[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
突風に吹かれてやってきた突然の春は、そのまま心の中に居座りました。
居座った春は心の中に薄桃色の花を満開にして、浮かれた心にしてくれました。
それに困ったわけではないけれど、彼女に相談してみたのです。
『こんなことは初めてで、どうしたらいいかわからない』
彼女は言いました。
『じゃあその春を楽しめばいいんじゃない?』
突き放したような言葉でしたが、心の中ではどうしてもやらなければならないことがあることを、しっかり分かっていたのでしょう。
だから、やるべきことをやると決めました。
『初めてだから、失敗しても許して欲しい』
ホープ・エストハイムは探偵である。この町に事務所を構えて早数年、先日とうとう美人の助手が勤め始めた。それまで事務所を一人で切り盛りし、いつ来るか分からない依頼人に備えて長らく休日も碌に取れなかった(何せ彼女が勤め始めたその日も朝食はゼリータイプの栄養補助食、昼食は固形の栄養補助食だった)ホープは、助手の登場によって生活が格段に向上した。
まずスケジュール管理がしてもらえるようになって、机の上のカレンダーは来客予定が書かれるのみとなった。とりわけ掃除洗濯、ついでに買い出しも彼女……エクレール・ファロンに手伝ってもらえるようになったのは本当に助かった。健康的で文化的な生活が送れなければいくら収入があれども干からびてしまう。優秀な助手が手助けをしてくれなければ、ホープは今頃本当にドライフルーツのようなことになっていたに違いない。彼女にこの上ない感謝をし、料理やその他諸々二人の生活に必要なものを提供するのが最近の彼の楽しみだった。
そんな助手が珍しく翌日の休暇を提案したのは、つい昨日のことだ。大きな事務所ならともかく、二人だけの小さな事務所だ。給料だって事務所の依頼報酬から出ている。特に休みにしても差し支えないスケジュールだったため、ホープは喜んでその提案を受け入れた。少しだけ、いきなりデートに誘っても大丈夫かな、なんてささやかな下心を抱きながら。
翌朝、ホープはいつものワードローブよりも少しだけラフな格好をしてエクレールの部屋の前に立っていた。それまで自宅として使っていた彼女の妹夫婦の家から、通勤の便その他諸々の理由で、今の彼女の家は事務所の二階、ホープの部屋の隣である。だからといって彼が作りすぎたお惣菜を分けたり分けてもらったり、という甘酸っぱい出来事は起こらず、大抵は時間の空いたときに買ってきてもらった食材を事務所でホープが調理して三食を賄っている。とかく探偵というものは忙しいのだ。
そんなことだからデートに誘うのも口実がない。博物館のチケットも、観劇のチケットもない。そもそも今何をやっているのかもわからない。遊びにいきませんか、というのも計画をまるで立てていないまま誘っているような気がして、少し後ろめたい。実はデートの服だって、満足に買えていない。ああどうしよう、と項垂れていると、目の前の白いドアが静かに開いた。
「ホープ!?」
「あ、え、エクレールさん!おはようござい、ま……す……」
目の前に現れたのは当然ながらエクレールだったのだが、驚いた表情以上に、彼女の服装にホープは固まった。いつものワードローブよりもカジュアルではあるが、淡いクリーム色の品のあるスーツに、いつもよりも胸元が開いた深緑のカットソーインナー、足許はスーツと同じ色のハイヒールという、まるで見合いにでも行くような格好である。
「どう、したんですか……その格好」
取り乱しかけたホープに似合うか、とエクレールが首をかしげた。同時にしゃらりと淡い翠のイヤリングが揺れる。
「もちろん似合ってますけど、その、今日はなにか予定が……?」
ああ、と彼女ははにかむように笑って、デートみたいなものだ、と言った。デート、という響きにホープはたじろぐ。デート。彼が抜き打ちで誘おうとしたアレである。あれといったらあれだ。水族館やらプラネタリウムやら、コンサートに行ったり、ご飯を食べに行ったりするあれだ。いったい誰とだろう。彼女がこの事務所にやって来たその日に一目惚れして、告白した。それからいつも一緒にいるが、彼女が休日何をしているか、ホープはほとんど知らない。
「デート、ですか」
「みたいなものだ」
「そんな……」
よっぽど情けない顔をしていたのだろうか、彼女は困ったようにホープの顔を覗き込む。
「ホープ、今日、何か予定はあるか?」
「ない、です」
動揺と狼狽を隠しきれない声音で頷けば、エクレールは何故か安堵したようにほっと息を吐く。そして、デートにしてはやたら大きい鞄をごそごそ漁り、目当てのものを引っ張り出した。
「あの、これ、読んでくれないか? ……頼む。お前にしか、出来ないんだ」