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お久しぶりです。
5月4日のSCC新刊のサンプルです。。春コミで発行した『卵の贈り物』の続編になります。
探偵パロ本の為、都合上オリキャラという名のモブがしこたま出てきます。ネタ元はシェイクスピアの『ハムレット』です。作品の性質上、流血・暴力表現があります。
当日は東1ホールタ20aにてお待ちしております。
『狂気の水精(オフィーリア)の為に』(A5/112ページ/全年齢)700円
《あらすじ》
エクレールと旅行をすることになったホープ。二人は宿泊先のホテルで連れの青年を探す女性たちと出会う。気になって二人もその人物を 探すが、目の前に現れた青年は不思議なことを言い残してホテルに連れ戻される。そして夕食の時間、宿泊客は全員大広間に集合するはずが、一人足りないこと を知らされる……。
※登場人物紹介※
・ホープ・エストハイム……エストハイム探偵事務所 の所長。忙しくて干乾びそうだったため、友人に頼み込んで助手を紹介してもらった。
・ライトニング……ホープの恋人にして助手。ホープの友人の妻の姉。才色兼備の女性だが、料理は苦手(現在特訓中)。
・シド・レインズ警視……エリート警察官。
・リグディ警部……レインズの部下。
・ホレシュー・ベルガモット……ホテル『ウンディーネ』の支配人。
・ジュリエット・コランバイン……宿泊客。
・レオナルド・パンジー……宿泊客。
・サリア・ヘンルーダ……宿泊客。
・ヴォロネーズ・フェンネル……宿泊客。
・アゼル・ローズマリー……宿泊客。
・ルー・オーキッド……宿泊客。
・メアリー・ブラック……従業員。
・ジョー・ブラウン……従業員。
「ホープ、朝だぞ。起きろ」
エクレール・ファロンの一日は、上司を起こすところから始まる。なにしろこの上司……ホープ・エストハイムは大変寝付きが悪く、かつ寝起きが悪い。たった二人の職場で、まずこの男を起こさなくてはなにも始まらないのが現状だった。今だってホープはうぅんと唸りながら、ごろんと寝返りをうつ。
「ホープ!」
揺すっても起きないので軽く肩を叩く。すると掴んだ手をがしっと掴まれて、ベッドの中に引きずり込まれそうになった。
「うわっ……!」
踏ん張ろうとして体勢を崩し、ホープの真上に雪崩れ込む。はからずも唇と唇が触れそうになり、慌てて顔を背けた。ホープはエクレールの恋人だ。一旦そう意識してしまえば、手を繋ぐことにだって照れてしまう。故にキスなんてどれ程かかることかと密かに溜め息を吐いているのだが、そのファーストキスが寝惚けた恋人となんて悲しすぎる。背けたところで 頬に唇が当たったのだが、もうそれは気にしないことにする。おそるおそるホープの顔に目を向けると、ぱっちりと見開かれた翠の瞳と目があった。
「あ、あの、エクレール、さん……?」
「事故だ!」
何やら言い募ろうとしたホープにそう叫ぶと、彼はぼっと音が立ちそうな勢いで頬を染める。それからひっくり返る寸前のような声でうわぁい、と叫ぶと、猛然と捲し立てる。
「そ、そそそそそうですよね! うん事故ですよね!大丈夫です僕わかってます! キスしてもらって起きるとか僕ちょっと夢でしたけど大丈夫です! 大丈夫ですよ!」
ちょっとも大丈夫そうに聞こえない台詞だが、あんまりにも挙動不審なのに追及するのも可哀想な話である。それより何より、エクレール自身にも追及するだけの余裕がなかった。目の前に自分より取り乱した人間がいると却って落ち着くなんて絶対嘘だろうと知らない誰かに心のなかで悪態を吐きながら彼女はひとつ深呼吸をする。
「ホープ、おはよう。……その、朝御飯、作ってみたんだが」
慣れないことをして、慣れないことを言って、頬が熱い。見つめた先の恋人が頬を染めて微笑んだ。
「嬉しいです、エクレールさん」
ご飯にしましょう、と頬に押し当てられた唇は、エクレールと同じぐらい熱かった。
「ところで、ホープ。お前郵便物と新聞は読まない主義に鞍替えしたのか」
スクランブルエッグを口に運びながらエクレールが漏らした問いに、ホープはきょとんと首をかしげた。彼女がそう尋ねた理由は単純である。ここのところ事務所に届く新聞と郵便物はエクレールが封を開けるだけで、中身をホープが読んでいるのを見たことがないからである。彼女がこの探偵事務所に就職した当初は読んでいたような気もしたので尋ねてみただけだ。確かに気がかりはあったが、それよりも経費のことが気になっただけである。読まない新聞代を払っていても仕方がない。クロワッサンをカフェオレで流し込んで、ホープは首を横に振る。
「ちゃんと読みますよ? ……あぁ、そういえば最近は読んでなかったかもしれないです……ほら、ちょっと忙しくて」
忙しいというのは近所のご婦人の猫探しをしていたからである。唐突にそんな質問をされて何か気にかかったのだろう、どうしてですかと聞いてくるので、昨日から悩んでいたことを話すことにした。
「いや、明日から旅行だろう?……実は、新聞に載っていたんだが、ホテルに脅迫状が届いたらしいんだ。それも、明日の指定で……よくないことが起こると」
「ホテル側はなんと?」
「万が一のために明日の宿泊を控えてほしいと。……振り替えの部屋の保証はするそうだぞ」
明日からの旅行は北の地方の庭園が美しいホテルに泊まる予定だ。旅行雑誌に掲載されるほど有名な場所らしく、自分も泊まりに行ったというセラが大層推していたホテルである。
が、その有名なホテルに脅迫状が届いたらしい。宿泊客に危険が及ぶといけないので、明日の宿泊はキャンセルしてほしい……そういう内容の封書が届いたのが三日前のこと。昨日になってホテルからどうなさいますかという電話がかかってきた、というわけである。ちなみにこういう事態だからと前日のキャンセルでも手数料は取らないという何とも太っ腹な……もとい、ありがたい申し出である。ひとまず連れに確認すると言って電話を切ったのだがと話せば、なるほど、とホープが呟いた。
(中略)
一般の客には知られたくない、マスコミにでも売られたら困る理由があるのかもしれない。そう考えれば客室係のぎこちない態度も分かるような気がする。
「……うん、納得できないところはやっぱりありますけど、僕らがここで考えていても仕方ないですかね。まだ明るいですし、庭園でも見に行きましょうか。本でもすごく評判良かったですもんね」
確かにホープの言う通り、このホテルに来たばかりのエクレールたちが考えていても何も解決も進展もしないだろう。それにこの旅行は恋人の休暇でもあるのだ。部屋の中で考えているよりも、外に出たほうが何かしらわかるだろう。だから彼女は頷いて、差し出された手を取った。
鍵をホープのカバンに入れ、フロントを通り過ぎて建物の外に出た。フロントには若い女性が一人いるだけで、案内をしてくれた男はおろか他の従業員も見当たらない。夕食は特別希望がない限り二階の大広間で供されるというし、今はその準備で忙しいのだろう。
ともあれ、薔薇庭園はチェックインを済ませる前にも見てはいたが、この時期に相応しく大輪の花を咲かせている。これなら午前中に観光した植物園にも見劣りしないだろう。
「すごいな、これ」
これほど大きい薔薇はあまり見ないと感嘆の心持ちをそのまま口に出せば、すぐ隣でホープが頷く。
「すごいですね……これだけのものはなかなか見られないですし、それに……」
それに、と彼はエクレールの指に自分のそれを絡める。些か驚いてそちらを見れば、白く滑らかな頬はうっすらと染まっていた。慌てて傍に咲いていた白い薔薇に視線を移す。くすりと笑う声を聞きながら、その美しい花に暫し見惚れた。外側の白い花弁は内側になるにしたがって艶やかなピンク色と熟れた杏の色に染まり、全体を見れば淡いピンク色とも見ることが出来る。花の形は品種故か育て方ゆえか大きく丸く、内側の小さな花弁がふんわりと愛らしく花芯を隠しているのに対し、外側の花弁の端がくるりと巻いて程よく甘さを消している。
「綺麗だな、この薔薇……」
「オフィーリア、です」
ホープの息が声を形作るよりも早く、柔らかな女性の声が二人の会話に割り込んだ。振り向くと、濃い色をした金髪を波のように緩く巻いた女性が立っている。柔和な表情をして、茶色の瞳を柔らかく和ませている、優しそうな、上品な美貌。年のころはエクレールより上、ホープともそう変わらないかもしれない。
「……オフィーリア?」
少しだけ拗ねたような声で、ホープが反応する。女性は柔らかく微笑んだまま頷いた。
「ええ。その薔薇の品種ですわ。品があって、この薔薇庭園では何よりも美しい花……ああ、申し遅れました。私はジュリエット・コランバインと申します。……友人と久しぶりに集まろうという話でして、本日からこのホテルに泊まる予定ですのよ」
女性……ジュリエットはそこで目を閉じ、ぽってりと紅い唇から悩ましげにため息を吐いた。
「だというのに……友人の一人がこのホテルに着いたとたんにどこかに行ってしまって。私たち総出で探しているのに見つかりませんの。……その、どこかで明るい金髪のショートヘアに蒼い瞳の男性を見かけませんでした?」
人探しの口実にオフィーリアという薔薇の品種を教えたということだろうか。だが、とエクレールはホープと顔を見合わせる。
「……いや、見ていないな」
「そう、ですよね、ありがとうございました。……ああ、どこに行ってしまったの、アゼル……」
会釈をしてジュリエットは速足で歩き去っていってしまった。ホープがうぅん、と首を傾げる。
「でもここの庭園、そんなに広くはないですよね……となると、その人は逃げているのか、それとも森の方ですかね?」
探してみますか? と、少し遠慮がちに聞かれて、気が付けばエクレールはそうだなと返していた。ホープは探偵で、エクレールはその助手だ。人探しなど、特にホープは何百回と経験しているだろう。
名のある探偵は外に出れば事件と遭遇する……そんな話をどこぞで聞いたこともある(実際ミステリー小説の探偵は旅行をすれば事件に遭遇しているし、間違いではないだろう)が、これは事件には入らないし、人探しぐらいしても十分な休暇にはなるはずだ。
「じゃあ、森の方に行きましょうか」
握ったままの手に、ぎゅっと力が籠められる。
『あなたとのデートをないがしろになんて絶対しませんから』
そう言われているような気がして、エクレールの頬が一気に熱を帯びた。何となく気恥ずかしいまま二人で並んで森の方へと歩いてゆく。色とりどりに咲き誇る薔薇の傍を抜けて、樫や欅の生い茂る森に入ると、ひんやりとした空気が二人を包んだ。日中は若干汗ばむほど暑かったために軽装ではあったものの、夜間は冷えるかもしれないと上着を持ってきている。……だが、せっかくの上着も部屋に置きっぱなしでは意味がない。失敗したかと身を震わせると、明後日の方を目で追ったまま、ホープが繋いだ手を引いた。そのまま奥の方まで引っ張り込まれる。
「ホープ?」
「……その、ここ、ちょっと涼しいですから……」
赤く染まった頬をして、彼はぐっと繋いだ手を引っ張った。その力に逆らわず、エクレールは彼の胸元に飛び込む形になる。その背中に、普段はどう見たって優男のそれにしか見えない腕が力強く回された。
「……!」
頬に触れたシャツ越しの体温に、彼女はどうにも落ち着かなくなる。
「こういうこと、普段はあまりできないですから……ね?」
いいでしょう、というようにホープの頬がエクレールの髪に擦り寄せられる。彼女も応えるように頬を胸に押し付ければ、早鐘のように脈打つ鼓動を耳に感じた。確かに普段はデートらしいデートもしていない。この間の休暇がおそらく初めてのデートだろう。そんな調子だから、外出という名目捜査では手を繋ぐこともあまりできないし、こんな風に抱きしめられることなんてもっとない。いや、これは初めてではなかろうか。ホープのこの鼓動の速さは外で堂々と仲良くするのに緊張しているからだろうか。
「ね、エクレールさん」
腕の力が強くなる。耳の奥に、幽かに水のせせらぎが響く。抱きすくめられたまま、請われるままに彼女はぼんやりと恋人の眼を見つめた。
「ホープ……」
随分と近いな、とどこか他人事のように思う。翡翠色をした目は随分と熱を帯びていて、その中に映る自分の目もきっと同じような状態だろう。ねっとりと音がしそうなほど視線を絡め合ったまま、二人の顔の距離は近づいてゆく。鼻先が触れあいそうになって、ホープが僅かに顔を傾けた。その目も瞼に隠されてしまったが、エクレールは動けない。こんな木陰に引っ張り込んできたのだ、恋人の意図することぐらい想像がつく。唇と唇が触れあう寸前、パキ、と小枝が折れる音がやけに耳に響いた。
「あれぇ、楽しそうだねぇ」
のんびりと響いた声に二人ははっと現実に引き戻される。腕の力が緩んだ隙に反射的に身体を離して声のほうを見ると、金髪のさらさらしたショートカットに青い瞳の青年が小首を傾げて立っていた。
「ここに泊まるのかな?」
「え、ええ、そうですが……あなたは?」
ホープが上擦った声で返す。青年はああ、とふんわり笑って頷いた。柔らかくて優しい声だ。
「僕もだよ。……ふふ、綺麗でしょう、この森」
ここも秋になるともっと綺麗なんだよ、と青年は言う。その眼が何かを懐かしむように一瞬だけ細められて、また彼は笑った。
「ここにね、あのこがいるんだ」
(中略)
エクレールの篭城はものの五分で終息した。朝食の時間が迫っているということと、まだ自分がナイトローヴを纏ったままだということに気が付いて我に返ったらしい。バスルームから出てきた彼女は洋服を持って再び籠もり、ニ十分ほど時間をかけて支度を整えてから姿を現した。今日は残念ながら昨晩のドレス姿ではなく申し訳程度にフリルのついたカットソーとピンク色のジャケットだが、これはこれで可愛らしいと思う。
「朝食も大広間でしたっけ?」
ホープがシャツのボタンを留めながら尋ねると、エクレールは腕時計をはめながら頷いた。
「昨日みたいに配膳されるらしい。……期待していいんじゃないか?」
「ええ、期待しましょう」
今日も仕事は抜きでエクレールと一緒、という事実がたまらなく嬉しい。心なしか彼女の口許も綻んでいるような気がする。後ろから覆い被さるように抱き締めると、彼女は耳まで真っ赤に染め上げて俯いてしまう。
「エクレールさん?」
「お前、朝っぱらからこういう……」
その声にも棘はなく、ただ恥ずかしいだけらしい。そんなエクレールが堪らなく愛おしいのだと、ホープは薔薇色の髪に頬を刷り寄せた。
「ホープ!」
ぱっとこちらを向いた彼女は身を捩って彼の腕から逃れると、ホープのシャツをぐっと掴む。
「も、もう食事の時間だろ!行くぞ!」
ぐいぐいと袖口を引っ張る姿もやっぱり可愛い、と彼はゆるゆると破顔した。
昨日と同じ大広間に入ると、昨日一堂に会した面子が九割がた揃っていた。すぐに青いシャツを着たアゼルが気付いてひらひらと手を振る。
「おはよう」
「おはようございます」
「いい朝ですね」
全員と挨拶を交わしながらぐるりと周りを見回すと、ジュリエットの姿が見当たらない。エクレールの横顔を盗み見ると、彼女も表情にははっきりと出さないものの、不可解そうな目をしている。そこに客室係のホレシューが入ってきて、おやと目を丸くした。
「ジュリエットは寝坊かい?」
「連絡は何も来ていないが……迎えに行くべきだったかな」
白のタキシードに白いシャツ姿のヴォロネーズが携帯電話を取り出して画面をタッチし、耳に当てる。ややあって首を傾げながらも電話をしまった。
「出ないな。……まだ寝ているのか?」
「うーん」
薄く緑のストライプが入ったシャツを着ているレオナルドがアゼルを覗き込む。彼は相変わらずにこにこ笑ったままだ。
「アゼル、ジュリエットはいつもこんなに寝坊しているのかい?」
「ジュリエット? あはは、ジュリエットは……そうだねぇ、……シャワーは長いけど、起きるのはどうかなぁ」
目を細めて、アゼルは笑う。レオナルドは頭を抱えて、ホープに耳打ちした。
「アゼルはジュリエットと一緒に住んでいるんですよ。……なんでも彼の兄上のご友人だそうで。彼なら分かるかと思ったんですが……今のアゼルでは……」
今のアゼルでは何もわからないということらしい。だが、今の彼の言葉の選び方は心の赴くままといった印象は抱かなかった。
「失礼ですが……昨日もそのようなことをおっしゃっていましたね」
それにはレオナルドははて、とはぐらかすように首を傾げる。
「どうでしたでしょうか……そうだ、サリア。何か知らないかい?」
昨日のドレスとはうってかわって、白のタートルネックのカットソーの上に緑色の薄手のカーディガンを羽織ったサリアがあたし? と困ったような声をあげた。
「ええ? ……そうだ、さっき朝食だからって呼びに行ったら、まだ寝ているみたいだったわ。どうも寝る前にお酒を飲む癖があるみたいでね」
それならいいんだが、と彼は顎に指先を当てて思案する。暫し彼らに落ちた沈黙を破ったのはヴォロネーズだった。
「……だが、時間もあるだろう。後で慌てて起きてくるかもしれないし、エストハイムさんたちも朝食が始まらないのでは予定が押すだろう。……ジュリエットが起きてこなければ、朝食が終わってから私が起こしに行こう。ホレシューにも悪いからな」
「……いいのかい?」
ホレシューがうかがうようにヴォロネーズに尋ねる。彼はああ、と頷いて、めいめい席に着くように促した。全員がネームプレート通りに着席すると、ホレシューは頷いて女性従業員たちに声を掛けた。
「メアリー、ジョー、配膳を頼むよ」
はい、と二人が頷いて、パンやスープ、オムレツにサラダが配られる。最後にグラスになみなみとフルーツジュースが注がれた。茶髪の女性従業員がホレシューに頷いて見せると、彼は神妙な顔で頷いた。
「ジュリエットがまだ寝ているようだけれど……みなさん、おはようございます。予定のあるお客様もいらっしゃるかと思いますので、朝食の時間とさせていただきます」
結局、朝食を全員が食べ終わるまでジュリエットはやってこなかった。やはり心配だったのだろう、最初に食べ終わったヴォロネーズが最後の一口をジュースで流し込んで、席を立って出て行ってしまったのがやたらと印象に残っている。彼は今大広間の隣、薊(シスル)の部屋のドアをたたいている。
「ジュリエット、ジュリエット! もう朝食が終わってしまう!」
だが、一向に反応は見られないらしい。おかしいな、と声が聞こえて、また彼はドアを叩き始めた。
「何かあったのかい? ジュリエット! いい加減に起きるんだ!」
そんなやり取りがしばらく続き、やがてヴォロネーズが首を捻りながら戻ってくる。
「ホレシュー、悪いがマスターキーでシスルのドアを開けてもらってもいいだろうか。ジュリエットの返事がないんだ」
「ジュリエットの返事がない? ……まだ寝ているのかな……うん、彼女には悪いが開けさせてもらおう。すぐに鍵を持ってくるよ」
ホレシューはそう言うと大広間を出ていった。ホープはエクレールと二人、顔を見合わせる。
「何か、あったんでしょうか」
「……どうだろうか」
昨日の記憶が酒のせいでないのならば、ジュリエットは二人に相談したいことがあると言っていたような気がする。ヴォロネーズ達がそれを知らないとはいえ、何かがおかしい。
ホープもエクレールも、ジュリエット達の友人ではない。昨日初めて会ったばかりの、知らない人間だ。もしそんな人間に相談することがあるのならば、朝食の前かすぐあとに時間を取ろうとするのではないだろうか。カップルで来ているということを知っているのだし、なにより何日泊まるのかジュリエットは知らないはずだ。知らないのにこの時間まで呑気に眠っているのは、彼女の性格がどうであるかまではわからないがさすがに考えづらい。そうこうするうちにホレシューがマスターキーを持ってきて、再びロビーへと消えていった。ドアが開いたらしく、開けっ放しの大広間のドアからジュリエットの名前を呼ぶヴォロネーズの声が聞こえる。
「ジュリエット、……?」
「いない……?」
部屋の構造が同じならば、ジュリエットはベッドにいないということだ。
「バスルーム……は違うのかな。音が聞こえない」
「ジュリエット!」
一層大きくなったヴォロネーズの声が、次の瞬間悲鳴へと変わる。
「うわぁぁぁ! ジュリエット!」
「おい、どうした……」
「ジュリエットが! ジュリエットが!」
どたどたと慌ただしい足音が聞こえて、間もなくヴォロネーズが姿を現した。その顔面は蒼白で、恐怖とショックにゆがんでいる。