知らずの家具どもと一緒に明日の朝までいっしょにいることなんか出来やしない。ならここで殺すしかないでしょ?」
「た……確かにそうだけどよ……ここで撃ったら朱志香だって危ないんだぞ!?」
狼狽えて楼座を止めようとする戦人に、朱志香は嘉音の身体越しに疲れたような声で呼びかけた。
「戦人……もう、良いんだ……私が悪いんだ……私が……っ!だから……叔母さん、私も……殺して……!」
朱志香ちゃん、と楼座が小さな声で呟くのが聞こえる。
嘉音と戦人は悪いのは朱志香ではない、と静かに否定する。けれど。
「私が……嘉音くんの想いに応えなかったから……」
もしもこの部屋で過ごしているどこかのタイミングで彼に愛を告げられたなら。
自室で薬を盛られる前に、嘉音の愛を受け入れられたなら。
切望の眼差しを向け、それでも家具ですからという彼に、想いを伝えることが出来たなら。
今日までのどこかで、諦めずに愛していると言えたなら。
文化祭の時、朱志香がはっきりと嘉音に愛している、と言ったなら。
「私が嘉音くんに告白していれば……こんなことにはならなかった……っ!」
「朱志香……」
嘉音の腕が一層強く朱志香を抱きしめる。
「朱志香ちゃん、騙されちゃダメよ。こんな家具の気持ちに応えて、だから何だっての?遊びにしかならないじゃない!」
それはとても正論かもしれない。楼座から見れば例え嘉音が本気でも、決して朱志香が本気になることを許されない遊びの恋なのだろう。いや、使用人と恋に落ちること自体が間違いなのかもしれない。
それでも、朱志香は楼座の言葉に反応することが出来なかった。
「やめろよ、楼座叔母さん!別の部屋に隔離すればいいだろ!」
「戦人くんは黙ってて!」
ヒステリックな応酬が続く。
使用人を殺す気であるのは確実で、まず楼座が狙うのは、間違いなく嘉音だろう。
いっそのこと自分も共に殺して欲しい、と朱志香はぼんやりと思う。けれど、きっと嘉音はそれを許してはくれないだろう。
「家具なんかと一緒にいられるもんですか!死ねぇっ、家具どもがぁぁぁぁ……」
ぱしゅん。
静かに弾が躍り出る音がした。聞こえるはずの楼座の銃声は聞こえない。
ぱしゅん。
ぱしゅんぱしゅんぱしゅん。
「か……嘉音、くん……!?」
「楼座叔母さん!!」
「ママ、ママぁっ……!ママぁぁぁっ!う~!う~!う~う~う~!!!!」
顔を嘉音の胸に押しつける形になっている朱志香は分からない。ただ、真里亞の母を呼ぶ悲痛な叫びが部屋の中にこだまするだけだ。
「楼座様が、死にました」
「なっ……」
「てめえ、他人事みたいに……!」
怒りに任せて吼える戦人を、源次が制す。
「戦人様、お静かに」
「でもよ、源次さん!」
「お静かに」
有無を言わさぬ、威厳のある声。戦人が黙ってから、嘉音はもう一度、繰り返し同じことを聞いた。
「朱志香……僕を愛してくれますか?」
「愛す……愛すよ……嘉音くんを……愛すよ……だからっ……だからもう、これ以上は……!」
これ以上は人を殺さないで?これ以上は無茶をしないで?どちらの意味で言いたいのか、朱志香には分からない。彼女に分かるのは唯一つ、さっさと彼にこの身も心もすべて捧げてしまえばよかったという後悔の気持ちだけだ。
「ありがとうございます……朱志香」
「うわあぁぁぁぁ……ママぁぁぁ……っ!」
真里亞の大泣きする声が聞こえる。戦人の慌てたような声が聞こえたから、楼座のそばに行ったのかもしれない。
--真里亞。真里亞が作った物語の中では楼座叔母さんは生き返ることが出来た。けれど、もう生き返らない……それが、無限の魔法の弱点。私は叔母さんを生き返らせることが出来ない……ごめん……ごめんな……真里亞……。
心の中でマリアに謝っていると、また静かに弾が出る音が聞こえた。
ぱしゅん。
「ぐああぁぁっ!?」
「戦人っ……!?」
ぱしゅん。
戦人の悲鳴。嘉音という檻に囚われた朱志香には何が起こっているのかわからない。
「さあ、朱志香」
彼が腕を解き、初めて書斎の状況を知った。
血を流して倒れ伏す息絶えた楼座。
楼座に駆け寄って母を呼びながら泣きじゃくる真里亞。
静かに傍に佇む源次。
そして、真里亞の傍で両足のアキレス腱から血を流して蹲る、戦人。
「戦人っ……それっ……」
この瞬間、朱志香はただの「人間」だったのかもしれない。純粋に彼の足が心配だった。
「朱志香……すまねぇな……お前のこと、助け出してやれなくて」
額に脂汗を浮かべながらも苦く笑う戦人が、純粋に愛おしかった。かつての白馬の王子様は、今はただの青年に見えた。出来ることならば今すぐ駆け寄って、手当をしてやりたかった。けれど手足の拘束がそれを許さない。源次に手当を懇願したものの、それは淡白に退けられた。老執事の眉間に、嘉音が片手で持っている銃の照準が合わせられていた。
「源次さん……!」
「お嬢様……昨日までの日々、楽しゅうございました。……ありがとうございます。では……先にお暇を頂きます」
「源次さん!?止めてっ、嘉音くん!!」
ぱしゅん。
ぱしゅん。
「源次さん!」
ゆっくりと頽れていく源次を目の当たりにして、朱志香と戦人が叫んだ。
「やめて……やめて!嘉音くん!もう、こんなことしないで!」
拘束された両手で必死に縋り付く彼女に、嘉音は優しく笑いかける。どうしてその手を血に染めながらこんなにも優しく笑いかけられるのか。けれど、その双眸には昏い昏い劣情の炎が宿っている。
こんなにあなたを愛しているのは自分だけなのに。あなたのためなら何でも出来るのに。
そう物語る瞳に囚われそうになる。
「朱志香……僕だけを、僕だけを見てください。僕だけを愛してください。その瞳に、僕以外の者を映さないでください」
囚われてはいけない。けれど囚われたい。相反する意思を押し込めて、朱志香はがくがくと頷いた。
どうせ、六軒島から出たところで行く当てなど無い。
右代宮という鳥籠から解放されたところで嘉音に愛され続ける永遠の鳥籠に囚われるだけだ。
それならもう、囚われてしまった方が楽かもしれない。
彼女の心はもう、嘉音への恋の炎を消すことなど叶わないのだから。
「ありがとうございます……さあ、朱志香。この鳥籠から、共に出ましょう。ずっと一緒にいましょう」
「朱志香っ!」
鋭く彼女を呼び止める声。力強く差し伸べられた腕。戦人だった。お前は幸せの白き魔女ベアトリーチェだろう、そう語るような表情。
朱志香には、もうそれだけで十分だった。
覚えていてくれただけで、もう良かった。
「戦人……ごめんな、ありがとう」
戦人の目が驚愕に見開かれる。
「朱志香っ!お前……!」
「ありがとう……覚えていてくれて……」
「朱志香……」
「私はやっぱり、無限の魔女じゃ、なかったのかな……」
それを面白くなさそうに眺めていた嘉音が語り出す。
「……戦人様。僕はあなたを一番殺したかった」
「嘉音くん!?」
「朱志香の魔法を否定したあなたが許せなかった。朱志香を傷つけて、のうのうとこの島に帰ってきたあなたが憎かった」
「ちょっと待てよ!俺はのうのうと帰ってきた訳じゃ……」
「いいえ。右代宮家を捨て、朱志香を裏切り、傷つけて……そこにいかなる理由があろうとも、それは言い訳にしかなりません。それなのに、帰ってくると聞いただけで朱志香は笑顔になられた。戦人様は朱志香を裏切った罪人なのに、朱志香様はどうして笑っていらっしゃったのか、姉さんに聞きました。許すつもりか、魔法を認めることを願っておられるかだと聞きました。ですが!」
明かされた真実。
嘉音だけの真実。
確かに右代宮戦人には罪があった。
嘉音の言うとおり、許すつもりだった。
「僕は、あなたを裏切った罪人を、あなたの鳥籠となった裏切り者を、どうしても許すことが出来ませんでした、朱志香」
「もう……いいよ、もういいよ、嘉音くん……!」
「その後はあなたに愛して貰うために、親族の皆様を手に掛けました。真里亞様の封筒を二度すり替え、礼拝堂の鍵を手に入れました」
「あれは……そんなものだったのかよ!?伝説の魔女様からの真里亞と楼座叔母さんへの幸せの贈り物じゃなかったのかよ!?二人の黄金郷への……招待状じゃなかったのかよ……!?」
嘘だと言って欲しくて、彼の腕に縋り付く。けれど彼はただ彼女の髪を梳くだけだった。
「騙して申し訳ありませんでした。けれど、僕はあなたを手に入れたかった。あなたに愛して欲しかった。そして、右代宮戦人が苦しんで死ねばいいと思いました。それからは朱志香の知っているとおりです」
戦人は何も言わない。
「……真里亞様。あなたがジェシカ・ベアトリーチェ様とお約束なさった黄金郷、僕が差し上げましょう」
真里亞が振り向き、まだ何も言わないうちに嘉音は銃弾を撃ち込んだ。
「真里亞ぁぁぁぁっ!」
「朱志香……あなたが僕だけを見てくださらなければ、」
足下の鎖が砕かれる。戦人の傍に駆け寄ることも可能。
「戦人様を殺します」
けれど、もう彼に人を殺して欲しくなかった。
「……っ、嘉音くんだけ、見てるから……」
嘉音の瞳の中に渦巻く哀しみを見てしまったから。嘉音が愛しかったから。泣かないで欲しかったから。
「だから……泣かないで、嘉音くん……」
ゆっくりと嘉音の胸に身体を預ける。もうここで蹂躙されてもいいと思うほど、朱志香は嘉音が愛しかった。
「ずっと前から……私も好きだったのに……ごめんな……」
「僕は……泣いているのですか?」
「私の知ってる嘉音くんは……こんなこと出来る人じゃない。本当の君は……多分泣いているんじゃないかな……」
手錠の填められた両手で嘉音の頬に触れる。
「大好きだよ……嘉音くん」
「朱志香……!」
朱志香、朱志香と繰り返し名を呼びながら、嘉音は彼女を抱きしめる。
それはなんて強い力。
手錠の外された腕は迷わず彼の背に回した。
「愛しています、ずっと愛しています!朱志香……!だから……だからっ」
「私も……ずっと愛してるぜ……嘉音くん……君の本当の名前、聞きたかった……」
「僕の、本当の名前は……」
彼がこの世に生まれ出でたときに付けられた名前を囁かれる。ずっと聞きたかった、嘉音の本名。
家具ではない嘉音に、本当の名前を添えて愛している、と囁き返す。
「大好きです、愛しています、僕の朱志香……!」
もうすぐ時計の針が零時を示す。時刻になってしまえばこの島中に仕込んだ爆薬が火を噴く、と彼は言った。
かつて金蔵が黄金の魔女を囲っていた九羽鳥庵に逃げ込めば、3人は助かるかもしれない。ああ、けれど、もうその時間はきっと残されていない。それでもいい。ほんの一瞬でも心を通わせることが出来たのは僥倖と言うべきなのだから。
彼女にとっては嘉音と一緒に死ねるのならば、本望だった。
「朱志香……未来を、与えられなくて申し訳ございません」
「いいんだ……もう、私は……」
二人で戦人のほうを見ると、彼はもう虫の息だった。これ以上苦しめたくない。安らかに眠らせてやりたかった。
銃を向ける嘉音の腕を押さえ、やんわりと銃を奪う。
「朱志香……?」
「最後ぐらい、私がやるよ……私を心配してくれて、ありがとうな、戦人。そして……さよなら」
ぱしゅん!
放たれた弾丸は戦人の心臓に着弾し、彼はこれ以上苦しむことなくこの世に別れを告げた。
最期の時に、彼が安らかな顔をしていたのがせめてもの救いだった。
それから朱志香は嘉音に抱きかかえられてもう一度ベッドへともどる。本当の愛を込めて、優しく甘い口付けを交わす。
「嘉音くん……」
「嘉哉と呼んでください……」
「嘉哉くん……っ……」
戦人達が来る直前にしていた行為を再びしているだけなのに、そこには快楽や恐怖との葛藤はなかった。ただただ暖かな肌を触れ合わせ、甘やかに愛を交わす。朱志香の中に広がるのは、愛する者と一つになれる歓びと、体温を分け合う安堵感から来る官能のみ。あれほど彼女を凌辱した指先は今は暖かな愛を持って彼女に愛の歓びを教える。
一つになる痛みすら、今は愛おしかった。
たとえ愛欲の淵で果てる前に彼女たちの生命の火が消えたとしても、悔いはなかった。
そして、零時の鐘が鳴った。狂気の宴は終わりを告げたのだ。
その後、六軒島大量殺人事件の真相は闇に葬られたままである。
だから誰も知ることはない。
幸せの白き魔女が愛し、愛された騎士の狂おしい愛の物語を。
戦人に魔法はあったと信じさせるために、そして蔵臼の事業を助けるために企画した狂言殺人。
そのシナリオの中に、朱志香が読んだ手紙なんて無かった。
思えば嘉音が渡してきた伝説の魔女ベアトリーチェからの手紙が全ての始まりだったのかもしれない。真里亞が楼座に引っぱたかれ、カボチャのマシュマロを壊されるのを見た朱志香に、嘉音が渡した手紙。
おそらく楼座に渡した手紙には親族会議を中座するように指示が為されていたに違いない。
本来のシナリオでは食堂に集まった親たちに事情を話し、協力を仰ぐ予定だった。
嘉音がインゴットを取りに行くと言ったのも、その一部だったはずなのに。
昨晩彼女が紗音の案内で屋敷に行くと親族は誰もいなかった。
『どういうことだ……?』
『どうしたんでしょう……郷田さんが使用人室にいるはずですが……』
『……行ってみよう。紗音、悪いな』
『いえ。お嬢様が旦那様や奥様を思うお気持ち、きっと伝わるはずです』
『ありがとう』
郷田に聞いても、親族の行方は杳としてしれなかった。探しに行きましょうかという郷田に、手をひらひらと振って断った。
『いや、いいんだ。ただ、このことは他言しないでくれ。戦人に狂言だって知られたら、事業がうまくいかなくなるかもしれないし』
『承知しました。お嬢様は……本当に当主様になられたのですね』
そう言ってしみじみと感心する郷田に、朱志香は微笑んだ。
今回の二日間はミステリーナイトを模したもの。
このような事件があったが、犯人は誰かと問い、ゲストハウスを探って貰う。
さらにボトルメールを流しておけばミステリー好きの好奇心をくすぐるだろう。
それをリゾートの時期に二日間にわたって企画し、2日目の回答編には、私が犯人だとベアトリーチェの衣装を着た朱志香が現れる、そういう寸法だった。
しかし、いないものは仕方がない。もう一度行くしかない。
使用人室からの帰り道、朱志香はシナリオを確認した。
『第一の晩に母さん以外の六人、第二の晩に紗音と嘉音くん、第三の晩を飛ばして第四の晩から第八の晩までが南條先生、源次さん、熊沢さん、郷田さん、祖父さま。第九の晩は飛ばして第十の晩に祖父さまの書斎に行って、みんなで戦人をびっくりさせる。終わったら書斎に集合』
『ええ。きっと戦人様、びっくりされると思いますよ……ふふ』
『でも、悪いな。第二の晩、譲治兄さんとのほうがよかっただろ?』
そう問いかけると、紗音は顔を赤くしてはにかんだ。
『いえ、その……あぅ。……でも、特別な場面指定がある訳じゃないですし、明日の晩には譲治様と再会できますし』
そんなやり取りをして、笑いあって、ゲストハウスに帰ったのだ。
その夜、数度にわたって屋敷に行ったのに、親族はいなかった。
だから翌朝、つまり今日1986年の10月4日の朝、礼拝堂で見つかった両親と叔母達が死んでいるとすぐに分かってしまった。
この時点で狂言は出来なくなってしまった。
とっさにベアトリーチェがやったと口走ったのは、戦人や譲治への贖罪もあった。シナリオでも予定していたけれど、本心から叫ぶとは思っていなかった。
--私が……殺したようなもんか……?ごめんな……譲治兄さん、戦人……。
朱志香は椅子の上で身体を丸める。そして、回想を続ける。
両親が殺されて、怒りの炎が燃え上がるままに貴賓室のものを壊してしまった。
金蔵にまた怒られてしまうだろうか。
金蔵が死んだのを知ったのは少し前だった。朱志香が新しいベアトリーチェだと知ってから、彼女は祖父に魔術を教えられた。碑文を解いたと知らせると、金蔵は彼のベアトリーチェの想い出を教えてくれた。
だから、金蔵が死んだと知ったとき、どうすればいいか分からなかった。どうすればいいか分からなくて、祖父の魔女と祖父が黄金郷で愛し合っていることを信じた。
黄金郷に行けば願いが叶う。
魔女も魔術師も関係ない。金蔵の愛したベアトリーチェと、金蔵は黄金郷で幸せになれる。
だから、両親と使用人がぐるになった死亡隠蔽も見て見ぬふりをした。ただ死んだと判明してしまったら、その幻想は崩れてしまうから。
同時に、母の優しい金蔵という魔法でさえも解けてしまうから。
だから、第十の晩までに金蔵は10月3日に死んだと嘘をつきたかったのに。
--どうして、嘉音くん……どうして……!
朱志香は嘉音のことが好きだった。一目惚れ、というわけにはいかないが、とにかく好きだった。6年前に失った「カノン」と同じ名前で、同じぐらい仕事に真面目。
金蔵のベアトリーチェが現在のジェシカ・ベアトリーチェを哀れんで「カノン」を人間に生まれ変わらせてくれたのかと思うほどに、嘉音は朱志香の側にいた。
恋をしたい、と思ったときに真っ先に浮かんだのは嘉音だった。
彼は恋をしたことがあるのだろうか、そう思った。
外の世界を知って欲しかった。彼の世界は六軒島だけじゃない、そう教えたかった。
だから文化祭に誘った。
一番大好きなことをしていられる「朱志香」を教えた。
けれど彼は、人間と家具に恋など出来ないとはねつけた。朱志香の思いに応えられないと言った。
恋心が砕かれて、彼女はこれ以上嘉音の前にいられなくて、部屋に帰ってしまったが、嘉音はあのあとどうしたのだろうか。
その後、いつからか嘉音の目に宿る光が違うような感じがした。
そう、確か戦人が来るという話を聞いた後からだったか。朱志香に何かを訴えるような光。
『嘉音くん……あの、何かあったら、私に話して良いから……』
『ありがとうございます、お嬢様。ですが、僕は……家具ですから』
家具ではないと叫んでも、彼女の言葉は嘉音には届かない。
だから、自分の想いを叶えることは諦めていたのに。
『ずっと、ずっと好きでした』
その言葉に、朱志香は何故だか背筋が震えるのを感じた。
嘉音は緊急事態なのに、その瞳に情欲の炎をちらつかせて朱志香に愛を迫った。
『すべて、僕がやりました』
『仕方なかったのです』
朱志香と結ばれるためには殺人さえいとわないという嘉音。
何がなんだか、朱志香にはさっぱり分からない。
ただ、彼女が出演料兼迷惑料として使用人や親族のそれぞれの家族に贈った1億円がどうやら慰謝料になりそうだという予感がした。
嘉音が恐ろしい。
朱志香に掴みかかられてもなお、彼女の愛を求め、彼女と愛し合うためなら殺人すら厭わない彼が、恐ろしい。
嘉音が愛しい。
家具と念じる気持ちの向こう側で、彼女を求める彼が愛おしい。
二つの心の狭間で前者に少しだけ寄り添って揺れながら、朱志香はゆっくりと瞳を閉じた。
何人殺そうと、嘉音は朱志香を求め続ける。
彼の思いを拒絶しようと無理だと、南條と熊沢が殺されたときに思い知った。
それから、当主の指輪が消えたことも。
強引な口移しによる昼食を終え、ベッドに再び移された後、彼女は自分がドレスに着替えていることを知る。
母が少し前の誕生日プレゼントにくれたドレス。ピンクと白が基調のそれは朱志香が着ると少し甘すぎる色合いだったが、それでも彼女はこれが気に入っていた。
左腕の辺りに刻まれた片翼の鷲が貰ったときに少しだけ苦しかったのを思い出す。
足下はおそらくタイツだろう。朱志香が睡眠薬で眠らされている間に嘉音がやったに違いない。
「朱志香様……」
「こんなことして……満足なのかよ……?」
彼は優しい笑みを浮かべて頷く。けれど、それは朱志香には狂気の笑みに見えた。
「満足です……これで、朱志香様と二人きりになれたのですから」
「ふたり……きり……?まさかっ……!」
「紗音と譲治様と、郷田が最後の生け贄です」
「郷田さん……譲治兄さん……紗音……!!」
「朱志香……僕が死んでも、そんな風に泣いてくれましたか……?」
--あの文化祭の夜も、あなたは泣いてくれましたか?
朱志香は嘉音の肩口に顔を埋めて泣いた。
「何言ってるんだよ……!泣くに決まってるだろ……文化祭の時も……泣いたよ……!」
「……僕を愛してくれますか?」
「……っ」
苦しいほどに愛情で拘束され、今更ながら自分に逃げ場がないということを思い知った。答えられずにいると、嘉音は彼女を抱きしめたまま語り出した。
「……僕は紗音が憎らしかった。僕の朱志香への恋心を玩具にして、陰で叶わぬ恋に落ちた愚か者と笑っていたから……あんな蝶のブローチで恋が叶うなんて言って……騙して……」
「違う……違うよ……嘉音くん……」
朱志香はゆっくりと首を横に振る。
「あの蝶のブローチは……私がお守りにあげたんだ。私は物語に出てくるような魔女じゃないから本物の魔法のブローチをあげることは出来なかったけど……信じれば奇跡は起こるって……だから紗音は信じて、譲治兄さんに想いを伝えたんだ。……嘉音くんがこんなに苦しむなら、あのとき……紗音がブローチを返してきたとき、貰っておけば良かった」
それは去年のこと。譲治への恋煩いに悩む紗音を幸せにしたくて贈った、祖父から貰った伝説の魔女の形見。代わりに紗音に頼んだのは全てを跳ね返す鏡の破壊。それがこんなことになるとは朱志香にも分からなかった。
ブローチの返却を受け付けなかったのは、それが2人を永遠に結びつけて欲しいと願ったからだったのに。
鏡を割って貰ったのは親族みんなに幸せになって欲しかったからだったのに。
嘉音はもしかしたらその言葉に気分を害したのかもしれない。一瞬だけ仕舞った、という表情をした後で朱志香をさらに抱きしめた。
「では、紗音の代わりでもいいから……僕を幸せにしてください」
柔らかな檻の中に押し倒され、朱志香は自分の血の気が引いた音を聞いた。
彼の目に宿るのはどんな手を使っても彼女を手に入れたいという渇望の昏い焔。
肥料袋一つ持ち上げられなかったはずの嘉音の腕は、今は信じられないほど強い力で朱志香を押さえつける。
「か、嘉音くん……嫌だっ!やめて!離してっ!」
「僕だけを見てください……僕だけを愛してください……朱志香……っ」
互いの服を隔てて肌と肌が触れ合う感触で、今更ながら彼女は下着をつけていないことを知った。腰で締めてあるリボンを解かれ、装飾品が何もない胸元を遠慮のない指が這う。
「ずっと、ずっと愛しています……朱志香……」
その熱の籠もった声すら自分を凌辱していくようで、こんな形で抱かれるのを嫌悪していたはずなのに、朱志香は快楽の淵に沈む錯覚を覚えてしまう。目の前の少年に手を伸ばそうとも、6年前に『殺された』家具の少年に助けを求めようとも、救いを求める腕は拘束されて動かない。もし彼女に本当の魔法が備わっていたならば。その想いが、かつての魔女同盟の仲間の名を叫ばせた。
「嫌っ……嫌ぁっ……助けてっ……戦人ぁっ!」
悲鳴を上げた瞬間に胸元を強く握り込まれ、そこに痛みが走る。いつのまにやら嘉音の片手は朱志香の背中を下りて腰の辺りで好き放題に暴れていた。彼の瞳に宿るのが負の感情を燃やした炎ということしか彼女には分からない。
ただ、彼女は錯覚しそうになる。
これが嘉音の望みならば、それを叶えてやりたいと思ってしまう。
ずっと待っていた白馬の王子様は6年前に罪を犯した戦人ではなく、今朱志香を犯そうとしている嘉音なのだと思いそうになる。
白馬の王子は朱志香にとってその文字通り、もう一度ジェシカ・ベアトリーチェを白き魔女に導いてくれる存在だった。けれど、その定義が崩れ落ちそうになる。嘉音が鳥籠に閉じこめておこうとするのはジェシカ・ベアトリーチェであり、右代宮朱志香だ。そこにはおそらく導くという概念はない。それでも、嘉音に囚われてもいいと思う自分がいることに朱志香は困惑する。
「朱志香……っ」
無理矢理の口付けにも、もう抵抗できない。彼がそうしたいのならそうすればいいと諦めたとき、彼女は自分が抱えていた白馬の王子の概念が崩れ去るのを感じる。戦人が好きだったのかは分からない。けれど今は嘉音が好きなのだから、全て彼の望むままに蹂躙されてしまえばいいと自分の純潔の花を諦めた。
ノックが響いたのはそのときだった。
「やっ……誰か、来たから、やめて……っ」
純潔の花を散らされるところを誰にも見られたくないという矜持から来る朱志香の懇願も来訪者には聞こえない。ノックにいらだってか嘉音は小さく舌打ちして、タイツに掛けていた手を離す。そして彼女を横抱きにして金蔵の椅子に再び拘束した。
「失礼致します」
入ってきたのは、今現在生き残っている全員だった。楼座、真里亞、源次、そして、戦人。リボンがほどけたまま力無く椅子に座る朱志香に、源次以外が驚きの表情をつくる。
「朱志香……嘉音くん……生きてたのか!?」
「最初から殺されてなどおりません」
戦人の驚愕の声に、嘉音は素っ気なく答えた。銃を構える楼座の横をすり抜けて、真里亞がこちらに近づく。
「う~、朱志香お姉ちゃん……ベアトリーチェ。どうして泣いてるの?」
「ま……真里亞……」
「朱志香ちゃんが……ベアトリーチェ!?」
「……朱志香がベアトリーチェってことは……」
楼座と戦人の顔が険しくなる。六軒島の魔女ベアトリーチェ。それは大人達が密かに噂した祖父の妾の名であり、マリアージュ・ソルシエールにおける朱志香の名前だった。
戦人が驚いたことに、少し寂しくなる。彼はきっと、「カノン」を「殺した」ことを忘れてしまったのだろう。
もうそれでもいい。
朱志香が為し得なかったことを彼はやってのけたのだから、後はもう、彼女が赦してしまえばいい。
「朱志香様が右代宮家の当主です」
全てを赦すことが魔法なのだから。
けれどそのことが新しい惨劇のトリガーになってしまったことは否めなかった。だから、こらえきれない涙を必死で押さえながら囁く。
「……真里亞の……マシュマロをなおしたのは、私……暗号を解いたのも、私……っ」
霧江の前に魔女ベアトリーチェとして現れたのも朱志香だった。全てミステリーナイトのための余興のつもりだった。
真里亞のマシュマロだって、楼座に折檻される彼女を元気づけたかったから、貰ったばかりのマシュマロをもう一度渡したのだ。楼座が真里亞のために買った、たった一つのマシュマロだと信じて。
それが白き魔女として、いつか最初の「ともだち」と交わした約束なのだから。
「楼座叔母さん、朱志香は犯人なんかじゃねえ」
「根拠は?」
あの手紙を渡した朱志香をまだ疑っているらしく冷たい声の叔母に、戦人は黙って少女を戒める手錠を指さした。
「朱志香が拘束されている以上、朱志香にみんなを殺すことは出来ねえ。それにこいつは、昨日の夜俺たちと一緒にいた。犯行は無理だ」
「それもそうね……朱志香ちゃん、知っているんでしょう?兄さん達を殺したのは誰?」
問いつめる楼座に、朱志香は答えられない。答えてしまえば嘉音がどうなるか分からなかった。
「朱志香、答えてくれ!」
戦人の懇願。自分が殺した、と言えればどんなに楽か。けれど、彼女は魔女であっても犯人ではなかった。
「……っ、それ、は……」
朱志香は怯えるように嘉音のほうを見る。彼は朱志香に歩み寄り、彼女を抱きしめた。
「僕がやりました」
「ほら、言ったじゃない……嘉音くんが狼だって!」
楼座の勝ち誇ったような台詞を遮って、戦人が叫ぶ。
「何でやったんだよ!親父達を、紗音ちゃん達を殺して……何が望みだったんだ!」
「お嬢様と幸せになるためです」
その台詞を聞くのは今日何度目だろう。朱志香と幸せになるために、彼女を閉じこめるために、彼はその手を血に染めた。
「なんだよそれ!好きなら好きって、そう言やあ良いじゃねえかよ!どこにみんなを殺す必要があった!?」
「戦人様には分からないでしょう……こうでもしなければ愛する人と幸せに……結ばれない家具の気持ちなんて!分からないでしょう!」
「わかんねえよ!今の朱志香を見て、嘉音くんはこいつが幸せだと思えるのか!?」
嘉音は彼女を真っ直ぐに見つめた。きっと今、彼女の顔は涙で酷い有様になっているだろう。それなのに彼は嬉しそうに口元を緩める。
「今は幸せでは無いかもしれませんが、僕たちはもうすぐ幸せになれるのです」
確かに、朱志香は今幸せではない、はずだった。それなのに、断定できない。魔法で幸せになろうと思っているわけではないのに、不幸せだとも幸せだとも断定が出来ない。
抱きしめられたまま髪を梳かれて懐柔されているわけでもない。
あの文化祭の日に諦めたはずの恋が叶ったことが嬉しいわけでもない。
けれど、両親を殺されて、親族を殺されて、親友までも殺されて、悲しくて悔しくて怒りの炎で身を焼かれてしまいそうなのに。
それなのに、目の前で自分を抱きしめている犯人に復讐する気が失せてしまった。嘉音を責める気持ちが萎えてしまった。
「僕は朱志香を愛しています。あのままではいずれ朱志香は旦那様達に従って他の男の元に嫁いでしまう。ならば僕が朱志香の鳥籠を解放するまでです。もうすぐ……もうすぐ朱志香を幸せに出来る!こんなところよりも遙かに広い僕の鳥籠に朱志香を永遠に閉じこめることが出来る……!もう誰にも邪魔はさせない」
「……何を言っているの?」
けれど、朱志香がその心を無くしたからと言って、他の親族も同じわけもない。楼座の怒りを纏った嘲笑の言葉が嘉音の熱に浮かされた言葉を遮る。
「あんたと結婚したって、朱志香ちゃんが幸せになれるわけ無いじゃない」
「ろ……楼座叔母さん!?」
戦人の狼狽えた声。嘉音の鼓動は一定のリズムを刻み続けるが、彼の息が少し乱れた、ような気がした。
「あんたみたいな使用人で義務教育に行かせてやった恩も忘れて主人を殺すようなやつに、朱志香ちゃんが喜んで嫁げるとでも思ってるの?私がそんなやつと姪を一緒にさせるとでも思ってるの?」
「う~……ママ?」
「ま……真里亞、聞くな……耳をふさいで、小さな声で……私に歌を聴かせてくれ。そうすれば真里亞には……何も見えない、聞こえない……!」
朱志香が掠れた声でそう頼めば、真里亞は椅子と背を向けあう形で立って、歌い出す。
それは楼座との幸せの想い出の歌。愛の無い視点で見ればただの古くさい童謡だけれども、真里亞にとっては楼座との数少ない想い出の歌。
幸せの呪文の、母とずっとずっと仲良しでいられる魔法の、最初の原点。
楼座は忘れてしまったのだろうか。
真里亞とあんなにも笑いあった日々を。
その間も楼座は嘉音を罵倒する。
けれど、真里亞には何も見えない、聞こえない、分からない。それだけが朱志香の救いだった。
黒き魔女へと足を踏み入れてしまった原始の魔女に、最後だけは幸せの白き魔法を授けたかった。
「どうせそこにいる源次さんも共犯でしょう?最初から信用なんてしてなかったわよ、この家具どもが!……真里亞、その椅子から離れなさい。離れなさいって言ってるでしょうっ!」
「真里亞……私の……ベアトリーチェの、最後の贈り物だ……歌、ありがとう。楼座叔母さんのところに行って、絶対に離れるなよ……」
「う~……」
それでも、もう限界だ。もしかしたら嘉音はここで殺人劇のフィナーレを飾るつもりかもしれない。だから、せめて最後だけは真里亞を母親と引き離すことはしたくなかった。どうせ皆殺されるのならば、真里亞と楼座を一緒にさくたろうたちとあわせてやりたかった。
顔は見られなかったが、真里亞は歌をやめると、素直に楼座のところへ歩いて行き、衣服にぎゅっとしがみついた。
「楼座叔母さん……何を!?」
銃を構え直す音が響く。おそらく楼座だ。
「家具どもを殺すのよ」
「なっ……!?」
「このまま恩知らずの家具どもと一緒に明日の朝までいっしょにいることなんか出来やしない。ならここで殺すしかないでしょ?」
「た……確かにそうだけどよ……ここで撃ったら朱志香だって危ないんだぞ!?」
狼狽えて楼座を止めようとする戦人に、朱志香は嘉音の身体越しに疲れたような声で呼びかけた。
「戦人……もう、良いんだ……私が悪いんだ……私が……っ!だから……叔母さん、私も……殺して……!」
朱志香ちゃん、と楼座が小さな声で呟くのが聞こえる。
嘉音と戦人は悪いのは朱志香ではない、と静かに否定する。けれど。
「私が……嘉音くんの想いに応えなかったから……」
もしもこの部屋で過ごしているどこかのタイミングで彼に愛を告げられたなら。
自室で薬を盛られる前に、嘉音の愛を受け入れられたなら。
切望の眼差しを向け、それでも家具ですからという彼に、想いを伝えることが出来たなら。
今日までのどこかで、諦めずに愛していると言えたなら。
文化祭の時、朱志香がはっきりと嘉音に愛している、と言ったなら。
「私が嘉音くんに告白していれば……こんなことにはならなかった……っ!」
「朱志香……」
嘉音の腕が一層強く朱志香を抱きしめる。
「朱志香ちゃん、騙されちゃダメよ。こんな家具の気持ちに応えて、だから何だっての?遊びにしかならないじゃない!」
それはとても正論かもしれない。楼座から見れば例え嘉音が本気でも、決して朱志香が本気になることを許されない遊びの恋なのだろう。いや、使用人と恋に落ちること自体が間違いなのかもしれない。
それでも、朱志香は楼座の言葉に反応することが出来なかった。
「やめろよ、楼座叔母さん!別の部屋に隔離すればいいだろ!」
「戦人くんは黙ってて!」
ヒステリックな応酬が続く。
使用人を殺す気であるのは確実で、まず楼座が狙うのは、間違いなく嘉音だろう。
いっそのこと自分も共に殺して欲しい、と朱志香はぼんやりと思う。けれど、きっと嘉音はそれを許してはくれないだろう。
「家具なんかと一緒にいられるもんですか!死ねぇっ、家具どもがぁぁぁぁ……」
ぱしゅん。
静かに弾が躍り出る音がした。聞こえるはずの楼座の銃声は聞こえない。
ぱしゅん。
ぱしゅんぱしゅんぱしゅん。
「か……嘉音、くん……!?」
「楼座叔母さん!!」
「ママ、ママぁっ……!ママぁぁぁっ!う~!う~!う~う~う~!!!!」
顔を嘉音の胸に押しつける形になっている朱志香は分からない。ただ、真里亞の母を呼ぶ悲痛な叫びが部屋の中にこだまするだけだ。
「楼座様が、死にました」
「なっ……」
「てめえ、他人事みたいに……!」
怒りに任せて吼える戦人を、源次が制す。
「戦人様、お静かに」
「でもよ、源次さん!」
「お静かに」
有無を言わさぬ、威厳のある声。戦人が黙ってから、嘉音はもう一度、繰り返し同じことを聞いた。
「朱志香……僕を愛してくれますか?」
「愛す……愛すよ……嘉音くんを……愛すよ……だからっ……だからもう、これ以上は……!」
これ以上は人を殺さないで?これ以上は無茶をしないで?どちらの意味で言いたいのか、朱志香には分からない。彼女に分かるのは唯一つ、さっさと彼にこの身も心もすべて捧げてしまえばよかったという後悔の気持ちだけだ。
「ありがとうございます……朱志香」
「うわあぁぁぁぁ……ママぁぁぁ……っ!」
真里亞の大泣きする声が聞こえる。戦人の慌てたような声が聞こえたから、楼座のそばに行ったのかもしれない。
--真里亞。真里亞が作った物語の中では楼座叔母さんは生き返ることが出来た。けれど、もう生き返らない……それが、無限の魔法の弱点。私は叔母さんを生き返らせることが出来ない……ごめん……ごめんな……真里亞……。
心の中でマリアに謝っていると、また静かに弾が出る音が聞こえた。
ぱしゅん。
「ぐああぁぁっ!?」
「戦人っ……!?」
ぱしゅん。
戦人の悲鳴。嘉音という檻に囚われた朱志香には何が起こっているのかわからない。
「さあ、朱志香」
彼が腕を解き、初めて書斎の状況を知った。
血を流して倒れ伏す息絶えた楼座。
楼座に駆け寄って母を呼びながら泣きじゃくる真里亞。
静かに傍に佇む源次。
そして、真里亞の傍で両足のアキレス腱から血を流して蹲る、戦人。
「戦人っ……それっ……」
この瞬間、朱志香はただの「人間」だったのかもしれない。純粋に彼の足が心配だった。
「朱志香……すまねぇな……お前のこと、助け出してやれなくて」
額に脂汗を浮かべながらも苦く笑う戦人が、純粋に愛おしかった。かつての白馬の王子様は、今はただの青年に見えた。出来ることならば今すぐ駆け寄って、手当をしてやりたかった。けれど手足の拘束がそれを許さない。源次に手当を懇願したものの、それは淡白に退けられた。老執事の眉間に、嘉音が片手で持っている銃の照準が合わせられていた。
「源次さん……!」
「お嬢様……昨日までの日々、楽しゅうございました。……ありがとうございます。では……先にお暇を頂きます」
「源次さん!?止めてっ、嘉音くん!!」
ぱしゅん。
ぱしゅん。
「源次さん!」
ゆっくりと頽れていく源次を目の当たりにして、朱志香と戦人が叫んだ。
「やめて……やめて!嘉音くん!もう、こんなことしないで!」
拘束された両手で必死に縋り付く彼女に、嘉音は優しく笑いかける。どうしてその手を血に染めながらこんなにも優しく笑いかけられるのか。けれど、その双眸には昏い昏い劣情の炎が宿っている。
こんなにあなたを愛しているのは自分だけなのに。あなたのためなら何でも出来るのに。
そう物語る瞳に囚われそうになる。
「朱志香……僕だけを、僕だけを見てください。僕だけを愛してください。その瞳に、僕以外の者を映さないでください」
囚われてはいけない。けれど囚われたい。相反する意思を押し込めて、朱志香はがくがくと頷いた。
どうせ、六軒島から出たところで行く当てなど無い。
右代宮という鳥籠から解放されたところで嘉音に愛され続ける永遠の鳥籠に囚われるだけだ。
それならもう、囚われてしまった方が楽かもしれない。
彼女の心はもう、嘉音への恋の炎を消すことなど叶わないのだから。
「ありがとうございます……さあ、朱志香。この鳥籠から、共に出ましょう。ずっと一緒にいましょう」
「朱志香っ!」
鋭く彼女を呼び止める声。力強く差し伸べられた腕。戦人だった。お前は幸せの白き魔女ベアトリーチェだろう、そう語るような表情。
朱志香には、もうそれだけで十分だった。
覚えていてくれただけで、もう良かった。
「戦人……ごめんな、ありがとう」
戦人の目が驚愕に見開かれる。
「朱志香っ!お前……!」
「ありがとう……覚えていてくれて……」
「朱志香……」
「私はやっぱり、無限の魔女じゃ、なかったのかな……」
それを面白くなさそうに眺めていた嘉音が語り出す。
「……戦人様。僕はあなたを一番殺したかった」
「嘉音くん!?」
「朱志香の魔法を否定したあなたが許せなかった。朱志香を傷つけて、のうのうとこの島に帰ってきたあなたが憎かった」
「ちょっと待てよ!俺はのうのうと帰ってきた訳じゃ……」
「いいえ。右代宮家を捨て、朱志香を裏切り、傷つけて……そこにいかなる理由があろうとも、それは言い訳にしかなりません。それなのに、帰ってくると聞いただけで朱志香は笑顔になられた。戦人様は朱志香を裏切った罪人なのに、朱志香様はどうして笑っていらっしゃったのか、姉さんに聞きました。許すつもりか、魔法を認めることを願っておられるかだと聞きました。ですが!」
明かされた真実。
嘉音だけの真実。
確かに右代宮戦人には罪があった。
嘉音の言うとおり、許すつもりだった。
「僕は、あなたを裏切った罪人を、あなたの鳥籠となった裏切り者を、どうしても許すことが出来ませんでした、朱志香」
「もう……いいよ、もういいよ、嘉音くん……!」
「その後はあなたに愛して貰うために、親族の皆様を手に掛けました。真里亞様の封筒を二度すり替え、礼拝堂の鍵を手に入れました」
「あれは……そんなものだったのかよ!?伝説の魔女様からの真里亞と楼座叔母さんへの幸せの贈り物じゃなかったのかよ!?二人の黄金郷への……招待状じゃなかったのかよ……!?」
嘘だと言って欲しくて、彼の腕に縋り付く。けれど彼はただ彼女の髪を梳くだけだった。
「騙して申し訳ありませんでした。けれど、僕はあなたを手に入れたかった。あなたに愛して欲しかった。そして、右代宮戦人が苦しんで死ねばいいと思いました。それからは朱志香の知っているとおりです」
戦人は何も言わない。
「……真里亞様。あなたがジェシカ・ベアトリーチェ様とお約束なさった黄金郷、僕が差し上げましょう」
真里亞が振り向き、まだ何も言わないうちに嘉音は銃弾を撃ち込んだ。
「真里亞ぁぁぁぁっ!」
「朱志香……あなたが僕だけを見てくださらなければ、」
足下の鎖が砕かれる。戦人の傍に駆け寄ることも可能。
「戦人様を殺します」
けれど、もう彼に人を殺して欲しくなかった。
「……っ、嘉音くんだけ、見てるから……」
嘉音の瞳の中に渦巻く哀しみを見てしまったから。嘉音が愛しかったから。泣かないで欲しかったから。
「だから……泣かないで、嘉音くん……」
ゆっくりと嘉音の胸に身体を預ける。もうここで蹂躙されてもいいと思うほど、朱志香は嘉音が愛しかった。
「ずっと前から……私も好きだったのに……ごめんな……」
「僕は……泣いているのですか?」
「私の知ってる嘉音くんは……こんなこと出来る人じゃない。本当の君は……多分泣いているんじゃないかな……」
手錠の填められた両手で嘉音の頬に触れる。
「大好きだよ……嘉音くん」
「朱志香……!」
朱志香、朱志香と繰り返し名を呼びながら、嘉音は彼女を抱きしめる。
それはなんて強い力。
手錠の外された腕は迷わず彼の背に回した。
「愛しています、ずっと愛しています!朱志香……!だから……だからっ」
「私も……ずっと愛してるぜ……嘉音くん……君の本当の名前、聞きたかった……」
「僕の、本当の名前は……」
彼がこの世に生まれ出でたときに付けられた名前を囁かれる。ずっと聞きたかった、嘉音の本名。
家具ではない嘉音に、本当の名前を添えて愛している、と囁き返す。
「大好きです、愛しています、僕の朱志香……!」
もうすぐ時計の針が零時を示す。時刻になってしまえばこの島中に仕込んだ爆薬が火を噴く、と彼は言った。
かつて金蔵が黄金の魔女を囲っていた九羽鳥庵に逃げ込めば、3人は助かるかもしれない。ああ、けれど、もうその時間はきっと残されていない。それでもいい。ほんの一瞬でも心を通わせることが出来たのは僥倖と言うべきなのだから。
彼女にとっては嘉音と一緒に死ねるのならば、本望だった。
「朱志香……未来を、与えられなくて申し訳ございません」
「いいんだ……もう、私は……」
二人で戦人のほうを見ると、彼はもう虫の息だった。これ以上苦しめたくない。安らかに眠らせてやりたかった。
銃を向ける嘉音の腕を押さえ、やんわりと銃を奪う。
「朱志香……?」
「最後ぐらい、私がやるよ……私を心配してくれて、ありがとうな、戦人。そして……さよなら」
ぱしゅん!
放たれた弾丸は戦人の心臓に着弾し、彼はこれ以上苦しむことなくこの世に別れを告げた。
最期の時に、彼が安らかな顔をしていたのがせめてもの救いだった。
それから朱志香は嘉音に抱きかかえられてもう一度ベッドへともどる。本当の愛を込めて、優しく甘い口付けを交わす。
「嘉音くん……」
「嘉哉と呼んでください……」
「嘉哉くん……っ……」
戦人達が来る直前にしていた行為を再びしているだけなのに、そこには快楽や恐怖との葛藤はなかった。ただただ暖かな肌を触れ合わせ、甘やかに愛を交わす。朱志香の中に広がるのは、愛する者と一つになれる歓びと、体温を分け合う安堵感から来る官能のみ。あれほど彼女を凌辱した指先は今は暖かな愛を持って彼女に愛の歓びを教える。
一つになる痛みすら、今は愛おしかった。
たとえ愛欲の淵で果てる前に彼女たちの生命の火が消えたとしても、悔いはなかった。
そして、零時の鐘が鳴った。狂気の宴は終わりを告げたのだ。
その後、六軒島大量殺人事件の真相は闇に葬られたままである。
だから誰も知ることはない。
幸せの白き魔女が愛し、愛された騎士の狂おしい愛の物語を。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
・ついでにR15くらいです。
それではどうぞ。
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
・ついでにR15くらいです。
それではどうぞ。
『熊沢さんはベアトリーチェなの?』
『ほっほっほ、そうでございますよ、お嬢様。この熊沢は実はベアトリーチェだったんですよ』
朱志香がベアトリーチェになったのはほんの小さな頃だった。
そっと触れた壺が割れてしまったことに、彼女は自分を重ね合わせた。
喘息でいつ死ぬかも分からない自分。死ぬときはこんなにあっけないのだと思い知った。
そして、怖くなった。
金蔵の怒りも、夏妃や蔵臼の叱責も怖かったが、何よりも自分の命の散りざまを見た気がして、怖くて怖くて仕方なかった。
泣き叫ぶ彼女を上手く宥めたのは先代ベアトリーチェだった。……熊沢チヨだった。
今考えると、熊沢は接着剤か何かで割ってしまった壺をなおしたのだろう。
それでも幼い日の朱志香にはそれは魔法に映った。
黒猫に壺を割られてしまって結局は壺が蘇ることはなかったのだけれど、朱志香は金蔵に怒られることはなかった。
割れた壺を前にしてあんなに感じていた死の恐怖も、一遍で薄れてしまった。
『ベアトリーチェ!わたしもベアトリーチェみたいな魔女になりたい』
『ほっほっほ、よろしいですよ。でも魔女の修行は鯖のカレー煮を作る以上に厳しゅうございますよ?』
『それでもいい、わたし、魔女になりたい!』
思えば、そんなやり取りがあった気がする。確かその次の日辺りから朱志香の魔女修行は始まったのだから、記憶違いはないだろう。
ただの妄想に過ぎないものを信じ、そこにあるかのように振る舞う『魔法』。
その魔法が楽しくて、彼女は戦人に魔法を授けた。
留弗夫の女癖がどんなに悪くても、全てを許すことの出来る、魔法。
何年か経って、真里亞にも魔法を授けた。
母親としての愛をくれない楼座がどんなに約束を破っても、許してそれを愛に変える、魔法。
そして朱志香自身は、常に蔵臼の娘として右代宮本家令嬢の重圧を背負い、それに捕らわれた彼女には。
好きなことをのびのびと出来る『朱志香』になれる魔法を使った。
それが、魔法同盟「マリアージュ・ソルシエール」だった。
互いの妄想を真実だと信じる魔法の同盟。
それらを裏付けるものが、6年前にジェシカ・ベアトリーチェの側にいた『家具』だった。
紗音と遊んでいるうちに出来た『家具』だった。
母にいじめられる紗音の怒りを代わりに吐露し、朱志香の苦しみを受け止める『家具』として、彼と同名の小さな少年が作り出された。
ジェシカ・ベアトリーチェに仕える『家具』、それが『カノン』という黒猫のような少年だった。
勿論現在朱志香を監禁している嘉音とは違う。
「カノン」は朱志香の苦しみをただ黙って抱きしめた。彼女の歓びを共に分かち合った。
哀しみは半分に。歓びは倍に。
「カノン」はすぐに「マリアージュ・ソルシエール」に顕現することを許された。それが随分前の話。
真里亞が同盟に入る前の話。
原始の魔女はいなかったけれど、無限の魔女と黄金の魔術師がいた。
金蔵の部屋にあった7本の杭を少女に変えて、二人で人格を錬成しながら笑いあった。
幸せな時間だった。
「カノン」が側にいて、紗音と戦人が側にいて、譲治が側にいて、魔法同盟があって。だから朱志香は笑っていられた。
みんなが笑顔になれる魔法を掛けて、幸せの白き魔女、と朱志香はいつしか先代から呼ばれるようになった。
そんな日常が大好きで、この白き魔法がずっと続けばいいのにと思っていた。いや、みんながそこにいる限り、続くと信じていた。
それなのに、幸せな時間は崩れ去ってしまった。
『戦人……』
《留弗夫様もあんなに早く再婚なさることはないでしょうに……》
あの時、留弗夫が再婚したとき、戦人は目を真っ赤に腫らして涙をこらえていた。「カノン」の憤りが朱志香の哀しみを代弁する。
『朱志香……』
だから、すこしでも笑顔にしたかった。いつもの魔法を掛けて、少しでも彼の怒りが和らげばいいと思った。
『きっと……きっと、留弗夫叔父さんは明日夢叔母さんがいなくなって、戦人に寂しい想いをさせないように……』
『黙れ!』
遮ったのは、戦人の鋭い怒鳴り声だった。
《お嬢様、大丈夫ですよ……お嬢様》
「カノン」がびくりと震える彼女の肩を抱きしめる。
『戦人……』
留弗夫は戦人のために霧江と再婚した、と魔法を掛けてやろうとした。
けれど、彼は朱志香の言葉を遮った。
『朱志香、お前、まだわかんねぇのかよ!?』
『な、何を……だよ……?』
《戦人様……?》
『お前も俺も魔女なんかじゃねえんだよ!この世に魔法なんてねえんだよ!』
世界が止まった気がした。
魔法を、魔女を否定する。
胸の奥でじゅう、と何かが焼け付くような感覚に襲われたのをよく覚えている。
これが反魔法の毒か、と思い知ってしまった。
《お嬢様!ジェシカ・ベアトリーチェ様!》
毒で灼かれる痛みに「カノン」が朱志香に縋り付く。
反魔法の毒は魔法の家具を殺す。それは「マリアージュ・ソルシエール」においては約束であり、決して行ってはならない行為だったのに。
『「カノン」……「カノン」君はいるんだ!そんなこと言うな!』
『朱志香!』
痛い。
痛い。
痛い。
毒に灼かれる痛みを、「カノン」が庇う。目をぎゅう、ととじて、必死に痛みに耐える。
『戦人!魔法を否定するな!「カノン」君をこれ以上辛い目に遭わせるな!やめてくれ!』
悲鳴に近い叫びをあげて頽れるジェシカ・ベアトリーチェを、家具の「カノン」は強く抱きしめて守ろうとする。
それを分かっていてか、戦人は薄い笑いを浮かべた。
『「カノン」君がいるならよ……今すぐあの親父を殺して見せろよ』
『なっ……出来るわけ無いだろ!』
『ほら見ろ……朱志香。お前はベアトリーチェなんかじゃない。お前の側には「カノン」君なんか』
やめて。
やめて!
その先を聞きたくなくて、耳をふさぐ。
それなのに、その声は強引に耳に流れ込んだ。
『いねえんだよ』
朱志香が一番聞きたくなかった言葉。魔法を否定する、一番の毒。
《お嬢様ぁっ!》
守りきれなくなった「カノン」がついに膝を付く。彼を抱きしめながら、彼女は最後に、精一杯の抵抗を試みた。
『やめろよ!「カノン」君はここにいるんだ!』
『いねえよ!「カノン」君なんてどこにもいねえじゃねぇか!』
鋭い反魔法の毒の剣が家具の少年を貫いた。
そして、「カノン」は、あれだけジェシカ・ベアトリーチェの側にいて、喜びも悲しみも分かち合った最愛の家具は死んでしまった。
泣き崩れる朱志香を支える者は、いない。
戦人は朱志香の髪を一度だけ撫でて、優しく言った。
『分かっただろ?幸せの魔法なんて……どこにもねえんだよ』
『お嬢様!?戦人様!?どうなされましたか!?』
紗音が泣き声を聞いて慌ててやって来る。その横をすり抜けて、戦人は朱志香の部屋を出た。ドアのところで止まって、一言だけを残す。
『また来るぜ、シーユーアゲイン。きっと白馬に跨って迎えに来るぜ……「人間」の朱志香が待っているならな』
あの時、朱志香の家具の「カノン」は死んでしまったのだ。
それでも、朱志香は信じた。
戦人が「カノン」を殺した。その罪は重い。
けれど、彼がそれを忘れて仕舞いさえすれば、少なくとも彼は誰も「ころして」いないことになる。
だから、彼女は6年前の出来事を忘れようとつとめた。
それなのに、忘れられなかった。
だから二年前に新しい使用人として「嘉音」が来たとき、息が止まりそうなほど驚いた。
朱志香の「カノン」とは似ても似つかない風貌だったけれど、彼は確かに肉体を持ってそこに存在していたのだから。いないと言われただけで死んでしまう家具ではない少年が、そこに存在していたのだから。
それと同時に、「カノン」の声が蘇ってくるような気がした。
だから彼女は魔女のままでいられた。
6年前に真里亞ともう一度作り直した「マリアージュ・ソルシエール」。それは少し前に真里亞のさくたろうが楼座に引き裂かれたことで少しずつ変質した。
『真里亞はママに復讐する……!』
『真里亞……』
それから真里亞は大好きだった楼座を……いや、楼座に取り憑き、さくたろうを「ころした」黒き魔女を引きちぎり、朱志香の魔法で生き返らせ、それをまた無惨に引き裂く物語を語った。
朱志香はそれでもいいと思った。それで真里亞の心が晴れるのならば、楼座を許せるのならば、それが幸せの魔法だから。
けれど、それは同時に朱志香の中にどす黒いドロドロした何かを流し込むのだった。
--私だって、こんな風に復讐して良いんじゃないのか?そもそも「カノン」君が殺されたのは愛のない親族達が私たちを苦しめたからじゃないのか?じゃあ、私はジェシカ・ベアトリーチェとしてみんなに復讐して黄金郷を作り、その中に愛のある親族を住まわせてやれば魔女としての責務を全うできるんじゃないか?
楼座を無限に殺して楽しい、という原始の魔女マリアの黒い側面に、引き込まれていくのを感じた。
--そうだ、私だって……復讐するべきじゃないのか?みんなを殺せば、そして私も死ねば黄金郷に行ける!そうしたら真里亞を苦しめる暴力的な楼座叔母さんじゃなくて真里亞を愛する優しい叔母さんをあげられる!「カノン」君だって生き返ることが出来る!紗音だって絵羽叔母さんに邪魔されることなく譲治兄さんと結婚できるじゃないか!
それは甘美な誘惑。
けれど、それに支払う代償は大きい。
--でも、私に父さんを、母さんを殺せるのか!?
親族を皆殺しにするということは、大好きな両親をもその手に掛けるということ。
その瞬間、朱志香は白き魔女ではいられなくなる。いや、魔女ですらなくなる。
その罪が誰にも知られない間はまだ良いだろう。
けれど、知られてしまえば狂気に陥って妄想の果てに親族を皆殺しにした少女としてみじめな姿を世間に晒すことになる。
--出来ない。……出来ないよ、「カノン」君……真里亞!
《それでよいのです、お嬢様》
「カノン」の声が聞こえたような気がした。
《お嬢様は白き魔女。幸せを呼ぶ魔女であらせられます。だから、僕たちにとってはあなたの魔法こそが黄金郷》
朱志香の魔法が黄金郷。それは、彼女がかつて幸せの白き魔女だった頃に「カノン」が言った台詞だった。
《だから、ジェシカ・ベアトリーチェ様。あなたの魔法で、皆様を黄金郷に導いてください》
『……マリア』
けたけた笑っていた小さな魔女見習いを抱きしめる。
『うー?ベアトリーチェ、どうしたの?』
『マリアを黄金郷に連れて行く……きっと、連れて行く……約束だ』
『ママは、黄金郷に行けばマリアを愛してくれる?叩いたりしない?』
『しない。マリアを、マリアだけをずっと見ていてくれる。父さんも母さんも叔母さん達もずっと仲良くしていられる……』
『みんな一緒、真里亞と一緒?』
『一緒だ。ここからみんなを消してしまうんじゃなくて、あの祖父さまの碑文を解いて、出てきた黄金で金銭問題を解決する。みんなを説得して、仲良くして貰う』
そして、みんなが生まれ変わるまでの軌跡をいくつもの殺人事件に変えて物語に仕立て、海に流してしまおう。
戦人への恨みは、みんなに協力して貰おう。
父の事業をみんなに助けて貰おう。
『だから、真里亞……ちょっとだけ手伝って欲しいんだ』
『ほっほっほ、そうでございますよ、お嬢様。この熊沢は実はベアトリーチェだったんですよ』
朱志香がベアトリーチェになったのはほんの小さな頃だった。
そっと触れた壺が割れてしまったことに、彼女は自分を重ね合わせた。
喘息でいつ死ぬかも分からない自分。死ぬときはこんなにあっけないのだと思い知った。
そして、怖くなった。
金蔵の怒りも、夏妃や蔵臼の叱責も怖かったが、何よりも自分の命の散りざまを見た気がして、怖くて怖くて仕方なかった。
泣き叫ぶ彼女を上手く宥めたのは先代ベアトリーチェだった。……熊沢チヨだった。
今考えると、熊沢は接着剤か何かで割ってしまった壺をなおしたのだろう。
それでも幼い日の朱志香にはそれは魔法に映った。
黒猫に壺を割られてしまって結局は壺が蘇ることはなかったのだけれど、朱志香は金蔵に怒られることはなかった。
割れた壺を前にしてあんなに感じていた死の恐怖も、一遍で薄れてしまった。
『ベアトリーチェ!わたしもベアトリーチェみたいな魔女になりたい』
『ほっほっほ、よろしいですよ。でも魔女の修行は鯖のカレー煮を作る以上に厳しゅうございますよ?』
『それでもいい、わたし、魔女になりたい!』
思えば、そんなやり取りがあった気がする。確かその次の日辺りから朱志香の魔女修行は始まったのだから、記憶違いはないだろう。
ただの妄想に過ぎないものを信じ、そこにあるかのように振る舞う『魔法』。
その魔法が楽しくて、彼女は戦人に魔法を授けた。
留弗夫の女癖がどんなに悪くても、全てを許すことの出来る、魔法。
何年か経って、真里亞にも魔法を授けた。
母親としての愛をくれない楼座がどんなに約束を破っても、許してそれを愛に変える、魔法。
そして朱志香自身は、常に蔵臼の娘として右代宮本家令嬢の重圧を背負い、それに捕らわれた彼女には。
好きなことをのびのびと出来る『朱志香』になれる魔法を使った。
それが、魔法同盟「マリアージュ・ソルシエール」だった。
互いの妄想を真実だと信じる魔法の同盟。
それらを裏付けるものが、6年前にジェシカ・ベアトリーチェの側にいた『家具』だった。
紗音と遊んでいるうちに出来た『家具』だった。
母にいじめられる紗音の怒りを代わりに吐露し、朱志香の苦しみを受け止める『家具』として、彼と同名の小さな少年が作り出された。
ジェシカ・ベアトリーチェに仕える『家具』、それが『カノン』という黒猫のような少年だった。
勿論現在朱志香を監禁している嘉音とは違う。
「カノン」は朱志香の苦しみをただ黙って抱きしめた。彼女の歓びを共に分かち合った。
哀しみは半分に。歓びは倍に。
「カノン」はすぐに「マリアージュ・ソルシエール」に顕現することを許された。それが随分前の話。
真里亞が同盟に入る前の話。
原始の魔女はいなかったけれど、無限の魔女と黄金の魔術師がいた。
金蔵の部屋にあった7本の杭を少女に変えて、二人で人格を錬成しながら笑いあった。
幸せな時間だった。
「カノン」が側にいて、紗音と戦人が側にいて、譲治が側にいて、魔法同盟があって。だから朱志香は笑っていられた。
みんなが笑顔になれる魔法を掛けて、幸せの白き魔女、と朱志香はいつしか先代から呼ばれるようになった。
そんな日常が大好きで、この白き魔法がずっと続けばいいのにと思っていた。いや、みんながそこにいる限り、続くと信じていた。
それなのに、幸せな時間は崩れ去ってしまった。
『戦人……』
《留弗夫様もあんなに早く再婚なさることはないでしょうに……》
あの時、留弗夫が再婚したとき、戦人は目を真っ赤に腫らして涙をこらえていた。「カノン」の憤りが朱志香の哀しみを代弁する。
『朱志香……』
だから、すこしでも笑顔にしたかった。いつもの魔法を掛けて、少しでも彼の怒りが和らげばいいと思った。
『きっと……きっと、留弗夫叔父さんは明日夢叔母さんがいなくなって、戦人に寂しい想いをさせないように……』
『黙れ!』
遮ったのは、戦人の鋭い怒鳴り声だった。
《お嬢様、大丈夫ですよ……お嬢様》
「カノン」がびくりと震える彼女の肩を抱きしめる。
『戦人……』
留弗夫は戦人のために霧江と再婚した、と魔法を掛けてやろうとした。
けれど、彼は朱志香の言葉を遮った。
『朱志香、お前、まだわかんねぇのかよ!?』
『な、何を……だよ……?』
《戦人様……?》
『お前も俺も魔女なんかじゃねえんだよ!この世に魔法なんてねえんだよ!』
世界が止まった気がした。
魔法を、魔女を否定する。
胸の奥でじゅう、と何かが焼け付くような感覚に襲われたのをよく覚えている。
これが反魔法の毒か、と思い知ってしまった。
《お嬢様!ジェシカ・ベアトリーチェ様!》
毒で灼かれる痛みに「カノン」が朱志香に縋り付く。
反魔法の毒は魔法の家具を殺す。それは「マリアージュ・ソルシエール」においては約束であり、決して行ってはならない行為だったのに。
『「カノン」……「カノン」君はいるんだ!そんなこと言うな!』
『朱志香!』
痛い。
痛い。
痛い。
毒に灼かれる痛みを、「カノン」が庇う。目をぎゅう、ととじて、必死に痛みに耐える。
『戦人!魔法を否定するな!「カノン」君をこれ以上辛い目に遭わせるな!やめてくれ!』
悲鳴に近い叫びをあげて頽れるジェシカ・ベアトリーチェを、家具の「カノン」は強く抱きしめて守ろうとする。
それを分かっていてか、戦人は薄い笑いを浮かべた。
『「カノン」君がいるならよ……今すぐあの親父を殺して見せろよ』
『なっ……出来るわけ無いだろ!』
『ほら見ろ……朱志香。お前はベアトリーチェなんかじゃない。お前の側には「カノン」君なんか』
やめて。
やめて!
その先を聞きたくなくて、耳をふさぐ。
それなのに、その声は強引に耳に流れ込んだ。
『いねえんだよ』
朱志香が一番聞きたくなかった言葉。魔法を否定する、一番の毒。
《お嬢様ぁっ!》
守りきれなくなった「カノン」がついに膝を付く。彼を抱きしめながら、彼女は最後に、精一杯の抵抗を試みた。
『やめろよ!「カノン」君はここにいるんだ!』
『いねえよ!「カノン」君なんてどこにもいねえじゃねぇか!』
鋭い反魔法の毒の剣が家具の少年を貫いた。
そして、「カノン」は、あれだけジェシカ・ベアトリーチェの側にいて、喜びも悲しみも分かち合った最愛の家具は死んでしまった。
泣き崩れる朱志香を支える者は、いない。
戦人は朱志香の髪を一度だけ撫でて、優しく言った。
『分かっただろ?幸せの魔法なんて……どこにもねえんだよ』
『お嬢様!?戦人様!?どうなされましたか!?』
紗音が泣き声を聞いて慌ててやって来る。その横をすり抜けて、戦人は朱志香の部屋を出た。ドアのところで止まって、一言だけを残す。
『また来るぜ、シーユーアゲイン。きっと白馬に跨って迎えに来るぜ……「人間」の朱志香が待っているならな』
あの時、朱志香の家具の「カノン」は死んでしまったのだ。
それでも、朱志香は信じた。
戦人が「カノン」を殺した。その罪は重い。
けれど、彼がそれを忘れて仕舞いさえすれば、少なくとも彼は誰も「ころして」いないことになる。
だから、彼女は6年前の出来事を忘れようとつとめた。
それなのに、忘れられなかった。
だから二年前に新しい使用人として「嘉音」が来たとき、息が止まりそうなほど驚いた。
朱志香の「カノン」とは似ても似つかない風貌だったけれど、彼は確かに肉体を持ってそこに存在していたのだから。いないと言われただけで死んでしまう家具ではない少年が、そこに存在していたのだから。
それと同時に、「カノン」の声が蘇ってくるような気がした。
だから彼女は魔女のままでいられた。
6年前に真里亞ともう一度作り直した「マリアージュ・ソルシエール」。それは少し前に真里亞のさくたろうが楼座に引き裂かれたことで少しずつ変質した。
『真里亞はママに復讐する……!』
『真里亞……』
それから真里亞は大好きだった楼座を……いや、楼座に取り憑き、さくたろうを「ころした」黒き魔女を引きちぎり、朱志香の魔法で生き返らせ、それをまた無惨に引き裂く物語を語った。
朱志香はそれでもいいと思った。それで真里亞の心が晴れるのならば、楼座を許せるのならば、それが幸せの魔法だから。
けれど、それは同時に朱志香の中にどす黒いドロドロした何かを流し込むのだった。
--私だって、こんな風に復讐して良いんじゃないのか?そもそも「カノン」君が殺されたのは愛のない親族達が私たちを苦しめたからじゃないのか?じゃあ、私はジェシカ・ベアトリーチェとしてみんなに復讐して黄金郷を作り、その中に愛のある親族を住まわせてやれば魔女としての責務を全うできるんじゃないか?
楼座を無限に殺して楽しい、という原始の魔女マリアの黒い側面に、引き込まれていくのを感じた。
--そうだ、私だって……復讐するべきじゃないのか?みんなを殺せば、そして私も死ねば黄金郷に行ける!そうしたら真里亞を苦しめる暴力的な楼座叔母さんじゃなくて真里亞を愛する優しい叔母さんをあげられる!「カノン」君だって生き返ることが出来る!紗音だって絵羽叔母さんに邪魔されることなく譲治兄さんと結婚できるじゃないか!
それは甘美な誘惑。
けれど、それに支払う代償は大きい。
--でも、私に父さんを、母さんを殺せるのか!?
親族を皆殺しにするということは、大好きな両親をもその手に掛けるということ。
その瞬間、朱志香は白き魔女ではいられなくなる。いや、魔女ですらなくなる。
その罪が誰にも知られない間はまだ良いだろう。
けれど、知られてしまえば狂気に陥って妄想の果てに親族を皆殺しにした少女としてみじめな姿を世間に晒すことになる。
--出来ない。……出来ないよ、「カノン」君……真里亞!
《それでよいのです、お嬢様》
「カノン」の声が聞こえたような気がした。
《お嬢様は白き魔女。幸せを呼ぶ魔女であらせられます。だから、僕たちにとってはあなたの魔法こそが黄金郷》
朱志香の魔法が黄金郷。それは、彼女がかつて幸せの白き魔女だった頃に「カノン」が言った台詞だった。
《だから、ジェシカ・ベアトリーチェ様。あなたの魔法で、皆様を黄金郷に導いてください》
『……マリア』
けたけた笑っていた小さな魔女見習いを抱きしめる。
『うー?ベアトリーチェ、どうしたの?』
『マリアを黄金郷に連れて行く……きっと、連れて行く……約束だ』
『ママは、黄金郷に行けばマリアを愛してくれる?叩いたりしない?』
『しない。マリアを、マリアだけをずっと見ていてくれる。父さんも母さんも叔母さん達もずっと仲良くしていられる……』
『みんな一緒、真里亞と一緒?』
『一緒だ。ここからみんなを消してしまうんじゃなくて、あの祖父さまの碑文を解いて、出てきた黄金で金銭問題を解決する。みんなを説得して、仲良くして貰う』
そして、みんなが生まれ変わるまでの軌跡をいくつもの殺人事件に変えて物語に仕立て、海に流してしまおう。
戦人への恨みは、みんなに協力して貰おう。
父の事業をみんなに助けて貰おう。
『だから、真里亞……ちょっとだけ手伝って欲しいんだ』
この間の「うみねこ」のヤンデレものの朱志香サイドです。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
・ついでにR15くらいです。
それではどうぞ。
Romance of stardust
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
・ついでにR15くらいです。
それではどうぞ。
Romance of stardust
何故こんなことになってしまったのだろう。
自らを拘束する柔らかな檻の中で少女は考え続ける。
両親を、親類を殺されて、彼女が走った先は誰もいない貴賓室だった。
--何で、こんなことになったんだ……。
彼女を拘束した少年の瞳を思い出す。
あんなに澄んだ目をしていたのに、少女に愛を迫ったときはすっかり濁りきった目をしていた。
--どうして、どうしてこんなことしたんだよ……。
枯れかけたと思った涙はまた再び湧き上がり、彼女は小さく嗚咽を漏らす。
あの時、自分は失恋したのではなかったのか。彼は彼女の想いを拒んだのではなかったのか。
それでも、彼女は諦められなかった。自分の想いが叶わなくとも、彼が人間だと自覚して欲しかった。
それなのに、あの時彼女を抱きしめた少年は彼女に愛して欲しいと言った。
それがこんな状況下でなければ、彼女は受け入れたかもしれない。
「だけど……なら、どうしてこんなこと……嘉音くん……」
朱志香は一言少年の名を呟くと、もう一度静かに涙した。
Romance of stardust
朱志香が目覚めると、そこは見慣れた自室ではなかった。
天蓋。柔らかく大きなベッド。鼻腔を侵す甘ったるい異臭。
金蔵の部屋だ。
嘉音に飲まされた薬物のせいか、頭が上手く働かない。仕方なしに首を動かして辺りを見回すと、足下でがしゃん、と何かを填める音がした。
「か……嘉音、くん……?」
「お目覚めになられましたか、朱志香様」
足下で何かをしていた嘉音がこちらにやって来る。朱志香の自室でそうしたように、また唇をいいように弄ぶつもりか。
思わず身を固くして縮こまろうとしたが、手首と足首に違和感を感じる。見れば、じゃらりと重たい鎖と、それがつなぐ二つの輪。
手錠が填められていた。
それに気を取られた隙をついて、嘉音は朱志香を抱き寄せた。
「やっ……」
「朱志香様……愛しています。ずっとあなただけが好きでした」
「……っ」
彼が文化祭の夜にそう言ってくれれば、いや、もう時期はいつでも構わない。こんな状況下、両親も親類も殺されて、それを遂行したのが嘉音でなければ、朱志香は彼の告白が嬉しくてたまらなかっただろう。
失恋したと思っていたのに。
家具と人間は恋愛など出来ないと言い出したのは彼だったのに。
「知っていらっしゃいますか」
「……何を?」
「お館様は朱志香様がお生まれになる前、ベアトリーチェという人間を囲っていらっしゃいました」
「祖父さまが……九羽鳥庵に、か」
「はい。朱志香様からインゴットをお借りした際、九羽鳥庵に行きましたが。僕は鳥籠のようだと思いました」
鳥籠なんかじゃない。
朱志香はそう言い返したかった。
あれは祖父である金蔵と、ベアトリーチェの唯一の愛の証だ。
確かに金蔵は鳥籠のつもりだったのだろう。
ベアトリーチェにも鳥籠に見えたのかもしれない。
それでも、朱志香は思う。
「でも、あれは、さ……祖父さまとベアトリーチェの黄金郷だったんだよ……鳥籠なんて、言うなよ……」
黄金郷は黄金郷だ。九羽鳥庵は、金蔵とベアトリーチェの愛の証、黄金郷だ。
それは紛れもない朱志香にとっての真実。
けれど、朱志香の真実を嘉音が鳥籠だと言ってしまえば、それは愛の証ではなくただの狂気の残骸と成りはてる。
自分の中にある真実を塗り替えられてしまうのが、朱志香には怖かった。
「朱志香様には愛の証に見えたかもしれません。けれど、僕は思ったのです」
「……?」
「この鳥籠に、今のベアトリーチェ様を閉じこめたい、と」
今のベアトリーチェ。
言われなくとも思い出せる。
それは紛れもなく右代宮家序列第六位、右代宮朱志香のことなのだから。
幸せの白き魔女、ジェシカ・ベアトリーチェのことだからだ。
その彼女を彼は閉じこめたいと言う。
「どういうことだよ……」
「あなたを他の男に取られたくない、他の男にほほえみかけて欲しくない、僕以外の男の視界にはいることですら許せないのです……!」
それは、何でもない、ただの男の嫉妬。
恋人を監禁するには妥当だが、仕える主人を監禁するには不遜すぎ、六人も殺すには矮小すぎる理由。
まして、朱志香は嘉音の仕える相手であり、恋人でも何でもない。
「だから……母さん達を殺したって言うのか!?そんなことして、君は幸せになれるのかよ……っ」
湧き上がる怒りをぶつけきる前に、唇を奪われる。
「僕は今……とても幸せです。朱志香様と幸せになるためなら僕は何でもしましょう」
「じゃあ……今すぐこの馬鹿げた事件を止めろよ。楼座叔母さん達をこの部屋に呼んで、全部白状しろよ」
嘉音は首を横に振る。
「……申し上げたでしょう、朱志香様が僕を愛してくださるまで、この儀式は続くと」
朱志香を抱き上げると、彼は金蔵の椅子に彼女を据えた。
額に軽く口付けて嘉音は部屋を出て行った。
何をしに行くのか、朱志香には何となく分かる。
きっと彼が儀式と呼ぶ、あの碑文に沿った殺人劇を遂行しに行くのだ。
だから、彼女は自らの身体を丸めてお師匠様、と言葉を絞り出した。
自らを拘束する柔らかな檻の中で少女は考え続ける。
両親を、親類を殺されて、彼女が走った先は誰もいない貴賓室だった。
--何で、こんなことになったんだ……。
彼女を拘束した少年の瞳を思い出す。
あんなに澄んだ目をしていたのに、少女に愛を迫ったときはすっかり濁りきった目をしていた。
--どうして、どうしてこんなことしたんだよ……。
枯れかけたと思った涙はまた再び湧き上がり、彼女は小さく嗚咽を漏らす。
あの時、自分は失恋したのではなかったのか。彼は彼女の想いを拒んだのではなかったのか。
それでも、彼女は諦められなかった。自分の想いが叶わなくとも、彼が人間だと自覚して欲しかった。
それなのに、あの時彼女を抱きしめた少年は彼女に愛して欲しいと言った。
それがこんな状況下でなければ、彼女は受け入れたかもしれない。
「だけど……なら、どうしてこんなこと……嘉音くん……」
朱志香は一言少年の名を呟くと、もう一度静かに涙した。
Romance of stardust
朱志香が目覚めると、そこは見慣れた自室ではなかった。
天蓋。柔らかく大きなベッド。鼻腔を侵す甘ったるい異臭。
金蔵の部屋だ。
嘉音に飲まされた薬物のせいか、頭が上手く働かない。仕方なしに首を動かして辺りを見回すと、足下でがしゃん、と何かを填める音がした。
「か……嘉音、くん……?」
「お目覚めになられましたか、朱志香様」
足下で何かをしていた嘉音がこちらにやって来る。朱志香の自室でそうしたように、また唇をいいように弄ぶつもりか。
思わず身を固くして縮こまろうとしたが、手首と足首に違和感を感じる。見れば、じゃらりと重たい鎖と、それがつなぐ二つの輪。
手錠が填められていた。
それに気を取られた隙をついて、嘉音は朱志香を抱き寄せた。
「やっ……」
「朱志香様……愛しています。ずっとあなただけが好きでした」
「……っ」
彼が文化祭の夜にそう言ってくれれば、いや、もう時期はいつでも構わない。こんな状況下、両親も親類も殺されて、それを遂行したのが嘉音でなければ、朱志香は彼の告白が嬉しくてたまらなかっただろう。
失恋したと思っていたのに。
家具と人間は恋愛など出来ないと言い出したのは彼だったのに。
「知っていらっしゃいますか」
「……何を?」
「お館様は朱志香様がお生まれになる前、ベアトリーチェという人間を囲っていらっしゃいました」
「祖父さまが……九羽鳥庵に、か」
「はい。朱志香様からインゴットをお借りした際、九羽鳥庵に行きましたが。僕は鳥籠のようだと思いました」
鳥籠なんかじゃない。
朱志香はそう言い返したかった。
あれは祖父である金蔵と、ベアトリーチェの唯一の愛の証だ。
確かに金蔵は鳥籠のつもりだったのだろう。
ベアトリーチェにも鳥籠に見えたのかもしれない。
それでも、朱志香は思う。
「でも、あれは、さ……祖父さまとベアトリーチェの黄金郷だったんだよ……鳥籠なんて、言うなよ……」
黄金郷は黄金郷だ。九羽鳥庵は、金蔵とベアトリーチェの愛の証、黄金郷だ。
それは紛れもない朱志香にとっての真実。
けれど、朱志香の真実を嘉音が鳥籠だと言ってしまえば、それは愛の証ではなくただの狂気の残骸と成りはてる。
自分の中にある真実を塗り替えられてしまうのが、朱志香には怖かった。
「朱志香様には愛の証に見えたかもしれません。けれど、僕は思ったのです」
「……?」
「この鳥籠に、今のベアトリーチェ様を閉じこめたい、と」
今のベアトリーチェ。
言われなくとも思い出せる。
それは紛れもなく右代宮家序列第六位、右代宮朱志香のことなのだから。
幸せの白き魔女、ジェシカ・ベアトリーチェのことだからだ。
その彼女を彼は閉じこめたいと言う。
「どういうことだよ……」
「あなたを他の男に取られたくない、他の男にほほえみかけて欲しくない、僕以外の男の視界にはいることですら許せないのです……!」
それは、何でもない、ただの男の嫉妬。
恋人を監禁するには妥当だが、仕える主人を監禁するには不遜すぎ、六人も殺すには矮小すぎる理由。
まして、朱志香は嘉音の仕える相手であり、恋人でも何でもない。
「だから……母さん達を殺したって言うのか!?そんなことして、君は幸せになれるのかよ……っ」
湧き上がる怒りをぶつけきる前に、唇を奪われる。
「僕は今……とても幸せです。朱志香様と幸せになるためなら僕は何でもしましょう」
「じゃあ……今すぐこの馬鹿げた事件を止めろよ。楼座叔母さん達をこの部屋に呼んで、全部白状しろよ」
嘉音は首を横に振る。
「……申し上げたでしょう、朱志香様が僕を愛してくださるまで、この儀式は続くと」
朱志香を抱き上げると、彼は金蔵の椅子に彼女を据えた。
額に軽く口付けて嘉音は部屋を出て行った。
何をしに行くのか、朱志香には何となく分かる。
きっと彼が儀式と呼ぶ、あの碑文に沿った殺人劇を遂行しに行くのだ。
だから、彼女は自らの身体を丸めてお師匠様、と言葉を絞り出した。
「僕だって……お嬢様のことが好きだった……!お嬢様……!」
それでも、金蔵亡き今、朱志香が当主になるのは時間の問題。
そうなればきっと、嘉音が彼女と結ばれることはないだろう。
--ならば、僕がその障害を取り除きますから……あなたを鳥籠から出しますから……!だから、お嬢様……!
「朱志香様は僕の嫁ぇぇぇぇぇぇ!」
もはやいろいろ台無しだが、朱志香への愛が暴走しきった嘉音は全く気づかない。
「もうちょっと給料溜まったら最高級の婚約指輪買いますぅぅぅぅ!」
彼はまだ16歳なので結婚できないのだが、嘉音はそんなことに微塵も気づかない。ますますデッドヒートしつつある彼の耳に、哀れむような声が飛び込んできた。
「おいたわしや……嘉音さん……」
「……熊沢さん、何やってるんですか」
急に冷めたように振り向くと、東屋の柱から半身を出した熊沢はもういちどおいたわしや、と呟いた。
「この年寄りは何も見ておりません……ああそれでもおいたわしや……」
「いや、ですから」
嘉音の返事も聞かず、熊沢は語り続けた。
「まだ嘉音さんは結婚できない年齢なのに……」
「聞いてたじゃないですか!」
聞いていた。
明らかに聞いていた。
しかし老女はほっほっほ、と笑って首を横に振る。
「ですからこの年寄りは何も見ておりません……ああおいたわしやお嬢様……嘉音さんからの婚約指輪はいつになることやら……」
「最初から聞いてた!?」
再度叫ぶと、熊沢は急にしんみりとした表情になった。
「奥様の警戒も、若いお二人には恋の炎が燃え上がる要因となったのです……」
そう言いながら取り出した一冊の本に、嘉音は戦慄した。
「そ、それ……僕の……!」
「嘉音さん、使用人室の押入の中にこの本が」
「僕の『お嬢様とらぶらぶ☆ティータイム』じゃないですか!」
熊沢が取り出したのはB5サイズの100ページほどの本。この『お嬢様とらぶらぶ☆ティータイム』、いわゆる同人誌と呼ばれるものだが、嘉音はこの本にとても強い愛着を持っていた。
「嘉音さん、あまり右代宮家の内情を脚色しすぎるのはどうかと思いますよ?」
そう、この同人誌、嘉音の著作だったのである。
去年の夏まで3ヶ月間頑張った。
漫画の製作技法も小説の書き方も1人で勉強した。
同人誌の出し方も某夏の大型イベントへの申し込みも紗音に教わりながら頑張った。
「いいんです!僕とお嬢様の甘酸っぱい恋の物語なんですから!」
内容は紗音の検閲が入って、結局は嘉音と朱志香の身分を越えた甘いラヴストーリーになってしまったが、彼は後悔していない。
「右代宮家のことを出し過ぎるのも良くないと思いますよ……ほっほっほ……」
熊沢は嘉音の手に同人誌を置くと傘を差して東屋を去っていった。
「良いじゃないですか……」
実際、嘉音の初めて出した同人誌は売れた。紗音に店番をして貰ったことも功を奏したのかもしれない。
彼が店番の時に売れるのは紗音が譲治との新婚風景を描いた『貴方と私の朝の風景』(こちらも100ページほどの本である)が多かったからだ。一部の客には嘉音の本と彼の顔を見比べて怪訝な顔をする者もいた。
だが、そんなことは些細なことだと思ったのだ。
張り切って新刊を出したその年の冬のイベントも、今年の夏のイベントも二人は満喫した。
しかし、紗音はともかく嘉音の現実は同人誌のようにはいかない。
朱志香と愛を語らいながらお茶を飲み、あまつさえ夏妃に怒られるようなことをすることなど夢のまた夢だ。
だから嘉音はせっせと年二回のイベントに出かけては朱志香の高校の生徒が出している彼女が描かれた本を買いあさり、自室で読みふけるのだった。
「良いじゃないですか……婚約指輪を買うお金を今から貯めていても、結婚式の計画を立てていても……」
たとえ叶わない恋だとしても、嘉音の朱志香への気持ちに嘘はない。だからこそ彼は創作活動でその恋心を存分にアピールし、人間になれた暁には同人誌を一緒に読んで彼のことをもっと好きになって欲しいのだ。
嘉音はそのための努力は惜しまない。仕事を適当にさぼって朱志香の学校へ双眼鏡持参で行ったとしても、朱志香に幻滅されることは決してしない。
「お嬢様は僕の嫁なんですから……」
普段の仏頂面はどこへやら、若干鼻の下がのびた嬉しそうな顔で嘉音は呟くと、同人誌の表紙に書いたメイド服の朱志香に頬ずりした。
完
それでも、金蔵亡き今、朱志香が当主になるのは時間の問題。
そうなればきっと、嘉音が彼女と結ばれることはないだろう。
--ならば、僕がその障害を取り除きますから……あなたを鳥籠から出しますから……!だから、お嬢様……!
「朱志香様は僕の嫁ぇぇぇぇぇぇ!」
もはやいろいろ台無しだが、朱志香への愛が暴走しきった嘉音は全く気づかない。
「もうちょっと給料溜まったら最高級の婚約指輪買いますぅぅぅぅ!」
彼はまだ16歳なので結婚できないのだが、嘉音はそんなことに微塵も気づかない。ますますデッドヒートしつつある彼の耳に、哀れむような声が飛び込んできた。
「おいたわしや……嘉音さん……」
「……熊沢さん、何やってるんですか」
急に冷めたように振り向くと、東屋の柱から半身を出した熊沢はもういちどおいたわしや、と呟いた。
「この年寄りは何も見ておりません……ああそれでもおいたわしや……」
「いや、ですから」
嘉音の返事も聞かず、熊沢は語り続けた。
「まだ嘉音さんは結婚できない年齢なのに……」
「聞いてたじゃないですか!」
聞いていた。
明らかに聞いていた。
しかし老女はほっほっほ、と笑って首を横に振る。
「ですからこの年寄りは何も見ておりません……ああおいたわしやお嬢様……嘉音さんからの婚約指輪はいつになることやら……」
「最初から聞いてた!?」
再度叫ぶと、熊沢は急にしんみりとした表情になった。
「奥様の警戒も、若いお二人には恋の炎が燃え上がる要因となったのです……」
そう言いながら取り出した一冊の本に、嘉音は戦慄した。
「そ、それ……僕の……!」
「嘉音さん、使用人室の押入の中にこの本が」
「僕の『お嬢様とらぶらぶ☆ティータイム』じゃないですか!」
熊沢が取り出したのはB5サイズの100ページほどの本。この『お嬢様とらぶらぶ☆ティータイム』、いわゆる同人誌と呼ばれるものだが、嘉音はこの本にとても強い愛着を持っていた。
「嘉音さん、あまり右代宮家の内情を脚色しすぎるのはどうかと思いますよ?」
そう、この同人誌、嘉音の著作だったのである。
去年の夏まで3ヶ月間頑張った。
漫画の製作技法も小説の書き方も1人で勉強した。
同人誌の出し方も某夏の大型イベントへの申し込みも紗音に教わりながら頑張った。
「いいんです!僕とお嬢様の甘酸っぱい恋の物語なんですから!」
内容は紗音の検閲が入って、結局は嘉音と朱志香の身分を越えた甘いラヴストーリーになってしまったが、彼は後悔していない。
「右代宮家のことを出し過ぎるのも良くないと思いますよ……ほっほっほ……」
熊沢は嘉音の手に同人誌を置くと傘を差して東屋を去っていった。
「良いじゃないですか……」
実際、嘉音の初めて出した同人誌は売れた。紗音に店番をして貰ったことも功を奏したのかもしれない。
彼が店番の時に売れるのは紗音が譲治との新婚風景を描いた『貴方と私の朝の風景』(こちらも100ページほどの本である)が多かったからだ。一部の客には嘉音の本と彼の顔を見比べて怪訝な顔をする者もいた。
だが、そんなことは些細なことだと思ったのだ。
張り切って新刊を出したその年の冬のイベントも、今年の夏のイベントも二人は満喫した。
しかし、紗音はともかく嘉音の現実は同人誌のようにはいかない。
朱志香と愛を語らいながらお茶を飲み、あまつさえ夏妃に怒られるようなことをすることなど夢のまた夢だ。
だから嘉音はせっせと年二回のイベントに出かけては朱志香の高校の生徒が出している彼女が描かれた本を買いあさり、自室で読みふけるのだった。
「良いじゃないですか……婚約指輪を買うお金を今から貯めていても、結婚式の計画を立てていても……」
たとえ叶わない恋だとしても、嘉音の朱志香への気持ちに嘘はない。だからこそ彼は創作活動でその恋心を存分にアピールし、人間になれた暁には同人誌を一緒に読んで彼のことをもっと好きになって欲しいのだ。
嘉音はそのための努力は惜しまない。仕事を適当にさぼって朱志香の学校へ双眼鏡持参で行ったとしても、朱志香に幻滅されることは決してしない。
「お嬢様は僕の嫁なんですから……」
普段の仏頂面はどこへやら、若干鼻の下がのびた嬉しそうな顔で嘉音は呟くと、同人誌の表紙に書いたメイド服の朱志香に頬ずりした。
完
最後です。いやぁ、長かった!もしかしたらNG集UPするかもです。
実はこれ、友人に贈るものなんですよね……こんなんでごめんなさい。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
では、どうぞ。
Romance to decadence 後編
実はこれ、友人に贈るものなんですよね……こんなんでごめんなさい。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
では、どうぞ。
Romance to decadence 後編
杭を3人の死体に打ち込んで、部屋を出る。3人も銃で殺したからか、まだ気が高ぶっていた。このまま戻れば、朱志香に今度こそ無体を働いてしまうかもしれない。
それだけは避けたかった。そうすれば彼女は二度と嘉音を見ようとはしてくれないだろうから。
だから、血糊を取り出して手にべったりと付ける。それをドアノブやドアにべたべたと擦り付ける。一通り擦り付けて気が済むと、ハンカチで手を拭って今度こそ書斎に戻った。
朱志香は気を失ったように眠っている。その青白い頬が、シーツを固く握りしめる両の手が、とてもとても愛おしくて、嘉音は布団ごと彼女を抱きしめた。
「ん……」
「朱志香様……」
いやいやと拒絶するように藻掻く身体を捉える。暫くそのままでいると、朱志香の小さな声が聞こえた。
「こんなことして……満足なのかよ……?」
「満足です……これで、朱志香様と二人きりになれたのですから」
「ふたり……きり……?まさかっ……!」
「紗音と譲治様と、郷田が最後の生け贄です」
「郷田さん……譲治兄さん……紗音……!!」
親友と従兄、それに親しい使用人を殺された少女の瞳には怒りやら哀しみやらが綯い交ぜになって、今は絶望が沈んでいた。その瞳から、はらはらと幾筋もの涙が流れる。
「朱志香……僕が死んでも、そんな風に泣いてくれましたか……?」
--あの文化祭の夜も、あなたは泣いてくれましたか?
それが伝わったようで、朱志香は嘉音の肩口に顔を埋めて泣いた。
「何言ってるんだよ……!泣くに決まってるだろ……文化祭の時も……泣いたよ……!」
「……僕を愛してくれますか?」
「……っ」
壊れたカセットテープみたいに何度も繰り返す台詞。たった一度頷いて、心から愛してくれればもう誰も傷つかないですむのに、朱志香は頑なに返事をしなかった。
「……僕は紗音が憎らしかった。僕の朱志香への恋心を玩具にして、陰で叶わぬ恋に落ちた愚か者と笑っていたから……あんな蝶のブローチで恋が叶うなんて言って……騙して……」
「違う……違うよ……嘉音くん……」
1人語りに朱志香が否を唱えた。
「あの蝶のブローチは……私がお守りにあげたんだ。私は物語に出てくるような魔女じゃないから本物の魔法のブローチをあげることは出来なかったけど……信じれば奇跡は起こるって……だから紗音は信じて、譲治兄さんに想いを伝えたんだ。……嘉音くんがこんなに苦しむなら、あのとき……紗音がブローチを返してきたとき、貰っておけば良かった」
「朱志香が……ブローチを……?」
「紗音に幸せになって欲しかったんだ……!」
両手と両足を拘束されたまま、朱志香はそれでも他人を想う。彼女が最初に幸せを願ったのは嘉音ではない。
紗音だ。
冷静に考えれば出会ってまだ3年ほどしか経っていない嘉音よりも、小さな頃から付き合いがある紗音のほうが優先順位が高いのも仕方がないのだが、あいにく嘉音の心は冷静になれるほどの広さが残っていなかった。
「では、紗音の代わりでもいいから……僕を幸せにしてください」
抱きしめたまま、ベッドへと雪崩れ込む。さすがに彼女も子どもではない。自分が今、どんな状況に置かれているのか理解したようで、涙を流し続けながらかたかたと震えだした。
「か、嘉音くん……嫌だっ!やめて!離してっ!」
「僕だけを見てください……僕だけを愛してください……朱志香……っ」
狂おしい恋情に突き動かされてかき抱いた身体は細く頼りなく、必死に抵抗しようとする彼女にますます愛おしさが募る。
「ずっと、ずっと愛しています……朱志香……」
「嫌っ……嫌ぁっ……助けてっ……戦人ぁっ!」
かあっ、と嘉音の胸が熱くなった。この期に及んで、未だ彼女は自分だけを見てくれない。
そう言えば、もうすぐ日付が変わる。南條と熊沢の死体も、紗音達の死体も、とっくに楼座達に発見されている頃だろう。金蔵の死体はボイラー室に放り込んで、もしかの時には燃やそうと思っていた。結局出番はなかったが。
そろそろ源次が戦人達を連れてくる頃だろう。
「朱志香……っ」
無理矢理口づけて、スカートの下のタイツに手を掛ける。
ノックが響いたのはそのときだった。
「やっ……誰か、来たから、やめて……っ」
朱志香の懇願も来訪者には聞こえない。小さく舌打ちして、タイツに掛けていた手を離すと、嘉音は彼女を横抱きにして金蔵の椅子に再び拘束した。
「失礼致します」
入ってきたのは、今現在生き残っている全員だった。楼座、真里亞、源次、そして、戦人。
「朱志香……嘉音くん……生きてたのか!?」
「最初から殺されてなどおりません」
戦人の驚愕の声に、嘉音は素っ気なく答えた。銃を構える楼座の横をすり抜けて、真里亞が金蔵の椅子に近づく。
「う~、朱志香お姉ちゃん……ベアトリーチェ。どうして泣いてるの?」
「ま……真里亞……」
「朱志香ちゃんが……ベアトリーチェ!?」
「……朱志香がベアトリーチェってことは……」
楼座と戦人の顔が険しくなる。当然だ。この殺人は六軒島の魔女・ベアトリーチェが起こした物だと結論づけられているのだから。
「朱志香様が右代宮家の当主です」
「……真里亞の……マシュマロをなおしたのは、私……暗号を解いたのも、私……っ」
か細い声で答える朱志香の頬には涙が伝っている。
「楼座叔母さん、朱志香は犯人なんかじゃねえ。」
戦人が楼座を振り返る。
「根拠は?」
冷たい声の叔母に、彼は黙って少女を戒める手錠を指さした。
「朱志香が拘束されている以上、朱志香にみんなを殺すことは出来ねえ。それにこいつは、昨日の夜俺たちと一緒にいた。反抗は無理だ」
「それもそうね……朱志香ちゃん、知っているんでしょう?兄さん達を殺したのは誰?」
問いつめる楼座に、朱志香はただ涙を流すばかりで、答えない。
「朱志香、答えてくれ!」
「……っ、それ、は……」
朱志香は怯えるように嘉音のほうを見る。彼は朱志香に歩み寄り、彼女を抱きしめた。
「僕がやりました」
「ほら、言ったじゃない……嘉音くんが狼だって!」
「何でやったんだよ!親父達を、紗音ちゃん達を殺して……何が望みだったんだ!」
「お嬢様と幸せになるためです」
戦人は涙を流しながらなんだよそれ、と怒鳴る。
「好きなら好きって、そう言やあ良いじゃねえかよ!どこにみんなを殺す必要があった!?」
「戦人様には分からないでしょう……こうでもしなければ愛する人と幸せに……結ばれない家具の気持ちなんて!分からないでしょう!」
「わかんねえよ!今の朱志香を見て、嘉音くんはこいつが幸せだと思えるのか!?」
朱志香の顔は、涙で酷い有様になっていたが、それでもなお、美しかった。
泣きはらした瞳も、煌めき流れる涙も、けして良くはない顔色も、震える唇も、全てが美しい、愛おしい。
朱志香が幸せでないことなんて、分かっている。
「今は幸せでは無いかもしれませんが、僕たちはもうすぐ幸せになれるのです」
「……何を言っているの?」
少女の髪を梳りながら嘉音は浮かされたように言葉を連ねる。その幸せな心に、楼座が無理矢理冷たい刃を突き刺した。
「あんたと結婚したって、朱志香ちゃんが幸せになれるわけ無いじゃない」
「ろ……楼座叔母さん!?」
ちらりと振り向くと、楼座は怒りによるものか、張り付いたような笑みを浮かべながら言葉を重ねる。
「あんたみたいな使用人で義務教育に行かせてやった恩も忘れて主人を殺すようなやつに、喜んで嫁げるとでも思ってるの?私がそんなやつと姪を一緒にさせるとでも思ってるの?」
「う~……ママ?」
「ま……真里亞、聞くな……耳をふさいで、小さな声で……私に歌を聴かせてくれ。そうすれば真里亞には……何も見えない、聞こえない……!」
朱志香が掠れた声でそう頼めば、真里亞は椅子と背を向けあう形で立って、歌い出した。
その間も楼座は嘉音を罵倒する。
「どうせそこにいる源次さんも共犯でしょう?最初から信用なんてしてなかったわよ、この家具どもが!……真里亞、その椅子から離れなさい。離れなさいって言ってるでしょうっ!」
「真里亞……私の……ベアトリーチェの、最後の贈り物だ……歌、ありがとう。楼座叔母さんのところに行って、絶対に離れるなよ……」
「う~……」
真里亞は歌をやめると、素直に楼座のところへ歩いて行き、衣服にぎゅっとしがみついた。
「楼座叔母さん……何を!?」
「家具どもを殺すのよ」
「なっ……!?」
「このまま恩知らずの家具どもと一緒に明日の朝までいっしょにいることなんか出来やしない。ならここで殺すしかないでしょ?」
「た……確かにそうだけどよ……ここで撃ったら朱志香だって危ないんだぞ!?」
狼狽えて楼座を止めようとする戦人に、朱志香は嘉音の身体越しに疲れたような声で呼びかけた。
「戦人……もう、良いんだ……私が悪いんだ……私が……っ!だから……叔母さん、私も……殺して……!」
「朱志香は悪くありません」
「朱志香は悪くなんかねえよ!」
奇しくも嘉音と戦人は、同じ台詞を吐いていた。悪いのは朱志香じゃない。
「私が……嘉音くんの想いに応えなかったから……」
「朱志香ちゃん、騙されちゃダメよ。こんな家具の気持ちに応えて、だから何だっての?遊びにしかならないじゃない!」
そして、楼座がウィンチェスターを構え直す音が響いた。
「やめろよ、楼座叔母さん!別の部屋に隔離すればいいだろ!」
「戦人くんは黙ってて!」
ヒステリックな応酬。
使用人を殺す気であるのは確実で、まず楼座が狙うのは、間違いなく嘉音だろう。
応酬が続いている間に、少女の頭を片手で抱きしめて、サイレンサー付の銃を取り出し、残り少なくなっていた弾倉を交換する。
「家具なんかと一緒にいられるもんですか!死ねぇっ、家具どもがぁぁぁぁ……」
ぱしゅん。
ウィンチェスターの引き金を楼座が引く前に、彼女の額に銃弾が埋まる。
ぱしゅん。
ぱしゅんぱしゅんぱしゅん。
「か……嘉音、くん……!?」
「楼座叔母さん!!」
「ママ、ママぁっ……!ママぁぁぁっ!う~!う~!う~う~う~!!!!」
顔を嘉音の胸に押しつける形になっている朱志香は分からない。
「楼座様が、死にました」
「なっ……」
「てめえ、他人事みたいに……!」
怒りに任せて吼える戦人を、源次が制す。
「戦人様、お静かに」
「でもよ、源次さん!」
「お静かに」
押し黙る戦人は、人が死んでから初めて涙を流して遺体に縋り付く真里亞を抱きしめる。
「朱志香……僕を愛してくれますか?」
「愛す……愛すよ……嘉音くんを……愛すよ……だからっ……だからもう、これ以上は……!」
涙を流して頷く朱志香の目元に軽く口づける。嘉音は初めて、自分の心が満たされた気がした。
「ありがとうございます……朱志香」
「うわあぁぁぁぁ……ママぁぁぁ……っ!」
真里亞の大泣きする声が聞こえる。戦人の慌てたような声が聞こえたから、楼座のそばにでも行ったのだろう。
真里亞はともかく、戦人は体格が良い。格闘で来られたらまず勝てないだろう。
だから、真里亞ではなく、戦人の足を撃った。
ぱしゅん。
「ぐああぁぁっ!?」
「戦人っ……!?」
ぱしゅん。
両足に一発ずつ打ち込まれ、これで彼は動くことなど出来ないだろう。
「さあ、朱志香」
抱きしめていた少女の身体を解放する。
「戦人っ……それっ……」
「朱志香……すまねぇな……お前のこと、助け出してやれなくて」
「っ……戦人……そんなこと、どうでもいいんだよ……!源次さん、手当てしてやってくれよ!」
しかし彼女の言葉に、源次は首を横に振る。嘉音が銃口を向けているのに気づいたからだろうか。
「お嬢様……昨日までの日々、楽しゅうございました。……ありがとうございます。では……先にお暇を頂きます」
「源次さん!?止めてっ、嘉音くん!!」
ぱしゅん。
ぱしゅん。
「源次さん!」
ゆっくりと頽れていく源次を目の当たりにして、二人が叫んだ。
「やめて……やめて!嘉音くん!もう、こんなことしないで!」
拘束された両手で必死に縋り付く彼女に、嘉音は優しく笑いかける。彼女は人の死んでゆく様を目の当たりにしてなお、戦人と真里亞を守ろうとしている。それが嘉音には面白くない。
いや、ずっと、朱志香が戦人の、他人の話をするのが気にくわなかった。
--こんなに朱志香を愛しているのは僕だけなのに……!
「朱志香……僕だけを、僕だけを見てください。僕だけを愛してください。その瞳に、僕以外の者を映さないでください」
朱志香はがくがくと頷くだけだ。
「ありがとうございます……さあ、朱志香。この鳥籠から、共に出ましょう。ずっと一緒にいましょう」
「朱志香っ!」
呼び声に彼女は戦人のほうを見る。彼は足の動かなくなった身でありながら、六軒島の、今は嘉音の囚われの姫君に力強く手を伸ばしていた。
「戦人……ごめんな、ありがとう」
彼が見たのは、従姉妹で白き魔女だった姫君のはかない笑顔だったのかもしれない。絶望に震えた目をしていたから。
--朱志香は僕のものだ!
ほんの少しの愉悦と、それを大きく上回る憎しみの炎が嘉音を支配する。
「……戦人様。僕はあなたを一番殺したかった」
「嘉音くん!?」
「朱志香の魔法を否定したあなたが許せなかった。朱志香を傷つけて、のうのうとこの島に帰ってきたあなたが憎かった」
「ちょっと待てよ!俺はのうのうと帰ってきた訳じゃ……」
「いいえ。右代宮家を捨て、朱志香を裏切り、傷つけて……そこにいかなる理由があろうとも、それは言い訳にしかなりません。それなのに、帰ってくると聞いただけで朱志香は笑顔になられた。戦人様は朱志香を裏切った罪人なのに、朱志香様はどうして笑っていらっしゃったのか、姉さんに聞きました。許すつもりか、魔法を認めることを願っておられるかだと聞きました。ですが!」
朱志香がびくりと震える。
「僕は、あなたを裏切った罪人を、あなたの鳥籠となった裏切り者を、どうしても許すことが出来ませんでした、朱志香」
「もう……いいよ、もういいよ、嘉音くん……!」
「その後はあなたに愛して貰うために、親族の皆様を手に掛けました。真里亞様の封筒を二度すり替え、礼拝堂の鍵を手に入れました」
「あれは……そんなものだったのかよ!?伝説の魔女様からの真里亞と楼座叔母さんへの幸せの贈り物じゃなかったのかよ!?二人の黄金郷への……招待状じゃなかったのかよ……!?」
「騙して申し訳ありませんでした。けれど、僕はあなたを手に入れたかった。あなたに愛して欲しかった。そして、右代宮戦人が苦しんで死ねばいいと思いました。それからは朱志香の知っているとおりです」
戦人は何も言わない。
「……真里亞様。あなたがジェシカ・ベアトリーチェ様とお約束なさった黄金郷、僕が差し上げましょう」
真里亞が振り向き、まだ何も言わないうちに銃弾を撃ち込んだ。
「真里亞ぁぁぁぁっ!」
「朱志香……あなたが僕だけを見てくださらなければ、」
朱志香の足下に銃を向け、拘束していた鎖を撃ち砕く。次いで戦人に銃を向け、急所にあたらないように数発撃つ。
「戦人様を殺します」
「……っ、嘉音くんだけ、見てるから……」
朱志香の心はもうボロボロだろう。虚ろな瞳に渦巻く絶望は、消せるものではないのかもしれない。
--けれど、僕はあなたに愛して欲しかった。
「だから……泣かないで、嘉音くん……」
椅子の背もたれに寄りかかっていた彼女が嘉音の胸に身体を預ける。
「ずっと前から……私も好きだったのに……ごめんな……」
「僕は……泣いているのですか?」
「私の知ってる嘉音くんは……こんなこと出来る人じゃない。本当の君は……多分泣いているんじゃないかな……」
手錠の填められた白い両手が嘉音の頬に触れる。
「大好きだよ……嘉音くん」
「朱志香……!」
朱志香、朱志香と繰り返し名を呼びながら、嘉音は彼女を抱きしめる。朱志香の手錠を外すと、彼女もおずおずと背中に手を回した。
「愛しています、ずっと愛しています!朱志香……!だから……だからっ」
「私も……ずっと愛してるぜ……嘉音くん……君の本当の名前、聞きたかった……」
「僕の、本当の名前は……」
朱志香の耳元に口を寄せ、彼がこの世に生まれ出でた本当の名前を告げた。ずっと告げたくて仕方がなかった名前。その名前を呼んで、朱志香は愛していると言ってくれた。ああ、もうこれで思い残すことはない。
戦人を殺したいと燃えさかっていた炎も、今はもう消えた。最初から彼は朱志香だけを求めていたのだから。
もうすぐ時計の針が零時を示す。時刻になってしまえばこの書斎やボイラー室、礼拝堂を中心として島中に仕込んだ爆薬が火を噴くだろう。
九羽鳥庵に逃げ込めば、3人は助かるかもしれない。ああ、けれど、もうその時間は残されていなかった。
「朱志香……未来を、与えられなくて申し訳ございません」
「いいんだ……もう、私は……」
二人で戦人のほうを見ると、彼はもう虫の息だった。これ以上苦しめる必要もないだろう。
銃を向けると、彼女がその手を優しく捉えた。
「最後ぐらい、私がやるよ……私を心配してくれて、ありがとうな、戦人。そして……さよなら」
ぱしゅん!
慈しみの顔で放たれた弾丸は戦人の心臓に着弾し、彼はこれ以上苦しむことなくこの世に別れを告げた。
それから朱志香は銃をテーブルに置き、嘉音を抱きしめた。嘉音も抱きしめ返し、彼女を抱えてベッドに潜り込むと、もう一度、今度は無理矢理ではなく、優しく、啄むだけの口づけからだんだん深く口づける。
そして、零時の鐘が鳴った。狂気の宴は終わりを告げたのだ。
命尽き果てるその瞬間まで、彼らは互いを愛し合った。
朱志香はベアトリーチェとして、南條の息子や縁寿たち遺族に慰謝料を贈っている、と言った。そして、事件を幻想風味に仕立ててボトルメールに記し、海に流したとも言った。
これで嘉音の、いや、朱志香と嘉音の真実は永遠のものとなったのだ。島が吹き飛んだことにより検死も現場検証も出来ないため、事件の真相は誰にも知られることはない。しかし、誰にも知られることのない真実で、二人の愛と嘉音の哀しい狂気は生き続けている。
1986年10月6日の夕刊の一面を飾り、当時母親の実家に預けられていた右代宮戦人の妹・縁寿をはじめとして多くの人々を悲しませた六軒島大量殺人事件。後日、18人全員の葬式が行われ、多くの友人・知人が彼らに別れを告げた。
しかし、この事件の真実は、六軒島が何らかの要因により調査不能となり、今でも明かされていない。
だから、誰も知ることはない。
籠の中の囚われの姫君を狂気に陥るほどに愛した少年と、外の世界を切望しながらも最期は狂おしいほどの愛を受け入れた少女の哀しい恋物語を……。
おわり
それだけは避けたかった。そうすれば彼女は二度と嘉音を見ようとはしてくれないだろうから。
だから、血糊を取り出して手にべったりと付ける。それをドアノブやドアにべたべたと擦り付ける。一通り擦り付けて気が済むと、ハンカチで手を拭って今度こそ書斎に戻った。
朱志香は気を失ったように眠っている。その青白い頬が、シーツを固く握りしめる両の手が、とてもとても愛おしくて、嘉音は布団ごと彼女を抱きしめた。
「ん……」
「朱志香様……」
いやいやと拒絶するように藻掻く身体を捉える。暫くそのままでいると、朱志香の小さな声が聞こえた。
「こんなことして……満足なのかよ……?」
「満足です……これで、朱志香様と二人きりになれたのですから」
「ふたり……きり……?まさかっ……!」
「紗音と譲治様と、郷田が最後の生け贄です」
「郷田さん……譲治兄さん……紗音……!!」
親友と従兄、それに親しい使用人を殺された少女の瞳には怒りやら哀しみやらが綯い交ぜになって、今は絶望が沈んでいた。その瞳から、はらはらと幾筋もの涙が流れる。
「朱志香……僕が死んでも、そんな風に泣いてくれましたか……?」
--あの文化祭の夜も、あなたは泣いてくれましたか?
それが伝わったようで、朱志香は嘉音の肩口に顔を埋めて泣いた。
「何言ってるんだよ……!泣くに決まってるだろ……文化祭の時も……泣いたよ……!」
「……僕を愛してくれますか?」
「……っ」
壊れたカセットテープみたいに何度も繰り返す台詞。たった一度頷いて、心から愛してくれればもう誰も傷つかないですむのに、朱志香は頑なに返事をしなかった。
「……僕は紗音が憎らしかった。僕の朱志香への恋心を玩具にして、陰で叶わぬ恋に落ちた愚か者と笑っていたから……あんな蝶のブローチで恋が叶うなんて言って……騙して……」
「違う……違うよ……嘉音くん……」
1人語りに朱志香が否を唱えた。
「あの蝶のブローチは……私がお守りにあげたんだ。私は物語に出てくるような魔女じゃないから本物の魔法のブローチをあげることは出来なかったけど……信じれば奇跡は起こるって……だから紗音は信じて、譲治兄さんに想いを伝えたんだ。……嘉音くんがこんなに苦しむなら、あのとき……紗音がブローチを返してきたとき、貰っておけば良かった」
「朱志香が……ブローチを……?」
「紗音に幸せになって欲しかったんだ……!」
両手と両足を拘束されたまま、朱志香はそれでも他人を想う。彼女が最初に幸せを願ったのは嘉音ではない。
紗音だ。
冷静に考えれば出会ってまだ3年ほどしか経っていない嘉音よりも、小さな頃から付き合いがある紗音のほうが優先順位が高いのも仕方がないのだが、あいにく嘉音の心は冷静になれるほどの広さが残っていなかった。
「では、紗音の代わりでもいいから……僕を幸せにしてください」
抱きしめたまま、ベッドへと雪崩れ込む。さすがに彼女も子どもではない。自分が今、どんな状況に置かれているのか理解したようで、涙を流し続けながらかたかたと震えだした。
「か、嘉音くん……嫌だっ!やめて!離してっ!」
「僕だけを見てください……僕だけを愛してください……朱志香……っ」
狂おしい恋情に突き動かされてかき抱いた身体は細く頼りなく、必死に抵抗しようとする彼女にますます愛おしさが募る。
「ずっと、ずっと愛しています……朱志香……」
「嫌っ……嫌ぁっ……助けてっ……戦人ぁっ!」
かあっ、と嘉音の胸が熱くなった。この期に及んで、未だ彼女は自分だけを見てくれない。
そう言えば、もうすぐ日付が変わる。南條と熊沢の死体も、紗音達の死体も、とっくに楼座達に発見されている頃だろう。金蔵の死体はボイラー室に放り込んで、もしかの時には燃やそうと思っていた。結局出番はなかったが。
そろそろ源次が戦人達を連れてくる頃だろう。
「朱志香……っ」
無理矢理口づけて、スカートの下のタイツに手を掛ける。
ノックが響いたのはそのときだった。
「やっ……誰か、来たから、やめて……っ」
朱志香の懇願も来訪者には聞こえない。小さく舌打ちして、タイツに掛けていた手を離すと、嘉音は彼女を横抱きにして金蔵の椅子に再び拘束した。
「失礼致します」
入ってきたのは、今現在生き残っている全員だった。楼座、真里亞、源次、そして、戦人。
「朱志香……嘉音くん……生きてたのか!?」
「最初から殺されてなどおりません」
戦人の驚愕の声に、嘉音は素っ気なく答えた。銃を構える楼座の横をすり抜けて、真里亞が金蔵の椅子に近づく。
「う~、朱志香お姉ちゃん……ベアトリーチェ。どうして泣いてるの?」
「ま……真里亞……」
「朱志香ちゃんが……ベアトリーチェ!?」
「……朱志香がベアトリーチェってことは……」
楼座と戦人の顔が険しくなる。当然だ。この殺人は六軒島の魔女・ベアトリーチェが起こした物だと結論づけられているのだから。
「朱志香様が右代宮家の当主です」
「……真里亞の……マシュマロをなおしたのは、私……暗号を解いたのも、私……っ」
か細い声で答える朱志香の頬には涙が伝っている。
「楼座叔母さん、朱志香は犯人なんかじゃねえ。」
戦人が楼座を振り返る。
「根拠は?」
冷たい声の叔母に、彼は黙って少女を戒める手錠を指さした。
「朱志香が拘束されている以上、朱志香にみんなを殺すことは出来ねえ。それにこいつは、昨日の夜俺たちと一緒にいた。反抗は無理だ」
「それもそうね……朱志香ちゃん、知っているんでしょう?兄さん達を殺したのは誰?」
問いつめる楼座に、朱志香はただ涙を流すばかりで、答えない。
「朱志香、答えてくれ!」
「……っ、それ、は……」
朱志香は怯えるように嘉音のほうを見る。彼は朱志香に歩み寄り、彼女を抱きしめた。
「僕がやりました」
「ほら、言ったじゃない……嘉音くんが狼だって!」
「何でやったんだよ!親父達を、紗音ちゃん達を殺して……何が望みだったんだ!」
「お嬢様と幸せになるためです」
戦人は涙を流しながらなんだよそれ、と怒鳴る。
「好きなら好きって、そう言やあ良いじゃねえかよ!どこにみんなを殺す必要があった!?」
「戦人様には分からないでしょう……こうでもしなければ愛する人と幸せに……結ばれない家具の気持ちなんて!分からないでしょう!」
「わかんねえよ!今の朱志香を見て、嘉音くんはこいつが幸せだと思えるのか!?」
朱志香の顔は、涙で酷い有様になっていたが、それでもなお、美しかった。
泣きはらした瞳も、煌めき流れる涙も、けして良くはない顔色も、震える唇も、全てが美しい、愛おしい。
朱志香が幸せでないことなんて、分かっている。
「今は幸せでは無いかもしれませんが、僕たちはもうすぐ幸せになれるのです」
「……何を言っているの?」
少女の髪を梳りながら嘉音は浮かされたように言葉を連ねる。その幸せな心に、楼座が無理矢理冷たい刃を突き刺した。
「あんたと結婚したって、朱志香ちゃんが幸せになれるわけ無いじゃない」
「ろ……楼座叔母さん!?」
ちらりと振り向くと、楼座は怒りによるものか、張り付いたような笑みを浮かべながら言葉を重ねる。
「あんたみたいな使用人で義務教育に行かせてやった恩も忘れて主人を殺すようなやつに、喜んで嫁げるとでも思ってるの?私がそんなやつと姪を一緒にさせるとでも思ってるの?」
「う~……ママ?」
「ま……真里亞、聞くな……耳をふさいで、小さな声で……私に歌を聴かせてくれ。そうすれば真里亞には……何も見えない、聞こえない……!」
朱志香が掠れた声でそう頼めば、真里亞は椅子と背を向けあう形で立って、歌い出した。
その間も楼座は嘉音を罵倒する。
「どうせそこにいる源次さんも共犯でしょう?最初から信用なんてしてなかったわよ、この家具どもが!……真里亞、その椅子から離れなさい。離れなさいって言ってるでしょうっ!」
「真里亞……私の……ベアトリーチェの、最後の贈り物だ……歌、ありがとう。楼座叔母さんのところに行って、絶対に離れるなよ……」
「う~……」
真里亞は歌をやめると、素直に楼座のところへ歩いて行き、衣服にぎゅっとしがみついた。
「楼座叔母さん……何を!?」
「家具どもを殺すのよ」
「なっ……!?」
「このまま恩知らずの家具どもと一緒に明日の朝までいっしょにいることなんか出来やしない。ならここで殺すしかないでしょ?」
「た……確かにそうだけどよ……ここで撃ったら朱志香だって危ないんだぞ!?」
狼狽えて楼座を止めようとする戦人に、朱志香は嘉音の身体越しに疲れたような声で呼びかけた。
「戦人……もう、良いんだ……私が悪いんだ……私が……っ!だから……叔母さん、私も……殺して……!」
「朱志香は悪くありません」
「朱志香は悪くなんかねえよ!」
奇しくも嘉音と戦人は、同じ台詞を吐いていた。悪いのは朱志香じゃない。
「私が……嘉音くんの想いに応えなかったから……」
「朱志香ちゃん、騙されちゃダメよ。こんな家具の気持ちに応えて、だから何だっての?遊びにしかならないじゃない!」
そして、楼座がウィンチェスターを構え直す音が響いた。
「やめろよ、楼座叔母さん!別の部屋に隔離すればいいだろ!」
「戦人くんは黙ってて!」
ヒステリックな応酬。
使用人を殺す気であるのは確実で、まず楼座が狙うのは、間違いなく嘉音だろう。
応酬が続いている間に、少女の頭を片手で抱きしめて、サイレンサー付の銃を取り出し、残り少なくなっていた弾倉を交換する。
「家具なんかと一緒にいられるもんですか!死ねぇっ、家具どもがぁぁぁぁ……」
ぱしゅん。
ウィンチェスターの引き金を楼座が引く前に、彼女の額に銃弾が埋まる。
ぱしゅん。
ぱしゅんぱしゅんぱしゅん。
「か……嘉音、くん……!?」
「楼座叔母さん!!」
「ママ、ママぁっ……!ママぁぁぁっ!う~!う~!う~う~う~!!!!」
顔を嘉音の胸に押しつける形になっている朱志香は分からない。
「楼座様が、死にました」
「なっ……」
「てめえ、他人事みたいに……!」
怒りに任せて吼える戦人を、源次が制す。
「戦人様、お静かに」
「でもよ、源次さん!」
「お静かに」
押し黙る戦人は、人が死んでから初めて涙を流して遺体に縋り付く真里亞を抱きしめる。
「朱志香……僕を愛してくれますか?」
「愛す……愛すよ……嘉音くんを……愛すよ……だからっ……だからもう、これ以上は……!」
涙を流して頷く朱志香の目元に軽く口づける。嘉音は初めて、自分の心が満たされた気がした。
「ありがとうございます……朱志香」
「うわあぁぁぁぁ……ママぁぁぁ……っ!」
真里亞の大泣きする声が聞こえる。戦人の慌てたような声が聞こえたから、楼座のそばにでも行ったのだろう。
真里亞はともかく、戦人は体格が良い。格闘で来られたらまず勝てないだろう。
だから、真里亞ではなく、戦人の足を撃った。
ぱしゅん。
「ぐああぁぁっ!?」
「戦人っ……!?」
ぱしゅん。
両足に一発ずつ打ち込まれ、これで彼は動くことなど出来ないだろう。
「さあ、朱志香」
抱きしめていた少女の身体を解放する。
「戦人っ……それっ……」
「朱志香……すまねぇな……お前のこと、助け出してやれなくて」
「っ……戦人……そんなこと、どうでもいいんだよ……!源次さん、手当てしてやってくれよ!」
しかし彼女の言葉に、源次は首を横に振る。嘉音が銃口を向けているのに気づいたからだろうか。
「お嬢様……昨日までの日々、楽しゅうございました。……ありがとうございます。では……先にお暇を頂きます」
「源次さん!?止めてっ、嘉音くん!!」
ぱしゅん。
ぱしゅん。
「源次さん!」
ゆっくりと頽れていく源次を目の当たりにして、二人が叫んだ。
「やめて……やめて!嘉音くん!もう、こんなことしないで!」
拘束された両手で必死に縋り付く彼女に、嘉音は優しく笑いかける。彼女は人の死んでゆく様を目の当たりにしてなお、戦人と真里亞を守ろうとしている。それが嘉音には面白くない。
いや、ずっと、朱志香が戦人の、他人の話をするのが気にくわなかった。
--こんなに朱志香を愛しているのは僕だけなのに……!
「朱志香……僕だけを、僕だけを見てください。僕だけを愛してください。その瞳に、僕以外の者を映さないでください」
朱志香はがくがくと頷くだけだ。
「ありがとうございます……さあ、朱志香。この鳥籠から、共に出ましょう。ずっと一緒にいましょう」
「朱志香っ!」
呼び声に彼女は戦人のほうを見る。彼は足の動かなくなった身でありながら、六軒島の、今は嘉音の囚われの姫君に力強く手を伸ばしていた。
「戦人……ごめんな、ありがとう」
彼が見たのは、従姉妹で白き魔女だった姫君のはかない笑顔だったのかもしれない。絶望に震えた目をしていたから。
--朱志香は僕のものだ!
ほんの少しの愉悦と、それを大きく上回る憎しみの炎が嘉音を支配する。
「……戦人様。僕はあなたを一番殺したかった」
「嘉音くん!?」
「朱志香の魔法を否定したあなたが許せなかった。朱志香を傷つけて、のうのうとこの島に帰ってきたあなたが憎かった」
「ちょっと待てよ!俺はのうのうと帰ってきた訳じゃ……」
「いいえ。右代宮家を捨て、朱志香を裏切り、傷つけて……そこにいかなる理由があろうとも、それは言い訳にしかなりません。それなのに、帰ってくると聞いただけで朱志香は笑顔になられた。戦人様は朱志香を裏切った罪人なのに、朱志香様はどうして笑っていらっしゃったのか、姉さんに聞きました。許すつもりか、魔法を認めることを願っておられるかだと聞きました。ですが!」
朱志香がびくりと震える。
「僕は、あなたを裏切った罪人を、あなたの鳥籠となった裏切り者を、どうしても許すことが出来ませんでした、朱志香」
「もう……いいよ、もういいよ、嘉音くん……!」
「その後はあなたに愛して貰うために、親族の皆様を手に掛けました。真里亞様の封筒を二度すり替え、礼拝堂の鍵を手に入れました」
「あれは……そんなものだったのかよ!?伝説の魔女様からの真里亞と楼座叔母さんへの幸せの贈り物じゃなかったのかよ!?二人の黄金郷への……招待状じゃなかったのかよ……!?」
「騙して申し訳ありませんでした。けれど、僕はあなたを手に入れたかった。あなたに愛して欲しかった。そして、右代宮戦人が苦しんで死ねばいいと思いました。それからは朱志香の知っているとおりです」
戦人は何も言わない。
「……真里亞様。あなたがジェシカ・ベアトリーチェ様とお約束なさった黄金郷、僕が差し上げましょう」
真里亞が振り向き、まだ何も言わないうちに銃弾を撃ち込んだ。
「真里亞ぁぁぁぁっ!」
「朱志香……あなたが僕だけを見てくださらなければ、」
朱志香の足下に銃を向け、拘束していた鎖を撃ち砕く。次いで戦人に銃を向け、急所にあたらないように数発撃つ。
「戦人様を殺します」
「……っ、嘉音くんだけ、見てるから……」
朱志香の心はもうボロボロだろう。虚ろな瞳に渦巻く絶望は、消せるものではないのかもしれない。
--けれど、僕はあなたに愛して欲しかった。
「だから……泣かないで、嘉音くん……」
椅子の背もたれに寄りかかっていた彼女が嘉音の胸に身体を預ける。
「ずっと前から……私も好きだったのに……ごめんな……」
「僕は……泣いているのですか?」
「私の知ってる嘉音くんは……こんなこと出来る人じゃない。本当の君は……多分泣いているんじゃないかな……」
手錠の填められた白い両手が嘉音の頬に触れる。
「大好きだよ……嘉音くん」
「朱志香……!」
朱志香、朱志香と繰り返し名を呼びながら、嘉音は彼女を抱きしめる。朱志香の手錠を外すと、彼女もおずおずと背中に手を回した。
「愛しています、ずっと愛しています!朱志香……!だから……だからっ」
「私も……ずっと愛してるぜ……嘉音くん……君の本当の名前、聞きたかった……」
「僕の、本当の名前は……」
朱志香の耳元に口を寄せ、彼がこの世に生まれ出でた本当の名前を告げた。ずっと告げたくて仕方がなかった名前。その名前を呼んで、朱志香は愛していると言ってくれた。ああ、もうこれで思い残すことはない。
戦人を殺したいと燃えさかっていた炎も、今はもう消えた。最初から彼は朱志香だけを求めていたのだから。
もうすぐ時計の針が零時を示す。時刻になってしまえばこの書斎やボイラー室、礼拝堂を中心として島中に仕込んだ爆薬が火を噴くだろう。
九羽鳥庵に逃げ込めば、3人は助かるかもしれない。ああ、けれど、もうその時間は残されていなかった。
「朱志香……未来を、与えられなくて申し訳ございません」
「いいんだ……もう、私は……」
二人で戦人のほうを見ると、彼はもう虫の息だった。これ以上苦しめる必要もないだろう。
銃を向けると、彼女がその手を優しく捉えた。
「最後ぐらい、私がやるよ……私を心配してくれて、ありがとうな、戦人。そして……さよなら」
ぱしゅん!
慈しみの顔で放たれた弾丸は戦人の心臓に着弾し、彼はこれ以上苦しむことなくこの世に別れを告げた。
それから朱志香は銃をテーブルに置き、嘉音を抱きしめた。嘉音も抱きしめ返し、彼女を抱えてベッドに潜り込むと、もう一度、今度は無理矢理ではなく、優しく、啄むだけの口づけからだんだん深く口づける。
そして、零時の鐘が鳴った。狂気の宴は終わりを告げたのだ。
命尽き果てるその瞬間まで、彼らは互いを愛し合った。
朱志香はベアトリーチェとして、南條の息子や縁寿たち遺族に慰謝料を贈っている、と言った。そして、事件を幻想風味に仕立ててボトルメールに記し、海に流したとも言った。
これで嘉音の、いや、朱志香と嘉音の真実は永遠のものとなったのだ。島が吹き飛んだことにより検死も現場検証も出来ないため、事件の真相は誰にも知られることはない。しかし、誰にも知られることのない真実で、二人の愛と嘉音の哀しい狂気は生き続けている。
1986年10月6日の夕刊の一面を飾り、当時母親の実家に預けられていた右代宮戦人の妹・縁寿をはじめとして多くの人々を悲しませた六軒島大量殺人事件。後日、18人全員の葬式が行われ、多くの友人・知人が彼らに別れを告げた。
しかし、この事件の真実は、六軒島が何らかの要因により調査不能となり、今でも明かされていない。
だから、誰も知ることはない。
籠の中の囚われの姫君を狂気に陥るほどに愛した少年と、外の世界を切望しながらも最期は狂おしいほどの愛を受け入れた少女の哀しい恋物語を……。
おわり
あんまり長いので三つに分けました。
嘉音くんが妄想激しくてすみません。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
それではどうぞ。
Romance to decadence 中編
嘉音くんが妄想激しくてすみません。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
それではどうぞ。
Romance to decadence 中編
そして、六人をその手に掛けた。
朱志香が当主だと告げたときの大人達の顔と言ったら!学校での成績だけで朱志香が不出来だと貶していた大人達はある者は驚愕に、ある者は絶望に満ちた顔でこちらを見ていた。
「朱志香お嬢様は、あなた方が思っているよりずっと、出来たお方です……朱志香様はベアトリーチェさまであらせられますから」
そう言った瞬間、大人達のドロドロした汚い欲望が渦巻くのは分かっていた。だから朱志香に頼んで借りておいた黄金のインゴットをテーブルに置く。あらかじめ計画を話しておいた源次がワインを注ぐ。大人達の目の色が変わるのが分かった。
--ああ、やはりこいつらは殺しておかなければ!
そうして第一の晩が終わり、ふと気づいた。
朱志香にこの惨状を見せるわけにはいかない。
それでも夜が明けて、朱志香は両親が惨たらしく殺されているのを見てしまった。
「父さん……!母さん……!」
「お嬢様……ご覧になってはいけません!」
「いやああああっ!」
父と母を呼びながら泣き叫ぶ彼女は、この瞬間、魔女ではなかった。近しい人を一晩にして殺された、まだ18歳の1人の少女だった。
「ベアトリーチェがやったんだ!」
涙を流しながらそう怒鳴って、少女は屋敷に駆けていく。それを追って、嘉音は郷田と共に走る。昨日、ジャック・オー・ランタンのマシュマロを手品ですり替え、蘇らせたのは朱志香だが、六軒島の伝説の魔女を演出させたのは嘉音だ。二通の手紙を伝説の魔女から言付かったので、ベアトリーチェである朱志香から渡すように仕向けたのだ。
魔女が幻想だなんて、朱志香が一番知っているだろう。けれど、伝説の魔女を吹き込んだのは嘉音だ。
アレを朱志香に見せたくない……!
昼食の配膳など、無かった。食事を貴賓室ではなく、金蔵の書斎に運んだのだ。同じく紗音も、配膳をしたのは金蔵の書斎だった。
だから、配膳をするふりをして貴賓室には手紙を仕込んでおいた。
本来なら、戦人にこの手紙を読ませたかったが、もう遅い。
あの嘲笑の手紙は朱志香を怒り狂わせ、結果として彼女は嘉音と二人きりになった。
「お嬢様……大丈夫ですか」
「私は……大丈夫……だぜ……。父さんと母さんはもうダメだけど……私は、もう少し泣けば……大丈夫」
1人にして欲しい、と言う朱志香に黙礼して、一度部屋を出る。
知らなかった。
朱志香があんなにも両親を愛していたと言うことを。
けれど、それは僅かな誤算に過ぎない。
絶対に朱志香を自分に振り向かせてみせる。
ポケットの中に突っ込んだ注射器にそっと触れる。次いで、小袋に入れた錠剤に触れる。
どちらも睡眠薬だ。深い眠りに落ち、即効性がある。幸い、医師の南條はこちらの味方だ。楼座達を騙すことなど容易い。
「お嬢様……」
「入って……いいよ……」
ノックをして許可を得てから部屋に入る。後ろ手で鍵を閉める。
「か……嘉音、くん……?」
ただならぬ雰囲気に朱志香が身を震わせた。
「お嬢様……僕は、お嬢様が好きでした。ずっと、ずっと好きでした」
「い……いきなり、何を……?」
「お嬢様は僕を愛してくれますか?」
一歩近づく。
朱志香が一歩下がる。
近づく。
下がる。
その繰り返し。
やがてベッドに座っていた朱志香は背を壁に付けてしまい、退路を断った。小さく震えるその身体を、嘉音は抱きしめる。
「僕を……愛してください……朱志香様」
「……こんなときじゃなかったら、嬉しかったよ……?でも、ごめん……もう少し、心の整理、させて……」
「よろしいですが……お嬢様がお答えくださるのが遅くなればなるほど、紗音や譲治様の命が危険になってゆきます」
耳元で、ひゅっ、と喉が鳴る音がする。水差しに入れた水をコップに注ぎ、サイドテーブルに置く。嘉音はポケットを探り、睡眠薬の錠剤を取り出した。
「ど、どういう……ことだよ……!?」
「どうもこうもありません……お嬢様がお答えくださらなければ、譲治様も、紗音も、みんなが死んでしまいます」
嘉音の台詞に、朱志香の息が浅くなる。
「ま……まさか……っ、か……嘉音くんが……母さん達を殺したとか……言わないよな……?」
「お嬢様……朱志香様と、僕が幸せになるために、……僕が全てやりました」
そう言いながらさらにきつく抱きしめると、朱志香が拘束から抜け出そうと藻掻く。
「嘉音くん……どうしてっ……どうしてこんなことしたんだよ!私はそんなことされたって嬉しくない!みんなを返してくれよ!」
「仕方がなかったのです」
「なんだよそれっ!?放せっ、放せよっ!」
さらに暴れる朱志香を片手で拘束し、錠剤を口に放り込む。水を含むと、彼女の顔を押さえて無理矢理に口づけた。
「んっ!?……!」
重ねた唇ごしに睡眠薬を流し込む。やっとの事で飲ませると、そのまま暫く朱志香の口内を蹂躙した。
「……っ、げほっ……何、するんだよ!?」
「大人しくしてください」
嘉音の心に灯るのは、朱志香への情欲と自分を見てくれないことへの怒りの焔。
もう数口、口移しで水を飲ませる。
「なんで……こ、んな……」
即効性の睡眠薬だ。早速効き目が出たらしく、朱志香はどさりと倒れ込む。喘息の薬のせいで副作用が出ない物を選んだから、彼女は2、3時間後まで眠りの底だろう。
「朱志香様……」
力無く横たわるその肢体に血糊を仕込み、その下にタオルを重ね、床に血糊をぶちまけてから彼女を横たえると金蔵の部屋にあった杭を白い肌に傷を付けないようにそっと突き刺した。
「楼座様がご覧になったら、お館様のお部屋にお連れします」
仕上げにゲストハウスの適当な鍵を集めたマスターキーもどきの鍵束を彼女のポケットに放り込み、部屋を出た。
ドアに魔法陣を描いて鍵を掛け、隣の部屋に潜んで様子をうかがう。
暫くすると楼座達が朱志香を発見したらしく、犯人は嘉音だ、いや違う、じゃあ誰だというやり取りが聞こえる。
普通に考えれば朱志香は死んでいて、直前まで共にいた嘉音が疑われるのは当たり前だろう。だが、楼座は詰めが甘かった。南條は嘉音の味方なのだから、死んでいるかどうかを確かめるのが先決だったのに。
けれどもそれは嘉音にとっては好都合。
そしておそらく、朱志香が死んだ(と思われた)ことにより疑われた使用人達はおそらく右代宮家の人間と別行動を取るはずだ。
ドアの隙間から朱志香の部屋を出て行く者たちを見ると、おそらく二つの勢力に別れた後、右代宮家の人間には銃を持った楼座がいるだろう。真里亞は魔女伝説を吹聴している唯一の右代宮縁者だ。この二人はまだ殺すわけにはいかない。
源次は貴重な協力者で、紗音は譲治と共に死ねばいいと思っているから、まだ殺せない。
戦人は最後の最後で殺してやろうと決めているから、まだだ。
だったら、後は消去法だ。
指を折って魔女の碑文を確認する。
後五人で、碑文上の殺人は終わってしまう。そうしたら、朱志香も自分も自由の身だ。朱志香はきっと、最後には嘉音の愛を受け入れるだろう。
人の絆とは脆い物で嘉音の予想通り、楼座は使用人と南條を追い出した。
「楼座様が、僕とお嬢様を……」
服の下に血糊をしこたま仕込んで、瀕死のフリをしてやれば、郷田と熊沢は面白いほど信じた。そこで立ち上がって、血糊のあたりをぐしゃりと掻き回す。驚いて近寄ってきた熊沢と南條をポケットから取り出した果物ナイフで斬りつける。
びゅ、と血が飛び出して、二人はあっけなく絶命した。
口元が緩んでいることは嘉音にだって分かっている。殺人を繰り返すのが楽しいわけでも、気持ちよいわけでもない。ただ、もうすぐ朱志香が彼を愛してくれるということが、この上ない幸福が待ちきれないだけだ。
こちらに突進してくる郷田をかわして、使用人室から駆け出す。すぐそばの部屋に隠れて、手紙を取り出す。厨房から配膳台車を失敬して、二人の遺体を乗せる。南條が持っていた鍵束とマスターキーを放り込み、封蝋をする。朱志香から借りた指輪で印を付けて、使用人室に放り込む。使用人室に鍵を掛けると、二人の遺体をさっきまで隠れていた部屋に隠し、嘉音は金蔵の書斎に走った。
書斎には朱志香がいる。金蔵の遺体から盗んだ鍵を使って扉を開ける。中にはいると、怯えた顔の朱志香と目があった。
「朱志香様……お腹が空いたでしょう。冷えてしまってはいますが、食料をご用意しました」
そう優しく告げて、冷蔵庫からパンとスープを取り出す。白と桃色を基調とした可愛らしいドレスに着替えさせられた朱志香は、両手と両足を手錠で拘束され、すっかり怯えきっている。嘉音がその白い頬にそっと触れると、彼女はそれでもきっ、と睨み付けた。
「強情は戦人様達のためになりませんよ」
「……っ」
スープを一口含むと、顔を背ける彼女に無理矢理口づけた。その行為を繰り返して、スープ皿と数枚のパンが空になる頃には彼女はぐったりと金蔵の椅子にもたれかかっていた。シーツを取り替えたベッドに彼女を寝かせる。
「愛しています、朱志香様」
「……」
「僕を愛してくださいますか?」
「……こんなことしなけりゃ、喜んで頷いてたぜ……」
虚ろな瞳で、彼女はやっと答えてくれる。しかし、答えは、否。
「朱志香様……南條先生と、熊沢が死にました」
びくりと身を震わせ、少女は起きあがった。その瞳に宿るのは、怒りと、哀しみと、ほんの少しの憐憫。汚れを知らぬ美しい瞳に宿るそれら全てが自分に向けられているのが、嘉音は嬉しかった。
「私……答えた、よな……?」
「いいえ、朱志香様はお答えになっていません」
--僕の愛を受け入れてくださるまで、この殺人は続きます。
そう告げると、嘉音は朱志香の視界を手で遮った。
「今はお寝みください……そして、良くお考えください」
抵抗する素振りを見せた朱志香に、深く口づける。これではまるで彼女の気力を吸い取っているようだ、と嘉音は思った。
ボイラー室から外へ出て、厨房の様子を伺うと、源次がドアを開ける。
「戦人様が……ベアトリーチェ様をお認めになった」
「……そうですか」
戦人のことなど、興味はない。
「お嬢様のご様子は?」
「昼食を召し上がりました。今はお寝みになっています」
「そうか……譲治様、紗音、それと郷田が夏妃様の霊鏡を取るために鍵を取りに行った。マスターキーはこちらには一本もない」
「そうですか……」
「あまり、無理なことをするな」
朱志香に無体を働いたわけではないが、嘉音の想いの強さを知っている源次はそう釘を刺してきた。もしかしたら、あまり性急に殺人を繰り返すなと言うことなのかもしれないが、どうしようもない。もう黄金郷への旅は残り僅かなのだ。引き返すことなど出来はしない。
「……はい」
「南條先生と熊沢の遺体は私が何とかしておこう」
「ありがとうございます、源次さま」
ぺこりと頭を下げて、夏妃の部屋に向かう。
もう、朱志香との仲を引き裂こうとした夏妃はいない。だから、勝手に部屋に入って儀式を遂行しても問題はない。
朱志香は悲しむかもしれないが。
「……ああ、でも朱志香様の悲しむ顔は……見たくない」
だが、もう後戻りは出来ないのだ。
ドアに耳をつけて中の様子を伺う。ポケットの中からサイレンサー付の銃を取りだし、マスターキーで扉を開け放った。
「か、嘉音くん!」
紗音が譲治を庇うように立つ。
「様子がおかしいと思ったら……こんなことしてるなんて!絶対譲治様は殺させないわ!」
「紗音さんだけに守らせはしませんよ!」
「煩い」
ぱしゅん、と弾が躍り出て、郷田の胸を貫いた。両手を広げていた郷田は為す術もなく心臓に着弾させ、俯せに倒れた。紗音が悲鳴を上げる。
「郷田さん!嘉音くん、どうしてこんなことするの!」
「……嘉音くん、何があったかは知らないけれど、こんなことはやめるんだ!死んだ朱志香ちゃんだって……」
「朱志香様は死んでなんかいません。これは全て、僕と朱志香様の永遠の愛のため……自由のためなんです」
朱志香が死んでいない。その事実に譲治も紗音も目を瞠る。
「お嬢様はどこなの!?」
「朱志香ちゃんに会わせてくれ!」
「朱志香様はお寝み中です。譲治様達をお連れして朱志香様の目の前で殺して差し上げても良いですが、あの薄気味悪い部屋に血の臭いを植え付けては朱志香様のお体に障りますので」
譲治は朱志香が嘉音と共謀して殺人劇を繰り返していると思っているようだが、紗音は全く違う考えのようだった。
「こんなことをしても、お嬢様は嘉音くんを愛してはくださらないんじゃない?」
「え……っ、じゃあ朱志香ちゃんは……」
「お嬢様は真里亞様のおっしゃるベアトリーチェさまですが、殺人に関しては無関係だと思います。……すべて、嘉音くんがやったのね?」
「そうだよ。きっと朱志香様は僕を愛してくれる。ここで姉さん達を殺せば、きっと愛してくれる」
「……かわいそうな嘉音くん。そんなことして、お嬢様はもう愛してはくださらないわ」
ああ、それはなんと冷たい響きなのだろう。嘉音の心の中に真っ直ぐに突き刺さったそれは、同時に彼を激高させるのには十分だった。
「姉さんには分からないさ……自分だけ譲治様とそんな関係になって!1人だけ人間になろうとして!僕のお嬢様への恋心を煽るだけ煽って、自分は陰で笑ってたんだ……!」
憎い。
憎い。
妬ましい。
嘉音の本心からの叫びは、紗音をびくりと震えさせた。けれど、彼女も負けじと言い返す。
「ち……違うわ!私だって、嘉音くんの恋がうまく行けばいいと思って……!お嬢様をふったのは嘉音くんじゃない!こんなことになるんなら、あの嵐の日に、お嬢様から良い物まで跳ね返してしまうからと鏡を割るようにお願いされたとき……命令じゃないから聞けません、って断ってしまえば良かった!」
感情的になって叫ぶ二人の間に、譲治が割って入った。
「嘉音くんと朱志香ちゃんの間に何があったか知らないけれど……紗代が鏡を割ったのはこの家によかれと思ってのことだ。自分を責めちゃいけないよ」
「譲治様……でも!」
「紗代は間違ってないよ。だけど、嘉音くん。朱志香ちゃんとやり直したいのなら、言葉で伝えるべきだったんじゃないのかな?」
いつもにこやかな譲治が真剣な表情になっている。それだけ本気で怒っているのだろう。だが、その怒りの冷水を以てしてなお、嘉音の暗い炎は消えることはない。注がれた分だけ燃えさかる。
「明日、台風が過ぎたら、朱志香ちゃんとみんなと一緒に島を出て、自首しに行こう。それが君に出来る、彼女への償い方だ」
「五月蝿いっ……五月蝿い!五月蝿い五月蝿い五月蝿いっ!」
ぱしゅん。
躍り出た弾は、譲治の腹に穴を空ける。続けて二発ほど撃つと、彼はようやく絶命した。
「譲治様!譲治様ぁっ!いやぁぁぁぁっ!」
紗音が絶叫する。
「どうして!どうして譲治様まで殺すの!?私たちはベアトリーチェ様の黄金郷に行かなくたって……幸せになれるはずだったのに!嘉音くんはそれをどうして邪魔するの!」
「自分だけ幸せになろうとしたからだよっ!何が恋のおまじないだ!あんなブローチ、効かなかったじゃないか!姉さんは僕を騙したんだ!ずっと信じてたのに、騙したんだ……!」
叫ぶだけ叫んで、紗音の額に銃口を向け、……撃った。
朱志香が当主だと告げたときの大人達の顔と言ったら!学校での成績だけで朱志香が不出来だと貶していた大人達はある者は驚愕に、ある者は絶望に満ちた顔でこちらを見ていた。
「朱志香お嬢様は、あなた方が思っているよりずっと、出来たお方です……朱志香様はベアトリーチェさまであらせられますから」
そう言った瞬間、大人達のドロドロした汚い欲望が渦巻くのは分かっていた。だから朱志香に頼んで借りておいた黄金のインゴットをテーブルに置く。あらかじめ計画を話しておいた源次がワインを注ぐ。大人達の目の色が変わるのが分かった。
--ああ、やはりこいつらは殺しておかなければ!
そうして第一の晩が終わり、ふと気づいた。
朱志香にこの惨状を見せるわけにはいかない。
それでも夜が明けて、朱志香は両親が惨たらしく殺されているのを見てしまった。
「父さん……!母さん……!」
「お嬢様……ご覧になってはいけません!」
「いやああああっ!」
父と母を呼びながら泣き叫ぶ彼女は、この瞬間、魔女ではなかった。近しい人を一晩にして殺された、まだ18歳の1人の少女だった。
「ベアトリーチェがやったんだ!」
涙を流しながらそう怒鳴って、少女は屋敷に駆けていく。それを追って、嘉音は郷田と共に走る。昨日、ジャック・オー・ランタンのマシュマロを手品ですり替え、蘇らせたのは朱志香だが、六軒島の伝説の魔女を演出させたのは嘉音だ。二通の手紙を伝説の魔女から言付かったので、ベアトリーチェである朱志香から渡すように仕向けたのだ。
魔女が幻想だなんて、朱志香が一番知っているだろう。けれど、伝説の魔女を吹き込んだのは嘉音だ。
アレを朱志香に見せたくない……!
昼食の配膳など、無かった。食事を貴賓室ではなく、金蔵の書斎に運んだのだ。同じく紗音も、配膳をしたのは金蔵の書斎だった。
だから、配膳をするふりをして貴賓室には手紙を仕込んでおいた。
本来なら、戦人にこの手紙を読ませたかったが、もう遅い。
あの嘲笑の手紙は朱志香を怒り狂わせ、結果として彼女は嘉音と二人きりになった。
「お嬢様……大丈夫ですか」
「私は……大丈夫……だぜ……。父さんと母さんはもうダメだけど……私は、もう少し泣けば……大丈夫」
1人にして欲しい、と言う朱志香に黙礼して、一度部屋を出る。
知らなかった。
朱志香があんなにも両親を愛していたと言うことを。
けれど、それは僅かな誤算に過ぎない。
絶対に朱志香を自分に振り向かせてみせる。
ポケットの中に突っ込んだ注射器にそっと触れる。次いで、小袋に入れた錠剤に触れる。
どちらも睡眠薬だ。深い眠りに落ち、即効性がある。幸い、医師の南條はこちらの味方だ。楼座達を騙すことなど容易い。
「お嬢様……」
「入って……いいよ……」
ノックをして許可を得てから部屋に入る。後ろ手で鍵を閉める。
「か……嘉音、くん……?」
ただならぬ雰囲気に朱志香が身を震わせた。
「お嬢様……僕は、お嬢様が好きでした。ずっと、ずっと好きでした」
「い……いきなり、何を……?」
「お嬢様は僕を愛してくれますか?」
一歩近づく。
朱志香が一歩下がる。
近づく。
下がる。
その繰り返し。
やがてベッドに座っていた朱志香は背を壁に付けてしまい、退路を断った。小さく震えるその身体を、嘉音は抱きしめる。
「僕を……愛してください……朱志香様」
「……こんなときじゃなかったら、嬉しかったよ……?でも、ごめん……もう少し、心の整理、させて……」
「よろしいですが……お嬢様がお答えくださるのが遅くなればなるほど、紗音や譲治様の命が危険になってゆきます」
耳元で、ひゅっ、と喉が鳴る音がする。水差しに入れた水をコップに注ぎ、サイドテーブルに置く。嘉音はポケットを探り、睡眠薬の錠剤を取り出した。
「ど、どういう……ことだよ……!?」
「どうもこうもありません……お嬢様がお答えくださらなければ、譲治様も、紗音も、みんなが死んでしまいます」
嘉音の台詞に、朱志香の息が浅くなる。
「ま……まさか……っ、か……嘉音くんが……母さん達を殺したとか……言わないよな……?」
「お嬢様……朱志香様と、僕が幸せになるために、……僕が全てやりました」
そう言いながらさらにきつく抱きしめると、朱志香が拘束から抜け出そうと藻掻く。
「嘉音くん……どうしてっ……どうしてこんなことしたんだよ!私はそんなことされたって嬉しくない!みんなを返してくれよ!」
「仕方がなかったのです」
「なんだよそれっ!?放せっ、放せよっ!」
さらに暴れる朱志香を片手で拘束し、錠剤を口に放り込む。水を含むと、彼女の顔を押さえて無理矢理に口づけた。
「んっ!?……!」
重ねた唇ごしに睡眠薬を流し込む。やっとの事で飲ませると、そのまま暫く朱志香の口内を蹂躙した。
「……っ、げほっ……何、するんだよ!?」
「大人しくしてください」
嘉音の心に灯るのは、朱志香への情欲と自分を見てくれないことへの怒りの焔。
もう数口、口移しで水を飲ませる。
「なんで……こ、んな……」
即効性の睡眠薬だ。早速効き目が出たらしく、朱志香はどさりと倒れ込む。喘息の薬のせいで副作用が出ない物を選んだから、彼女は2、3時間後まで眠りの底だろう。
「朱志香様……」
力無く横たわるその肢体に血糊を仕込み、その下にタオルを重ね、床に血糊をぶちまけてから彼女を横たえると金蔵の部屋にあった杭を白い肌に傷を付けないようにそっと突き刺した。
「楼座様がご覧になったら、お館様のお部屋にお連れします」
仕上げにゲストハウスの適当な鍵を集めたマスターキーもどきの鍵束を彼女のポケットに放り込み、部屋を出た。
ドアに魔法陣を描いて鍵を掛け、隣の部屋に潜んで様子をうかがう。
暫くすると楼座達が朱志香を発見したらしく、犯人は嘉音だ、いや違う、じゃあ誰だというやり取りが聞こえる。
普通に考えれば朱志香は死んでいて、直前まで共にいた嘉音が疑われるのは当たり前だろう。だが、楼座は詰めが甘かった。南條は嘉音の味方なのだから、死んでいるかどうかを確かめるのが先決だったのに。
けれどもそれは嘉音にとっては好都合。
そしておそらく、朱志香が死んだ(と思われた)ことにより疑われた使用人達はおそらく右代宮家の人間と別行動を取るはずだ。
ドアの隙間から朱志香の部屋を出て行く者たちを見ると、おそらく二つの勢力に別れた後、右代宮家の人間には銃を持った楼座がいるだろう。真里亞は魔女伝説を吹聴している唯一の右代宮縁者だ。この二人はまだ殺すわけにはいかない。
源次は貴重な協力者で、紗音は譲治と共に死ねばいいと思っているから、まだ殺せない。
戦人は最後の最後で殺してやろうと決めているから、まだだ。
だったら、後は消去法だ。
指を折って魔女の碑文を確認する。
後五人で、碑文上の殺人は終わってしまう。そうしたら、朱志香も自分も自由の身だ。朱志香はきっと、最後には嘉音の愛を受け入れるだろう。
人の絆とは脆い物で嘉音の予想通り、楼座は使用人と南條を追い出した。
「楼座様が、僕とお嬢様を……」
服の下に血糊をしこたま仕込んで、瀕死のフリをしてやれば、郷田と熊沢は面白いほど信じた。そこで立ち上がって、血糊のあたりをぐしゃりと掻き回す。驚いて近寄ってきた熊沢と南條をポケットから取り出した果物ナイフで斬りつける。
びゅ、と血が飛び出して、二人はあっけなく絶命した。
口元が緩んでいることは嘉音にだって分かっている。殺人を繰り返すのが楽しいわけでも、気持ちよいわけでもない。ただ、もうすぐ朱志香が彼を愛してくれるということが、この上ない幸福が待ちきれないだけだ。
こちらに突進してくる郷田をかわして、使用人室から駆け出す。すぐそばの部屋に隠れて、手紙を取り出す。厨房から配膳台車を失敬して、二人の遺体を乗せる。南條が持っていた鍵束とマスターキーを放り込み、封蝋をする。朱志香から借りた指輪で印を付けて、使用人室に放り込む。使用人室に鍵を掛けると、二人の遺体をさっきまで隠れていた部屋に隠し、嘉音は金蔵の書斎に走った。
書斎には朱志香がいる。金蔵の遺体から盗んだ鍵を使って扉を開ける。中にはいると、怯えた顔の朱志香と目があった。
「朱志香様……お腹が空いたでしょう。冷えてしまってはいますが、食料をご用意しました」
そう優しく告げて、冷蔵庫からパンとスープを取り出す。白と桃色を基調とした可愛らしいドレスに着替えさせられた朱志香は、両手と両足を手錠で拘束され、すっかり怯えきっている。嘉音がその白い頬にそっと触れると、彼女はそれでもきっ、と睨み付けた。
「強情は戦人様達のためになりませんよ」
「……っ」
スープを一口含むと、顔を背ける彼女に無理矢理口づけた。その行為を繰り返して、スープ皿と数枚のパンが空になる頃には彼女はぐったりと金蔵の椅子にもたれかかっていた。シーツを取り替えたベッドに彼女を寝かせる。
「愛しています、朱志香様」
「……」
「僕を愛してくださいますか?」
「……こんなことしなけりゃ、喜んで頷いてたぜ……」
虚ろな瞳で、彼女はやっと答えてくれる。しかし、答えは、否。
「朱志香様……南條先生と、熊沢が死にました」
びくりと身を震わせ、少女は起きあがった。その瞳に宿るのは、怒りと、哀しみと、ほんの少しの憐憫。汚れを知らぬ美しい瞳に宿るそれら全てが自分に向けられているのが、嘉音は嬉しかった。
「私……答えた、よな……?」
「いいえ、朱志香様はお答えになっていません」
--僕の愛を受け入れてくださるまで、この殺人は続きます。
そう告げると、嘉音は朱志香の視界を手で遮った。
「今はお寝みください……そして、良くお考えください」
抵抗する素振りを見せた朱志香に、深く口づける。これではまるで彼女の気力を吸い取っているようだ、と嘉音は思った。
ボイラー室から外へ出て、厨房の様子を伺うと、源次がドアを開ける。
「戦人様が……ベアトリーチェ様をお認めになった」
「……そうですか」
戦人のことなど、興味はない。
「お嬢様のご様子は?」
「昼食を召し上がりました。今はお寝みになっています」
「そうか……譲治様、紗音、それと郷田が夏妃様の霊鏡を取るために鍵を取りに行った。マスターキーはこちらには一本もない」
「そうですか……」
「あまり、無理なことをするな」
朱志香に無体を働いたわけではないが、嘉音の想いの強さを知っている源次はそう釘を刺してきた。もしかしたら、あまり性急に殺人を繰り返すなと言うことなのかもしれないが、どうしようもない。もう黄金郷への旅は残り僅かなのだ。引き返すことなど出来はしない。
「……はい」
「南條先生と熊沢の遺体は私が何とかしておこう」
「ありがとうございます、源次さま」
ぺこりと頭を下げて、夏妃の部屋に向かう。
もう、朱志香との仲を引き裂こうとした夏妃はいない。だから、勝手に部屋に入って儀式を遂行しても問題はない。
朱志香は悲しむかもしれないが。
「……ああ、でも朱志香様の悲しむ顔は……見たくない」
だが、もう後戻りは出来ないのだ。
ドアに耳をつけて中の様子を伺う。ポケットの中からサイレンサー付の銃を取りだし、マスターキーで扉を開け放った。
「か、嘉音くん!」
紗音が譲治を庇うように立つ。
「様子がおかしいと思ったら……こんなことしてるなんて!絶対譲治様は殺させないわ!」
「紗音さんだけに守らせはしませんよ!」
「煩い」
ぱしゅん、と弾が躍り出て、郷田の胸を貫いた。両手を広げていた郷田は為す術もなく心臓に着弾させ、俯せに倒れた。紗音が悲鳴を上げる。
「郷田さん!嘉音くん、どうしてこんなことするの!」
「……嘉音くん、何があったかは知らないけれど、こんなことはやめるんだ!死んだ朱志香ちゃんだって……」
「朱志香様は死んでなんかいません。これは全て、僕と朱志香様の永遠の愛のため……自由のためなんです」
朱志香が死んでいない。その事実に譲治も紗音も目を瞠る。
「お嬢様はどこなの!?」
「朱志香ちゃんに会わせてくれ!」
「朱志香様はお寝み中です。譲治様達をお連れして朱志香様の目の前で殺して差し上げても良いですが、あの薄気味悪い部屋に血の臭いを植え付けては朱志香様のお体に障りますので」
譲治は朱志香が嘉音と共謀して殺人劇を繰り返していると思っているようだが、紗音は全く違う考えのようだった。
「こんなことをしても、お嬢様は嘉音くんを愛してはくださらないんじゃない?」
「え……っ、じゃあ朱志香ちゃんは……」
「お嬢様は真里亞様のおっしゃるベアトリーチェさまですが、殺人に関しては無関係だと思います。……すべて、嘉音くんがやったのね?」
「そうだよ。きっと朱志香様は僕を愛してくれる。ここで姉さん達を殺せば、きっと愛してくれる」
「……かわいそうな嘉音くん。そんなことして、お嬢様はもう愛してはくださらないわ」
ああ、それはなんと冷たい響きなのだろう。嘉音の心の中に真っ直ぐに突き刺さったそれは、同時に彼を激高させるのには十分だった。
「姉さんには分からないさ……自分だけ譲治様とそんな関係になって!1人だけ人間になろうとして!僕のお嬢様への恋心を煽るだけ煽って、自分は陰で笑ってたんだ……!」
憎い。
憎い。
妬ましい。
嘉音の本心からの叫びは、紗音をびくりと震えさせた。けれど、彼女も負けじと言い返す。
「ち……違うわ!私だって、嘉音くんの恋がうまく行けばいいと思って……!お嬢様をふったのは嘉音くんじゃない!こんなことになるんなら、あの嵐の日に、お嬢様から良い物まで跳ね返してしまうからと鏡を割るようにお願いされたとき……命令じゃないから聞けません、って断ってしまえば良かった!」
感情的になって叫ぶ二人の間に、譲治が割って入った。
「嘉音くんと朱志香ちゃんの間に何があったか知らないけれど……紗代が鏡を割ったのはこの家によかれと思ってのことだ。自分を責めちゃいけないよ」
「譲治様……でも!」
「紗代は間違ってないよ。だけど、嘉音くん。朱志香ちゃんとやり直したいのなら、言葉で伝えるべきだったんじゃないのかな?」
いつもにこやかな譲治が真剣な表情になっている。それだけ本気で怒っているのだろう。だが、その怒りの冷水を以てしてなお、嘉音の暗い炎は消えることはない。注がれた分だけ燃えさかる。
「明日、台風が過ぎたら、朱志香ちゃんとみんなと一緒に島を出て、自首しに行こう。それが君に出来る、彼女への償い方だ」
「五月蝿いっ……五月蝿い!五月蝿い五月蝿い五月蝿いっ!」
ぱしゅん。
躍り出た弾は、譲治の腹に穴を空ける。続けて二発ほど撃つと、彼はようやく絶命した。
「譲治様!譲治様ぁっ!いやぁぁぁぁっ!」
紗音が絶叫する。
「どうして!どうして譲治様まで殺すの!?私たちはベアトリーチェ様の黄金郷に行かなくたって……幸せになれるはずだったのに!嘉音くんはそれをどうして邪魔するの!」
「自分だけ幸せになろうとしたからだよっ!何が恋のおまじないだ!あんなブローチ、効かなかったじゃないか!姉さんは僕を騙したんだ!ずっと信じてたのに、騙したんだ……!」
叫ぶだけ叫んで、紗音の額に銃口を向け、……撃った。
うみねこ二次創作の二本目です。
嘉音くんのヤンデレ話です。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
よろしければどうぞ。
Romance to decadence 前編
嘉音くんのヤンデレ話です。
!諸注意!
・朱志香が碑文を解いて次期当主になっています。
・ついでにベアトリーチェ=朱志香になっています。
・マリアージュ・ソルシエールと戦人の過去に多大なる捏造があります。
よろしければどうぞ。
Romance to decadence 前編
--お嬢様が好きだった。ずっと前から好きだった。文化祭のあの夜、お嬢様も同じ気持ちだと分かって、すごく嬉しかった。でも僕は家具だから、お嬢様の想いを受け止めることは出来ない。
そして、少年は顔を上げる。
--お嬢様があの碑文を解かれた以上、お嬢様は当主となる。
それは、とてもとても自然なこと。少年の愛する少女はそのままでも当主になることが出来る上に、現当主の出した問題を解いて見せたのだから。
けれど。
--だけど、お嬢様は永遠に籠の鳥。僕と永遠に結ばれることはない……!
少年にはそれが悔しくてならなかった。いずれ少女は父親さえ飛び越して当主になり、望まぬ結婚を強いられるだろう。だから、あの文化祭の夜に、はっきりと想いを告げてはくれなかったのだろう。
少女がいくら否定しようとしても少年は家具で、この家には家具と人間が結ばれることをよく思わない人のほうが多いのだから。
--ならば、いっそ。僕がその障害を取り除いてあげましょう。だから、お嬢様……。
「僕を愛してください、朱志香様ぁぁぁっ!」
轟く雷鳴の中、嘉音は叫んだ。その稲光の中で、あの肖像画に描かれた魔女ベアトリーチェのドレスを着た朱志香が微笑んだ気がした。
Romance to decadence
嘉音が朱志香を自由にしたいと思ったのはいつだったか、彼にも分からない。ただ、紗音から聞いたことが今でも鮮烈に頭の中に残っている。
『お嬢様はね、島から連れ去ってくれる白馬の王子様を待っていらっしゃるのよ』
その言葉を聞いた瞬間、朱志香を連れ去れるのは奇跡を起こして人間になれた自分しかいないのだと思った。
それでも、彼は家具だから、今のままでは朱志香を連れ去ることなど出来ない。
だから、譲治と恋をして、人間のふりをしながらもだんだんと人間になってゆく紗音が妬ましかった。
嘉音に振り向きもせず、来もしない王子を待ち続ける朱志香が、憎らしかった。けれど、ある時気づいてしまったのだ。朱志香が外ばかり見ているのは、彼女が空に憧れる風切り羽すら生えそろった小鳥だからだと。
--だったら、僕はお嬢様の鳥籠を開けて、一緒に飛べる小鳥になろう。
紗音と喧嘩をした。私は人間だと叫ぶ紗音に、僕たちは家具だと強く念を押した。
普段なら紗音はここで引き下がるのに、このときに限って私たちは人間になれるのだと主張した。そして、彼に蝶のブローチを渡したのだ。
恋が実るおまじないだと言って。
姉は知っているのだ。
嘉音が朱志香に恋心を寄せていることを。
しかし、その恋心は、嘉音の望む形では叶わなかったのだ。朱志香は碑文を解き、金蔵亡き後の当主の座を約束された。嘉音はついぞ、人間となることが出来なかったのだ。
朱志香ははっきりとした形で嘉音を愛していると言ってはくれなかった。
彼は思った。
--お嬢様が告白してくださらなかったのは、奥様や旦那様が許さないからだ。
朱志香が両親である蔵臼と夏妃のことを良く言っていないのを知っていた。けれど、ふとした瞬間に気遣うような目を見せることがある。朱志香はおそらく、言葉でなんと繕おうと両親のことが好きなのだ。
だからきっと、彼女は両親の勧める結婚には逆らえない。
仮に逆らって嘉音と結婚したとしても、その先に待っているのは右代宮親族の、いや、金蔵の実子とその伴侶達の嘲りと、二人の悪夢でしかない。
彼は考えた。義務教育を受けさせてやったのにと嘲りを受けても、朱志香と幸せになれる方法を必死で考えた。
--そうだ、お嬢様と僕の妨げになるモノを全て葬り去ってしまえばいい。そうすればきっと、お嬢様はご自分の気持ちに素直になってくれるはずだ。
自分と恋に落ちることが罪だというならば、罪の烙印を押す者たちを葬り去ろう。
そう気づくと、金蔵がベアトリーチェとの愛を偲んで作った(であろう)碑文が、急に現在のベアトリーチェである朱志香と自分の新世界に飛び立つための方法に見えてくる。
朱志香は、白き魔女だ。紗音は言っていた。
従妹である右代宮真里亞に、互いの妄想に真実であると保証する『魔法』を教えたのは朱志香だった、と。そして彼女は、愛による魔女幻想を、優しきベアトリーチェの幻想を生み出した。
紗音に譲治と幸せになれるよう魔法を掛けた。
けれど、白き魔女は自分の幸せがどこにあるかを見失ってしまったのだ。
そんなある日、6年間右代宮家を出ていたという朱志香の従兄弟、戦人が親族会議に来るという話を聞いた。
それを聞いたときの朱志香の顔は嬉しそうで、姉から従兄弟以上の何者でもないと聞いていたのに、初めて愛しい人を奪われるかもしれない、という焦燥感を覚えた。
朱志香を笑顔に出来る戦人に対し、初めて嫉妬から来る憎悪の炎を燃やした。
「嘉音くん、最近機嫌悪そうよ。お嬢様も心配してらしたわ」
使用人室で休憩していると、紗音が心配そうに話しかけてくる。
「姉さん……何でもないよ」
素っ気なく返せば、姉はため息を吐く。
「そう?それなら良いんだけど……」
「……姉さん」
「何?」
「お嬢様と戦人様は、本当に従兄弟同士なだけなの?」
「嘉音くんが心配しているようなことは何もないわ。ただ……」
紗音が言いよどむ。先を促すと、言いづらそうに彼女は続けた。
「戦人様が右代宮家を出て行ったとき、お嬢様の……ジェシカ・ベアトリーチェ様の魔法を否定されてしまったの」
紗音は語った。
真里亞と朱志香が魔法同盟を組んだとき、戦人もその同盟に入っていたこと。
その同盟は互いの妄想を真実だと保証することで幸せな魔法とするものだったこと。
そして、彼が右代宮家を出て行くとき、朱志香に「幸せになれる魔法など無い」と宣告してしまったこと。
彼が母方の人間だけを家族としたことで、朱志香達の幸せな魔法の世界が崩壊してしまったこと。
「……姉さん。どうしてお嬢様はそんなやつのことを許していられるの。どうしてご自分まで否定されて、そんな酷いやつが帰ってくることを喜べるの!?」
「多分ね……これは私の想像だけど、お嬢様は全て許すことが魔法だと信じていらっしゃるんじゃないかな。だって……愛がなければ、その人への感情は、無限に悪化してしまうもの。愛がなければ、真実の側面しか視えないもの」
「おかしい……そんなの、おかしいよ!このままじゃ、お嬢様はずっと傷ついたままじゃないか!」
「お嬢様はそれだけ、許してしまったのかもしれないね。それか、もう一度幸せな魔法はあったと信じて貰うことを願っていらっしゃるのかしら……」
許せない。
幸せな魔法を否定したそいつが。
右代宮家を捨てたそいつが。
朱志香を傷つけて、裏切った戦人が!
どうしても許せない。どれだけ愛があったとしても、起こってしまった出来事は取り消せない。
魔法を否定したのは、罪だ。
右代宮家を捨てたのも、罪だ。
だが、朱志香を傷つけて、裏切って、のうのうとしていることが、一番の罪だ!
償わずにのうのうと戻ってくるなど、朱志香が許しても、真里亞が許しても、紗音が許しても、嘉音にはどうしても許すことが出来ない。
罪人には裁きを。
朱志香と戦人の関係を聞いて、燻っていた憎悪の炎が、一瞬にして燃え上がる。
目の前に具現化できるとしたら、きっとそれはこの六軒島を焼き尽くし、それでも足りずに海を渡って右代宮分家の全てを焼き尽くしてもまだ足りないだろう。
「許せない……殺してやる……右代宮戦人!」
そのまま使用人室を走り去った嘉音の背中に、紗音の悲痛な叫びが届く。
「嘉音くん、何する気なの!?」
その悲痛さに一度だけ立ち止まる。
「お嬢様……朱志香と僕が、幸せに……黄金郷に行けるようにするだけだよ。僕はお嬢様が好きだ。朱志香の幸せを望んで何が悪い!?」
「待ちなさい!嘉音くん!」
もう一度走り出す。呼び止められても、今度は立ち止まらなかった。
そうだ。
これで当日、この島に来るのは18人。
ベアトリーチェの碑文で犠牲になるのは、13人。
譲治も紗音も、真里亞も、戦人も、いずれは犠牲になるだろう。
さあ、儀式の始まりだ……!
1986年10月4日
「戦人のやつ、面白いんだぜ?後で嘉音くんにも聞かせてやるよ」
昼間、薔薇庭園で宣言したとおり、その夜朱志香は高速艇での出来事を事細かに話してくれた。
「う~!落ちる~、落ちる~!う~!」
真里亞が茶化すようにはやし立てる。
「朱志香ぁ~……いつかお前の弱点見つけて乳揉みしだいてやるからなぁ~!」
地をはうような戦人の声に、譲治も紗音も真里亞も、そして朱志香も笑う。
「あっははは、見つけられたら考えてやるよ!」
明るい朱志香の声。
--お嬢様は……傷つけられたことさえも、裏切りさえも許せるというのですか!?
心の内に燃えさかる炎は、決して消えることはない。
朱志香に失礼しました、と一礼して嘉音はゲストハウスのいとこ部屋を出る。紗音は譲治と連れだって、薔薇庭園の東屋へ行ったようだ。
こっそりと後をつける。
「私に……その未来を見せてくださいますか」
「約束するよ……紗代」
「譲治さん……」
「紗代……」
譲治の求婚を受け入れた以上、紗音は家具ではいられないだろう。譲治の妻として、人間になってしまうだろう。
なぜならそれは、幸せの魔法で作り出された黄金郷だから。
黄金郷に至った紗音は、人間になれるのだ。
--姉さんは、バカだ。でも……バカだから……人間になれるんだ。
いや、本当の馬鹿者は嘉音だったのかもしれない。
文化祭の夜に想いを告げられず、人間になれなかったのだから。
手に手を取り合ってゲストハウスに向かう二人を見送って、嘉音は東屋に入った。軽く頭を振って、胸にわき起こる仄暗い、新たな憎悪の火種を打ち消そうとする。けれど、一度起こった火種は消えず、前からの炎と混ざり合って、暗く暗く燃え上がった。
紗音が妬ましい。
1人だけ人間になろうとしている紗音が憎い。
譲治の愛を受け入れて、幸せになろうとしている彼女が憎い。
恋のおまじないと言って朱志香への報われない恋心を煽った彼女が、憎い……!
--僕だって……。
「僕だって……お嬢様のことが好きだった……!お嬢様……!」
それでも、金蔵亡き今、朱志香が当主になるのは時間の問題。
そうなればきっと、嘉音が彼女と結ばれることはないだろう。
--ならば、僕がその障害を取り除きますから……あなたを鳥籠から出しますから……!だから、お嬢様……!
「僕を愛してください……お嬢様……朱志香様ぁぁぁぁぁぁぁ!」
雷鳴が轟き、ゲストハウスにいるはずの朱志香にその言葉は届くはずはない。
けれど、嘉音……家具であった少年は声を限りに泣き叫んだ。
--あなたを黄金郷に連れ去ったそのときは、僕だけを見てください……!
そして、少年は顔を上げる。
--お嬢様があの碑文を解かれた以上、お嬢様は当主となる。
それは、とてもとても自然なこと。少年の愛する少女はそのままでも当主になることが出来る上に、現当主の出した問題を解いて見せたのだから。
けれど。
--だけど、お嬢様は永遠に籠の鳥。僕と永遠に結ばれることはない……!
少年にはそれが悔しくてならなかった。いずれ少女は父親さえ飛び越して当主になり、望まぬ結婚を強いられるだろう。だから、あの文化祭の夜に、はっきりと想いを告げてはくれなかったのだろう。
少女がいくら否定しようとしても少年は家具で、この家には家具と人間が結ばれることをよく思わない人のほうが多いのだから。
--ならば、いっそ。僕がその障害を取り除いてあげましょう。だから、お嬢様……。
「僕を愛してください、朱志香様ぁぁぁっ!」
轟く雷鳴の中、嘉音は叫んだ。その稲光の中で、あの肖像画に描かれた魔女ベアトリーチェのドレスを着た朱志香が微笑んだ気がした。
Romance to decadence
嘉音が朱志香を自由にしたいと思ったのはいつだったか、彼にも分からない。ただ、紗音から聞いたことが今でも鮮烈に頭の中に残っている。
『お嬢様はね、島から連れ去ってくれる白馬の王子様を待っていらっしゃるのよ』
その言葉を聞いた瞬間、朱志香を連れ去れるのは奇跡を起こして人間になれた自分しかいないのだと思った。
それでも、彼は家具だから、今のままでは朱志香を連れ去ることなど出来ない。
だから、譲治と恋をして、人間のふりをしながらもだんだんと人間になってゆく紗音が妬ましかった。
嘉音に振り向きもせず、来もしない王子を待ち続ける朱志香が、憎らしかった。けれど、ある時気づいてしまったのだ。朱志香が外ばかり見ているのは、彼女が空に憧れる風切り羽すら生えそろった小鳥だからだと。
--だったら、僕はお嬢様の鳥籠を開けて、一緒に飛べる小鳥になろう。
紗音と喧嘩をした。私は人間だと叫ぶ紗音に、僕たちは家具だと強く念を押した。
普段なら紗音はここで引き下がるのに、このときに限って私たちは人間になれるのだと主張した。そして、彼に蝶のブローチを渡したのだ。
恋が実るおまじないだと言って。
姉は知っているのだ。
嘉音が朱志香に恋心を寄せていることを。
しかし、その恋心は、嘉音の望む形では叶わなかったのだ。朱志香は碑文を解き、金蔵亡き後の当主の座を約束された。嘉音はついぞ、人間となることが出来なかったのだ。
朱志香ははっきりとした形で嘉音を愛していると言ってはくれなかった。
彼は思った。
--お嬢様が告白してくださらなかったのは、奥様や旦那様が許さないからだ。
朱志香が両親である蔵臼と夏妃のことを良く言っていないのを知っていた。けれど、ふとした瞬間に気遣うような目を見せることがある。朱志香はおそらく、言葉でなんと繕おうと両親のことが好きなのだ。
だからきっと、彼女は両親の勧める結婚には逆らえない。
仮に逆らって嘉音と結婚したとしても、その先に待っているのは右代宮親族の、いや、金蔵の実子とその伴侶達の嘲りと、二人の悪夢でしかない。
彼は考えた。義務教育を受けさせてやったのにと嘲りを受けても、朱志香と幸せになれる方法を必死で考えた。
--そうだ、お嬢様と僕の妨げになるモノを全て葬り去ってしまえばいい。そうすればきっと、お嬢様はご自分の気持ちに素直になってくれるはずだ。
自分と恋に落ちることが罪だというならば、罪の烙印を押す者たちを葬り去ろう。
そう気づくと、金蔵がベアトリーチェとの愛を偲んで作った(であろう)碑文が、急に現在のベアトリーチェである朱志香と自分の新世界に飛び立つための方法に見えてくる。
朱志香は、白き魔女だ。紗音は言っていた。
従妹である右代宮真里亞に、互いの妄想に真実であると保証する『魔法』を教えたのは朱志香だった、と。そして彼女は、愛による魔女幻想を、優しきベアトリーチェの幻想を生み出した。
紗音に譲治と幸せになれるよう魔法を掛けた。
けれど、白き魔女は自分の幸せがどこにあるかを見失ってしまったのだ。
そんなある日、6年間右代宮家を出ていたという朱志香の従兄弟、戦人が親族会議に来るという話を聞いた。
それを聞いたときの朱志香の顔は嬉しそうで、姉から従兄弟以上の何者でもないと聞いていたのに、初めて愛しい人を奪われるかもしれない、という焦燥感を覚えた。
朱志香を笑顔に出来る戦人に対し、初めて嫉妬から来る憎悪の炎を燃やした。
「嘉音くん、最近機嫌悪そうよ。お嬢様も心配してらしたわ」
使用人室で休憩していると、紗音が心配そうに話しかけてくる。
「姉さん……何でもないよ」
素っ気なく返せば、姉はため息を吐く。
「そう?それなら良いんだけど……」
「……姉さん」
「何?」
「お嬢様と戦人様は、本当に従兄弟同士なだけなの?」
「嘉音くんが心配しているようなことは何もないわ。ただ……」
紗音が言いよどむ。先を促すと、言いづらそうに彼女は続けた。
「戦人様が右代宮家を出て行ったとき、お嬢様の……ジェシカ・ベアトリーチェ様の魔法を否定されてしまったの」
紗音は語った。
真里亞と朱志香が魔法同盟を組んだとき、戦人もその同盟に入っていたこと。
その同盟は互いの妄想を真実だと保証することで幸せな魔法とするものだったこと。
そして、彼が右代宮家を出て行くとき、朱志香に「幸せになれる魔法など無い」と宣告してしまったこと。
彼が母方の人間だけを家族としたことで、朱志香達の幸せな魔法の世界が崩壊してしまったこと。
「……姉さん。どうしてお嬢様はそんなやつのことを許していられるの。どうしてご自分まで否定されて、そんな酷いやつが帰ってくることを喜べるの!?」
「多分ね……これは私の想像だけど、お嬢様は全て許すことが魔法だと信じていらっしゃるんじゃないかな。だって……愛がなければ、その人への感情は、無限に悪化してしまうもの。愛がなければ、真実の側面しか視えないもの」
「おかしい……そんなの、おかしいよ!このままじゃ、お嬢様はずっと傷ついたままじゃないか!」
「お嬢様はそれだけ、許してしまったのかもしれないね。それか、もう一度幸せな魔法はあったと信じて貰うことを願っていらっしゃるのかしら……」
許せない。
幸せな魔法を否定したそいつが。
右代宮家を捨てたそいつが。
朱志香を傷つけて、裏切った戦人が!
どうしても許せない。どれだけ愛があったとしても、起こってしまった出来事は取り消せない。
魔法を否定したのは、罪だ。
右代宮家を捨てたのも、罪だ。
だが、朱志香を傷つけて、裏切って、のうのうとしていることが、一番の罪だ!
償わずにのうのうと戻ってくるなど、朱志香が許しても、真里亞が許しても、紗音が許しても、嘉音にはどうしても許すことが出来ない。
罪人には裁きを。
朱志香と戦人の関係を聞いて、燻っていた憎悪の炎が、一瞬にして燃え上がる。
目の前に具現化できるとしたら、きっとそれはこの六軒島を焼き尽くし、それでも足りずに海を渡って右代宮分家の全てを焼き尽くしてもまだ足りないだろう。
「許せない……殺してやる……右代宮戦人!」
そのまま使用人室を走り去った嘉音の背中に、紗音の悲痛な叫びが届く。
「嘉音くん、何する気なの!?」
その悲痛さに一度だけ立ち止まる。
「お嬢様……朱志香と僕が、幸せに……黄金郷に行けるようにするだけだよ。僕はお嬢様が好きだ。朱志香の幸せを望んで何が悪い!?」
「待ちなさい!嘉音くん!」
もう一度走り出す。呼び止められても、今度は立ち止まらなかった。
そうだ。
これで当日、この島に来るのは18人。
ベアトリーチェの碑文で犠牲になるのは、13人。
譲治も紗音も、真里亞も、戦人も、いずれは犠牲になるだろう。
さあ、儀式の始まりだ……!
1986年10月4日
「戦人のやつ、面白いんだぜ?後で嘉音くんにも聞かせてやるよ」
昼間、薔薇庭園で宣言したとおり、その夜朱志香は高速艇での出来事を事細かに話してくれた。
「う~!落ちる~、落ちる~!う~!」
真里亞が茶化すようにはやし立てる。
「朱志香ぁ~……いつかお前の弱点見つけて乳揉みしだいてやるからなぁ~!」
地をはうような戦人の声に、譲治も紗音も真里亞も、そして朱志香も笑う。
「あっははは、見つけられたら考えてやるよ!」
明るい朱志香の声。
--お嬢様は……傷つけられたことさえも、裏切りさえも許せるというのですか!?
心の内に燃えさかる炎は、決して消えることはない。
朱志香に失礼しました、と一礼して嘉音はゲストハウスのいとこ部屋を出る。紗音は譲治と連れだって、薔薇庭園の東屋へ行ったようだ。
こっそりと後をつける。
「私に……その未来を見せてくださいますか」
「約束するよ……紗代」
「譲治さん……」
「紗代……」
譲治の求婚を受け入れた以上、紗音は家具ではいられないだろう。譲治の妻として、人間になってしまうだろう。
なぜならそれは、幸せの魔法で作り出された黄金郷だから。
黄金郷に至った紗音は、人間になれるのだ。
--姉さんは、バカだ。でも……バカだから……人間になれるんだ。
いや、本当の馬鹿者は嘉音だったのかもしれない。
文化祭の夜に想いを告げられず、人間になれなかったのだから。
手に手を取り合ってゲストハウスに向かう二人を見送って、嘉音は東屋に入った。軽く頭を振って、胸にわき起こる仄暗い、新たな憎悪の火種を打ち消そうとする。けれど、一度起こった火種は消えず、前からの炎と混ざり合って、暗く暗く燃え上がった。
紗音が妬ましい。
1人だけ人間になろうとしている紗音が憎い。
譲治の愛を受け入れて、幸せになろうとしている彼女が憎い。
恋のおまじないと言って朱志香への報われない恋心を煽った彼女が、憎い……!
--僕だって……。
「僕だって……お嬢様のことが好きだった……!お嬢様……!」
それでも、金蔵亡き今、朱志香が当主になるのは時間の問題。
そうなればきっと、嘉音が彼女と結ばれることはないだろう。
--ならば、僕がその障害を取り除きますから……あなたを鳥籠から出しますから……!だから、お嬢様……!
「僕を愛してください……お嬢様……朱志香様ぁぁぁぁぁぁぁ!」
雷鳴が轟き、ゲストハウスにいるはずの朱志香にその言葉は届くはずはない。
けれど、嘉音……家具であった少年は声を限りに泣き叫んだ。
--あなたを黄金郷に連れ去ったそのときは、僕だけを見てください……!
お友達と話しているときに思いついた「うみねこのなく頃に」の嘉音×朱志香の短編です。
ギャグです。
裏ブログなので嘉音くんのイメージがとんでもないことになっております。
なので、格好いい嘉音くんをお求めの方は読まない方がよろしいと思われます。
では、どうぞ。
薔薇色なのは世界じゃない
ギャグです。
裏ブログなので嘉音くんのイメージがとんでもないことになっております。
なので、格好いい嘉音くんをお求めの方は読まない方がよろしいと思われます。
では、どうぞ。
薔薇色なのは世界じゃない
某月某日、曇り。
今日も相変わらず曇りだ。あと寒い。
当然のことながら海はネズミ色である。
紗音はこれまたいつものことながら譲治さんも同じ海を見ているから真っ青なのよ、なんて言っていた。
だが、である。
そこに愛しい人が立てば、一瞬にして世界は薔薇色に染まるのだ!
薔薇色なのは世界じゃない
「お嬢様、おはようございます、あなたの嘉音です」
右代宮家に仕える使用人、嘉音の朝はイメージトレーニングから始まる。
勿論対象は嘉音の愛しい人、もとい右代宮本家の令嬢、朱志香である。
嘉音は家具である。だからこそ、朱志香に愛して貰うためには手段を選ばない。
例え端から見ていて痛々しいイメージトレーニングであっても、愛しのお嬢様と触れあえる時間のためなのである。
『おはよう、嘉音くん』
目を瞑らなくたって思い描ける朱志香が太陽のような笑みを返してくれる。
『今日もお嬢様はお美しいです』
『あ、あはは、照れるぜ……嘉音くんは今日も格好いいな』
素直に褒めると、朱志香は赤くなって照れる。それから、嘉音を褒めてくれる。
『お嬢様……』
『嘉音くん……』
そしてどちらからともなく見つめ合う。朱志香の可愛らしい顔がすぐ近くにある。潤んだ瞳と赤くなった頬が愛らしい。
『朱志香って呼んでくれなきゃ、やだ……』
桜色の唇がねだる言葉を紡ぐ。
『朱志香……』
『嘉音くん……』
そしてどちらからともなく唇が近づいて。
ごん!
顔面を思い切り、何かにぶつけた。さっきまで嘉音が対峙していた、白い壁である。
あまりにも妄想に耽っていたため、そんなことはすっかり忘れていたようだ。
「……痛い……」
ひりひりする鼻をさすりながら、もう少しだけ妄想する。
『そろそろ朝食の時間なのでお着替えをお手伝いさせていただきます』
朱志香の上品なネグリジェのボタンに手を掛けると、彼女ははにかんで頷いた。
「朱志香、愛しています……よし、これでいこう」
使用人として、また人としても少しも良くはないのだが、嘉音の中ではとにかく良いことになっている。
意気込んでドアを開けると、紗音が朱志香の部屋に向かうのが見えた。
「ね、ねねねねねねね姉さん!お嬢様は僕が起こしに行くから!」
「……でも嘉音くん、お嬢様がお着替えしているの、見てるつもりでしょ?この間奥様から厳命されたから、私が行ってくるよ」
紗音は困ったような表情をする。そんな姉に嘉音はなおも食い下がる。
「み、見てるだけなんてしないよ!」
「だって嘉音くん、お嬢様の朝のお支度、したことないでしょ?あ、もうお嬢様、起きちゃう!」
懐中時計を見てきゃあ、と紗音は駆けていってしまった。
今朝のシフトは早朝勤ではないので、未練がましく彼は姉の後をつける。彼女は寄り道をせず朱志香の部屋に行き、当然のように中に入れられた。
「……いいなぁ……」
嗚呼妬ましい羨ましい、僕も女の子なら姉さんみたいにお嬢様のお部屋に入れるのに、などと使用人にあるまじき不埒な妄想と理不尽な嫉妬の炎を燃やしていた嘉音は、カーテンの端をがじがじと噛んでいたことに気が付かなかった。
「あれ、嘉音くん。おはよう……カーテン、どうしたんだ?」
いつの間にか支度を終えてこちらに向かっていた朱志香に指摘されるまでカーテンの惨状に気づかなかった。
「いえ、カーテンに虫が止まっていたので追い払っていたところです」
紗音が呆れた顔をした。
「そ、そっか。ありがとうな!」
使用人の間に流れる微妙な空気を感じ取ったのか、朱志香が笑って礼を言う。そして紗音を伴って階下に消えた。
「……カーテン、どうしよう」
とりあえずハンカチで歯形の付いた部分をふき取り、洗濯日まで保たせることにした。
朱志香が学校へ行ってしまってから数時間がたつと、嘉音の本日の仕事が幕を開ける。
ちなみに使用人の朝食の時間は郷田の作ったまかないを食べながら、制服姿の彼女で妄想をしていたら、いつの間にか紗音が離れていた。というか、露骨に引いていた。
--姉さんだって譲治様との新婚風景を妄想しているんだから、僕ばかり責められるのは理不尽だ。
屋敷の清掃(朱志香の部屋の担当だった瑠音に代われといったら夏妃から厳命を受けていなくても嫌だと言われた)で午前中を過ごし、昼食の後は薔薇庭園の手入れをする。
その後の休憩時間は、嘉音にとっては将来をゆっくり考えるとても重要な時間である。
彼の夢は朱志香ともっとお近づきになることである。そして、ゆくゆくは紗音と譲治のような関係になりたい。
いや、なりたいではない。なるのだ。
彼女が紗音と話しているのを聞いた限りでは、朱志香の学校では恋愛話が流行しているらしく、彼女もその手の話は好きである。
だが、今のところ彼女に恋人がいるという話は聞かない。
だから、嘉音は思うのだ。
--僕にだって、チャンスはある!
たしかに自分は家具だ。人間である朱志香と恋をするなど御法度だと十二分に分かっている。
だが、朱志香が彼の全てを愛してくれて、人間になることが出来たなら。
そんな奇跡が起こる日が来たならば。
『朱志香は僕のお嫁さんです!』
『か、嘉音くん……そんな、みんなの前で……』
嘉音が高らかに宣言すると、朱志香は恥ずかしそうに彼の腕の中で身を捩る。
親族達(当主金蔵を含む)はあっけにとられて、夏妃でさえも何も言えない。
『いいえ、これはあなたへの愛の証です。……今日のために指輪を作ったんです』
『え、ゆ、指輪!?』
ポケットからベルベット地の箱を出して、彼女に渡す。
受け取った朱志香はゆっくりと蓋を開けて、そこに納められているダイヤモンドのペアリングを認めると、瞳を潤ませた。
『嘉音、くん……』
『朱志香……永遠に愛しています。だから、僕と結婚してください』
彼の生涯ただ一度の、一世一代のプロポーズを受けた彼女は、潤んだ瞳ではにかんで、ゆっくりと頷いた。
その瞬間、
『おめでとうございます!お嬢様、嘉音くん!』
『おめでとう、朱志香ちゃん、嘉音くん』
使用人や親族から祝福の言葉が贈られる。
『そんなに強い想いなら、引き裂くことはできないわねぇ……』
あの嫌みったらしい絵羽でさえも祝福してくれる。
『じぇ、朱志香!か、母さんは許しません!』
夏妃の反対も、今となっては無意味。
『母さん……私は、嘉音くんと幸せになりたいんだ!もう嘉音くん以外の人じゃ、幸せになれないんだ!』
『朱志香……!』
『いいじゃないかね、夏妃。自分の望みよりも娘の幸せを一番に願う、それが親というものではないかね?』
『父さん……』
蔵臼は夏妃にそう諭すと、朱志香のほうを向いた。
『幸せになりなさい。嘉音……朱志香を、頼む』
そう言うと、娘を送り出した(実際は嘉音を婿養子に迎えるのでこの表現は妥当ではない)父親は目頭を押さえた。
その様子に他の兄弟や伴侶が思わず涙ぐむ。
『兄さん……』
『兄貴……』
『蔵臼兄さん……』
『目出度いときに涙などいけないと分かっているのだが……どうしても止まらないのだよ』
『あなた……』
『蔵臼よ、よくぞ言った。わしも二人の結婚を認めるとここに宣言しよう』
金蔵も優しい笑みを見せ、二人の結婚を認めると宣言する。
『ありがとう、祖父さま、みんな……!』
『ありがとうございます!』
先ほどよりも目を潤ませる朱志香を抱きしめる。
『朱志香は僕が一生、幸せにします!』
『嘉音くん!』
そして、どちらからともなく見つめ合い、唇が重なった。
がちゃ、と扉が開く。
「嘉音くん、お洗濯もの畳むから手伝っ……何やってるの?」
紗音が洗濯物の山から顔をのぞかせて、唖然とした顔になった。
当然だ。大人しく茶を飲んでいるのではなく、嘉音は朱志香の写真を抱きしめて床を転げ回っていたのだ。
ちなみに写真はポケットから出したものだ。
「え、あ、ね、姉さん!?何時の間に……」
「今さっきだけど……嘉音くん、それ、お嬢様の写真?なんかこっち見てないけど」
「盗撮写真だから当然じゃないか」
「……撮らせていただけばいいじゃない?私も譲治様の写真を持ってるけど、ちゃんとお願いして撮らせていただいたのよ?」
洗濯物を使用人室の机に置き、紗音はポケットから小さなフレームを取り出す。そこには、こちらを向いて快活に笑っている譲治がいる。
堂々とそんなことが出来る彼らが羨ましくて妬ましくて、ついつい嘉音は突っかかってしまう。
「姉さん、僕らは家具なんだ。人間と恋なんか……」
そうだ。人間と恋なんか出来るはずがない。姉にそんな悲しい思いはして欲しくない。
そう言いたかったのに、紗音はこちらを睨み付け、タオルを顔面に投げつけてきた。
「姉さん、今の嘉音くんにだけは言われたくないなぁ」
「なんでさ!僕はまだお嬢様と何もない!姉さんばっかりお嬢様と仲良くして!姉さんには譲治様がいるんだから少しくらいお嬢様との時間を僕に譲ってよ!」
「確かにまだ何もないかもしれないけどね、お嬢様を盗撮したり、お嬢様のお召し物の匂いを堪能したり、お風呂掃除のときにお嬢様で妄想してお掃除が1時間もかかるようなストーカーまがいの嘉音くんにだけは言われたくないわ!あとそれ、後半は嘉音くんの私情じゃない!」
そう叱りつけながら、紗音はてきぱきと洗濯物を畳んでいく。嘉音も負けじと洗濯物を畳む。
その中に朱志香のブラウスを見つけ、鼻先に持っていくと、す、と息を吸い込む。
洗剤の匂いだ。畳んでからぎゅ、と抱きしめ、所定の場所に置いた。
「……姉さん、犯罪まがいの行為はやめておいた方が良いと思うなぁ」
紗音が呆れ顔で呟いた。
勿論嘉音の耳には届かなかった。
洗濯物をたたみ終え、ベッドメイクをする。もうすぐ朱志香が帰ってくる時間だ。
その後は、朱志香は紗音とお茶を飲む。嘉音としては非常に羨ましい。どっちが、と聞かれたら、迷わず紗音が羨ましい、と答えるぐらいだ。
それを密かに立ち聞き(盗聴とも言う)しているわけだが、今のところ嘉音が憂慮している事態にはなっていないようだ。
それは勿論、朱志香に恋人が出来てしまうことである。
朱志香は美少女だ。カリスマ性もある。優しいし、使用人に辛くあたることもない。
そんな朱志香を外の世界に放り出しておいたら、きっと男という名の狼に狙われるに違いない。
--ここは僕が騎士としてお嬢様をお守りするんだ!
そう改めて決意する嘉音自身が狼だということに彼は未だに気づけなかった。
それはそうとして、シーツを敷きながらふと気づいた。このシーツは今晩朱志香が横たわるものだ。
そして彼は、本日何度目か分からない妄想の世界へと旅だった。
『嘉音くん、このベッド、嘉音くんの匂いがする……』
朱志香がベッドに身を横たえて、うっとりと呟く。
『なんだか、あったかいよ……心がほこほこするみたい』
『お嬢様……お嬢様に喜んでいただきたくて、暖めておきました』
嘉音はぺこりとお辞儀をする。すると彼女は頬を僅かに染めて、ベッドから起きあがった。その拍子にネグリジェが捲れ上がり、太股が丸出しになる。
『お嬢様……おみ足が。……失礼します』
『ん……あ、ごめん……っ』
裾を直した拍子に太股に指先が触れてしまい、朱志香がくすぐったそうに身を捩った。
『あ、申し訳ありません!』
『い、いや……いいんだ。そ、それで、その……』
いつになくとろんとした瞳は少し潤み、嘉音はどきりとする。すると朱志香は身を乗り出して、細い腕を彼の首に巻き付けた。
『お嬢様……?』
ふわりと漂う良い匂いに、頭がくらくらする。
『嘉音くんの匂い、もう少し感じたいんだ……ダメ、かな?』
『お嬢様……』
『もう少し、こうしていちゃ、ダメかな……』
暖かい体温に、伝わる鼓動に、人知れず酔いしれる。
思わず赤くなる顔が、速まる鼓動が、彼女に知られてしまわないだろうか?
その間の沈黙を拒否と受け取ったのか、朱志香は身を離してばつが悪そうに笑った。
『ご、ごめん……迷惑だよな、こんなこと……困らせちゃって、本当ごめんな』
その台詞に、嘉音の胸が締め付けられる。そして、頭のどこかで理性の糸が切れたような音がした。
『迷惑などではありません』
す、とベッドに座る朱志香の肩に手を掛ける。
『え……か、嘉音、くん!?』
そのまま軽く押すと、彼女はどさりと仰向けに倒れた。靴を脱いで、その柔らかい身体の上に被さる。
『そんなことをなされて男に火をつけて……どうなってもよろしいのですか?』
『嘉音くん……』
そのまま抱きしめる。
『お慕いしています……朱志香様』
『わ、私も……嘉音くんのこと、好きだぜ……』
想いを伝えあい、抱擁はますます深くなる。嘉音の胸に置かれていた手が背中にまわる。
『朱志香様……』
『嘉音くん……嘉音くんになら、何されても、いいよ……』
熱に浮かされたような声に、嘉音は思わず首筋に顔を埋めた。
若い恋人達の夜は、これからだ。
「朱志香様……」
本人には言えないような妄想に浸っていた嘉音の耳に、とんでもない人物の声が飛び込んでくる。
「おいたわしや嘉音さん……お嬢様を思うあまりに妄想を……」
熊沢だ。いつの間にかベッドメイクを終え、ベッドに潜り込んでいた嘉音は文字通り飛び上がってベッドから抜け出る。元通りに整えると、入り口にいる熊沢のところに駆けていった。
「く、熊沢さん!?どうしてここに……」
「ほっほっほ……ベッドメイクにいった使用人のうち、嘉音さんが戻ってこないということで探しに来たのですが……おいたわしや……」
それだけ言うと、熊沢は背を向けて使用人室に戻っていった。
「仕方ないじゃないですか……お嬢様が好きなんですからぁぁぁぁ!」
涙目で絶叫する嘉音の台詞は、誰にも届かなかった。
--今日も海は灰色だ。だって曇りだし。だけど、そこにお嬢様がいるだけで世界は薔薇色だ。お嬢様がそこにいるだけで、全てのものはお嬢様を引き立てる背景にしかならないんだ!
「お嬢様、あなたのためなら僕は喜んで万物を背景にしまぶっ!」
がすっ、と鈍い音と鈍い痛みが嘉音の後頭部に炸裂した。振り向けば紗音が玩具のコインを握り込んで笑顔で拳を振り上げている。
「お嬢様ほど拳が強いわけじゃないけど、コインを握り込めば威力が強くなるって教えていただいたの」
「え……え!?誰に!?」
「お嬢様よ」
「お嬢様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!教えちゃダメですぅぅぅぅぅっ!」
がっ、ともう一度、拳が彼の鼻にめり込む。仰向けに倒れた彼に紗音はマウントポジションをとり、強かに殴りつけた。
「シールドが無くったって、嘉音くん1人ぐらいなら姉さんにも倒せるんだよ?」
「ちょ、姉さん仕事は!?痛い痛い痛い!」
「休憩中よ」
そして、紗音は笑顔を一瞬で未だかつて見たこともないような恐ろしい形相に変え、拳を振り上げた。
「よくも譲治様を背景扱いしてくれたわねぇぇぇぇぇっ!!!!」
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
うみねこのなく頃に、生き残れた嘉音は無し。
魔女の棋譜
使用人・嘉音
事件前に死亡?殴られながらの妄想による鼻血も死因のひとつかと思われる。
譲治様や私を背景扱いするから悪いのよ!(by紗音)
おわり
今日も相変わらず曇りだ。あと寒い。
当然のことながら海はネズミ色である。
紗音はこれまたいつものことながら譲治さんも同じ海を見ているから真っ青なのよ、なんて言っていた。
だが、である。
そこに愛しい人が立てば、一瞬にして世界は薔薇色に染まるのだ!
薔薇色なのは世界じゃない
「お嬢様、おはようございます、あなたの嘉音です」
右代宮家に仕える使用人、嘉音の朝はイメージトレーニングから始まる。
勿論対象は嘉音の愛しい人、もとい右代宮本家の令嬢、朱志香である。
嘉音は家具である。だからこそ、朱志香に愛して貰うためには手段を選ばない。
例え端から見ていて痛々しいイメージトレーニングであっても、愛しのお嬢様と触れあえる時間のためなのである。
『おはよう、嘉音くん』
目を瞑らなくたって思い描ける朱志香が太陽のような笑みを返してくれる。
『今日もお嬢様はお美しいです』
『あ、あはは、照れるぜ……嘉音くんは今日も格好いいな』
素直に褒めると、朱志香は赤くなって照れる。それから、嘉音を褒めてくれる。
『お嬢様……』
『嘉音くん……』
そしてどちらからともなく見つめ合う。朱志香の可愛らしい顔がすぐ近くにある。潤んだ瞳と赤くなった頬が愛らしい。
『朱志香って呼んでくれなきゃ、やだ……』
桜色の唇がねだる言葉を紡ぐ。
『朱志香……』
『嘉音くん……』
そしてどちらからともなく唇が近づいて。
ごん!
顔面を思い切り、何かにぶつけた。さっきまで嘉音が対峙していた、白い壁である。
あまりにも妄想に耽っていたため、そんなことはすっかり忘れていたようだ。
「……痛い……」
ひりひりする鼻をさすりながら、もう少しだけ妄想する。
『そろそろ朝食の時間なのでお着替えをお手伝いさせていただきます』
朱志香の上品なネグリジェのボタンに手を掛けると、彼女ははにかんで頷いた。
「朱志香、愛しています……よし、これでいこう」
使用人として、また人としても少しも良くはないのだが、嘉音の中ではとにかく良いことになっている。
意気込んでドアを開けると、紗音が朱志香の部屋に向かうのが見えた。
「ね、ねねねねねねね姉さん!お嬢様は僕が起こしに行くから!」
「……でも嘉音くん、お嬢様がお着替えしているの、見てるつもりでしょ?この間奥様から厳命されたから、私が行ってくるよ」
紗音は困ったような表情をする。そんな姉に嘉音はなおも食い下がる。
「み、見てるだけなんてしないよ!」
「だって嘉音くん、お嬢様の朝のお支度、したことないでしょ?あ、もうお嬢様、起きちゃう!」
懐中時計を見てきゃあ、と紗音は駆けていってしまった。
今朝のシフトは早朝勤ではないので、未練がましく彼は姉の後をつける。彼女は寄り道をせず朱志香の部屋に行き、当然のように中に入れられた。
「……いいなぁ……」
嗚呼妬ましい羨ましい、僕も女の子なら姉さんみたいにお嬢様のお部屋に入れるのに、などと使用人にあるまじき不埒な妄想と理不尽な嫉妬の炎を燃やしていた嘉音は、カーテンの端をがじがじと噛んでいたことに気が付かなかった。
「あれ、嘉音くん。おはよう……カーテン、どうしたんだ?」
いつの間にか支度を終えてこちらに向かっていた朱志香に指摘されるまでカーテンの惨状に気づかなかった。
「いえ、カーテンに虫が止まっていたので追い払っていたところです」
紗音が呆れた顔をした。
「そ、そっか。ありがとうな!」
使用人の間に流れる微妙な空気を感じ取ったのか、朱志香が笑って礼を言う。そして紗音を伴って階下に消えた。
「……カーテン、どうしよう」
とりあえずハンカチで歯形の付いた部分をふき取り、洗濯日まで保たせることにした。
朱志香が学校へ行ってしまってから数時間がたつと、嘉音の本日の仕事が幕を開ける。
ちなみに使用人の朝食の時間は郷田の作ったまかないを食べながら、制服姿の彼女で妄想をしていたら、いつの間にか紗音が離れていた。というか、露骨に引いていた。
--姉さんだって譲治様との新婚風景を妄想しているんだから、僕ばかり責められるのは理不尽だ。
屋敷の清掃(朱志香の部屋の担当だった瑠音に代われといったら夏妃から厳命を受けていなくても嫌だと言われた)で午前中を過ごし、昼食の後は薔薇庭園の手入れをする。
その後の休憩時間は、嘉音にとっては将来をゆっくり考えるとても重要な時間である。
彼の夢は朱志香ともっとお近づきになることである。そして、ゆくゆくは紗音と譲治のような関係になりたい。
いや、なりたいではない。なるのだ。
彼女が紗音と話しているのを聞いた限りでは、朱志香の学校では恋愛話が流行しているらしく、彼女もその手の話は好きである。
だが、今のところ彼女に恋人がいるという話は聞かない。
だから、嘉音は思うのだ。
--僕にだって、チャンスはある!
たしかに自分は家具だ。人間である朱志香と恋をするなど御法度だと十二分に分かっている。
だが、朱志香が彼の全てを愛してくれて、人間になることが出来たなら。
そんな奇跡が起こる日が来たならば。
『朱志香は僕のお嫁さんです!』
『か、嘉音くん……そんな、みんなの前で……』
嘉音が高らかに宣言すると、朱志香は恥ずかしそうに彼の腕の中で身を捩る。
親族達(当主金蔵を含む)はあっけにとられて、夏妃でさえも何も言えない。
『いいえ、これはあなたへの愛の証です。……今日のために指輪を作ったんです』
『え、ゆ、指輪!?』
ポケットからベルベット地の箱を出して、彼女に渡す。
受け取った朱志香はゆっくりと蓋を開けて、そこに納められているダイヤモンドのペアリングを認めると、瞳を潤ませた。
『嘉音、くん……』
『朱志香……永遠に愛しています。だから、僕と結婚してください』
彼の生涯ただ一度の、一世一代のプロポーズを受けた彼女は、潤んだ瞳ではにかんで、ゆっくりと頷いた。
その瞬間、
『おめでとうございます!お嬢様、嘉音くん!』
『おめでとう、朱志香ちゃん、嘉音くん』
使用人や親族から祝福の言葉が贈られる。
『そんなに強い想いなら、引き裂くことはできないわねぇ……』
あの嫌みったらしい絵羽でさえも祝福してくれる。
『じぇ、朱志香!か、母さんは許しません!』
夏妃の反対も、今となっては無意味。
『母さん……私は、嘉音くんと幸せになりたいんだ!もう嘉音くん以外の人じゃ、幸せになれないんだ!』
『朱志香……!』
『いいじゃないかね、夏妃。自分の望みよりも娘の幸せを一番に願う、それが親というものではないかね?』
『父さん……』
蔵臼は夏妃にそう諭すと、朱志香のほうを向いた。
『幸せになりなさい。嘉音……朱志香を、頼む』
そう言うと、娘を送り出した(実際は嘉音を婿養子に迎えるのでこの表現は妥当ではない)父親は目頭を押さえた。
その様子に他の兄弟や伴侶が思わず涙ぐむ。
『兄さん……』
『兄貴……』
『蔵臼兄さん……』
『目出度いときに涙などいけないと分かっているのだが……どうしても止まらないのだよ』
『あなた……』
『蔵臼よ、よくぞ言った。わしも二人の結婚を認めるとここに宣言しよう』
金蔵も優しい笑みを見せ、二人の結婚を認めると宣言する。
『ありがとう、祖父さま、みんな……!』
『ありがとうございます!』
先ほどよりも目を潤ませる朱志香を抱きしめる。
『朱志香は僕が一生、幸せにします!』
『嘉音くん!』
そして、どちらからともなく見つめ合い、唇が重なった。
がちゃ、と扉が開く。
「嘉音くん、お洗濯もの畳むから手伝っ……何やってるの?」
紗音が洗濯物の山から顔をのぞかせて、唖然とした顔になった。
当然だ。大人しく茶を飲んでいるのではなく、嘉音は朱志香の写真を抱きしめて床を転げ回っていたのだ。
ちなみに写真はポケットから出したものだ。
「え、あ、ね、姉さん!?何時の間に……」
「今さっきだけど……嘉音くん、それ、お嬢様の写真?なんかこっち見てないけど」
「盗撮写真だから当然じゃないか」
「……撮らせていただけばいいじゃない?私も譲治様の写真を持ってるけど、ちゃんとお願いして撮らせていただいたのよ?」
洗濯物を使用人室の机に置き、紗音はポケットから小さなフレームを取り出す。そこには、こちらを向いて快活に笑っている譲治がいる。
堂々とそんなことが出来る彼らが羨ましくて妬ましくて、ついつい嘉音は突っかかってしまう。
「姉さん、僕らは家具なんだ。人間と恋なんか……」
そうだ。人間と恋なんか出来るはずがない。姉にそんな悲しい思いはして欲しくない。
そう言いたかったのに、紗音はこちらを睨み付け、タオルを顔面に投げつけてきた。
「姉さん、今の嘉音くんにだけは言われたくないなぁ」
「なんでさ!僕はまだお嬢様と何もない!姉さんばっかりお嬢様と仲良くして!姉さんには譲治様がいるんだから少しくらいお嬢様との時間を僕に譲ってよ!」
「確かにまだ何もないかもしれないけどね、お嬢様を盗撮したり、お嬢様のお召し物の匂いを堪能したり、お風呂掃除のときにお嬢様で妄想してお掃除が1時間もかかるようなストーカーまがいの嘉音くんにだけは言われたくないわ!あとそれ、後半は嘉音くんの私情じゃない!」
そう叱りつけながら、紗音はてきぱきと洗濯物を畳んでいく。嘉音も負けじと洗濯物を畳む。
その中に朱志香のブラウスを見つけ、鼻先に持っていくと、す、と息を吸い込む。
洗剤の匂いだ。畳んでからぎゅ、と抱きしめ、所定の場所に置いた。
「……姉さん、犯罪まがいの行為はやめておいた方が良いと思うなぁ」
紗音が呆れ顔で呟いた。
勿論嘉音の耳には届かなかった。
洗濯物をたたみ終え、ベッドメイクをする。もうすぐ朱志香が帰ってくる時間だ。
その後は、朱志香は紗音とお茶を飲む。嘉音としては非常に羨ましい。どっちが、と聞かれたら、迷わず紗音が羨ましい、と答えるぐらいだ。
それを密かに立ち聞き(盗聴とも言う)しているわけだが、今のところ嘉音が憂慮している事態にはなっていないようだ。
それは勿論、朱志香に恋人が出来てしまうことである。
朱志香は美少女だ。カリスマ性もある。優しいし、使用人に辛くあたることもない。
そんな朱志香を外の世界に放り出しておいたら、きっと男という名の狼に狙われるに違いない。
--ここは僕が騎士としてお嬢様をお守りするんだ!
そう改めて決意する嘉音自身が狼だということに彼は未だに気づけなかった。
それはそうとして、シーツを敷きながらふと気づいた。このシーツは今晩朱志香が横たわるものだ。
そして彼は、本日何度目か分からない妄想の世界へと旅だった。
『嘉音くん、このベッド、嘉音くんの匂いがする……』
朱志香がベッドに身を横たえて、うっとりと呟く。
『なんだか、あったかいよ……心がほこほこするみたい』
『お嬢様……お嬢様に喜んでいただきたくて、暖めておきました』
嘉音はぺこりとお辞儀をする。すると彼女は頬を僅かに染めて、ベッドから起きあがった。その拍子にネグリジェが捲れ上がり、太股が丸出しになる。
『お嬢様……おみ足が。……失礼します』
『ん……あ、ごめん……っ』
裾を直した拍子に太股に指先が触れてしまい、朱志香がくすぐったそうに身を捩った。
『あ、申し訳ありません!』
『い、いや……いいんだ。そ、それで、その……』
いつになくとろんとした瞳は少し潤み、嘉音はどきりとする。すると朱志香は身を乗り出して、細い腕を彼の首に巻き付けた。
『お嬢様……?』
ふわりと漂う良い匂いに、頭がくらくらする。
『嘉音くんの匂い、もう少し感じたいんだ……ダメ、かな?』
『お嬢様……』
『もう少し、こうしていちゃ、ダメかな……』
暖かい体温に、伝わる鼓動に、人知れず酔いしれる。
思わず赤くなる顔が、速まる鼓動が、彼女に知られてしまわないだろうか?
その間の沈黙を拒否と受け取ったのか、朱志香は身を離してばつが悪そうに笑った。
『ご、ごめん……迷惑だよな、こんなこと……困らせちゃって、本当ごめんな』
その台詞に、嘉音の胸が締め付けられる。そして、頭のどこかで理性の糸が切れたような音がした。
『迷惑などではありません』
す、とベッドに座る朱志香の肩に手を掛ける。
『え……か、嘉音、くん!?』
そのまま軽く押すと、彼女はどさりと仰向けに倒れた。靴を脱いで、その柔らかい身体の上に被さる。
『そんなことをなされて男に火をつけて……どうなってもよろしいのですか?』
『嘉音くん……』
そのまま抱きしめる。
『お慕いしています……朱志香様』
『わ、私も……嘉音くんのこと、好きだぜ……』
想いを伝えあい、抱擁はますます深くなる。嘉音の胸に置かれていた手が背中にまわる。
『朱志香様……』
『嘉音くん……嘉音くんになら、何されても、いいよ……』
熱に浮かされたような声に、嘉音は思わず首筋に顔を埋めた。
若い恋人達の夜は、これからだ。
「朱志香様……」
本人には言えないような妄想に浸っていた嘉音の耳に、とんでもない人物の声が飛び込んでくる。
「おいたわしや嘉音さん……お嬢様を思うあまりに妄想を……」
熊沢だ。いつの間にかベッドメイクを終え、ベッドに潜り込んでいた嘉音は文字通り飛び上がってベッドから抜け出る。元通りに整えると、入り口にいる熊沢のところに駆けていった。
「く、熊沢さん!?どうしてここに……」
「ほっほっほ……ベッドメイクにいった使用人のうち、嘉音さんが戻ってこないということで探しに来たのですが……おいたわしや……」
それだけ言うと、熊沢は背を向けて使用人室に戻っていった。
「仕方ないじゃないですか……お嬢様が好きなんですからぁぁぁぁ!」
涙目で絶叫する嘉音の台詞は、誰にも届かなかった。
--今日も海は灰色だ。だって曇りだし。だけど、そこにお嬢様がいるだけで世界は薔薇色だ。お嬢様がそこにいるだけで、全てのものはお嬢様を引き立てる背景にしかならないんだ!
「お嬢様、あなたのためなら僕は喜んで万物を背景にしまぶっ!」
がすっ、と鈍い音と鈍い痛みが嘉音の後頭部に炸裂した。振り向けば紗音が玩具のコインを握り込んで笑顔で拳を振り上げている。
「お嬢様ほど拳が強いわけじゃないけど、コインを握り込めば威力が強くなるって教えていただいたの」
「え……え!?誰に!?」
「お嬢様よ」
「お嬢様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!教えちゃダメですぅぅぅぅぅっ!」
がっ、ともう一度、拳が彼の鼻にめり込む。仰向けに倒れた彼に紗音はマウントポジションをとり、強かに殴りつけた。
「シールドが無くったって、嘉音くん1人ぐらいなら姉さんにも倒せるんだよ?」
「ちょ、姉さん仕事は!?痛い痛い痛い!」
「休憩中よ」
そして、紗音は笑顔を一瞬で未だかつて見たこともないような恐ろしい形相に変え、拳を振り上げた。
「よくも譲治様を背景扱いしてくれたわねぇぇぇぇぇっ!!!!」
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
うみねこのなく頃に、生き残れた嘉音は無し。
魔女の棋譜
使用人・嘉音
事件前に死亡?殴られながらの妄想による鼻血も死因のひとつかと思われる。
譲治様や私を背景扱いするから悪いのよ!(by紗音)
おわり