ここは「花待館」の別館となっています。非公式で「うみねこのなく頃に」「テイルズオブエクシリア」「ファイナルファンタジー(13・零式)」「刀剣乱舞」の二次創作SSを掲載しています。
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夏コミで発行予定の『歌仙が女給に着替えたら』のWEB版になります。
審神者の陰謀によって女装をする羽目になった歌仙兼定と、和泉守兼定、伊達組(貞ちゃん除く)、小夜左文字のコミュニケーションを巡る話。
*刀剣男士同士の仲が良すぎる描写がありますが、特にカップリング等はございません。
*所謂『うちの本丸』描写、刀剣男士の設定・嗜好についての捏造、審神者に関する言及がございます。
*歌仙さんが女装します。
審神者の陰謀によって女装をする羽目になった歌仙兼定と、和泉守兼定、伊達組(貞ちゃん除く)、小夜左文字のコミュニケーションを巡る話。
*刀剣男士同士の仲が良すぎる描写がありますが、特にカップリング等はございません。
*所謂『うちの本丸』描写、刀剣男士の設定・嗜好についての捏造、審神者に関する言及がございます。
*歌仙さんが女装します。
宣言通り厨で朝食を食べて、自室に戻る。冷房をつけてから障子をぴしゃりと閉めて、ため息を吐く。
今日も部屋の外は暑い。この時代の障子は何故だか密封性に優れており、時代錯誤ではないかと思えるほど武家屋敷を再現した内装(外装は建物であることは分かるが、もうなんの建築だかよくわからない何かと化していた)の癖に、政府はこういうところだけマメに手配してくれる。冷暖房も完備しているし、厨だって原理は分からないが最新式のものだ。あらかじめレシピを登録しておけば、コンロを使う段になったらスイッチ一つで火加減から時間まで調節してくれる。炊飯器は開発者の正気を疑うほどに大人数分を炊けるものだし、本丸に常備してある鍋の大多数は馬鹿でかい、という表現がまさにぴったりで、このまま刀剣男士が増えていったとしても全く問題ないだろう。
二十二世紀って怖い、と本丸が始まったばかりの頃はよく初鍛刀の今剣と震えていたものだ。今は慣れてしまったが。
「……本当に、僕らは戦をしているんだろうか」
出陣さえなければこうして日々を暮らし、内番や趣味に勤しむ。大阪城を攻略していた時などは手入れ部屋が満室だったというのに、今では誰も入る者などいない。刃毀れもしていないのだから当然だ。
今は歴史修正主義者を斃し、本物の歴史……人間たちの営みや、歌仙の前の主達が繋いだ歴史を守る、そのための戦いのはずだ。審神者には他の業務があるのだからいないのは仕方ないとして、総隊長である自分までこの戦いのことを忘れたら、本丸はどうなるのだろう。そうなった本丸のことを、生憎歌仙は知らない。審神者が帰ってこなくなった本丸も、刀剣男士が戦を拒否した本丸も、知らない。
だから、自分が一番戦から遠いような振る舞いをして、結局戦場へ出たいと願う。三十六の佞臣の首は歌仙にとって主君に尽くしたという誇りだったけれど、戦場で三十六の首級を上げたってなにも罰は当たらないだろう。
「僕らは、一体何のためにこうして休日を迎えているんだろうね」
日々移り行く時の中で、季節の移ろいを楽しむ。人のかたちをとって、歌仙兼定というこの本丸の初期刀が一番に嬉しかったことだ。人の感じた世界を、人と同じように楽しむことが出来る。素晴らしいことだ。
だが、光輝いて見える世界は歴史改変という魔の手に脅かされているのだという。何故歴史を改変するのか、改変してどうするのか。それすらわからないままに、日々悪趣味な形を取った歴史遡行軍と対峙する。敵ならば斬る。それに異論はないが、あちらが何をやらかそうとしているのか、政府は知っているのだろうか。知っているならば教えてくれてもいいはずだ。そうすればもっと、自分の守るものについて知ることもできただろうに。元の主を助けることが叶わずに涙する者も少なくて済んだかもしれない。
(彼らの死は、この国の歴史にとって必要なことだった……ということ、かな。同時に、助けてしまえば大きな変わり目となる)
それは何にとってか、誰にとっての変わり目なのか。どんな風に変わって、誰が歴史の勝者になるのか。そんなことは誰もわかりはしないのに、敵は細切れにいくつもの時代を改変しようとしている。
(結局それだと整合性がつかなくなるんじゃないか? 一番古いところを変えてしまうだけで、きっと今のこの世界は消えてしまう……多分)
大変癪だが、詳しいことはあの審神者が帰ってきてから問い詰めないと分からない。あっちもこっちも戦の真っ最中であるということを忘れそうになる現実で、本当に自分たちは戦力になっているのだろうか。とりあえず資源の供給が止まらないところを見ると、役に立ってはいるのだろうが。
(今はそれよりも……この着物の意図だ)
これを話のタネに交流を広げろなんて、鶴丸みたいなことをあの審神者が言うとは思えない。単に着せて見たかっただけだろうとは思うが、本人が逃げたのなら見せようがない。
(鶴丸には喫茶店をしてみようなんて言われるし、話のタネにしろなんて、……一体僕はどうしたらいいんだ)
この本丸に女物の着物を纏った刀剣男士は二名ほどいる。だが、彼らは日常的に纏っているのと相応の化粧も施しているからこそ違和感が消えているのだ。それこそ笑われたらどうしたらいいのかわからない。
(人間の眼には自分自身は良く映るというし……僕が鏡で見た時は悪くはなかったが、そうでなければどうしたらいい)
こんな姿を旧知の小夜左文字に見られて、距離を置かれたりしたら耐えられない。それ以外の刀に見られて笑い者にされるなど、この歌仙兼定の矜持が許さない。元伊達家の面子とは知らない仲ではなかったから姿を見せられただけのことで、特定多数に見られるくらいならば今日は引き籠っていたい、と歌仙は畳に寝転んで丸くなる。
(帰ってきたらただでは置かないからな……!)
不穏当なことを決意しながら、手近にあった本を引き寄せる。『明日の献立』と書いてある表紙をめくれば、なぜか果物のたっぷり入ったかき氷のイラストが視界に飛び込んでくる。
「『絶品! 桃とマンゴーのフラッペ』……かき氷じゃないか」
これは食事とは言わないだろうと次のページをめくると、またカットされた桃がホットケーキの上に載っている写真が掲載されている。
「『桃とココナツのアイスパンケーキ』……今月号は喫茶店のメニューだったか?」
定期購読を希望すれば各本丸に毎月配られる料理の月間レシピ本だが、何かの陰謀ではないかと疑わずにはいられない。昨日から読んでいたのは事実だが、よもや自分がこんな格好をするとは思わなかったから、単なる被害妄想だとは分かっていても下らない陰謀論を疑ってしまう。
「喫茶店、か」
鶴丸国永の言葉が蘇る。喫茶店の真似事なんてしてみちゃあどうだい、なんて好き勝手を言ってくれる。大体、結局は歌仙と燭台切が料理を作ることになるのだから、そんなことをしたって女給(ウエイトレス)の真似事などしている暇なぞないだろう。
「……間違いなく非番なのに過労で倒れるな……」
この本丸は意外にも食い意地の張っている刀が多い。喫茶店など開こうものなら、本丸に常備してある果物や小麦粉が一日でなくなってしまいそうだ。通常喫茶店で供されるという珈琲はおそらく、どれほど高い豆を準備しようと余るに違いない。はぁ、とため息を吐いていると、障子の外に気配を感じた。
「歌仙、いますか?」
細川の家にいた時分に懇意にしていた短刀・小夜左文字の声だ。ばくばくと鳴る心臓を押さえながらゆるりと起き上がってどうぞと答えれば、音もなく障子が開かれる。
「あの、……その着物、もらったんですか?」
小夜の表情はいつもと変わらない、あまり感情の乗らない表情だ。それにひとまずほっと安心して、こくりと頷く。
「もらったというか、僕の着物と引き換えに置いてあったというか……」
「じゃあ、自分で買ったわけではない……ということですか?」
「ああ。でなければ女物の着物なんて手に入れないよ。こういう女物の着物を着ることの是非はともかく、着物自体はいいものだと思う。……でもねぇ、今日は人前には出たくないかな」
「……あなたならそう言うでしょうね」
さすがに細川の家では長い付き合いだ。何をどうやったら歌仙が嫌がるのかをよくわかっているこの短刀は、どうしようとも言いたげに首を傾げる。
「……鶴丸がね、喫茶店の真似事でもしたらどうだ、って言うんだ」
「喫茶店? ……ああ、その格好だから、ですか」
多分ね、とため息を吐くと、小夜の指先がフリルを突っついた。
「でもそんなことしたら本丸の備蓄が無くなってしまう。おまけに珈琲だけは絶対に余るのが目に見えているだろう?」
「甘党ばかりですからね」
そう。この本丸には非常に残念ながら珈琲という飲み物が浸透していない。いや、ブラックコーヒーだとかアメリカンコーヒーだとかいう、珈琲の中に砂糖もミルクも、その他甘味という甘味を入れていない飲み物が一般的ではない。小夜が言う通り、甘党が大多数を占める本丸だからである。
近侍ではないものの、近侍の歌仙の負担を減らすという名目で主命という名の仕事を求めて日々審神者に連絡を入れているあのへし切長谷部でさえ、厨で求めてくるのはどこぞの珈琲ショップで注文できるような飲み物である。グラスに注いだ液体の上に甘いホイップクリームとキャラメルシロップにチョコレートチップがどんと乗った飲み物を見て、燭台切と二人で卒倒しかけたのは随分と前のことだ。それからそんなに甘いものは身体に悪いと言い続けて早数ヶ月、へし切長谷部の飲み物の嗜好は……残念なことにまったく変わっていない。冷蔵庫の中にシロップやらチョコレートチップやらの飾り付け用の甘味類がやたら充実しているのは、この本丸の大多数が長谷部までとはいかないまでもそういう味付けを好むからである。
「ただでさえ業務用を大量に買い溜めして、政府から数量で問い合わせが来るのに……喫茶店なんてどうしたらいいんだ……」
もう泣きたい、とまた丸くなる歌仙に、小夜は溜め息を吐く。昔いつも見ていたような、まるで兄のような表情で仕方ない、という表情で、昔は大きく感じた小さな手で背中を撫でてくれる。
「……鶴丸国永さんはなんと?」
「交流を、温めろって」
「そう、ですか」
「この着物が話のタネになるだろうって。……そんなの無理だ。いつもこんな格好をしているわけじゃなし、笑い者になるなど耐えられない」
ぐじぐじと弱音を吐いているとくしゃりと髪の毛を撫でられる。
「お小夜……どうしよう。こんな格好で人前に出たくない。でも、燭台切も悪乗りして、もし注文していたらどうしよう……」
「……うん」
そうだね、と小夜が気遣わしげに頷いた。……なんだか、いやな予感がした。
朝食の後からどれだけ丸まっていただろうか。ずっと小夜についていてもらったが、燭台切は来なかったからまだ昼餉の準備の時間ではないらしい。
「よぅし歌仙! 業務用のクリームと砂糖と……まぁその他諸々を注文してきたぞ! というかもう届いた!」
すぱぁん! と勢いよく障子を開かれて、歌仙はびくりと身を震わせた。まさに飛び上がる勢いだった。鶴丸の後ろにはあんぐりと口を開いたへし切長谷部が立っている。
「どういうことだい……?」
「光坊も賛成してくれてなぁ、本人はギャルソンがやりたいらしいから衣装を調達してる真っ最中だ」
「ちょっと待て鶴丸国永」
なんだって、と声を荒げそうになった歌仙を援護するように、長谷部は鶴丸の肩をがっちり掴んで低い声で制止を掛ける。
「俺にもわかるように説明しろ。それと歌仙の衣装は何事だ。貴様か、貴様のせいか」
「歌仙が主の陰謀で喫茶店の女給の格好をさせられてるからいっそ喫茶店の真似事をしたらいいじゃないかって話だ」
主……! と長谷部が頽れた。別に彼が女装をしたいわけではないし、審神者からそういうものを貰いたかったというわけではないだろう。ただ単に、本丸運営上近侍の歌仙がこうなれば長谷部にもしわ寄せが来るわけで。
「何故本人に根回しをしなかったのですか……!」
「本当にね」
根回しをしなければ彼は表情には出さなくともあたふたするだろうし、歌仙だって何が目的なのか分からなくて困ってしまう。というよりも、現に今困っている。だが、そんなことより今は喫茶店云々の件だ。それで、と居住まいを正して鶴丸に向き直る。
「光忠は二つ返事だったのかい?」
「二つ返事だった。あと伽羅坊には消極的に反対された」
「何故積極的に反対しなかった」
これはひどいと呆然としていると後ろで小夜がため息を吐く。
「流されても一日部屋に引き籠れば一連の騒動から逃れられると思ったんでしょうか。……今日の歌仙みたいに」
「お小夜! 僕は当事者であって巻き込まれた側じゃないんだよ……!」
それはそうですけど、と彼は首を傾げる。
「でも歌仙、着物なら主に大分貢がれていたんじゃ……」
そう。歌仙を溺愛する審神者によって非番の時に着る着物には事欠かない……はずだった。昨日の夜までは確かにそのはずだった。
「全部女物にすり替えられていたよ。……なんだろうねあの行動力。この部屋、監視カメラとかついているんだろうか」
「……監視カメラはついていないと思うぞ」
長谷部がせめてもと慰めてくれたが、歌仙の心は泣きたい気持ちでいっぱいだった。
「おまけに……長谷部にまで見られるなんて」
「俺で不都合があったか?」
「笑い者にされたくないんだ! 頼むから今日は一日引き籠らせてくれ!」
そうかと紫色の瞳が瞬く。
「気に病むほどではないと思うが。……むしろ、なんだ。その……似合っていると思うぞ?」
これでもダメかと見つめてくる眼差しに、歌仙はじりと後退する。目と目で通じ合うことは信頼関係を得ているようで嬉しいのだが、じっと見つめられるのはどうにも居心地が悪い。これが本体を見つめられるのならば誇らしいが、人の器では気恥ずかしさが優ってくる。
「あの、長谷部。……その、何か気になるのかい? じっと見たりして」
「い、や。そうではない。そうではないんだが……元が華のある奴だから、そういうのも似合うのだな、と思って、つい」
「そ、そうかい」
つい気恥ずかしくて視線を逸らすと、鶴丸が微笑ましそうににこにこしている。
「ほら、話のタネになるだろ? お前さんの人見知りを治すいい機会だ。喫茶店をやろうじゃないか」
手伝えよ長谷部、と声を掛けられた長谷部は、なぜか裏返った声で何故俺がと抗議していた。声色はともかく内容は納得できる。
「……丸め込まれましたね」
「……うん」
主命第一で主たる者以外にはわき目もふらない男かと思えば、長谷部は意外にも付き合いのいい男である。本丸の飲み会には大体参加していたりするし、クリスマスパーティーの時だって率先してビンゴを買ってきた。織田信長から下賜されて以来ずっと黒田の家に仕えていた刀剣だから、てっきり敬虔な基督教徒として厳粛な一日を過ごすのかと思っていたから、大層驚いたことを覚えている。……クリスマスイブにパーティーを開催したからだったのかどうかは分からないが、その次の日に自室に籠もっていた。彼がこの上なく愛するかつての主と同じように祈りを捧げていたからかもしれない。
ともかく、面白そうなことはなぜか嫌そうな顔をしながらも率先してくれるのがへし切長谷部という男である。鶴丸と燭台切が乗り気で、大倶利伽羅も反論がないとなれば、本丸の板張りの部屋……三つある応接室のうちどれかを貸し切って、レイアウトから何からこだわるに違いない。これで大分退路は塞がれてしまった、と思う。彼がやると言えば強硬にやらないとは歌仙としても言い張りづらいのだ。だが。
「……やるんなら絶対に厨に引き籠ってやる」
こんな格好で人前に出たくない、と唸れば、小夜がよしよしと後ろ頭を撫でてくれた。よろよろと立ち上がって障子を閉めて、ずるずると座り込む。普段なら雅でも風流でもない振る舞いは避けて通ることにしているが、今はそんな気分ではなかった。
「歌仙、」
「はしたないのは分かっているんだ……でも、少し、耐えられなくて」
「……主に復讐しますか?」
それには首を横に振る。
「主は後で手打ちにする」
「……死なない程度に」
「戦国の世ではないし、僕もそこまで非道ではないよ……ただ、今後の僕への接し方は改めてもらう。二度と主に僕の下着は洗わせない。というか干しているところも見せない」
「洗ってたんですか?」
「もちろん洗わせないよ。主だよ? 刀である僕が主人に洗い物などさせられるわけがないだろう? ……実は、僕が洗濯機に放り込んでから乾いたものを畳むまでじっと見ているんだ」
「それならいいですが」
傍らの短刀がほっと安堵の息を吐いた。
「当面の問題は喫茶店、ですか」
「ああ。……こればっかりは主を責めても八つ当たりになってしまうし……どうしようか。やるにしたって厨に引き籠ったままとはいかない気がするんだ」
元をただせば歌仙のこの格好を見て鶴丸が言い出したことである。燭台切もギャルソンの衣装を調達しているというから、今日の夕方まで準備をするにしても、恐らく交代で接客に出ることになるだろう。最初の本丸案内は近侍である歌仙の仕事だから、この本丸の全員と話したことはある。だが、その後も全員と親しくしているかと言ったら、それは別の問題と言わざるを得ない。
かつて細川の家で共に過ごした小夜のように親しい刀はいる。燭台切だってその頃からの付き合いだ。むしろ(恐らくいつか本丸に来るはずの太鼓鐘貞宗も含め)伊達の面子や前の主が織田信長に仕えていた頃に顔見知りだった面子はそれなりに親しいし、歌仙が付喪神としてまだまだ生まれたてほやほやの頃を知られている。(あの頃は分類が脇差だったような気がするから、今のような成人男性の成りではなく、ほんの小さな童子だった。ちなみにいつ今の姿になったのかは覚えていないが、長谷部や宗三左文字など随分可愛がってくれたものだ。宗三などこの本丸に来た時に、『あの小さな之定が随分大きくなりましたねぇ』とまるで親のような顔をしていた)
だが、本丸にいるのはそういう刀ばかりではない。前の主に教養は似ても、人付き合いの能力までは似なかったのだ。戦国時代に細川の家が懇意にしていた大名の家にいた刀もいるし、逆に仲の悪かった家の刀もいる。そうかと思えば三条派のように全く知らない刀もいる。そういう刀たちと懇意に渡り合っていくなど、気が遠くなりそうだ。
「何をどう話せばいいって言うんだ……」
「同じ兼定派の和泉守とは仲が良くないのですか? 同じ部隊でしょう」
「戦場のこと以外で話したことはないよ。……同じ新選組の面子のほうが話しやすいだろうし、実際そのようだし」
同じ刀工から生まれた訳でもないし、とため息を吐くと、またよしよしと撫でられる。
「難儀ですね……」
「……うん」
やはり喫茶店など無謀なのでは、と二振りでため息を吐いた。
☆☆☆
昼餉を食べ終わり、歌仙は自室に下がって本を開いていた。面白そうだと思って何とはなしに読んでいる、付喪神に関する本だ。パラパラと適当に流し読みをしていると、ふと騒がしい足音と共に障子の前に人影が見えた。長い髪に羽織姿。和泉守兼定だ。
「之定ぁ、今いいか」
「……」
「ここで構わねぇからよ」
先刻部屋には入れてあげられない、とは言ったものの、このまま外に出したままで対応するのも可哀想というものだ。何しろ外は暑い。今日は内番用の着物姿でも戦支度でもない、涼しそうな浅黄色の小袖に袴といういでたちだが、熱を吸いやすい長い黒髪はこの陽気では辛いだろう。
「……いいよ。入っておいで」
外から安堵のため息が聞こえ、障子が開いた。和泉守兼定が小さな紙袋を携えて入ってくる。
「悪いな。……これ、さっき端末見てて買ってみたんだけどよ……」
おずおずと差し出された紙の箱には『八国山』と箔押しされている。
「オレの前にいたところの近くの名産品らしいぜ。……栗が入った饅頭とかって書いてあった」
「へぇ……」
紙の箱はしっかりしていたが、受け取るとずっしりと重い。饅頭というのならば致し方ないだろう。
「開けても?」
「おう」
箱のふたを開けると、紅白の細い紙と柔らかな白い紙に包まれた饅頭が十ほど姿を現す。
「お茶を淹れようね」
立ち上がって茶葉を取り出し、常に温めてある湯を急須に注ぐ。茶こしに茶葉を入れて急須の中に入れる。氷を入れるのだから少し濃いぐらいがいいだろう。部屋に備え付けてある小さな冷蔵庫から氷を出して、湯呑に入れる。
「冷たいお茶でいいかな」
「ああ、すまねぇな」
ふと見てしまった快活な笑顔に饅頭のお礼だよと小声で呟いて、蒸らしが終わった茶を注ぐ。ぱきぱきと小さな音がして、氷にひびが入っていく。どうぞ、と饅頭と一緒に差し出すと、おお、と嬉しそうな声が上がった。いただきます、と二人で手を合わせて茶を一口すする。僅かな苦みと茶葉の香りが鼻腔を満たした。
「うめぇ」
「それは嬉しいねぇ。……で、どうしたんだい?」
もう一口茶を啜りながら聞くと、和泉守は饅頭の包み紙を剥がしながら少しばかり気まずそうな表情を浮かべる。
「いや、な。……主の陰謀で大変な目に遭ったって言ってただろ? んで、喫茶店やるって」
「やるとは言ってない」
やるって聞いたぜ、と彼は不満げに饅頭を一口齧る。歌仙も饅頭を齧ると、優しい甘さの白あんが舌の上でとろりと広がった。
「昼餉の時に、長谷部が大々的に手伝えって言ってたぜ? ……燭台切が張り切ってたから、多分もう準備が始まってるかもしれねぇな」
「……主に怒られるぞ……?」
どうせばれたってあの審神者が本気で怒るとは思えないのだが、せめてもの抵抗で言ってみる。
「本気で怒られるとは思えねぇがな」
「放任主義だからね」
お互いこの本丸に招かれて長い身だ、あっさりと見抜かれて歌仙は苦笑する。
「それでよ、ずっと考えてたんだが。……之定の格好な、どっかで見たことあんだよな」
和泉守はどこだっけなぁと長い黒髪を掻き回す。
「僕は三百年くらい前の女学生……いや、喫茶店の女給みたいだと思ったのだけど」
「いや、それもそうなんだが、もうちょい最近……あ、卒業生だ」
卒業生? と歌仙が眉を顰めると、和泉守はそうそう、と得心のいったように頷く。
「ほら、三月の卒業式ん時な、女の学生があんたのカチューシャとエプロンとったみたいな格好で学校行くんだよ。化粧もしてるし、大学生なのかねぇ。……見たことあるだろ?」
ああそういえば、と歌仙も思い出す。あまり人混みに近づきたくはないから外へはそれほど出なかったのだが、確かに早春の頃はそんな風景を見たような気がする。卒業おめでとう、と言いかわす人の群れが、右に左に歩いてゆく光景。また一つ巣立ちに近づく、華やかな別れの式。
「そうだね、見たことがある。……確かにエプロンとカチューシャはなかったよね。でも、あれは……女学生のものだ。今着ているこれも女給のものだし」
僕が着るのはどうなんだろうねぇと首を傾げる。女物の着物。ほんの童子の姿だった頃ならこの色でも……いや、もっと濃い桃色でもまだ童子だからと許されただろう。だが、あれから数百年が流れた。今の青年の姿では許されないものも多いだろう。
「童子であった時分なら許されたかもしれないんだけれどねぇ……着物自体はね、いいものだから……着る分にはいいんだ。人前に出るのは極力遠慮したいだけでね」
「そうか」
そう言うと、和泉守が難しい顔で饅頭を口の中に放り込む。黙って茶を飲み干すその様子は何かを思案しているようでもあり、言葉を選んでいるようでもある。新撰組のように旧知の間柄であれば、その思考の海に割って入ることもできるかもしれない。けれども、数百年という時の隔たりが、刀工(おや)の何代にもわたる隔たりが、喉の奥に言葉をしまい込んでしまう。
鶴丸の言う通りに女給の真似事でもすれば、少しは話せるようになるだろうか。いつかこの歴史修正主義者との果てのない争いが終わり、いるべき場所へ戻った時、共に暮らす付喪神たちと他愛のない話を他愛もなく……それこそ、話題に詰まることも、うまく話せない自分自身に苛立つこともなく話せるだろうか。饅頭の残りを食べてと茶を飲み干してしまいながらもそんなことを考えていると、大分考えがまとまったらしい和泉守が口を開いた。
「なぁ之定」
「なんだい」
「喫茶店の……あー、キャフェーとかいうのの真似事、本当にやってみねえ?」
キャフェーてなんだ、と思考が停止仕掛けて、ああ喫茶店の大分古い言い回しか、と思い至る。大正時代から昭和時代にかけて、小説の中に出てくる喫茶店には現代で言うカフェ、という表記ではなく喫茶店(キャッフェー)と表記されることが多い。断定が出来ないのは歌仙が読んでいた小説ではそう言う表記であったというだけで、全ての本がそうであるとは言い切れないからである。ともかく、最近流行りの刀、と言うだけあって和泉守もそういう言い方をするのかと少し驚いたが、なによりも女給の真似事を提案するこの後代に驚いた。
「……パンケーキでも食べたいのかい?」
出来るだけ声色に出ないように注意を払って問いかけると、彼は気まずそうに頬を掻く。
「まぁそれもあるんだけどよ……オレの勘違いかも知れねぇんだが……あんた、他の奴と喋んの、怖がってるような気がしてよ」
「そうかい」
気が付いていたのか、と声には出さずに呟く。饅頭の包み紙と飲み干した湯呑をものともせずにじり、と歌仙の方に膝がにじり寄って来て、少しだけ後ろに下がる。とっさに湯呑の被害を防ごうと端に避けたが、それが失敗だったかもしれない。じりじりと迫る大柄な身体を阻むものが、何もないのだ。
「オレん時だってそうだろ。本丸の案内はしてくれたのに、あとは話し掛けにも来ねえ。……もしかして一人でいる方が好きなのかとも思ったが……オレが話し掛けてみたくて、よ」
「……そう」
「……だから、他の奴もあんたと話したいんじゃねぇか?」
本当に、とは聞けなかった。目を見るまでもない。歌仙の頑なな心の殻にヒビを入れる、そのまま割ってしまいそうな程に強い一撃、真摯な声だったから。だから歌仙も、震える声で心の中を吐き出した。
「……僕はね、何を話していいかわからないんだよ。きっと細川の家で大元の僕が懇意にしている刀が来たって、きっとうまく話せない。お小夜にだって全てを晒け出せるとは言い難い」
「……いや、オレだって国広に全部報告なんかしてないぜ」
「それだけじゃない。……これは、女物の着物だ。長谷部やお小夜や伊達の刀は忠興にくっついていた小さい姿を知っているし、あの時はあの時でこういう柄の着物も他の刀に着せられていたからまるで気にしていないような反応だけど……」
君たちのように知らない者にしたら珍妙にしか見えないだろう? と返せば、力強い手が肩を掴む。
「んなことねぇよ!」
「え……」
「文系だから、ってのはよくわかんねぇけど、あんたそういうの似合うんだよ!」
「だが、エプロンやカチューシャなんて」
「可愛いじゃねぇか! ……なぁ、あんたの人見知り、多分皆知ってると思う。でもよ、それ以上に皆、あんたと話してみたいんだよ。……キャフェーを取っ掛かりにな」
「そういう、ものなのかい?」
ああ、と和泉守は力強く頷く。
「主の悪行だったとしても?」
「主はなんも考えてねぇと思うけどな、オレらにとっちゃあ渡りに船だ。……なぁどうだい之定。手塩にかけて育ててくれた可愛い可愛い後代に最初に作ってくれたオムライス、食わせてくれよ」
ふと視線を戻して、ああ、眩しいと思った。生存その他諸々で機動以外の全てを歌仙より上回る、可愛いと表現するには少しばかり優秀すぎる兼定の後代。武士の世の終わり、壬生の狼と称された新撰組の鬼の副長に振るわれた打刀は、こんな風に時代の違う先代を導くことが出来るのだ。
「和泉守」
「ん? あとオレ、カルアミルク飲みてえ」
「在庫がないよ。この間の宴会で君、全部飲み干したじゃないか。しかも潰れるし……あのあと布団に放り込むの、大変だったのだから」
「……おう」
カルアミルクなどのカクテルは、歌仙の記憶が正しければ材料の在庫がなかったはずだ。言い訳という名の説教を始めてしまえば、きらきらしい笑顔の眉尻がしょんぼりと垂れた。
「……仮にやったとしても、次の日の食材はどうするんだい? 野菜は畑でとっても残りの食材をすぐに買ってこられるわけでもなし、食べつくしてしまったら何も作れないよ」
「う……」
それに、とふいと視線を湯呑に投げる。これでもう表情を見なくて済む。
「いくら僕が文系名刀とはいえ、着物に罪はないとはいえ……どうして女装をして人前に出なければならないんだい」
「あ……」
今、和泉守がどんな顔をしているかはわからない。顔を上げるのが、怖い。
「……知らなかったよ。人の眼がこんなに怖いなんてね。君もそうだと思うけど、まだ自我を持つ前から数多の人間の賛美を浴びてきたし……付喪神になってからだって、他の付喪神が色々と構ってくれた。少しばかり他の場所で暮らしたことはあるけれど、まったく知らない家のものばかりいる場所で暮らすのは……初めてなんだよ。あの家のものなら僕がこんな格好をしていても気なんか使わなかっただろうけど、……君たちに失望されるのが、怖いんだ」
初期刀として招かれ、近侍に置かれてからずっと、相応しい振る舞いをと心掛けてきた。そのためには内番も文句は言うけれどもこなしてきたし、一番多く首級を上げてきた。刀が増えてからは審神者が常駐しない本丸を切り盛りするために効率をずっと考えてきた。勿論風雅を愛でる時間はとってはいたが、それは歌仙を形作るものゆえのこと。雅たれと説くことはなかったが、長谷部と共に刀剣男士としての振る舞いを説いたことなど何度もある。目の前の和泉守などその最たるものだ。
そうして作ってきた、近侍として、刀剣男士としての歌仙兼定は、誰よりも厳しく、凛々しく、そして優しくなくてはならないのだ。ちょっと若気の至り(もうそんな年ではないけれど)、と言って女装をするなどあってはならないのだ。たとえその近侍像が張りぼてだったとしても、決して崩してはならないのだ。
「僕は君を何度か叱ったことがあるよね。誰も見ていないからって足を放り出して大の字になって、ぽてとちっぷすを齧ってはいけないって」
「……おう、そんなこともあったな」
「僕が女装をしているということはね、それと同じなんだよ。普段から女物を着ている者たちであればいいけれど、普段男物を着ている僕が着るのは、近侍として相応しい振る舞いとは言えないんだ」
「之定……」
「それで笑い者にされたら……僕はこれから、どうやって過ごしていけばいいんだい?」
之定ともあろうものが情けない、と思う。世が世なら、笑い者にする者は片っ端から手打ちにしてしまえばいい。……それでも、今は……戦国時代の常識が通用しない審神者を頂点とする本丸では、そんなことはできないのだ。だから、初めてこの後代に弱音を吐いた。小夜に縋りついて泣き出してしまいそうなのを堪えて、それでも意識して声を作った。
「……そんなの」
「……?」
肩を掴む手に力が入る。痛い、と抗議しようとして……先ほどよりも強い眼差しに射抜かれた。
「少なくともオレは! それ之定にすっげえ似合ってるって思った!」
「和泉守……」
だから笑い者になんてしない、と彼は言った。
「歳さんだってきっとそう言ってくれる!」
「忠興も、言ってくれるかな」
もうこの世にいない主人。歌仙に号を与えてくれた人。エプロンとカチューシャがなければまた違ったかもしれないが、おそらく見たところで正気を疑うだろう。むしろ似合ってるなんて言われたら忠興の正気を疑ってしまう。けれども和泉守は、優しい後代は、真剣な瞳で言うのだ。
「言うに決まってんだろ!」
きっとオムライスやパンケーキの為だけに説得しているわけではあるまい。先程も言っていた通り、歌仙が人見知りということを知っているからこそ、本当に外に引っ張り出したいのだろう。
「少し……考えさせてくれ」
続く
今日も部屋の外は暑い。この時代の障子は何故だか密封性に優れており、時代錯誤ではないかと思えるほど武家屋敷を再現した内装(外装は建物であることは分かるが、もうなんの建築だかよくわからない何かと化していた)の癖に、政府はこういうところだけマメに手配してくれる。冷暖房も完備しているし、厨だって原理は分からないが最新式のものだ。あらかじめレシピを登録しておけば、コンロを使う段になったらスイッチ一つで火加減から時間まで調節してくれる。炊飯器は開発者の正気を疑うほどに大人数分を炊けるものだし、本丸に常備してある鍋の大多数は馬鹿でかい、という表現がまさにぴったりで、このまま刀剣男士が増えていったとしても全く問題ないだろう。
二十二世紀って怖い、と本丸が始まったばかりの頃はよく初鍛刀の今剣と震えていたものだ。今は慣れてしまったが。
「……本当に、僕らは戦をしているんだろうか」
出陣さえなければこうして日々を暮らし、内番や趣味に勤しむ。大阪城を攻略していた時などは手入れ部屋が満室だったというのに、今では誰も入る者などいない。刃毀れもしていないのだから当然だ。
今は歴史修正主義者を斃し、本物の歴史……人間たちの営みや、歌仙の前の主達が繋いだ歴史を守る、そのための戦いのはずだ。審神者には他の業務があるのだからいないのは仕方ないとして、総隊長である自分までこの戦いのことを忘れたら、本丸はどうなるのだろう。そうなった本丸のことを、生憎歌仙は知らない。審神者が帰ってこなくなった本丸も、刀剣男士が戦を拒否した本丸も、知らない。
だから、自分が一番戦から遠いような振る舞いをして、結局戦場へ出たいと願う。三十六の佞臣の首は歌仙にとって主君に尽くしたという誇りだったけれど、戦場で三十六の首級を上げたってなにも罰は当たらないだろう。
「僕らは、一体何のためにこうして休日を迎えているんだろうね」
日々移り行く時の中で、季節の移ろいを楽しむ。人のかたちをとって、歌仙兼定というこの本丸の初期刀が一番に嬉しかったことだ。人の感じた世界を、人と同じように楽しむことが出来る。素晴らしいことだ。
だが、光輝いて見える世界は歴史改変という魔の手に脅かされているのだという。何故歴史を改変するのか、改変してどうするのか。それすらわからないままに、日々悪趣味な形を取った歴史遡行軍と対峙する。敵ならば斬る。それに異論はないが、あちらが何をやらかそうとしているのか、政府は知っているのだろうか。知っているならば教えてくれてもいいはずだ。そうすればもっと、自分の守るものについて知ることもできただろうに。元の主を助けることが叶わずに涙する者も少なくて済んだかもしれない。
(彼らの死は、この国の歴史にとって必要なことだった……ということ、かな。同時に、助けてしまえば大きな変わり目となる)
それは何にとってか、誰にとっての変わり目なのか。どんな風に変わって、誰が歴史の勝者になるのか。そんなことは誰もわかりはしないのに、敵は細切れにいくつもの時代を改変しようとしている。
(結局それだと整合性がつかなくなるんじゃないか? 一番古いところを変えてしまうだけで、きっと今のこの世界は消えてしまう……多分)
大変癪だが、詳しいことはあの審神者が帰ってきてから問い詰めないと分からない。あっちもこっちも戦の真っ最中であるということを忘れそうになる現実で、本当に自分たちは戦力になっているのだろうか。とりあえず資源の供給が止まらないところを見ると、役に立ってはいるのだろうが。
(今はそれよりも……この着物の意図だ)
これを話のタネに交流を広げろなんて、鶴丸みたいなことをあの審神者が言うとは思えない。単に着せて見たかっただけだろうとは思うが、本人が逃げたのなら見せようがない。
(鶴丸には喫茶店をしてみようなんて言われるし、話のタネにしろなんて、……一体僕はどうしたらいいんだ)
この本丸に女物の着物を纏った刀剣男士は二名ほどいる。だが、彼らは日常的に纏っているのと相応の化粧も施しているからこそ違和感が消えているのだ。それこそ笑われたらどうしたらいいのかわからない。
(人間の眼には自分自身は良く映るというし……僕が鏡で見た時は悪くはなかったが、そうでなければどうしたらいい)
こんな姿を旧知の小夜左文字に見られて、距離を置かれたりしたら耐えられない。それ以外の刀に見られて笑い者にされるなど、この歌仙兼定の矜持が許さない。元伊達家の面子とは知らない仲ではなかったから姿を見せられただけのことで、特定多数に見られるくらいならば今日は引き籠っていたい、と歌仙は畳に寝転んで丸くなる。
(帰ってきたらただでは置かないからな……!)
不穏当なことを決意しながら、手近にあった本を引き寄せる。『明日の献立』と書いてある表紙をめくれば、なぜか果物のたっぷり入ったかき氷のイラストが視界に飛び込んでくる。
「『絶品! 桃とマンゴーのフラッペ』……かき氷じゃないか」
これは食事とは言わないだろうと次のページをめくると、またカットされた桃がホットケーキの上に載っている写真が掲載されている。
「『桃とココナツのアイスパンケーキ』……今月号は喫茶店のメニューだったか?」
定期購読を希望すれば各本丸に毎月配られる料理の月間レシピ本だが、何かの陰謀ではないかと疑わずにはいられない。昨日から読んでいたのは事実だが、よもや自分がこんな格好をするとは思わなかったから、単なる被害妄想だとは分かっていても下らない陰謀論を疑ってしまう。
「喫茶店、か」
鶴丸国永の言葉が蘇る。喫茶店の真似事なんてしてみちゃあどうだい、なんて好き勝手を言ってくれる。大体、結局は歌仙と燭台切が料理を作ることになるのだから、そんなことをしたって女給(ウエイトレス)の真似事などしている暇なぞないだろう。
「……間違いなく非番なのに過労で倒れるな……」
この本丸は意外にも食い意地の張っている刀が多い。喫茶店など開こうものなら、本丸に常備してある果物や小麦粉が一日でなくなってしまいそうだ。通常喫茶店で供されるという珈琲はおそらく、どれほど高い豆を準備しようと余るに違いない。はぁ、とため息を吐いていると、障子の外に気配を感じた。
「歌仙、いますか?」
細川の家にいた時分に懇意にしていた短刀・小夜左文字の声だ。ばくばくと鳴る心臓を押さえながらゆるりと起き上がってどうぞと答えれば、音もなく障子が開かれる。
「あの、……その着物、もらったんですか?」
小夜の表情はいつもと変わらない、あまり感情の乗らない表情だ。それにひとまずほっと安心して、こくりと頷く。
「もらったというか、僕の着物と引き換えに置いてあったというか……」
「じゃあ、自分で買ったわけではない……ということですか?」
「ああ。でなければ女物の着物なんて手に入れないよ。こういう女物の着物を着ることの是非はともかく、着物自体はいいものだと思う。……でもねぇ、今日は人前には出たくないかな」
「……あなたならそう言うでしょうね」
さすがに細川の家では長い付き合いだ。何をどうやったら歌仙が嫌がるのかをよくわかっているこの短刀は、どうしようとも言いたげに首を傾げる。
「……鶴丸がね、喫茶店の真似事でもしたらどうだ、って言うんだ」
「喫茶店? ……ああ、その格好だから、ですか」
多分ね、とため息を吐くと、小夜の指先がフリルを突っついた。
「でもそんなことしたら本丸の備蓄が無くなってしまう。おまけに珈琲だけは絶対に余るのが目に見えているだろう?」
「甘党ばかりですからね」
そう。この本丸には非常に残念ながら珈琲という飲み物が浸透していない。いや、ブラックコーヒーだとかアメリカンコーヒーだとかいう、珈琲の中に砂糖もミルクも、その他甘味という甘味を入れていない飲み物が一般的ではない。小夜が言う通り、甘党が大多数を占める本丸だからである。
近侍ではないものの、近侍の歌仙の負担を減らすという名目で主命という名の仕事を求めて日々審神者に連絡を入れているあのへし切長谷部でさえ、厨で求めてくるのはどこぞの珈琲ショップで注文できるような飲み物である。グラスに注いだ液体の上に甘いホイップクリームとキャラメルシロップにチョコレートチップがどんと乗った飲み物を見て、燭台切と二人で卒倒しかけたのは随分と前のことだ。それからそんなに甘いものは身体に悪いと言い続けて早数ヶ月、へし切長谷部の飲み物の嗜好は……残念なことにまったく変わっていない。冷蔵庫の中にシロップやらチョコレートチップやらの飾り付け用の甘味類がやたら充実しているのは、この本丸の大多数が長谷部までとはいかないまでもそういう味付けを好むからである。
「ただでさえ業務用を大量に買い溜めして、政府から数量で問い合わせが来るのに……喫茶店なんてどうしたらいいんだ……」
もう泣きたい、とまた丸くなる歌仙に、小夜は溜め息を吐く。昔いつも見ていたような、まるで兄のような表情で仕方ない、という表情で、昔は大きく感じた小さな手で背中を撫でてくれる。
「……鶴丸国永さんはなんと?」
「交流を、温めろって」
「そう、ですか」
「この着物が話のタネになるだろうって。……そんなの無理だ。いつもこんな格好をしているわけじゃなし、笑い者になるなど耐えられない」
ぐじぐじと弱音を吐いているとくしゃりと髪の毛を撫でられる。
「お小夜……どうしよう。こんな格好で人前に出たくない。でも、燭台切も悪乗りして、もし注文していたらどうしよう……」
「……うん」
そうだね、と小夜が気遣わしげに頷いた。……なんだか、いやな予感がした。
朝食の後からどれだけ丸まっていただろうか。ずっと小夜についていてもらったが、燭台切は来なかったからまだ昼餉の準備の時間ではないらしい。
「よぅし歌仙! 業務用のクリームと砂糖と……まぁその他諸々を注文してきたぞ! というかもう届いた!」
すぱぁん! と勢いよく障子を開かれて、歌仙はびくりと身を震わせた。まさに飛び上がる勢いだった。鶴丸の後ろにはあんぐりと口を開いたへし切長谷部が立っている。
「どういうことだい……?」
「光坊も賛成してくれてなぁ、本人はギャルソンがやりたいらしいから衣装を調達してる真っ最中だ」
「ちょっと待て鶴丸国永」
なんだって、と声を荒げそうになった歌仙を援護するように、長谷部は鶴丸の肩をがっちり掴んで低い声で制止を掛ける。
「俺にもわかるように説明しろ。それと歌仙の衣装は何事だ。貴様か、貴様のせいか」
「歌仙が主の陰謀で喫茶店の女給の格好をさせられてるからいっそ喫茶店の真似事をしたらいいじゃないかって話だ」
主……! と長谷部が頽れた。別に彼が女装をしたいわけではないし、審神者からそういうものを貰いたかったというわけではないだろう。ただ単に、本丸運営上近侍の歌仙がこうなれば長谷部にもしわ寄せが来るわけで。
「何故本人に根回しをしなかったのですか……!」
「本当にね」
根回しをしなければ彼は表情には出さなくともあたふたするだろうし、歌仙だって何が目的なのか分からなくて困ってしまう。というよりも、現に今困っている。だが、そんなことより今は喫茶店云々の件だ。それで、と居住まいを正して鶴丸に向き直る。
「光忠は二つ返事だったのかい?」
「二つ返事だった。あと伽羅坊には消極的に反対された」
「何故積極的に反対しなかった」
これはひどいと呆然としていると後ろで小夜がため息を吐く。
「流されても一日部屋に引き籠れば一連の騒動から逃れられると思ったんでしょうか。……今日の歌仙みたいに」
「お小夜! 僕は当事者であって巻き込まれた側じゃないんだよ……!」
それはそうですけど、と彼は首を傾げる。
「でも歌仙、着物なら主に大分貢がれていたんじゃ……」
そう。歌仙を溺愛する審神者によって非番の時に着る着物には事欠かない……はずだった。昨日の夜までは確かにそのはずだった。
「全部女物にすり替えられていたよ。……なんだろうねあの行動力。この部屋、監視カメラとかついているんだろうか」
「……監視カメラはついていないと思うぞ」
長谷部がせめてもと慰めてくれたが、歌仙の心は泣きたい気持ちでいっぱいだった。
「おまけに……長谷部にまで見られるなんて」
「俺で不都合があったか?」
「笑い者にされたくないんだ! 頼むから今日は一日引き籠らせてくれ!」
そうかと紫色の瞳が瞬く。
「気に病むほどではないと思うが。……むしろ、なんだ。その……似合っていると思うぞ?」
これでもダメかと見つめてくる眼差しに、歌仙はじりと後退する。目と目で通じ合うことは信頼関係を得ているようで嬉しいのだが、じっと見つめられるのはどうにも居心地が悪い。これが本体を見つめられるのならば誇らしいが、人の器では気恥ずかしさが優ってくる。
「あの、長谷部。……その、何か気になるのかい? じっと見たりして」
「い、や。そうではない。そうではないんだが……元が華のある奴だから、そういうのも似合うのだな、と思って、つい」
「そ、そうかい」
つい気恥ずかしくて視線を逸らすと、鶴丸が微笑ましそうににこにこしている。
「ほら、話のタネになるだろ? お前さんの人見知りを治すいい機会だ。喫茶店をやろうじゃないか」
手伝えよ長谷部、と声を掛けられた長谷部は、なぜか裏返った声で何故俺がと抗議していた。声色はともかく内容は納得できる。
「……丸め込まれましたね」
「……うん」
主命第一で主たる者以外にはわき目もふらない男かと思えば、長谷部は意外にも付き合いのいい男である。本丸の飲み会には大体参加していたりするし、クリスマスパーティーの時だって率先してビンゴを買ってきた。織田信長から下賜されて以来ずっと黒田の家に仕えていた刀剣だから、てっきり敬虔な基督教徒として厳粛な一日を過ごすのかと思っていたから、大層驚いたことを覚えている。……クリスマスイブにパーティーを開催したからだったのかどうかは分からないが、その次の日に自室に籠もっていた。彼がこの上なく愛するかつての主と同じように祈りを捧げていたからかもしれない。
ともかく、面白そうなことはなぜか嫌そうな顔をしながらも率先してくれるのがへし切長谷部という男である。鶴丸と燭台切が乗り気で、大倶利伽羅も反論がないとなれば、本丸の板張りの部屋……三つある応接室のうちどれかを貸し切って、レイアウトから何からこだわるに違いない。これで大分退路は塞がれてしまった、と思う。彼がやると言えば強硬にやらないとは歌仙としても言い張りづらいのだ。だが。
「……やるんなら絶対に厨に引き籠ってやる」
こんな格好で人前に出たくない、と唸れば、小夜がよしよしと後ろ頭を撫でてくれた。よろよろと立ち上がって障子を閉めて、ずるずると座り込む。普段なら雅でも風流でもない振る舞いは避けて通ることにしているが、今はそんな気分ではなかった。
「歌仙、」
「はしたないのは分かっているんだ……でも、少し、耐えられなくて」
「……主に復讐しますか?」
それには首を横に振る。
「主は後で手打ちにする」
「……死なない程度に」
「戦国の世ではないし、僕もそこまで非道ではないよ……ただ、今後の僕への接し方は改めてもらう。二度と主に僕の下着は洗わせない。というか干しているところも見せない」
「洗ってたんですか?」
「もちろん洗わせないよ。主だよ? 刀である僕が主人に洗い物などさせられるわけがないだろう? ……実は、僕が洗濯機に放り込んでから乾いたものを畳むまでじっと見ているんだ」
「それならいいですが」
傍らの短刀がほっと安堵の息を吐いた。
「当面の問題は喫茶店、ですか」
「ああ。……こればっかりは主を責めても八つ当たりになってしまうし……どうしようか。やるにしたって厨に引き籠ったままとはいかない気がするんだ」
元をただせば歌仙のこの格好を見て鶴丸が言い出したことである。燭台切もギャルソンの衣装を調達しているというから、今日の夕方まで準備をするにしても、恐らく交代で接客に出ることになるだろう。最初の本丸案内は近侍である歌仙の仕事だから、この本丸の全員と話したことはある。だが、その後も全員と親しくしているかと言ったら、それは別の問題と言わざるを得ない。
かつて細川の家で共に過ごした小夜のように親しい刀はいる。燭台切だってその頃からの付き合いだ。むしろ(恐らくいつか本丸に来るはずの太鼓鐘貞宗も含め)伊達の面子や前の主が織田信長に仕えていた頃に顔見知りだった面子はそれなりに親しいし、歌仙が付喪神としてまだまだ生まれたてほやほやの頃を知られている。(あの頃は分類が脇差だったような気がするから、今のような成人男性の成りではなく、ほんの小さな童子だった。ちなみにいつ今の姿になったのかは覚えていないが、長谷部や宗三左文字など随分可愛がってくれたものだ。宗三などこの本丸に来た時に、『あの小さな之定が随分大きくなりましたねぇ』とまるで親のような顔をしていた)
だが、本丸にいるのはそういう刀ばかりではない。前の主に教養は似ても、人付き合いの能力までは似なかったのだ。戦国時代に細川の家が懇意にしていた大名の家にいた刀もいるし、逆に仲の悪かった家の刀もいる。そうかと思えば三条派のように全く知らない刀もいる。そういう刀たちと懇意に渡り合っていくなど、気が遠くなりそうだ。
「何をどう話せばいいって言うんだ……」
「同じ兼定派の和泉守とは仲が良くないのですか? 同じ部隊でしょう」
「戦場のこと以外で話したことはないよ。……同じ新選組の面子のほうが話しやすいだろうし、実際そのようだし」
同じ刀工から生まれた訳でもないし、とため息を吐くと、またよしよしと撫でられる。
「難儀ですね……」
「……うん」
やはり喫茶店など無謀なのでは、と二振りでため息を吐いた。
☆☆☆
昼餉を食べ終わり、歌仙は自室に下がって本を開いていた。面白そうだと思って何とはなしに読んでいる、付喪神に関する本だ。パラパラと適当に流し読みをしていると、ふと騒がしい足音と共に障子の前に人影が見えた。長い髪に羽織姿。和泉守兼定だ。
「之定ぁ、今いいか」
「……」
「ここで構わねぇからよ」
先刻部屋には入れてあげられない、とは言ったものの、このまま外に出したままで対応するのも可哀想というものだ。何しろ外は暑い。今日は内番用の着物姿でも戦支度でもない、涼しそうな浅黄色の小袖に袴といういでたちだが、熱を吸いやすい長い黒髪はこの陽気では辛いだろう。
「……いいよ。入っておいで」
外から安堵のため息が聞こえ、障子が開いた。和泉守兼定が小さな紙袋を携えて入ってくる。
「悪いな。……これ、さっき端末見てて買ってみたんだけどよ……」
おずおずと差し出された紙の箱には『八国山』と箔押しされている。
「オレの前にいたところの近くの名産品らしいぜ。……栗が入った饅頭とかって書いてあった」
「へぇ……」
紙の箱はしっかりしていたが、受け取るとずっしりと重い。饅頭というのならば致し方ないだろう。
「開けても?」
「おう」
箱のふたを開けると、紅白の細い紙と柔らかな白い紙に包まれた饅頭が十ほど姿を現す。
「お茶を淹れようね」
立ち上がって茶葉を取り出し、常に温めてある湯を急須に注ぐ。茶こしに茶葉を入れて急須の中に入れる。氷を入れるのだから少し濃いぐらいがいいだろう。部屋に備え付けてある小さな冷蔵庫から氷を出して、湯呑に入れる。
「冷たいお茶でいいかな」
「ああ、すまねぇな」
ふと見てしまった快活な笑顔に饅頭のお礼だよと小声で呟いて、蒸らしが終わった茶を注ぐ。ぱきぱきと小さな音がして、氷にひびが入っていく。どうぞ、と饅頭と一緒に差し出すと、おお、と嬉しそうな声が上がった。いただきます、と二人で手を合わせて茶を一口すする。僅かな苦みと茶葉の香りが鼻腔を満たした。
「うめぇ」
「それは嬉しいねぇ。……で、どうしたんだい?」
もう一口茶を啜りながら聞くと、和泉守は饅頭の包み紙を剥がしながら少しばかり気まずそうな表情を浮かべる。
「いや、な。……主の陰謀で大変な目に遭ったって言ってただろ? んで、喫茶店やるって」
「やるとは言ってない」
やるって聞いたぜ、と彼は不満げに饅頭を一口齧る。歌仙も饅頭を齧ると、優しい甘さの白あんが舌の上でとろりと広がった。
「昼餉の時に、長谷部が大々的に手伝えって言ってたぜ? ……燭台切が張り切ってたから、多分もう準備が始まってるかもしれねぇな」
「……主に怒られるぞ……?」
どうせばれたってあの審神者が本気で怒るとは思えないのだが、せめてもの抵抗で言ってみる。
「本気で怒られるとは思えねぇがな」
「放任主義だからね」
お互いこの本丸に招かれて長い身だ、あっさりと見抜かれて歌仙は苦笑する。
「それでよ、ずっと考えてたんだが。……之定の格好な、どっかで見たことあんだよな」
和泉守はどこだっけなぁと長い黒髪を掻き回す。
「僕は三百年くらい前の女学生……いや、喫茶店の女給みたいだと思ったのだけど」
「いや、それもそうなんだが、もうちょい最近……あ、卒業生だ」
卒業生? と歌仙が眉を顰めると、和泉守はそうそう、と得心のいったように頷く。
「ほら、三月の卒業式ん時な、女の学生があんたのカチューシャとエプロンとったみたいな格好で学校行くんだよ。化粧もしてるし、大学生なのかねぇ。……見たことあるだろ?」
ああそういえば、と歌仙も思い出す。あまり人混みに近づきたくはないから外へはそれほど出なかったのだが、確かに早春の頃はそんな風景を見たような気がする。卒業おめでとう、と言いかわす人の群れが、右に左に歩いてゆく光景。また一つ巣立ちに近づく、華やかな別れの式。
「そうだね、見たことがある。……確かにエプロンとカチューシャはなかったよね。でも、あれは……女学生のものだ。今着ているこれも女給のものだし」
僕が着るのはどうなんだろうねぇと首を傾げる。女物の着物。ほんの童子の姿だった頃ならこの色でも……いや、もっと濃い桃色でもまだ童子だからと許されただろう。だが、あれから数百年が流れた。今の青年の姿では許されないものも多いだろう。
「童子であった時分なら許されたかもしれないんだけれどねぇ……着物自体はね、いいものだから……着る分にはいいんだ。人前に出るのは極力遠慮したいだけでね」
「そうか」
そう言うと、和泉守が難しい顔で饅頭を口の中に放り込む。黙って茶を飲み干すその様子は何かを思案しているようでもあり、言葉を選んでいるようでもある。新撰組のように旧知の間柄であれば、その思考の海に割って入ることもできるかもしれない。けれども、数百年という時の隔たりが、刀工(おや)の何代にもわたる隔たりが、喉の奥に言葉をしまい込んでしまう。
鶴丸の言う通りに女給の真似事でもすれば、少しは話せるようになるだろうか。いつかこの歴史修正主義者との果てのない争いが終わり、いるべき場所へ戻った時、共に暮らす付喪神たちと他愛のない話を他愛もなく……それこそ、話題に詰まることも、うまく話せない自分自身に苛立つこともなく話せるだろうか。饅頭の残りを食べてと茶を飲み干してしまいながらもそんなことを考えていると、大分考えがまとまったらしい和泉守が口を開いた。
「なぁ之定」
「なんだい」
「喫茶店の……あー、キャフェーとかいうのの真似事、本当にやってみねえ?」
キャフェーてなんだ、と思考が停止仕掛けて、ああ喫茶店の大分古い言い回しか、と思い至る。大正時代から昭和時代にかけて、小説の中に出てくる喫茶店には現代で言うカフェ、という表記ではなく喫茶店(キャッフェー)と表記されることが多い。断定が出来ないのは歌仙が読んでいた小説ではそう言う表記であったというだけで、全ての本がそうであるとは言い切れないからである。ともかく、最近流行りの刀、と言うだけあって和泉守もそういう言い方をするのかと少し驚いたが、なによりも女給の真似事を提案するこの後代に驚いた。
「……パンケーキでも食べたいのかい?」
出来るだけ声色に出ないように注意を払って問いかけると、彼は気まずそうに頬を掻く。
「まぁそれもあるんだけどよ……オレの勘違いかも知れねぇんだが……あんた、他の奴と喋んの、怖がってるような気がしてよ」
「そうかい」
気が付いていたのか、と声には出さずに呟く。饅頭の包み紙と飲み干した湯呑をものともせずにじり、と歌仙の方に膝がにじり寄って来て、少しだけ後ろに下がる。とっさに湯呑の被害を防ごうと端に避けたが、それが失敗だったかもしれない。じりじりと迫る大柄な身体を阻むものが、何もないのだ。
「オレん時だってそうだろ。本丸の案内はしてくれたのに、あとは話し掛けにも来ねえ。……もしかして一人でいる方が好きなのかとも思ったが……オレが話し掛けてみたくて、よ」
「……そう」
「……だから、他の奴もあんたと話したいんじゃねぇか?」
本当に、とは聞けなかった。目を見るまでもない。歌仙の頑なな心の殻にヒビを入れる、そのまま割ってしまいそうな程に強い一撃、真摯な声だったから。だから歌仙も、震える声で心の中を吐き出した。
「……僕はね、何を話していいかわからないんだよ。きっと細川の家で大元の僕が懇意にしている刀が来たって、きっとうまく話せない。お小夜にだって全てを晒け出せるとは言い難い」
「……いや、オレだって国広に全部報告なんかしてないぜ」
「それだけじゃない。……これは、女物の着物だ。長谷部やお小夜や伊達の刀は忠興にくっついていた小さい姿を知っているし、あの時はあの時でこういう柄の着物も他の刀に着せられていたからまるで気にしていないような反応だけど……」
君たちのように知らない者にしたら珍妙にしか見えないだろう? と返せば、力強い手が肩を掴む。
「んなことねぇよ!」
「え……」
「文系だから、ってのはよくわかんねぇけど、あんたそういうの似合うんだよ!」
「だが、エプロンやカチューシャなんて」
「可愛いじゃねぇか! ……なぁ、あんたの人見知り、多分皆知ってると思う。でもよ、それ以上に皆、あんたと話してみたいんだよ。……キャフェーを取っ掛かりにな」
「そういう、ものなのかい?」
ああ、と和泉守は力強く頷く。
「主の悪行だったとしても?」
「主はなんも考えてねぇと思うけどな、オレらにとっちゃあ渡りに船だ。……なぁどうだい之定。手塩にかけて育ててくれた可愛い可愛い後代に最初に作ってくれたオムライス、食わせてくれよ」
ふと視線を戻して、ああ、眩しいと思った。生存その他諸々で機動以外の全てを歌仙より上回る、可愛いと表現するには少しばかり優秀すぎる兼定の後代。武士の世の終わり、壬生の狼と称された新撰組の鬼の副長に振るわれた打刀は、こんな風に時代の違う先代を導くことが出来るのだ。
「和泉守」
「ん? あとオレ、カルアミルク飲みてえ」
「在庫がないよ。この間の宴会で君、全部飲み干したじゃないか。しかも潰れるし……あのあと布団に放り込むの、大変だったのだから」
「……おう」
カルアミルクなどのカクテルは、歌仙の記憶が正しければ材料の在庫がなかったはずだ。言い訳という名の説教を始めてしまえば、きらきらしい笑顔の眉尻がしょんぼりと垂れた。
「……仮にやったとしても、次の日の食材はどうするんだい? 野菜は畑でとっても残りの食材をすぐに買ってこられるわけでもなし、食べつくしてしまったら何も作れないよ」
「う……」
それに、とふいと視線を湯呑に投げる。これでもう表情を見なくて済む。
「いくら僕が文系名刀とはいえ、着物に罪はないとはいえ……どうして女装をして人前に出なければならないんだい」
「あ……」
今、和泉守がどんな顔をしているかはわからない。顔を上げるのが、怖い。
「……知らなかったよ。人の眼がこんなに怖いなんてね。君もそうだと思うけど、まだ自我を持つ前から数多の人間の賛美を浴びてきたし……付喪神になってからだって、他の付喪神が色々と構ってくれた。少しばかり他の場所で暮らしたことはあるけれど、まったく知らない家のものばかりいる場所で暮らすのは……初めてなんだよ。あの家のものなら僕がこんな格好をしていても気なんか使わなかっただろうけど、……君たちに失望されるのが、怖いんだ」
初期刀として招かれ、近侍に置かれてからずっと、相応しい振る舞いをと心掛けてきた。そのためには内番も文句は言うけれどもこなしてきたし、一番多く首級を上げてきた。刀が増えてからは審神者が常駐しない本丸を切り盛りするために効率をずっと考えてきた。勿論風雅を愛でる時間はとってはいたが、それは歌仙を形作るものゆえのこと。雅たれと説くことはなかったが、長谷部と共に刀剣男士としての振る舞いを説いたことなど何度もある。目の前の和泉守などその最たるものだ。
そうして作ってきた、近侍として、刀剣男士としての歌仙兼定は、誰よりも厳しく、凛々しく、そして優しくなくてはならないのだ。ちょっと若気の至り(もうそんな年ではないけれど)、と言って女装をするなどあってはならないのだ。たとえその近侍像が張りぼてだったとしても、決して崩してはならないのだ。
「僕は君を何度か叱ったことがあるよね。誰も見ていないからって足を放り出して大の字になって、ぽてとちっぷすを齧ってはいけないって」
「……おう、そんなこともあったな」
「僕が女装をしているということはね、それと同じなんだよ。普段から女物を着ている者たちであればいいけれど、普段男物を着ている僕が着るのは、近侍として相応しい振る舞いとは言えないんだ」
「之定……」
「それで笑い者にされたら……僕はこれから、どうやって過ごしていけばいいんだい?」
之定ともあろうものが情けない、と思う。世が世なら、笑い者にする者は片っ端から手打ちにしてしまえばいい。……それでも、今は……戦国時代の常識が通用しない審神者を頂点とする本丸では、そんなことはできないのだ。だから、初めてこの後代に弱音を吐いた。小夜に縋りついて泣き出してしまいそうなのを堪えて、それでも意識して声を作った。
「……そんなの」
「……?」
肩を掴む手に力が入る。痛い、と抗議しようとして……先ほどよりも強い眼差しに射抜かれた。
「少なくともオレは! それ之定にすっげえ似合ってるって思った!」
「和泉守……」
だから笑い者になんてしない、と彼は言った。
「歳さんだってきっとそう言ってくれる!」
「忠興も、言ってくれるかな」
もうこの世にいない主人。歌仙に号を与えてくれた人。エプロンとカチューシャがなければまた違ったかもしれないが、おそらく見たところで正気を疑うだろう。むしろ似合ってるなんて言われたら忠興の正気を疑ってしまう。けれども和泉守は、優しい後代は、真剣な瞳で言うのだ。
「言うに決まってんだろ!」
きっとオムライスやパンケーキの為だけに説得しているわけではあるまい。先程も言っていた通り、歌仙が人見知りということを知っているからこそ、本当に外に引っ張り出したいのだろう。
「少し……考えさせてくれ」
続く
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