ここは「花待館」の別館となっています。非公式で「うみねこのなく頃に」「テイルズオブエクシリア」「ファイナルファンタジー(13・零式)」「刀剣乱舞」の二次創作SSを掲載しています。
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えーと。試験期間中の息抜きで書いたベアジェシです。このカップリングとっても好きなんですけれど、あまり見かけないので書いてみました。
どうしてこうなった。
どうしてこうなった……。
注意!
・朱志香の過去に多大なる捏造があります。
・どっちかっていうと姉ベアト×朱志香っぽい。
・朱志香犯人説です。
・バッドエンドまっしぐら……ごめんなさい。次回はほのぼの書きたいです。
では、どうぞ。
小さな愛の花畑
どうしてこうなった。
どうしてこうなった……。
注意!
・朱志香の過去に多大なる捏造があります。
・どっちかっていうと姉ベアト×朱志香っぽい。
・朱志香犯人説です。
・バッドエンドまっしぐら……ごめんなさい。次回はほのぼの書きたいです。
では、どうぞ。
小さな愛の花畑
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それはスミレの花が薫る季節のことだった。
ずっと退屈だった自分は幼子の泣き声を聞いた。
こんな森の中に一体誰がいるのかと興味を覚えてそちらに向かった。
唯一この森に足を踏み入れた人間は今では屋敷の外にすら足を踏み出さない。
そのほかの人間は近づこうとすらしない。
森に入ってはいけないと言われているから。
恐ろしい魔女に食べられてしまうと言われているから。
普段誰も来ないこの森に足を踏み入れるような人間がいたのかと浮かれる自分に気が付いた。
辿り着いた泣き声の先には脱げた小さな靴、散らばるスミレ。
そして泥にまみれた白い肌。
それが全ての始まりだった。
小さな愛の花畑
夕暮れ時、森で見つけた小さな金髪娘は助けを求めて泣いていた。
「人間がこの森に入ってくるとは珍しい……転びでもしたか?」
そう声を掛けると、金髪娘の肩がびくりと震える。怯えるのも無理はない。自分は魔女で、彼女は人間。
自分は人間など食べはしない。そんなものは彼女の親たちが子供を森へ行かせまいとして作った御伽噺だ。けれど目の前の少女は幼くて、嘘を嘘と見抜くことなど出来なかったのだろう。だから魔女は出来るだけ優しく言葉を掛ける。
「怯えずとも良い。妾は人間を食らったりなどせぬ」
「ほんとう?」
こちらを向いた幼子の目は泣きはらして真っ赤だった。舌っ足らずな言葉に頷く。
「本当だとも。妾は嘘など吐かぬ……殊にそなたのような純真な子供に妾がどうして嘘など吐けようか?」
すると金髪娘は首を傾げてじゅんしん?と聞き返す。彼女の頬を転がり落ちる涙はいつの間にか止まっていて、それが何故か嬉しくてまた頷く。
「素直でまっさらなそなたのような者のことよ」
彼女は今度は「すなおで、まっさら」と言葉を咀嚼するように呟いてようやくにっこりと笑った。
それは何処までも愛らしい笑顔だった。
そう、まるでスミレの蕾が綻んで、小さな可愛らしい花を咲かせるかのように、何処までも無垢で愛らしく彼女は笑って見せた。
「そなたには笑顔がよく似合う。……それで、こんなところで何かあったのか?」
問えば金髪娘はその笑顔を曇らせる。
「まいご……迷子になっちゃった」
「迷子……」
「母さんに怒られて……お屋敷、飛び出して来ちゃったんだ」
そう小声で漏らした幼子はとてもばつが悪そうに笑顔を引っ込める。そうかと返して頭を撫でれば、彼女が弾かれたようにこちらを向く。
「どうしたのだ?」
「怒らないのか?」
「何故妾が怒るのか……?」
「その、勝手に森に入ったりして……えっと」
金髪娘のしょんぼりした表情に胸がつきりと痛む。だから魔女はもう一度微笑みかける。
「妾は客人は歓迎するぞ?……日も暮れてきた、そろそろ屋敷に戻らぬとそなたの母が心配するな」
魔女である自分には彼女一人を屋敷にまで送り届けることなど容易い。だから彼女を慈しむ母の元へ帰してやろうともう一度頭を撫でた。
「……あの」
「ん?」
「スミレ……」
「スミレ?」
「森の奥で、見つけたんだ……」
そういえば金髪娘の周りにはスミレが散らばっている。紫色の可愛らしい花は彼女のようにすっかり泥に汚れてしまっていた。これでは折角摘んだのにスミレも彼女も可哀想というものだろう。
「案ずるな。妾がそなたのケガもスミレも元通りにしてやろう」
そう彼女の頬に手を滑らせ、そっと目をふさぐ。
そうして唱える。
それはいつか聞いた魔法の呪文。
不幸せを幸せへと変える、魔法の言葉。
「さぁさ、思い出してご覧なさい……」
土汚れ一つない金髪娘が大きな大きなスミレの花束を持って笑っているさまを。それがどんなに幸せそうな光景かを。
金色の蝶々達が自分の思い描くさまに従って擦り傷だらけの彼女を癒し、その小さな手にスミレの花束となって納まってゆく。
「目を、開けて良いぞ」
「うん、……!」
金髪娘の表情が輝いた。それはそれは嬉しそうに、幸せそうに。
自分の心に温かい感情が広がっていくのを感じた。
「ありがとう!」
「そなたが喜ぶのであれば妾も魔法を使ったかいがあったというもの。さぁ、妾がそなたを屋敷まで連れて行ってやろう」
そうして、手を引いて森の出口へと向かう。薄暗い木々の間を抜けて辿り着いた右代宮家の広い広い庭には金髪娘の名を呼びながら使用人が走り回っていた。
「探して、くれてた……。本当に、ありがとう!」
自分の手をすり抜けて走り出した小さな背中がぴたりと止まる。彼女はくるりとこちらを向くと、花束の中から一握りのスミレを魔女の手に握らせた。
「これは……」
「今日のお礼!今度は、スミレの花畑で一緒に遊べますように、って!」
嗚呼、その笑顔のなんと無垢なことか。なんと純粋なことか。
その闇さえも吹き飛ばせそうなほどに明るい笑顔は、六軒島に縛り付けられた自分の心にさえも光をともし、自然とこちらまで笑みを浮かべた。
「今度は一緒に遊べると良いな。……妾の名は、ベアトリーチェという」
「ベアトリーチェ!」
彼女はその名前に驚きはしなかった。ますます嬉しそうに笑うだけ。
「ベアトリーチェは子供を食べちゃったりしないんだ、私覚えたぜ!」
「そうとも、妾はそんなことはしない。……そなたの名は?」
金髪娘はその笑顔を曇らせることなく、弾んだ声でその名を教えてくれた。
「じぇしか。右代宮、朱志香っていうんだ!」
「朱志香……そなたの名前、妾は忘れはせぬぞ」
「私もベアトリーチェのこと、忘れないぜ!」
別れの挨拶を告げて今度こそ金髪娘、朱志香は屋敷へと戻って行く。スミレに残された温かな手のひらの熱が何処までも愛おしかった。
それが、全ての始まりだった。
ベアトリーチェが右代宮朱志香を愛おしみ、慈しむ始まりだった。
ベアトリーチェは回想の微睡みから現実へと意識を向ける。
彼女の眼下には炎に包まれる六軒島。屋敷で何があったのかなど、魔女には分かるはずもない。ただ、燃えさかる炎が全ての想い出までも燃やし尽くしていくのが辛くて、ベアトリーチェはそこから目を逸らした。だが一つだけ、気付く。
「そうだ……朱志香」
この地獄絵図のような光景から己が慈しんだ娘だけでも助け出さなければ。
彼女が二度と六軒島に戻ることが叶わなくても、幸せに生きているのを見るだけでベアトリーチェは幸せになれるのだから。
炎の熱さを、降りかかる火の粉を振り払いながら玄関ホールに飛び込む。
朱志香の名を叫んでみても応えはない。
だから屋敷中を走り回った。彼女の自室、使用人室、食堂など探せる場所は全て探した。
途中、何人もの死体を見つけた。真っ赤な液体が染みついた床や魔法陣も見た。
右代宮家の親族。使用人。そして金蔵。
凄惨な状況で絶命したと思われる人々が沢山いた。
抱き合ったまま絶命している恋人達に胸が痛んだ。
それなのに、一番会いたい少女はいなかった。
「……朱志香……」
走り疲れた頃、金蔵の書斎に辿り着いた。
ベアトリーチェが一番来たくなかった場所。いや、来られなかった場所。
サソリの魔法陣が描かれたドアノブは魔女の天敵だ。
「それでも妾は……朱志香を救わねばならぬ!」
がくがくと震える膝を叱咤して足を踏ん張り、己が手のひらが焼け付く痛みを振り切ってドアを開ける。
魔女を拒む鍵がないように、ドアもまた重い音を立ててベアトリーチェを受け入れた。
恐る恐る足を踏み入れて部屋の中を見回す。
「……!」
炎によって照らされた机の傍に、はたして朱志香は倒れていた。
「朱志香!」
駆け寄って抱き上げれば、彼女はうっすらと目を開けた。
「ベアト……リーチェ……」
「朱志香!何をしているのだ、早くここから……」
しかし朱志香は首を横に振る。
「いいんだ……私は、これで……」
理由を問いただせば彼女はすぐそばを指さした。その指の先には一丁の銃。
「まさか、アレは……」
「ごめん、ごめんベアト……こんなことになって……」
朱志香の頬を一筋の涙が伝う。その悲しげな声を頭を振って遮った。
「朱志香……そんなことはよいのだ、早く、早くこの島から出なければそなたまで……」
「ううん、私はずっとここにいる」
「何故!そなたにはまだ、……!」
長い人生があるだろう、そう魔女は言いたかった。けれど、見てしまった。
朱志香の脇腹には銃創があった。
決して浅くはなく、絨毯に広がる血の染みも酷い。放っておけば彼女の命の灯はうみねこが戻ってくるまで持たないだろう。
「しっかり撃って欲しかったんだけどな……全然駄目だった」
「待て、今妾が魔法で……」
傷を治してやろうとすれば腕の中の朱志香は首を横に振る。だからベアトリーチェには何も出来ない。
「ベアト……今まで、ベアトがいたから私は生きてこれた……」
「それならこれからも妾はそなたの傍にいる!だから……」
「でも、もう駄目なんだ……私は罪を犯してしまった……」
「そんなこと……そなたがどんな罪を犯そうと妾が」
「戦人の罪はみんなの死を以て。……私の罪は、この事件と一緒に私が死ぬことで償わなければならないんだ」
右代宮戦人の罪。それはいったい何だったのだろうか。
右代宮の親族や使用人が死ななければならないほどの罪だったのだろうか。
そして、朱志香がこのような凶行にでなければならないほどの罪だったのだろうか。
この、明るくて優しい日溜まりのような少女にこれほどの大罪を犯させるほどの罪だったのだろうか。
けれど。
自分が慈しんだ少女がどんな大罪を犯そうとも。
自分の名を騙って罪を犯そうとも。
「妾は……妾は朱志香に生きていて欲しいのだ……!」
ベアトリーチェの眼から涙が溢れる。
「妾はそなたの哀しみに気付いてやれなかった……苦しみを分かつことが出来なかった……そなたに幸せを与えることが出来たとばかり思って、喜んでいた……!何故妾にそなたの哀しみを話してくれなかったのだ、苦しみを分けてくれなかったのだ!そうすれば妾はそなたの辛さを引き受けたのに……妾は……そなたが愛おしいのに……」
血に塗れた朱志香の頼りない指先がベアトリーチェの頬に伸ばされる。
「ごめん……でも、私は……ベアトが大好きだったから……」
「朱志香……」
「大好きだぜ……ベアトリーチェ」
「妾も……妾も朱志香のことが大好きだぞ……」
そうして朱志香はふわりと微笑んだ。
「今度は、スミレの花畑で……一緒に……遊べます、よう……に……」
ぱたりと力無く指先が投げ出される。
「……朱志香?」
眠るように瞼を閉じた彼女はとても幸せそうだった。
「朱志香?」
けれど、その胸が呼吸で上下することは二度とない。
「朱志香ッ……起きるのだ、朱志香!」
彼女の名を叫んで身体を揺さぶっても、もう目覚めることはない。
ぱたぱたと熱い雫が朱志香の青白い頬に落ちる。
もう一度その穏やかな死に顔を見つめて、魔女は朱志香の命をつなぎ止められなかったことを漸く受け入れた。
咲き誇る炎の花を鎮めるように、どこからかスミレの花が降る。
まるで結ばれぬ二人を祝福するかのように。
「あぁ……そうだな……今度は……今度こそは……スミレの花畑で遊ぼうな……朱志香……」
むせ返るようなスミレの香りの中、初めて彼女の唇に落とした口付けは、酷くかなしい味がした。
それはスミレの花が薫る季節のことだった。
ずっと退屈だった自分は幼子の泣き声を聞いた。
こんな森の中に一体誰がいるのかと興味を覚えてそちらに向かった。
辿り着いた泣き声の先には脱げた小さな靴、散らばるスミレ。
そして泥にまみれた白い肌。
それが全ての始まりだった。
そして今、暗闇の中魔女は目を覚ます。
あの日出会ったスミレ色のドレスの金髪娘を後生大事に抱きしめて、その額に口付けを落とす。
「妾との約束も……忘れるでないぞ……?」
この黄金郷で、彼女はどんな人生を送るのだろうか。
辛いことなど忘れて、愛する者たちと共に人生を歩めるだろうか。
たまには自分と遊んで、年頃の娘らしい幸せを享受するだろうか。
「願わくば……そなたに数多の幸せがあらんことを……朱志香……」
あの日の満面の笑顔が脳裏に蘇る。
『今度は、スミレの花畑で一緒に遊べますように!』
暗闇の中、どこからかスミレの香りが届いた気がした。
ずっと退屈だった自分は幼子の泣き声を聞いた。
こんな森の中に一体誰がいるのかと興味を覚えてそちらに向かった。
唯一この森に足を踏み入れた人間は今では屋敷の外にすら足を踏み出さない。
そのほかの人間は近づこうとすらしない。
森に入ってはいけないと言われているから。
恐ろしい魔女に食べられてしまうと言われているから。
普段誰も来ないこの森に足を踏み入れるような人間がいたのかと浮かれる自分に気が付いた。
辿り着いた泣き声の先には脱げた小さな靴、散らばるスミレ。
そして泥にまみれた白い肌。
それが全ての始まりだった。
小さな愛の花畑
夕暮れ時、森で見つけた小さな金髪娘は助けを求めて泣いていた。
「人間がこの森に入ってくるとは珍しい……転びでもしたか?」
そう声を掛けると、金髪娘の肩がびくりと震える。怯えるのも無理はない。自分は魔女で、彼女は人間。
自分は人間など食べはしない。そんなものは彼女の親たちが子供を森へ行かせまいとして作った御伽噺だ。けれど目の前の少女は幼くて、嘘を嘘と見抜くことなど出来なかったのだろう。だから魔女は出来るだけ優しく言葉を掛ける。
「怯えずとも良い。妾は人間を食らったりなどせぬ」
「ほんとう?」
こちらを向いた幼子の目は泣きはらして真っ赤だった。舌っ足らずな言葉に頷く。
「本当だとも。妾は嘘など吐かぬ……殊にそなたのような純真な子供に妾がどうして嘘など吐けようか?」
すると金髪娘は首を傾げてじゅんしん?と聞き返す。彼女の頬を転がり落ちる涙はいつの間にか止まっていて、それが何故か嬉しくてまた頷く。
「素直でまっさらなそなたのような者のことよ」
彼女は今度は「すなおで、まっさら」と言葉を咀嚼するように呟いてようやくにっこりと笑った。
それは何処までも愛らしい笑顔だった。
そう、まるでスミレの蕾が綻んで、小さな可愛らしい花を咲かせるかのように、何処までも無垢で愛らしく彼女は笑って見せた。
「そなたには笑顔がよく似合う。……それで、こんなところで何かあったのか?」
問えば金髪娘はその笑顔を曇らせる。
「まいご……迷子になっちゃった」
「迷子……」
「母さんに怒られて……お屋敷、飛び出して来ちゃったんだ」
そう小声で漏らした幼子はとてもばつが悪そうに笑顔を引っ込める。そうかと返して頭を撫でれば、彼女が弾かれたようにこちらを向く。
「どうしたのだ?」
「怒らないのか?」
「何故妾が怒るのか……?」
「その、勝手に森に入ったりして……えっと」
金髪娘のしょんぼりした表情に胸がつきりと痛む。だから魔女はもう一度微笑みかける。
「妾は客人は歓迎するぞ?……日も暮れてきた、そろそろ屋敷に戻らぬとそなたの母が心配するな」
魔女である自分には彼女一人を屋敷にまで送り届けることなど容易い。だから彼女を慈しむ母の元へ帰してやろうともう一度頭を撫でた。
「……あの」
「ん?」
「スミレ……」
「スミレ?」
「森の奥で、見つけたんだ……」
そういえば金髪娘の周りにはスミレが散らばっている。紫色の可愛らしい花は彼女のようにすっかり泥に汚れてしまっていた。これでは折角摘んだのにスミレも彼女も可哀想というものだろう。
「案ずるな。妾がそなたのケガもスミレも元通りにしてやろう」
そう彼女の頬に手を滑らせ、そっと目をふさぐ。
そうして唱える。
それはいつか聞いた魔法の呪文。
不幸せを幸せへと変える、魔法の言葉。
「さぁさ、思い出してご覧なさい……」
土汚れ一つない金髪娘が大きな大きなスミレの花束を持って笑っているさまを。それがどんなに幸せそうな光景かを。
金色の蝶々達が自分の思い描くさまに従って擦り傷だらけの彼女を癒し、その小さな手にスミレの花束となって納まってゆく。
「目を、開けて良いぞ」
「うん、……!」
金髪娘の表情が輝いた。それはそれは嬉しそうに、幸せそうに。
自分の心に温かい感情が広がっていくのを感じた。
「ありがとう!」
「そなたが喜ぶのであれば妾も魔法を使ったかいがあったというもの。さぁ、妾がそなたを屋敷まで連れて行ってやろう」
そうして、手を引いて森の出口へと向かう。薄暗い木々の間を抜けて辿り着いた右代宮家の広い広い庭には金髪娘の名を呼びながら使用人が走り回っていた。
「探して、くれてた……。本当に、ありがとう!」
自分の手をすり抜けて走り出した小さな背中がぴたりと止まる。彼女はくるりとこちらを向くと、花束の中から一握りのスミレを魔女の手に握らせた。
「これは……」
「今日のお礼!今度は、スミレの花畑で一緒に遊べますように、って!」
嗚呼、その笑顔のなんと無垢なことか。なんと純粋なことか。
その闇さえも吹き飛ばせそうなほどに明るい笑顔は、六軒島に縛り付けられた自分の心にさえも光をともし、自然とこちらまで笑みを浮かべた。
「今度は一緒に遊べると良いな。……妾の名は、ベアトリーチェという」
「ベアトリーチェ!」
彼女はその名前に驚きはしなかった。ますます嬉しそうに笑うだけ。
「ベアトリーチェは子供を食べちゃったりしないんだ、私覚えたぜ!」
「そうとも、妾はそんなことはしない。……そなたの名は?」
金髪娘はその笑顔を曇らせることなく、弾んだ声でその名を教えてくれた。
「じぇしか。右代宮、朱志香っていうんだ!」
「朱志香……そなたの名前、妾は忘れはせぬぞ」
「私もベアトリーチェのこと、忘れないぜ!」
別れの挨拶を告げて今度こそ金髪娘、朱志香は屋敷へと戻って行く。スミレに残された温かな手のひらの熱が何処までも愛おしかった。
それが、全ての始まりだった。
ベアトリーチェが右代宮朱志香を愛おしみ、慈しむ始まりだった。
ベアトリーチェは回想の微睡みから現実へと意識を向ける。
彼女の眼下には炎に包まれる六軒島。屋敷で何があったのかなど、魔女には分かるはずもない。ただ、燃えさかる炎が全ての想い出までも燃やし尽くしていくのが辛くて、ベアトリーチェはそこから目を逸らした。だが一つだけ、気付く。
「そうだ……朱志香」
この地獄絵図のような光景から己が慈しんだ娘だけでも助け出さなければ。
彼女が二度と六軒島に戻ることが叶わなくても、幸せに生きているのを見るだけでベアトリーチェは幸せになれるのだから。
炎の熱さを、降りかかる火の粉を振り払いながら玄関ホールに飛び込む。
朱志香の名を叫んでみても応えはない。
だから屋敷中を走り回った。彼女の自室、使用人室、食堂など探せる場所は全て探した。
途中、何人もの死体を見つけた。真っ赤な液体が染みついた床や魔法陣も見た。
右代宮家の親族。使用人。そして金蔵。
凄惨な状況で絶命したと思われる人々が沢山いた。
抱き合ったまま絶命している恋人達に胸が痛んだ。
それなのに、一番会いたい少女はいなかった。
「……朱志香……」
走り疲れた頃、金蔵の書斎に辿り着いた。
ベアトリーチェが一番来たくなかった場所。いや、来られなかった場所。
サソリの魔法陣が描かれたドアノブは魔女の天敵だ。
「それでも妾は……朱志香を救わねばならぬ!」
がくがくと震える膝を叱咤して足を踏ん張り、己が手のひらが焼け付く痛みを振り切ってドアを開ける。
魔女を拒む鍵がないように、ドアもまた重い音を立ててベアトリーチェを受け入れた。
恐る恐る足を踏み入れて部屋の中を見回す。
「……!」
炎によって照らされた机の傍に、はたして朱志香は倒れていた。
「朱志香!」
駆け寄って抱き上げれば、彼女はうっすらと目を開けた。
「ベアト……リーチェ……」
「朱志香!何をしているのだ、早くここから……」
しかし朱志香は首を横に振る。
「いいんだ……私は、これで……」
理由を問いただせば彼女はすぐそばを指さした。その指の先には一丁の銃。
「まさか、アレは……」
「ごめん、ごめんベアト……こんなことになって……」
朱志香の頬を一筋の涙が伝う。その悲しげな声を頭を振って遮った。
「朱志香……そんなことはよいのだ、早く、早くこの島から出なければそなたまで……」
「ううん、私はずっとここにいる」
「何故!そなたにはまだ、……!」
長い人生があるだろう、そう魔女は言いたかった。けれど、見てしまった。
朱志香の脇腹には銃創があった。
決して浅くはなく、絨毯に広がる血の染みも酷い。放っておけば彼女の命の灯はうみねこが戻ってくるまで持たないだろう。
「しっかり撃って欲しかったんだけどな……全然駄目だった」
「待て、今妾が魔法で……」
傷を治してやろうとすれば腕の中の朱志香は首を横に振る。だからベアトリーチェには何も出来ない。
「ベアト……今まで、ベアトがいたから私は生きてこれた……」
「それならこれからも妾はそなたの傍にいる!だから……」
「でも、もう駄目なんだ……私は罪を犯してしまった……」
「そんなこと……そなたがどんな罪を犯そうと妾が」
「戦人の罪はみんなの死を以て。……私の罪は、この事件と一緒に私が死ぬことで償わなければならないんだ」
右代宮戦人の罪。それはいったい何だったのだろうか。
右代宮の親族や使用人が死ななければならないほどの罪だったのだろうか。
そして、朱志香がこのような凶行にでなければならないほどの罪だったのだろうか。
この、明るくて優しい日溜まりのような少女にこれほどの大罪を犯させるほどの罪だったのだろうか。
けれど。
自分が慈しんだ少女がどんな大罪を犯そうとも。
自分の名を騙って罪を犯そうとも。
「妾は……妾は朱志香に生きていて欲しいのだ……!」
ベアトリーチェの眼から涙が溢れる。
「妾はそなたの哀しみに気付いてやれなかった……苦しみを分かつことが出来なかった……そなたに幸せを与えることが出来たとばかり思って、喜んでいた……!何故妾にそなたの哀しみを話してくれなかったのだ、苦しみを分けてくれなかったのだ!そうすれば妾はそなたの辛さを引き受けたのに……妾は……そなたが愛おしいのに……」
血に塗れた朱志香の頼りない指先がベアトリーチェの頬に伸ばされる。
「ごめん……でも、私は……ベアトが大好きだったから……」
「朱志香……」
「大好きだぜ……ベアトリーチェ」
「妾も……妾も朱志香のことが大好きだぞ……」
そうして朱志香はふわりと微笑んだ。
「今度は、スミレの花畑で……一緒に……遊べます、よう……に……」
ぱたりと力無く指先が投げ出される。
「……朱志香?」
眠るように瞼を閉じた彼女はとても幸せそうだった。
「朱志香?」
けれど、その胸が呼吸で上下することは二度とない。
「朱志香ッ……起きるのだ、朱志香!」
彼女の名を叫んで身体を揺さぶっても、もう目覚めることはない。
ぱたぱたと熱い雫が朱志香の青白い頬に落ちる。
もう一度その穏やかな死に顔を見つめて、魔女は朱志香の命をつなぎ止められなかったことを漸く受け入れた。
咲き誇る炎の花を鎮めるように、どこからかスミレの花が降る。
まるで結ばれぬ二人を祝福するかのように。
「あぁ……そうだな……今度は……今度こそは……スミレの花畑で遊ぼうな……朱志香……」
むせ返るようなスミレの香りの中、初めて彼女の唇に落とした口付けは、酷くかなしい味がした。
それはスミレの花が薫る季節のことだった。
ずっと退屈だった自分は幼子の泣き声を聞いた。
こんな森の中に一体誰がいるのかと興味を覚えてそちらに向かった。
辿り着いた泣き声の先には脱げた小さな靴、散らばるスミレ。
そして泥にまみれた白い肌。
それが全ての始まりだった。
そして今、暗闇の中魔女は目を覚ます。
あの日出会ったスミレ色のドレスの金髪娘を後生大事に抱きしめて、その額に口付けを落とす。
「妾との約束も……忘れるでないぞ……?」
この黄金郷で、彼女はどんな人生を送るのだろうか。
辛いことなど忘れて、愛する者たちと共に人生を歩めるだろうか。
たまには自分と遊んで、年頃の娘らしい幸せを享受するだろうか。
「願わくば……そなたに数多の幸せがあらんことを……朱志香……」
あの日の満面の笑顔が脳裏に蘇る。
『今度は、スミレの花畑で一緒に遊べますように!』
暗闇の中、どこからかスミレの香りが届いた気がした。
先月「そらそらぶるー」のそら様とお茶をしたときにいただいたリクエストで「鳥籠破り」の前夜話です。駄目だこの嘉音……早く何とかしないと。
そんなわけで注意書きです。
・びっくりするほど暗いです。
・嘉音がヤンデレすぎてお嬢様が眠れない。
・さりげなく朱志香=ベアトリーチェ説です。紅崎自身の推理に基づいて話を展開させて頂きました。
リクエスト品なのにこんなので本当に申し訳ないです……。
そしてリクエスト本当にありがとうございました!
では、どうぞ。
風切羽が揃う夜
そんなわけで注意書きです。
・びっくりするほど暗いです。
・嘉音がヤンデレすぎてお嬢様が眠れない。
・さりげなく朱志香=ベアトリーチェ説です。紅崎自身の推理に基づいて話を展開させて頂きました。
リクエスト品なのにこんなので本当に申し訳ないです……。
そしてリクエスト本当にありがとうございました!
では、どうぞ。
風切羽が揃う夜
彼女と初めて出会ったとき、何処までも明るい少女だと思った。
優しくて美しい、彼を人間に変えてくれる少女だと思った。
けれど、彼女は何処までも不器用で、自分の気持ちを伝える事に慣れなかった。
その様さえも可愛らしくて、彼は気付いた。
家具である嘉音が右代宮朱志香に対して抱いている感情は、家具の身には許されざる感情……恋だと。
風切羽が揃う夜
その日、嘉音は朱志香の文化祭に招かれた。
朱志香は何かと彼が学校に来たときから世話を焼いてくれて、家具としての立場など何の役にも立たなかった。彼女が彼の世話を焼くのはこれが初めてではない。屋敷に勤めるようになってから、朱志香は嘉音が使用人の勤めをちゃんと果たせるように何かと助けてくれた。頬を僅かに染めた、何処か照れたような微笑みで嘉音に色々な事を教えてくれた。
今だって朱志香はペットボトルを抱えて嘉音の事を呼ぶ。
「嘉音くん、その……飲み物買ってきたんだけどさ、えっと……緑茶と紅茶、どっちがいい?」
「……朱志香様がくださる物ならどちらでも」
「そ、そう言われると困るんだけど……じゃあ、はい」
渡されたペットボトルの中身は紅茶。いつも飲んでいるものの方がいいだろうという配慮だろうか。
「ありがとうございます」
礼を言えば朱志香はまた照れたように笑う。
嗚呼、だからまた、と嘉音は思う。
(また、お嬢様も僕の事が好きだと勘違いしてしまう……そんな事、あるはずがないのに)
自分は家具で、朱志香は人間。二人を分け隔てる溝は深く、広い。それなのに、その溝がなくなったような錯覚に陥ってしまう。
一生叶うはずのない恋が、叶っていると勘違いしてしまう。
勘違い。
そう、今の二人は勘違いの上に成り立った仮初めの恋人同士なのだ。
朱志香が嘉音に優しく接するのも嘉音が人間だと勘違いしているからで、嘉音がその優しさに甘んじるのもその間だけは人間だと勘違いしていられるから。
時折朱志香の横顔が物憂げなのも本当は嘉音が家具だからだと分かっているからだろう。
だから、早く彼女の誤解を解かなくてはならない。そして、その上で家具をやめなければならない。
朱志香さえそれを承知してくれるならば、きっと彼は人間になれる。
彼は彼女との愛を勝ち取る事によって永遠の愛を得て、家具をやめる事が出来る。
(僕はやっぱり人間になりたい。朱志香が僕の事を愛してくれているならば、これからの人生を朱志香と一緒に歩みたい)
口に含んだ紅茶のレモンの酸味を決意と共に呑み込んだ。
その晩、バラ庭園で朱志香を見つけた。
一人彼女自身を納得させるために空元気を振りまいて、それでも落胆するその背中が寂しげで、抱きしめてやりたい衝動に駆られる。
けれどそれは家具には許されざる行為。
嘉音と朱志香が本当の恋人同士だったならば寂しげな彼女の肩を抱いて、安心して眠れるまで口付けを交わすのに、それは仮初めという現実に阻まれて叶わない。
だから声を掛ける。
「お嬢様」
「なんだ……嘉音くんかよ。幽霊かと思ってびっくりしちまったぜ……」
「驚かせてしまって申し訳ありません」
「う、ううん、いいんだ……」
二人の間に沈黙が降りる。朱志香と話すときの沈黙はいつまで経っても慣れない。沈黙の破り方を彼は知らない。だから気まずくて気まずくて、何か話題を探そうと試みる。
「あ、あの……お歌、お上手でした」
「あ……あはは、そうかよ……照れるぜ……」
頬を染めてはにかむ彼女が可愛らしい。
この笑顔を一瞬でも消してしまうのが怖い。
けれども、二人が永遠に結ばれるためには必要な事なのだ。
だから、言葉にする。
「僕には歌は歌えません……家具ですから」
「……その、家具って口癖、やめようぜ」
案の定朱志香の笑顔は泡のように消え、敢えて家具と口にした嘉音を諫めるような表情になる。
家具。
それは確かに源次の言うとおり使用人の心得を説くものである。けれどももう一つの意味がある。
右代宮家に勤め始めた当初から聞かされ続けたこと。
結ばれてはならない者に、結ばれる事のない者に恋する者の意味である。
結ばれてはならない者。
主人と使用人。
それを人間と家具とはよく言ったものだ。
家具は心を持ってはならない。人間は家具に恋などしない。
使用人は主人に恋などしてはならないのだ。相手が家の将来を担う者であれば尚更だ。主人も自分の立場を理解して使用人に恋など出来ないだろう。
そういう意味では結ばれてはならない二人が互いに恋する時、二人は家具なのだろう。
そう、紗音や譲治だって例外ではない。嘉音が朱志香と共に人生を歩むのならば、譲治が当主になるのだから、紗音とは結ばれないはずだ。
嘉音も朱志香も、二人が愛し合うのならば二人共が家具なのだ。ただ立場の違いで朱志香は人間で居られるだけで。
「……いいえ、僕は、家具です」
「だからっ……君は、人間だよ……」
泣きそうな目をして、朱志香は嘉音を見つめる。
「今は……まだ家具なんです」
「嘉音くんは、最初から家具じゃないよ……」
彼女は俯いて、どうしたらいいのと自問する。どうしたら信じてくれるのと小さな声で自問する。
ふと、その背中に蝶が留まったようにみえた。黄金に輝く蝶は朱志香に寄り添い、彼女を慰めるかのように羽をやすめる。夜に蝶が飛ぶ筈などないと瞬きすれば蝶はたちまちのうちに消えてなくなった。
「家具だって人生を諦めてたら……私は何の魔法も掛けられないよ……」
魔法という言葉に引っ掛かって、問いかける。
「お嬢様」
「……?」
「お嬢様は……魔法が使えるのですか?」
「信じてくれれば……私は、ベアトリーチェだから……。でも、信じてくれなかったら、私が否定されてしまったら……使えないよ」
その言い回しになおも嘉音は引っ掛かる。
(お嬢様ががベアトリーチェ?)
彼はコートのポケットに手を突っ込んで蝶のブローチに触れる。紗音がベアトリーチェにもらったという恋愛成就のお守りだ。朱志香がベアトリーチェだというならば、このブローチは朱志香の物か。
だが、紗音はベアトリーチェの、朱志香の魔法を信じている。嘉音だって初耳なだけで否定した事はない。
朱志香はもしかして否定をされた事があるのだろうか。
「……僕は……否定などしません」
長い沈黙の後、俯いたまま彼女は言葉を紡いだ。
「……不安なんだ」
「え……?」
「前にも……否定しないって、信じるって言って……私は裏切られたから……そんなの」
そこで朱志香は一旦言葉を切り、首を横に振った。
「私が信じなきゃ駄目なのに……信じてもずっと裏切られて……」
「お嬢様……」
「今度こそ信じてもいいの……?二人が信じ合えるなら……もう一度、魔法を使っても、いいの……?」
彼女は誰の事を言っているのだろうか。今朱志香の目の前にいるのは紛れもなく嘉音なのに、彼女が語りかけているのは嘉音ではないかのよう。まるで彼を通して他の人間に語りかけているかのような。
そう、例えば姉から聞いた右代宮戦人といったこの場にいない人物のような。
姉は言っていた。
朱志香の初恋は別の人間だと。
その人間が右代宮戦人と言う事はあり得る。
しかし彼は6年前から屋敷に来ていないと言うし、6年も待ち続けているようなものなのだろうか。
「朱志香様」
その細い肩を掴んで尋ねる。
「……?」
「あなたは……僕の事を本当に愛してくれますか?」
「え……?」
戸惑う彼女の表情に嘉音まで戸惑う。その戸惑いを抑えてさらに問いかける。
「僕はあなたの魔法を否定などしません。……けれどそれはあなたが僕を信じてくれたらの話です」
「な、何……を……」
「……朱志香様……あなたが僕に重ねているのは……戦人様ですか?」
朱志香が息を呑んだ。それが切なくて、嘉音は畳みかける。
「あなたが僕に掛けようとした魔法は、僕を人間にしてくれる魔法ですか?」
「そ、そうだけど……その……」
「……僕は、嘉音としてあなたに愛されてはいないのですか?」
「ぁ……それ、は……っ」
朱志香の目に涙が滲む。嘉音はここまで執拗に問いつめた事なんてなかったから、おそらく怯えているのだろう。
けれども、聞いておかなければならない。彼女が彼の腕を振り解いて走り去る前に。
「あなたが愛しているのは……本当は戦人様なのですね?」
「ご、ごめ……なさ……っ」
とうとう一筋、朱志香の頬に涙が伝う。怯えて涙を流す彼女がこんな状況でも愛おしくて、嘉音はその身体を抱きしめた。
「家具って言ってるときの嘉音くん……凄く、辛そうで……っ、嘉音くんが……人間になれる魔法、掛ければ……辛く、なくなるかな……って……」
涙声で紡がれた言葉にはただただ嘉音の幸せを祈る朱志香の心が込められていた。けれど、嘉音の一番欲しい言葉は与えられない。
「……それだけ、なのですか?」
「……ん」
彼女が頷く。嘉音が欲しい言葉を、朱志香は持っていない。
嘉音が欲しいのは朱志香の愛であって、幸せを祈る心ではない。
それなのに彼女はその汚れなき純真な愛を他の男に捧げてしまった。それも嘉音が会った事も声を聞いた事もない男に。
「朱志香様……僕は、嘉音です。戦人様ではありません」
「……っ」
「僕が欲しいのはあなたの幸せの魔法ではなく、あなたの愛の魔法です」
「……どういう……意味……?」
怪訝な表情の朱志香を無言で抱き上げて、彼は歩き出した。
「や、やだっ、降ろして……降ろして、嘉音くんっ!」
彼女の抵抗をさらにきつく抱きしめる事で封じて、ただただ無言で歩く。
朱志香の部屋に着くと彼女をベッドに横たえて鍵を閉めた。
「嘉音……くん……!?」
もう止める事は出来ない。誰にも、嘉音自身にさえも止められない恋情の激流が彼の身体を駆けめぐる。
「好きです、朱志香様……あなたの事を愛しています」
「嘉音くん……」
朱志香に覆い被さると、ベッドがギシリと音を立てた。
「あなたが悪いんです……僕は朱志香様が好きなのに、あなたが僕を愛してくれないから……」
「や……ちが……私、は……」
「今からでもいいんです……あなたが僕を愛してくれさえすれば、僕は人間になれるんです」
「私……私は……」
今や止まる事を忘れたかのように涙が朱志香の頬を伝う。それさえも拒絶に見えて、嘉音は彼女の頬を両手で包んで唇を重ねた。
「んぅ……っ、や、何、するの……!?」
ネクタイの結び目に手を掛けると、怯えきった彼女は抵抗を試みる。それが切なくて悲しくて、耳元で囁いた。
「朱志香様が僕を僕以外と間違えることのないように、しっかり教えて差し上げます」
「い、いや……っ!」
暴れる彼女を出したこともないような強い力で押さえつけて、嘉音は朱志香の首筋に口づけた。
「やだっ、やめて、嘉音くん……っ!いや、いやぁぁぁぁぁぁっ!」
泣き叫ぶ朱志香の悲痛な声が、嘉音には何よりも辛かった。
彼女と初めて出会ったとき、何処までも明るい少女だと思った。
優しくて美しい、彼を人間に変えてくれる少女だと思った。
けれど、彼女は何処までも不器用で、自分の気持ちを伝える事に慣れなかった。
その様さえも可愛らしくて、彼は気付いた。
家具である嘉音が右代宮朱志香に対して抱いている感情は、家具の身には許されざる感情、すなわち恋だと。
されど彼女は恋してはならない人だった。
今となっては朱志香が彼を愛していたのかどうかなどわからない。
ただ、何も分からずに恋情の奔流に呑まれて己の感情をぶつけることしか嘉音にはできなかった。
優しくて美しい、彼を人間に変えてくれる少女だと思った。
けれど、彼女は何処までも不器用で、自分の気持ちを伝える事に慣れなかった。
その様さえも可愛らしくて、彼は気付いた。
家具である嘉音が右代宮朱志香に対して抱いている感情は、家具の身には許されざる感情……恋だと。
風切羽が揃う夜
その日、嘉音は朱志香の文化祭に招かれた。
朱志香は何かと彼が学校に来たときから世話を焼いてくれて、家具としての立場など何の役にも立たなかった。彼女が彼の世話を焼くのはこれが初めてではない。屋敷に勤めるようになってから、朱志香は嘉音が使用人の勤めをちゃんと果たせるように何かと助けてくれた。頬を僅かに染めた、何処か照れたような微笑みで嘉音に色々な事を教えてくれた。
今だって朱志香はペットボトルを抱えて嘉音の事を呼ぶ。
「嘉音くん、その……飲み物買ってきたんだけどさ、えっと……緑茶と紅茶、どっちがいい?」
「……朱志香様がくださる物ならどちらでも」
「そ、そう言われると困るんだけど……じゃあ、はい」
渡されたペットボトルの中身は紅茶。いつも飲んでいるものの方がいいだろうという配慮だろうか。
「ありがとうございます」
礼を言えば朱志香はまた照れたように笑う。
嗚呼、だからまた、と嘉音は思う。
(また、お嬢様も僕の事が好きだと勘違いしてしまう……そんな事、あるはずがないのに)
自分は家具で、朱志香は人間。二人を分け隔てる溝は深く、広い。それなのに、その溝がなくなったような錯覚に陥ってしまう。
一生叶うはずのない恋が、叶っていると勘違いしてしまう。
勘違い。
そう、今の二人は勘違いの上に成り立った仮初めの恋人同士なのだ。
朱志香が嘉音に優しく接するのも嘉音が人間だと勘違いしているからで、嘉音がその優しさに甘んじるのもその間だけは人間だと勘違いしていられるから。
時折朱志香の横顔が物憂げなのも本当は嘉音が家具だからだと分かっているからだろう。
だから、早く彼女の誤解を解かなくてはならない。そして、その上で家具をやめなければならない。
朱志香さえそれを承知してくれるならば、きっと彼は人間になれる。
彼は彼女との愛を勝ち取る事によって永遠の愛を得て、家具をやめる事が出来る。
(僕はやっぱり人間になりたい。朱志香が僕の事を愛してくれているならば、これからの人生を朱志香と一緒に歩みたい)
口に含んだ紅茶のレモンの酸味を決意と共に呑み込んだ。
その晩、バラ庭園で朱志香を見つけた。
一人彼女自身を納得させるために空元気を振りまいて、それでも落胆するその背中が寂しげで、抱きしめてやりたい衝動に駆られる。
けれどそれは家具には許されざる行為。
嘉音と朱志香が本当の恋人同士だったならば寂しげな彼女の肩を抱いて、安心して眠れるまで口付けを交わすのに、それは仮初めという現実に阻まれて叶わない。
だから声を掛ける。
「お嬢様」
「なんだ……嘉音くんかよ。幽霊かと思ってびっくりしちまったぜ……」
「驚かせてしまって申し訳ありません」
「う、ううん、いいんだ……」
二人の間に沈黙が降りる。朱志香と話すときの沈黙はいつまで経っても慣れない。沈黙の破り方を彼は知らない。だから気まずくて気まずくて、何か話題を探そうと試みる。
「あ、あの……お歌、お上手でした」
「あ……あはは、そうかよ……照れるぜ……」
頬を染めてはにかむ彼女が可愛らしい。
この笑顔を一瞬でも消してしまうのが怖い。
けれども、二人が永遠に結ばれるためには必要な事なのだ。
だから、言葉にする。
「僕には歌は歌えません……家具ですから」
「……その、家具って口癖、やめようぜ」
案の定朱志香の笑顔は泡のように消え、敢えて家具と口にした嘉音を諫めるような表情になる。
家具。
それは確かに源次の言うとおり使用人の心得を説くものである。けれどももう一つの意味がある。
右代宮家に勤め始めた当初から聞かされ続けたこと。
結ばれてはならない者に、結ばれる事のない者に恋する者の意味である。
結ばれてはならない者。
主人と使用人。
それを人間と家具とはよく言ったものだ。
家具は心を持ってはならない。人間は家具に恋などしない。
使用人は主人に恋などしてはならないのだ。相手が家の将来を担う者であれば尚更だ。主人も自分の立場を理解して使用人に恋など出来ないだろう。
そういう意味では結ばれてはならない二人が互いに恋する時、二人は家具なのだろう。
そう、紗音や譲治だって例外ではない。嘉音が朱志香と共に人生を歩むのならば、譲治が当主になるのだから、紗音とは結ばれないはずだ。
嘉音も朱志香も、二人が愛し合うのならば二人共が家具なのだ。ただ立場の違いで朱志香は人間で居られるだけで。
「……いいえ、僕は、家具です」
「だからっ……君は、人間だよ……」
泣きそうな目をして、朱志香は嘉音を見つめる。
「今は……まだ家具なんです」
「嘉音くんは、最初から家具じゃないよ……」
彼女は俯いて、どうしたらいいのと自問する。どうしたら信じてくれるのと小さな声で自問する。
ふと、その背中に蝶が留まったようにみえた。黄金に輝く蝶は朱志香に寄り添い、彼女を慰めるかのように羽をやすめる。夜に蝶が飛ぶ筈などないと瞬きすれば蝶はたちまちのうちに消えてなくなった。
「家具だって人生を諦めてたら……私は何の魔法も掛けられないよ……」
魔法という言葉に引っ掛かって、問いかける。
「お嬢様」
「……?」
「お嬢様は……魔法が使えるのですか?」
「信じてくれれば……私は、ベアトリーチェだから……。でも、信じてくれなかったら、私が否定されてしまったら……使えないよ」
その言い回しになおも嘉音は引っ掛かる。
(お嬢様ががベアトリーチェ?)
彼はコートのポケットに手を突っ込んで蝶のブローチに触れる。紗音がベアトリーチェにもらったという恋愛成就のお守りだ。朱志香がベアトリーチェだというならば、このブローチは朱志香の物か。
だが、紗音はベアトリーチェの、朱志香の魔法を信じている。嘉音だって初耳なだけで否定した事はない。
朱志香はもしかして否定をされた事があるのだろうか。
「……僕は……否定などしません」
長い沈黙の後、俯いたまま彼女は言葉を紡いだ。
「……不安なんだ」
「え……?」
「前にも……否定しないって、信じるって言って……私は裏切られたから……そんなの」
そこで朱志香は一旦言葉を切り、首を横に振った。
「私が信じなきゃ駄目なのに……信じてもずっと裏切られて……」
「お嬢様……」
「今度こそ信じてもいいの……?二人が信じ合えるなら……もう一度、魔法を使っても、いいの……?」
彼女は誰の事を言っているのだろうか。今朱志香の目の前にいるのは紛れもなく嘉音なのに、彼女が語りかけているのは嘉音ではないかのよう。まるで彼を通して他の人間に語りかけているかのような。
そう、例えば姉から聞いた右代宮戦人といったこの場にいない人物のような。
姉は言っていた。
朱志香の初恋は別の人間だと。
その人間が右代宮戦人と言う事はあり得る。
しかし彼は6年前から屋敷に来ていないと言うし、6年も待ち続けているようなものなのだろうか。
「朱志香様」
その細い肩を掴んで尋ねる。
「……?」
「あなたは……僕の事を本当に愛してくれますか?」
「え……?」
戸惑う彼女の表情に嘉音まで戸惑う。その戸惑いを抑えてさらに問いかける。
「僕はあなたの魔法を否定などしません。……けれどそれはあなたが僕を信じてくれたらの話です」
「な、何……を……」
「……朱志香様……あなたが僕に重ねているのは……戦人様ですか?」
朱志香が息を呑んだ。それが切なくて、嘉音は畳みかける。
「あなたが僕に掛けようとした魔法は、僕を人間にしてくれる魔法ですか?」
「そ、そうだけど……その……」
「……僕は、嘉音としてあなたに愛されてはいないのですか?」
「ぁ……それ、は……っ」
朱志香の目に涙が滲む。嘉音はここまで執拗に問いつめた事なんてなかったから、おそらく怯えているのだろう。
けれども、聞いておかなければならない。彼女が彼の腕を振り解いて走り去る前に。
「あなたが愛しているのは……本当は戦人様なのですね?」
「ご、ごめ……なさ……っ」
とうとう一筋、朱志香の頬に涙が伝う。怯えて涙を流す彼女がこんな状況でも愛おしくて、嘉音はその身体を抱きしめた。
「家具って言ってるときの嘉音くん……凄く、辛そうで……っ、嘉音くんが……人間になれる魔法、掛ければ……辛く、なくなるかな……って……」
涙声で紡がれた言葉にはただただ嘉音の幸せを祈る朱志香の心が込められていた。けれど、嘉音の一番欲しい言葉は与えられない。
「……それだけ、なのですか?」
「……ん」
彼女が頷く。嘉音が欲しい言葉を、朱志香は持っていない。
嘉音が欲しいのは朱志香の愛であって、幸せを祈る心ではない。
それなのに彼女はその汚れなき純真な愛を他の男に捧げてしまった。それも嘉音が会った事も声を聞いた事もない男に。
「朱志香様……僕は、嘉音です。戦人様ではありません」
「……っ」
「僕が欲しいのはあなたの幸せの魔法ではなく、あなたの愛の魔法です」
「……どういう……意味……?」
怪訝な表情の朱志香を無言で抱き上げて、彼は歩き出した。
「や、やだっ、降ろして……降ろして、嘉音くんっ!」
彼女の抵抗をさらにきつく抱きしめる事で封じて、ただただ無言で歩く。
朱志香の部屋に着くと彼女をベッドに横たえて鍵を閉めた。
「嘉音……くん……!?」
もう止める事は出来ない。誰にも、嘉音自身にさえも止められない恋情の激流が彼の身体を駆けめぐる。
「好きです、朱志香様……あなたの事を愛しています」
「嘉音くん……」
朱志香に覆い被さると、ベッドがギシリと音を立てた。
「あなたが悪いんです……僕は朱志香様が好きなのに、あなたが僕を愛してくれないから……」
「や……ちが……私、は……」
「今からでもいいんです……あなたが僕を愛してくれさえすれば、僕は人間になれるんです」
「私……私は……」
今や止まる事を忘れたかのように涙が朱志香の頬を伝う。それさえも拒絶に見えて、嘉音は彼女の頬を両手で包んで唇を重ねた。
「んぅ……っ、や、何、するの……!?」
ネクタイの結び目に手を掛けると、怯えきった彼女は抵抗を試みる。それが切なくて悲しくて、耳元で囁いた。
「朱志香様が僕を僕以外と間違えることのないように、しっかり教えて差し上げます」
「い、いや……っ!」
暴れる彼女を出したこともないような強い力で押さえつけて、嘉音は朱志香の首筋に口づけた。
「やだっ、やめて、嘉音くん……っ!いや、いやぁぁぁぁぁぁっ!」
泣き叫ぶ朱志香の悲痛な声が、嘉音には何よりも辛かった。
彼女と初めて出会ったとき、何処までも明るい少女だと思った。
優しくて美しい、彼を人間に変えてくれる少女だと思った。
けれど、彼女は何処までも不器用で、自分の気持ちを伝える事に慣れなかった。
その様さえも可愛らしくて、彼は気付いた。
家具である嘉音が右代宮朱志香に対して抱いている感情は、家具の身には許されざる感情、すなわち恋だと。
されど彼女は恋してはならない人だった。
今となっては朱志香が彼を愛していたのかどうかなどわからない。
ただ、何も分からずに恋情の奔流に呑まれて己の感情をぶつけることしか嘉音にはできなかった。
ようやく演習のレジュメが終わりました。そんなわけで懲りずに変態嘉音くんシリーズです。
いつも通りの大暴走なので格好いい嘉音くんは幻想と化しています。
さて、ここでお知らせですが、今日から一週間ぐらいかけてブログを「うみねこのなく頃に」の二次創作専用のものにしようと考えています。それに伴いオリジナルの作品は「花待館」に移動します。今後もよろしくお願い致します!
では、どうぞ。
雪降りランタンに口付けを
いつも通りの大暴走なので格好いい嘉音くんは幻想と化しています。
さて、ここでお知らせですが、今日から一週間ぐらいかけてブログを「うみねこのなく頃に」の二次創作専用のものにしようと考えています。それに伴いオリジナルの作品は「花待館」に移動します。今後もよろしくお願い致します!
では、どうぞ。
雪降りランタンに口付けを
クリスマス。
それは欧米で生まれた行事で、イエス・キリストの誕生日を祝うものである。
が、しかし。日本ではそんなことはお構いなしにカップルがラブラブデートを繰り広げたり、色々な店が客の争奪戦を繰り広げたり、はたまた冬休み前の最後の登校日だったりする。
それはともかく、本日はクリスマスである。
雪降りランタンに口付けを
六軒島の右代宮本家はクリスマスパーティーの準備で大わらわであった。ただし一部を除いて。その一部というのは受験を控えた一人娘の右代宮朱志香のみなのだが、現在に限って準備に加わらないものが数名いた。
「トリック・オア・トリート!」
「きゃっ!ベ、ベアト!?」
赤と白のフリルやレースが可愛らしいゴスロリ風のサンタドレスを身に纏った朱志香に背後から抱きつくのは六軒島の魔女・ベアトリーチェである。
「朱志香、トリック・オア・トリートだぞぅ?」
ベアトリーチェは至極楽しそうに朱志香に抱きついたまま笑う。朱志香は仕方ないなと困ったように笑って、小さな包みを魔女の手の平に乗せた。
「メリークリスマス、ベアトリーチェ」
「なんだ、妾へのプレゼントを用意していたのなら普通に来るのであったな!」
「用意してるに決まってるだろ?トリック・オア・トリートなんて言わなくたって……」
「妾はハロウィンの方が似合うと思うてな……でも妾は嬉しいぞ!」
「喜んで貰えて良かったぜ!」
朱志香の部屋のベッドの上でそんな微笑ましいやり取りをする仲睦まじい少女達をじっと見ている一つの影があった。
「あの魔女め……僕の朱志香さんを僕の朱志香さんを僕の朱志香さんを……」
言わずもがな朱志香の恋人である使用人の嘉音である。彼は本来ならば食堂でツリーでも飾り付けているはずなのだが、どういう訳か朱志香のクローゼットの中に潜んでいた。ついでに言えば彼の機嫌はすこぶる悪い。婚約までした愛しの朱志香が魔女と仲睦まじく戯れていたからである。
「朱志香さんは僕の嫁なのに……それにしてもこのクローゼットいい匂いがする……朱志香さんの匂いかな」
が、しかし、彼の現在地はしつこいようだが朱志香のクローゼット。彼女が普段着ている洋服の宝庫である。さわり心地の良い生地と朱志香の移り香らしい甘い匂いに嘉音の不機嫌はたちまち緩和される。そしてこの匂いだけで朱志香が微笑むのを想像してみる。
『嘉哉くん……この服、新しく買ったんだけどどうかな……?』
可愛らしく頬を染めて彼女は新しいワンピースを身に纏ってこちらを見つめる。その仕草が愛おしくて彼は朱志香の頬を包む。
『とてもお可愛らしいです……朱志香さん』
『嘉哉くん……ありがと……』
朱志香は恥ずかしがって俯いてしまうだろうから、その可愛らしい顔をこちらに向かせて見つめ合うのだ。
『朱志香さん……』
『うん……?』
『あなたがあまりにお可愛らしいから……食べてしまいたくなってしまいます』
そう言えば彼女はますます頬を赤く染めて、恥ずかしげに笑うだろう。嘉音の大好きな太陽のような微笑みとはまた違う、恋する乙女のはにかんだ表情はきっと宇宙で一番可愛らしい。
『嘉哉くんなら……いいよ……?』
嘉音は感無量で朱志香の温かい身体を抱きしめて、桜色の唇に己のそれを近づける。
『朱志香さん……愛しています!』
ずべしゃっ。
彼女と口付けを交わしたと思ったら嘉音は朱志香の服に頭を突っ込んでいた。
「朱志香さん……僕はあなたの匂いだけでこの程度の妄想が可能です……早くいちゃいちゃしましょうね」
このときに限って嘉音の頭からは自重という言葉は吹き飛んでいたのであった。
「な……なあベアト」
不意に朱志香の不安そうな声が聞こえて彼は我に返る。彼女にもしものことがあったら大変だ。魔女が聞き返す。
「どうした朱志香?」
「この部屋……何か居ないか?」
「ふむ……不審者は居ないはずだがの」
ベアトリーチェが首を傾げるが、朱志香はふるふると首を横に振る。可愛い。
「なんかクローゼットから物音がして……」
「ふむ。安心するがよい朱志香。妾がそなたの平穏のために確かめてやろう!」
視界が遮られたと思ったら、がちゃ、と音がして目の前が明るくなった。
「……あ」
「え……?」
「……おい」
目の前の魔女が明らかにげんなりした顔になった。
「ちょっとお前、クローゼットから出てそこに座れ。妾が直々に制裁を加えてやろう」
数分後。ようやくベアトリーチェの説教(「ストーキングなどをしていないで真面目に仕事をしろ」という至極まともなものであった)から逃げてきた嘉音はバラ庭園を歩いていた。
「あの魔女め……ちょっと自分が朱志香さんと仲がいいからって愛し合う二人をくっつけさせないだなんて……でも朱志香さん、可愛かったな……」
もとはといえば仕事も放り出して朱志香のクローゼットに潜り込んでいた嘉音自身に原因があるのだが、今の彼にはそんなことは些細な問題だった。先ほどベアトリーチェの説教を受けていたときに見た戸惑う朱志香の表情がとても可愛かったからである。
「そういえば……結局渡せなかった……はぁ……あの魔女め!」
ポケットの中から小さな箱を取りだして溜息を吐く。そしてまた魔女への恨みを募らせる。
嘉音がクローゼットに潜り込んでいた理由は唯一つ、朱志香にクリスマスプレゼントを渡すためであった。この日のために節約に節約を重ね、朱志香を盗撮するためのフィルム代さえも涙を呑んで我慢して、休みの日を存分に使って買い求めた愛しい朱志香へのクリスマスプレゼント。これが渡せるのならば、今日一日の仕事を全て放り出して雷を落とされても嘉音は本望だった。
が、しかし。現実はそんなに甘いものではなかった。抜け出して朱志香に会いに行こうと思ったら仕事をしていなければいけないはずの紗音がゲストハウスにいる譲治(新島で仕事があったらしく、ついでにと泊まりに来ていた)のもとに脱走していたり、朱志香が忙しそうだったりとなかなかタイミングが合わないのである。
「何処か無理にでも時間を作って渡さないと……ん?」
バラ庭園の真ん中に見知った影を見つけたような気がして立ち止まる。
はたしてその影は仕事をしているはずの紗音と譲治であった。
「譲治さん……」
「紗代……」
「譲治さん……」
「さ、紗代……」
名前を呼び合って見つめ合うだけという行動をしているだけで、その先にはなかなか進まない。
「何だあれは……」
ぼそりと呟いた所で見つめ合う恋人達には届かない。
「譲治さん……」
「紗代……仕事は大丈夫なのかい?」
「大丈夫です、それより私譲治さんと……」
紗音は譲治の手を両手で握りしめ、自分の方に引き寄せる。
「ラブラブ……したいです!」
「うん、気持ちは嬉しいんだけど……そろそろゲストハウスに入らないかい?」
「譲治さんったら……照れ屋さんなんですからもう!」
進んだと思ったらしょうもないことを話し合っている。紗音はともかく譲治はバラ庭園でいちゃつくことの恥ずかしさと12月の寒空の中でコートも着ずに立ちつくしているのとで震えていた。
「いやほら紗代、紗代へのプレゼントも僕の鞄の中だし!」
「プレゼントですか!嬉しいです!私も譲治さんに愛情てんこ盛りのラブラブセーター編んだんです!」
「嬉しいよ、紗代……プレゼント渡したいからゲストハウスに入らないかい?」
「はい、譲治さん!セーター以外にも期待してくださいね!」
「紗代のブレンドしてくれる紅茶かな?期待しているよ!」
そうして二人は仲良く手を繋いでようやくゲストハウスへと歩いていった。
「やっと行ったよ……譲治様風邪引くだろあれ……僕も朱志香さんと……いちゃいちゃしたいなぁ……」
そう願って瞼を閉じれば自然と朱志香が微笑みかけてくれる。
『嘉哉くん!』
『朱志香さん……』
嘉音の瞼の裏の朱志香は頬を赤く染めて後ろ手に隠していた細長い包みを取り出す。去年もらったものよりも包み紙が格段に高級だ。
『これ……クリスマスプレゼント!べ、別に恋人同士だからって嘉哉くんのだけ奮発した訳じゃないんだからな!』
朱志香の言葉が照れ隠しなことぐらい彼には分かっている。その愛情が嬉しくて、緩む頬を抑えきれない。
『ありがとうございます……今年は、僕だけに奮発してくれたんですね……中を見ても?』
『う、うん……気に入ってくれると嬉しいんだけど……』
先ほどよりも頬を染めてもじもじと嘉音の反応を待つ彼女が可愛らしい。だからその仕草をじっくり見つめながら包みを開ける。中から現れたのは紺色の生地に金色のストライプの入ったネクタイだった。
『ネクタイ、ですか』
『うん……この間、嘉哉くんからネクタイもらったから……その、嘉哉くんにも似合いそうだなって』
彼を見つめる朱志香は耳まで赤く染まっていて、瞳もこころなしか潤んでいる。とても可愛い。
そう言えばこの間朱志香にネクタイを贈ったことを思い出す。いつも同じ柄というのも味気ないだろうと一生懸命探したのを思い出して、彼女も同じように一生懸命嘉音に似合う柄を探したのだろうと想像する。
『素敵な柄です……朱志香さんが僕に似合うと言ってくれるなら、きっと似合うはずですよ』
『そ……そうかな……それなら良かった……』
恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑う朱志香に心臓の鼓動が高鳴る。
『朱志香さん』
『嘉哉くん……?』
きゅっと彼女の両手を握って、嘉音は真っ直ぐ朱志香を見つめる。
『知っていますか?』
『え……何を?』
『ネクタイを異性に贈る意味……です』
『……?』
彼女が首を横に傾げる。可愛い。あまりに可愛くてその身体を腕の中に閉じこめる。
『よ、嘉哉くん!?』
『知りたいですか?』
『う、うん……』
『ネクタイを異性に贈るのは……その異性を束縛したい……という意味があるのだそうですよ』
耳元で囁けば朱志香はびくりと体を震わせた。
『あ、え……そ、束縛!?』
『僕は朱志香さんになら束縛されたいです……朱志香さんは……いかがですか?』
『え、えっと……わ、私も、嘉哉くんになら……その、えっと……!』
朱志香が腕の中でわたわたと言葉を紡ぐ。ああもう可愛らしい。だから嘉音は朱志香の頬を優しく包んで顔を近づける。
『朱志香さん……』
『よ、嘉哉、くん……』
そうして、そのまま唇を重ね合わせた。
「朱志香さん……愛しています……」
「おい嘉音。お前仕事はどうした」
朱志香の盗撮写真を抱きしめて感無量の嘉音はベアトリーチェの声で現実に引き戻された。いろいろと規制が必要な妄想をやめて渋々振り向く。
「仕事なんか知りませんよ。というか何でここにいるんですか。存在全否定しますよ?」
「あのな……妾お前に存在全否定されても朱志香に言いつけるだけだからいいんだが」
「じゃあ人格全否定?」
ベアトリーチェの顔が引きつる。
「お前朱志香に近づくやつには慈悲の欠片もねぇのな」
「あるわけないじゃないですか」
だよなぁ、と魔女は溜息を吐く。
「それより大変だぞ!」
「何がですか?」
「朱志香に……」
「朱志香さんに?」
「朱志香にウサ耳が生えた!」
「なんだってぇ!?」
「朱志香さん!」
朱志香の部屋に駆けつけると、部屋の主である朱志香がくるりとこちらを向く。サンタドレスが相変わらず可愛らしい。
がしかし、彼女の頭には天井に向かってぴんと立つグレーのウサギの耳が生えている。それでもやっぱり可愛い。
「嘉哉くん!……どうしよう、ウサ耳が……」
「魔法でも掛けられましたか?」
朱志香の手を取ってそう問いかければ、彼女は不安そうな顔でこくんと頷く。
「実はその……あのオッサン……ロノウェが来てさ、『悪魔が贈るらぶらぶ☆クリスマス大特集』って雑誌に載ってたのを適当に……」
「……あのオッサン……」
実はウサ耳朱志香に萌えたいがためにやったことではなかろうかと嘉音は疑わざるを得ない。ロノウェにとっては全くもっていい迷惑だろうが、今この瞬間、嘉音は疑念と同時に感謝の念までも抱いていた。
ウサ耳を不安そうにぴょこぴょこと揺らす朱志香は可愛い。普段から可愛いのだがウサ耳を付けると小動物的な可愛らしさが備わって、ついつい膝の上に載せて可愛がりたくなる。
「どうしよう……嘉哉くん……」
だから彼女の手をきゅっと握りしめて囁いた。
「大丈夫です、朱志香さんは僕がお守りします!」
六軒島で怪奇現象が起こるのはいつもの事である。全くもって不思議な事ではない。
だから朱志香にウサ耳が生えるのも不思議な事ではないのだが、戻す方法が分からない事にはどうしようもない。とりあえず部屋を出てふらふらする事にした。
「そういえば尻尾って付いているんですか?」
「え……ど、どうだろう……」
聞けば朱志香は頬を赤らめて腰のあたりを探る。
「……あ、生えてる……」
ほら、と背を向けた彼女には間違いなくグレーの尻尾が生えていた。ウサギの尻尾が皆そうであるように、小さくて丸くてふわふわしている。
「触っても?」
「だ、だめ……恥ずかしいから駄目だぜ!」
「そんな!一生のお願いです、ちょっと触るだけですから他に何もしませんから朱志香さんのふわふわの可愛らしい尻尾を触らせてくださいっ!」
食い下がれば朱志香は頬を赤く染めてぶんぶんと首を横に振る。
「いくら嘉哉くんのお願いでもそれは駄目だぜ!」
「どうしても……駄目ですか?」
「だ……駄目っ!」
きっぱりと拒絶されて嘉音は少しだけショックを受けた。だがしかし朱志香の嫌がる顔が可愛いので良しとする。
「分かりました……諦めます。朱志香さんのウサ耳が揺れるのを眺めて我慢します……」
「うん……ごめんね……」
「朱志香さんは悪くありません!全てはあのオッサンが悪いんです!」
しょげた顔を見たくなくて、朱志香の肩を掴んで叫べば彼女は驚いた顔をして、それから小さく笑った。
「朱志香さん?」
「嘉哉くん、可愛い」
「……へ?」
「サンタの格好してそういう事言うの、本当可愛いぜ!」
嘉音は可愛いと言われるのは好きではない。朱志香と恋仲にならない時分はそう言われるたびに反発していた。それなのに今、彼女に可愛いと連呼されているのに全く不快にならない。
愛の力とは全く素晴らしい。
だから彼も朱志香の手を握って見つめ合う。
「朱志香さんの方が可愛いですよ……」
「嘉哉くん……」
「朱志香さん……」
そうして、二人の唇が近づいて。
「……あ!譲治兄さんに勉強教えてもらう約束忘れてた!」
不意に朱志香が身を翻して走って行ってしまったので嘉音は一人その場に取り残される。
「……忘れるほど僕と一緒にいたかったんですね……朱志香さん、今行きます!」
気を取り直していつも通り朱志香を追いかけ始めた彼に、彼女の頬がリンゴのように赤く染まっていた事など知るよしもないのであった。
嘉音がようやっと朱志香を捕まえたのはバラ庭園のあたりであった。
「朱志香さん!」
「嘉哉くん!?」
追いついて後ろから抱きしめる。驚いて身を捩る様が可愛らしい。
「僕もお供させて頂きます」
「え、べ、別に構わないぜ?」
「ありがとうございます、朱志香さん……」
「うん……」
そんな事を囁きあっていると、向こうから譲治と紗音がやってくるのが見えた。
「お、来た来た!譲治兄さん、紗音、こっち!」
朱志香がウサ耳をぴょこぴょこ揺らしながら飛び跳ねる。あんまり飛ぶとスカートがめくれてしまうのではと嘉音が密かに危惧したとき、事件は起こった。
「朱志香ちゃん、ちっとも呼びに来ないからどうしたのかなと思ってたんだけど……」
「い、いやその、ちょっと立て込んでて……きゃっ!?」
冬らしく強い風がバラ庭園を吹き抜ける。朱志香のスカートの裾を巻き上げる。
このままではまずい。何故なら朱志香のスカートの中身を見て良いのは嘉音だけだからである。
だからその瞬間、彼はほとんど無意識に動いていた。
「お嬢様のスカートの中身を見て良いのは僕だけですっ!」
「きゃっ、か、嘉音くん!?」
譲治や紗音に見えないように朱志香の前に滑り出る。ちょうど嘉音の頭で見たくとも見えないはずだ。
よくやった僕、と彼が思ったのもつかの間、赤と白のひらひらの布が目の前に垂れ下がる。風が止んだのだ。
「か……嘉音くん……」
「あれ……?」
とりあえず前に一歩踏み出すと布は視界から消え去った。
「……まさか」
朱志香の方を見ると彼女は頬を先ほどよりも真っ赤に染め上げて羞恥に震えていた。きっ、と涙を湛えた眼に睨まれる。まずい。これは非常にまずい。朱志香のスカートの中に頭を突っ込みたくてあんな行動をしたと思われていそうである。
「あ、あの、朱志香さん……これは……」
「嘉哉くんの……変態~っ!」
事実そう思っていたらしく、嘉音の言葉を遮って朱志香は走り去ってしまった。
「ち、違うんだ朱志香ぁぁぁぁっ!話を聞いてぇぇぇっ!」
彼の叫びが空しくバラ庭園にこだました。
それから色々とあって、嘉音と朱志香が二人きりになったのは夕食後の事であった。
「朱志香さん……今日は色々と申し訳ございませんでした」
「あ……そ、その、うん……びっくりしただけだから」
ふわりと微笑んでくれる朱志香が愛おしい。ポケットから小さな箱を取りだして朱志香の手の平に載せる。
「メリークリスマスです、……朱志香」
「これ……私に?」
「はい。気に入ってくださるといいのですが……」
朱志香はゆっくりと小箱を開け、中に納められていたものに僅かに目を見開いた。
「指輪……?」
「はい。僕と朱志香の……婚約指輪です」
それを聞いた朱志香は指輪を左手の薬指にはめる。サイズもぴったりだ。測っておいて良かった。
「私と……嘉哉くんの……ありがとう、嘉哉くん!」
朱志香がぱふんと嘉音に抱きついた。温かくて柔らかいその身体を嘉音は思う存分抱きしめる。
「嘉哉くんに……私もプレゼント用意したんだぜ……?」
「いただけますか……?」
「うん……」
彼女が体を離して小さな包みを彼に手渡す。
「開けても?」
「うん……気に入ってくれたら、いいな」
朱志香の視線を感じながら包みを開ける。
「懐中時計……凄く、見やすいです」
「何か実用的なものの方がいいかなと思って……」
その気遣いが嬉しくて、彼は再び朱志香を抱きしめた。
「ありがとうございます、朱志香!」
「嘉哉くん!」
「今年は最高のクリスマスになりました……」
「私も、凄く楽しめたよ……」
朱志香の目をじっと見つめる。彼女も嘉音の目をじっと見つめる。
「朱志香、愛しています……」
「嘉哉くん……」
そうして、二人の唇がゆっくりと重なった。
六軒島は今日も平和である。朱志香にウサ耳が生えたり魔女がその辺で遊んでいたりと不思議な事は多いけれど、若い恋人達は今日も元気である。
今宵はクリスマス。魔女がハロウィンを混ぜたがったようではあるけれど、クリスマスである。
この聖なる夜に、全ての者たちに幸あらんことを!
……というよりも、僕と朱志香さんが幸せでいられますように!
魔女の棋譜
使用人・嘉音
なんやかんやで朱志香と幸せ恋人ライフを満喫中。色々と買い物をしているようだが、そんな貯金で大丈夫か?
「大丈夫だ、問題ない」(本人談)
それは欧米で生まれた行事で、イエス・キリストの誕生日を祝うものである。
が、しかし。日本ではそんなことはお構いなしにカップルがラブラブデートを繰り広げたり、色々な店が客の争奪戦を繰り広げたり、はたまた冬休み前の最後の登校日だったりする。
それはともかく、本日はクリスマスである。
雪降りランタンに口付けを
六軒島の右代宮本家はクリスマスパーティーの準備で大わらわであった。ただし一部を除いて。その一部というのは受験を控えた一人娘の右代宮朱志香のみなのだが、現在に限って準備に加わらないものが数名いた。
「トリック・オア・トリート!」
「きゃっ!ベ、ベアト!?」
赤と白のフリルやレースが可愛らしいゴスロリ風のサンタドレスを身に纏った朱志香に背後から抱きつくのは六軒島の魔女・ベアトリーチェである。
「朱志香、トリック・オア・トリートだぞぅ?」
ベアトリーチェは至極楽しそうに朱志香に抱きついたまま笑う。朱志香は仕方ないなと困ったように笑って、小さな包みを魔女の手の平に乗せた。
「メリークリスマス、ベアトリーチェ」
「なんだ、妾へのプレゼントを用意していたのなら普通に来るのであったな!」
「用意してるに決まってるだろ?トリック・オア・トリートなんて言わなくたって……」
「妾はハロウィンの方が似合うと思うてな……でも妾は嬉しいぞ!」
「喜んで貰えて良かったぜ!」
朱志香の部屋のベッドの上でそんな微笑ましいやり取りをする仲睦まじい少女達をじっと見ている一つの影があった。
「あの魔女め……僕の朱志香さんを僕の朱志香さんを僕の朱志香さんを……」
言わずもがな朱志香の恋人である使用人の嘉音である。彼は本来ならば食堂でツリーでも飾り付けているはずなのだが、どういう訳か朱志香のクローゼットの中に潜んでいた。ついでに言えば彼の機嫌はすこぶる悪い。婚約までした愛しの朱志香が魔女と仲睦まじく戯れていたからである。
「朱志香さんは僕の嫁なのに……それにしてもこのクローゼットいい匂いがする……朱志香さんの匂いかな」
が、しかし、彼の現在地はしつこいようだが朱志香のクローゼット。彼女が普段着ている洋服の宝庫である。さわり心地の良い生地と朱志香の移り香らしい甘い匂いに嘉音の不機嫌はたちまち緩和される。そしてこの匂いだけで朱志香が微笑むのを想像してみる。
『嘉哉くん……この服、新しく買ったんだけどどうかな……?』
可愛らしく頬を染めて彼女は新しいワンピースを身に纏ってこちらを見つめる。その仕草が愛おしくて彼は朱志香の頬を包む。
『とてもお可愛らしいです……朱志香さん』
『嘉哉くん……ありがと……』
朱志香は恥ずかしがって俯いてしまうだろうから、その可愛らしい顔をこちらに向かせて見つめ合うのだ。
『朱志香さん……』
『うん……?』
『あなたがあまりにお可愛らしいから……食べてしまいたくなってしまいます』
そう言えば彼女はますます頬を赤く染めて、恥ずかしげに笑うだろう。嘉音の大好きな太陽のような微笑みとはまた違う、恋する乙女のはにかんだ表情はきっと宇宙で一番可愛らしい。
『嘉哉くんなら……いいよ……?』
嘉音は感無量で朱志香の温かい身体を抱きしめて、桜色の唇に己のそれを近づける。
『朱志香さん……愛しています!』
ずべしゃっ。
彼女と口付けを交わしたと思ったら嘉音は朱志香の服に頭を突っ込んでいた。
「朱志香さん……僕はあなたの匂いだけでこの程度の妄想が可能です……早くいちゃいちゃしましょうね」
このときに限って嘉音の頭からは自重という言葉は吹き飛んでいたのであった。
「な……なあベアト」
不意に朱志香の不安そうな声が聞こえて彼は我に返る。彼女にもしものことがあったら大変だ。魔女が聞き返す。
「どうした朱志香?」
「この部屋……何か居ないか?」
「ふむ……不審者は居ないはずだがの」
ベアトリーチェが首を傾げるが、朱志香はふるふると首を横に振る。可愛い。
「なんかクローゼットから物音がして……」
「ふむ。安心するがよい朱志香。妾がそなたの平穏のために確かめてやろう!」
視界が遮られたと思ったら、がちゃ、と音がして目の前が明るくなった。
「……あ」
「え……?」
「……おい」
目の前の魔女が明らかにげんなりした顔になった。
「ちょっとお前、クローゼットから出てそこに座れ。妾が直々に制裁を加えてやろう」
数分後。ようやくベアトリーチェの説教(「ストーキングなどをしていないで真面目に仕事をしろ」という至極まともなものであった)から逃げてきた嘉音はバラ庭園を歩いていた。
「あの魔女め……ちょっと自分が朱志香さんと仲がいいからって愛し合う二人をくっつけさせないだなんて……でも朱志香さん、可愛かったな……」
もとはといえば仕事も放り出して朱志香のクローゼットに潜り込んでいた嘉音自身に原因があるのだが、今の彼にはそんなことは些細な問題だった。先ほどベアトリーチェの説教を受けていたときに見た戸惑う朱志香の表情がとても可愛かったからである。
「そういえば……結局渡せなかった……はぁ……あの魔女め!」
ポケットの中から小さな箱を取りだして溜息を吐く。そしてまた魔女への恨みを募らせる。
嘉音がクローゼットに潜り込んでいた理由は唯一つ、朱志香にクリスマスプレゼントを渡すためであった。この日のために節約に節約を重ね、朱志香を盗撮するためのフィルム代さえも涙を呑んで我慢して、休みの日を存分に使って買い求めた愛しい朱志香へのクリスマスプレゼント。これが渡せるのならば、今日一日の仕事を全て放り出して雷を落とされても嘉音は本望だった。
が、しかし。現実はそんなに甘いものではなかった。抜け出して朱志香に会いに行こうと思ったら仕事をしていなければいけないはずの紗音がゲストハウスにいる譲治(新島で仕事があったらしく、ついでにと泊まりに来ていた)のもとに脱走していたり、朱志香が忙しそうだったりとなかなかタイミングが合わないのである。
「何処か無理にでも時間を作って渡さないと……ん?」
バラ庭園の真ん中に見知った影を見つけたような気がして立ち止まる。
はたしてその影は仕事をしているはずの紗音と譲治であった。
「譲治さん……」
「紗代……」
「譲治さん……」
「さ、紗代……」
名前を呼び合って見つめ合うだけという行動をしているだけで、その先にはなかなか進まない。
「何だあれは……」
ぼそりと呟いた所で見つめ合う恋人達には届かない。
「譲治さん……」
「紗代……仕事は大丈夫なのかい?」
「大丈夫です、それより私譲治さんと……」
紗音は譲治の手を両手で握りしめ、自分の方に引き寄せる。
「ラブラブ……したいです!」
「うん、気持ちは嬉しいんだけど……そろそろゲストハウスに入らないかい?」
「譲治さんったら……照れ屋さんなんですからもう!」
進んだと思ったらしょうもないことを話し合っている。紗音はともかく譲治はバラ庭園でいちゃつくことの恥ずかしさと12月の寒空の中でコートも着ずに立ちつくしているのとで震えていた。
「いやほら紗代、紗代へのプレゼントも僕の鞄の中だし!」
「プレゼントですか!嬉しいです!私も譲治さんに愛情てんこ盛りのラブラブセーター編んだんです!」
「嬉しいよ、紗代……プレゼント渡したいからゲストハウスに入らないかい?」
「はい、譲治さん!セーター以外にも期待してくださいね!」
「紗代のブレンドしてくれる紅茶かな?期待しているよ!」
そうして二人は仲良く手を繋いでようやくゲストハウスへと歩いていった。
「やっと行ったよ……譲治様風邪引くだろあれ……僕も朱志香さんと……いちゃいちゃしたいなぁ……」
そう願って瞼を閉じれば自然と朱志香が微笑みかけてくれる。
『嘉哉くん!』
『朱志香さん……』
嘉音の瞼の裏の朱志香は頬を赤く染めて後ろ手に隠していた細長い包みを取り出す。去年もらったものよりも包み紙が格段に高級だ。
『これ……クリスマスプレゼント!べ、別に恋人同士だからって嘉哉くんのだけ奮発した訳じゃないんだからな!』
朱志香の言葉が照れ隠しなことぐらい彼には分かっている。その愛情が嬉しくて、緩む頬を抑えきれない。
『ありがとうございます……今年は、僕だけに奮発してくれたんですね……中を見ても?』
『う、うん……気に入ってくれると嬉しいんだけど……』
先ほどよりも頬を染めてもじもじと嘉音の反応を待つ彼女が可愛らしい。だからその仕草をじっくり見つめながら包みを開ける。中から現れたのは紺色の生地に金色のストライプの入ったネクタイだった。
『ネクタイ、ですか』
『うん……この間、嘉哉くんからネクタイもらったから……その、嘉哉くんにも似合いそうだなって』
彼を見つめる朱志香は耳まで赤く染まっていて、瞳もこころなしか潤んでいる。とても可愛い。
そう言えばこの間朱志香にネクタイを贈ったことを思い出す。いつも同じ柄というのも味気ないだろうと一生懸命探したのを思い出して、彼女も同じように一生懸命嘉音に似合う柄を探したのだろうと想像する。
『素敵な柄です……朱志香さんが僕に似合うと言ってくれるなら、きっと似合うはずですよ』
『そ……そうかな……それなら良かった……』
恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑う朱志香に心臓の鼓動が高鳴る。
『朱志香さん』
『嘉哉くん……?』
きゅっと彼女の両手を握って、嘉音は真っ直ぐ朱志香を見つめる。
『知っていますか?』
『え……何を?』
『ネクタイを異性に贈る意味……です』
『……?』
彼女が首を横に傾げる。可愛い。あまりに可愛くてその身体を腕の中に閉じこめる。
『よ、嘉哉くん!?』
『知りたいですか?』
『う、うん……』
『ネクタイを異性に贈るのは……その異性を束縛したい……という意味があるのだそうですよ』
耳元で囁けば朱志香はびくりと体を震わせた。
『あ、え……そ、束縛!?』
『僕は朱志香さんになら束縛されたいです……朱志香さんは……いかがですか?』
『え、えっと……わ、私も、嘉哉くんになら……その、えっと……!』
朱志香が腕の中でわたわたと言葉を紡ぐ。ああもう可愛らしい。だから嘉音は朱志香の頬を優しく包んで顔を近づける。
『朱志香さん……』
『よ、嘉哉、くん……』
そうして、そのまま唇を重ね合わせた。
「朱志香さん……愛しています……」
「おい嘉音。お前仕事はどうした」
朱志香の盗撮写真を抱きしめて感無量の嘉音はベアトリーチェの声で現実に引き戻された。いろいろと規制が必要な妄想をやめて渋々振り向く。
「仕事なんか知りませんよ。というか何でここにいるんですか。存在全否定しますよ?」
「あのな……妾お前に存在全否定されても朱志香に言いつけるだけだからいいんだが」
「じゃあ人格全否定?」
ベアトリーチェの顔が引きつる。
「お前朱志香に近づくやつには慈悲の欠片もねぇのな」
「あるわけないじゃないですか」
だよなぁ、と魔女は溜息を吐く。
「それより大変だぞ!」
「何がですか?」
「朱志香に……」
「朱志香さんに?」
「朱志香にウサ耳が生えた!」
「なんだってぇ!?」
「朱志香さん!」
朱志香の部屋に駆けつけると、部屋の主である朱志香がくるりとこちらを向く。サンタドレスが相変わらず可愛らしい。
がしかし、彼女の頭には天井に向かってぴんと立つグレーのウサギの耳が生えている。それでもやっぱり可愛い。
「嘉哉くん!……どうしよう、ウサ耳が……」
「魔法でも掛けられましたか?」
朱志香の手を取ってそう問いかければ、彼女は不安そうな顔でこくんと頷く。
「実はその……あのオッサン……ロノウェが来てさ、『悪魔が贈るらぶらぶ☆クリスマス大特集』って雑誌に載ってたのを適当に……」
「……あのオッサン……」
実はウサ耳朱志香に萌えたいがためにやったことではなかろうかと嘉音は疑わざるを得ない。ロノウェにとっては全くもっていい迷惑だろうが、今この瞬間、嘉音は疑念と同時に感謝の念までも抱いていた。
ウサ耳を不安そうにぴょこぴょこと揺らす朱志香は可愛い。普段から可愛いのだがウサ耳を付けると小動物的な可愛らしさが備わって、ついつい膝の上に載せて可愛がりたくなる。
「どうしよう……嘉哉くん……」
だから彼女の手をきゅっと握りしめて囁いた。
「大丈夫です、朱志香さんは僕がお守りします!」
六軒島で怪奇現象が起こるのはいつもの事である。全くもって不思議な事ではない。
だから朱志香にウサ耳が生えるのも不思議な事ではないのだが、戻す方法が分からない事にはどうしようもない。とりあえず部屋を出てふらふらする事にした。
「そういえば尻尾って付いているんですか?」
「え……ど、どうだろう……」
聞けば朱志香は頬を赤らめて腰のあたりを探る。
「……あ、生えてる……」
ほら、と背を向けた彼女には間違いなくグレーの尻尾が生えていた。ウサギの尻尾が皆そうであるように、小さくて丸くてふわふわしている。
「触っても?」
「だ、だめ……恥ずかしいから駄目だぜ!」
「そんな!一生のお願いです、ちょっと触るだけですから他に何もしませんから朱志香さんのふわふわの可愛らしい尻尾を触らせてくださいっ!」
食い下がれば朱志香は頬を赤く染めてぶんぶんと首を横に振る。
「いくら嘉哉くんのお願いでもそれは駄目だぜ!」
「どうしても……駄目ですか?」
「だ……駄目っ!」
きっぱりと拒絶されて嘉音は少しだけショックを受けた。だがしかし朱志香の嫌がる顔が可愛いので良しとする。
「分かりました……諦めます。朱志香さんのウサ耳が揺れるのを眺めて我慢します……」
「うん……ごめんね……」
「朱志香さんは悪くありません!全てはあのオッサンが悪いんです!」
しょげた顔を見たくなくて、朱志香の肩を掴んで叫べば彼女は驚いた顔をして、それから小さく笑った。
「朱志香さん?」
「嘉哉くん、可愛い」
「……へ?」
「サンタの格好してそういう事言うの、本当可愛いぜ!」
嘉音は可愛いと言われるのは好きではない。朱志香と恋仲にならない時分はそう言われるたびに反発していた。それなのに今、彼女に可愛いと連呼されているのに全く不快にならない。
愛の力とは全く素晴らしい。
だから彼も朱志香の手を握って見つめ合う。
「朱志香さんの方が可愛いですよ……」
「嘉哉くん……」
「朱志香さん……」
そうして、二人の唇が近づいて。
「……あ!譲治兄さんに勉強教えてもらう約束忘れてた!」
不意に朱志香が身を翻して走って行ってしまったので嘉音は一人その場に取り残される。
「……忘れるほど僕と一緒にいたかったんですね……朱志香さん、今行きます!」
気を取り直していつも通り朱志香を追いかけ始めた彼に、彼女の頬がリンゴのように赤く染まっていた事など知るよしもないのであった。
嘉音がようやっと朱志香を捕まえたのはバラ庭園のあたりであった。
「朱志香さん!」
「嘉哉くん!?」
追いついて後ろから抱きしめる。驚いて身を捩る様が可愛らしい。
「僕もお供させて頂きます」
「え、べ、別に構わないぜ?」
「ありがとうございます、朱志香さん……」
「うん……」
そんな事を囁きあっていると、向こうから譲治と紗音がやってくるのが見えた。
「お、来た来た!譲治兄さん、紗音、こっち!」
朱志香がウサ耳をぴょこぴょこ揺らしながら飛び跳ねる。あんまり飛ぶとスカートがめくれてしまうのではと嘉音が密かに危惧したとき、事件は起こった。
「朱志香ちゃん、ちっとも呼びに来ないからどうしたのかなと思ってたんだけど……」
「い、いやその、ちょっと立て込んでて……きゃっ!?」
冬らしく強い風がバラ庭園を吹き抜ける。朱志香のスカートの裾を巻き上げる。
このままではまずい。何故なら朱志香のスカートの中身を見て良いのは嘉音だけだからである。
だからその瞬間、彼はほとんど無意識に動いていた。
「お嬢様のスカートの中身を見て良いのは僕だけですっ!」
「きゃっ、か、嘉音くん!?」
譲治や紗音に見えないように朱志香の前に滑り出る。ちょうど嘉音の頭で見たくとも見えないはずだ。
よくやった僕、と彼が思ったのもつかの間、赤と白のひらひらの布が目の前に垂れ下がる。風が止んだのだ。
「か……嘉音くん……」
「あれ……?」
とりあえず前に一歩踏み出すと布は視界から消え去った。
「……まさか」
朱志香の方を見ると彼女は頬を先ほどよりも真っ赤に染め上げて羞恥に震えていた。きっ、と涙を湛えた眼に睨まれる。まずい。これは非常にまずい。朱志香のスカートの中に頭を突っ込みたくてあんな行動をしたと思われていそうである。
「あ、あの、朱志香さん……これは……」
「嘉哉くんの……変態~っ!」
事実そう思っていたらしく、嘉音の言葉を遮って朱志香は走り去ってしまった。
「ち、違うんだ朱志香ぁぁぁぁっ!話を聞いてぇぇぇっ!」
彼の叫びが空しくバラ庭園にこだました。
それから色々とあって、嘉音と朱志香が二人きりになったのは夕食後の事であった。
「朱志香さん……今日は色々と申し訳ございませんでした」
「あ……そ、その、うん……びっくりしただけだから」
ふわりと微笑んでくれる朱志香が愛おしい。ポケットから小さな箱を取りだして朱志香の手の平に載せる。
「メリークリスマスです、……朱志香」
「これ……私に?」
「はい。気に入ってくださるといいのですが……」
朱志香はゆっくりと小箱を開け、中に納められていたものに僅かに目を見開いた。
「指輪……?」
「はい。僕と朱志香の……婚約指輪です」
それを聞いた朱志香は指輪を左手の薬指にはめる。サイズもぴったりだ。測っておいて良かった。
「私と……嘉哉くんの……ありがとう、嘉哉くん!」
朱志香がぱふんと嘉音に抱きついた。温かくて柔らかいその身体を嘉音は思う存分抱きしめる。
「嘉哉くんに……私もプレゼント用意したんだぜ……?」
「いただけますか……?」
「うん……」
彼女が体を離して小さな包みを彼に手渡す。
「開けても?」
「うん……気に入ってくれたら、いいな」
朱志香の視線を感じながら包みを開ける。
「懐中時計……凄く、見やすいです」
「何か実用的なものの方がいいかなと思って……」
その気遣いが嬉しくて、彼は再び朱志香を抱きしめた。
「ありがとうございます、朱志香!」
「嘉哉くん!」
「今年は最高のクリスマスになりました……」
「私も、凄く楽しめたよ……」
朱志香の目をじっと見つめる。彼女も嘉音の目をじっと見つめる。
「朱志香、愛しています……」
「嘉哉くん……」
そうして、二人の唇がゆっくりと重なった。
六軒島は今日も平和である。朱志香にウサ耳が生えたり魔女がその辺で遊んでいたりと不思議な事は多いけれど、若い恋人達は今日も元気である。
今宵はクリスマス。魔女がハロウィンを混ぜたがったようではあるけれど、クリスマスである。
この聖なる夜に、全ての者たちに幸あらんことを!
……というよりも、僕と朱志香さんが幸せでいられますように!
魔女の棋譜
使用人・嘉音
なんやかんやで朱志香と幸せ恋人ライフを満喫中。色々と買い物をしているようだが、そんな貯金で大丈夫か?
「大丈夫だ、問題ない」(本人談)
お久しぶりです。
今回はツイッターでお世話になっている「そらそらぶるー」のそら様からリクエストをいただいたカノジェシSSです。
そして今回びっくりするほど暗いです。あと紗音ちゃんがなんだかんだで酷い。
嘉音くんはいつも通りヤンデレです。
あ、あとさりげなく朱志香=ベアトリーチェ説です。リクエスト品なのにこんなので本当に申し訳ないです……。
それから拍手やコメントありがとうございます、お返事していいものなのか分からないのですが、本当に嬉しいです!
それではどうぞ。
「鳥籠破り」
今回はツイッターでお世話になっている「そらそらぶるー」のそら様からリクエストをいただいたカノジェシSSです。
そして今回びっくりするほど暗いです。あと紗音ちゃんがなんだかんだで酷い。
嘉音くんはいつも通りヤンデレです。
あ、あとさりげなく朱志香=ベアトリーチェ説です。リクエスト品なのにこんなので本当に申し訳ないです……。
それから拍手やコメントありがとうございます、お返事していいものなのか分からないのですが、本当に嬉しいです!
それではどうぞ。
「鳥籠破り」
決して恋い焦がれてはならない人だと分かっていた。
それでも恋をして、初めて他人の世界に踏み込んだ。
彼女の中に期待していたものが見つけられなくて、初めて本当の意味で彼女の世界を土足で踏みにじった。
それなのに微笑む朱志香が愛しくて悲しくて、彼女をこの腕の中に閉じこめた。
本当の意味で嘉音を受け入れた朱志香を、彼は一生守りたいと思ったのだ。
例えその先に待つのは深く険しい茨の森だとしても。
鳥籠破り
カーテンから差し込む光に嘉音は目を覚ました。窓の外を見ればまだ暗い夜空に生まれ出でようとする太陽の光が差している。まだ少し眠れるとベッドに潜り込もうとして、普段よりも柔らかい感触に若干の驚きを覚える。ふと隣を見れば、金色の髪の少女がこちらに背を向けて眠っていた。
そして、彼は思い出す。
昨夜は彼女を腕の中にかき抱いて、無理矢理にでもこちらを向かせて、そのまま寝てしまったのだ。
「朱志香……」
少女の名を呼んで、再びその華奢な身体を抱きよせる。
「ん……」
朱志香が目をゆっくりと開ける。そのあどけなさが愛おしくて、出来るだけ優しく声を掛ける。
「お目覚めですか?」
「か……嘉哉、くん……」
彼女の瞳に一瞬だけ浮かんだのは恐怖の色。それは紛れもなく嘉音がしたことの代償。無理に事を急ぎすぎて呼ぶことを強いた彼の本名は朱志香の悲しみに彩られていて、それが少しだけ寂しかった。
「お体は……大丈夫ですか?」
「う……ん……」
「今夜はもう……何も酷いことをしませんから……」
抱きしめて柔らかな金髪を梳けば、朱志香は俯いて遠慮がちに腕を彼の背へと回す。
「朱志香様……」
「……ごめん、ね……」
「……?」
「もう、ずっと……嘉哉くんだけ見てる……から」
「朱志香様……ずっと、あなたを離さなくても……許してくれますか?」
「……うん……」
再び顔を上げた朱志香の瞳に恐怖の色はもう無かった。
代わりに浮かんでいた嘉音が求めて止まなかった幸せそうな笑顔に、彼は涙が出るほど嬉しさを感じた。
数日が経った。
「おはよう、嘉音くん」
「おはよう、姉さん」
いつも通り紗音と挨拶を交わす。いつもは優しい光を湛えているはずの紗音の瞳は何故か冷たくて、彼は違和感を感じる。それを知ってか知らずか、彼女は何食わぬ顔でこちらに問う。
「お嬢様と何かあったの?」
「……別に、何も」
「……そう。私の勝ち、だね」
それが何のことなのか、嘉音は気付くことが出来なかった。
その朝の申し送りで源次に解雇を言い渡されるまでは。
「どういうことですか!?」
「私にも分からん。……本当に思い当たることはないのか?」
問いつめれば源次は溜息を吐いて逆に問い返す。
「……ありません」
朱志香との逢瀬は数えるほどはあったけれど、二人が逢うのはいつも朱志香の部屋だったし、ましてや何処かに行ったことなんてない。本当に分からない。
『私の勝ち、だね』
紗音の言葉がフラッシュバックする。そして、嘉音は思い出す。
家具である自分が朱志香と結ばれるためには紗音が譲治と結ばれるのを阻止しなければならないことを。
そして紗音も嘉音が朱志香と結ばれるのを阻止するであろうことを。
まさか、そのために付け回していたとでも言うのだろうか。
そして嘉音が朱志香と進展したことを知り、夏妃に言いつけたのだろうか。
それしかない。
紗音は右代宮家に勤める前から仲良くしていた姉だから疑いたくはないけれど、それしか考えつかない。
「……」
姉は嘉音の幸せよりも朱志香の幸せよりも、自分と譲治の幸せを取ったのだ。
祝うと言ったくせにとても祝う気分にはなれなくて、嘉音は荷物を纏めるために自室へと向かったのであった。
荷物を纏めながら考えた。
何年も想い続けてようやく朱志香と結ばれたのだ。このまま彼女を一人にはしたくない。
愛し合うことそれ自体が罪だなんて純粋な朱志香に教えてしまうわけにはいかない。
けれど解雇された以上ここには居られなくて、それが悔しくて涙がこぼれる。
嘉音はどうすればいいのか考え続ける。
解雇されて何もしなければ彼女は自分を捜すことすら許されないだろう。
それならば。
「……絶対に……朱志香に相応しい人間になって戻ってくる……!」
溢れる涙を拭いながら彼はそう決意した。
そのまま朱志香の部屋へと急ぐ。ノックをすれば愛しい彼女が何も知らない無垢な笑顔で出迎えてくれる。
「朱志香」
「ん……!?」
部屋の中に入って朱志香をきつく抱きしめる。
「朱志香、聞いてください」
「う、うん……」
「僕は……右代宮家を解雇されました」
耳元で彼女が息を呑む。
「え……!?」
「紗音に……あなたとのことを密告されて……」
「そんな……っ」
体を震わせる朱志香をもっときつく抱きしめる。彼女が離れてしまわないように。そして、告げる。
「しばらく会えませんが……僕は必ずあなたの元へ戻ってきます。ですから待っていてください」
沈黙が降りる。悠久に感じられるほどの長い長い沈黙のあと、彼女が小さな声で呟いた。
「どのぐらい……?」
「え?」
「どのぐらい、待てばいいの……」
「……分かりません。しかし」
「いいよ……来なくても、もう……」
「朱志香……」
「待たせるだけ待たせて、結局は誰も来ないから……もう、そんなに期待させなくて、いいよ……」
朱志香の声色は悲しみと絶望に満ち溢れていて、嘉音の胸が締め付けられる。その言葉には何が去来するのか、彼には分からない。
彼女が昔の思い人をどんな気持ちで見送ったのか、この言葉で全てが分かるような気がして、嘉音の中に言いようのない憤りがわき起こる。
彼がここで去っていってしまえば、朱志香はまた独りぼっち。
紗音がいようといとこがいようと、結局鳥籠に一人残されることには変わりないだろう。
その寂しさはどれほどだろう。
自分を閉じこめる鳥籠を、広い空を舞うことすら許されないその身体を、どれほど呪うだろう。
ならば、期待をさせる必要などないではないか。彼女を手放す必要などないではないか。
「……分かりました」
「うん……」
「ですから、今日一日だけここに匿ってください」
だからそう囁く。
「どういうこと……?」
「あなたをこの島から攫っていきます」
もう一度、朱志香が息を呑んだ。
「……!」
「あなたをここに残して悲しませるぐらいなら、例え僕の身体が引き裂かれようとあなたを無理にでも攫っていく……ですから、今日中に荷物を整えてください」
「嘉哉くん……」
「もう僕はあなたを悲しませたりしない。ずっと朱志香を離さない!だから……!」
「本当、に……?」
彼女がこちらを向く。真っ直ぐ目を合わせて嘉音は叫ぶ。
「本当です、どうしても……どうしても朱志香と一緒にいたい!誰に反対されようと、例え世界中を敵に回しても、僕は朱志香が欲しいんです!」
彼女を愛しているからこそ、手放せない。
彼女に恋をしなければこの狂おしい渇望は生まれなかっただろう。
幾万の言葉を尽くしても言い尽くせないほど、彼は彼女を欲していた。
だからこそ泣きそうな顔をして立ちつくす彼女の沈黙に不安を覚える。
もしも嫌だと言われてしまったらどうしよう。
自分となどいたくないと言われてしまったらどうしよう。
その不安を必死で押し込めて声を掛ける。
「朱志香……」
不意に、朱志香の頬を涙が転がり落ちた。
「朱志香……?」
「そんなこと言ってもらったの……初めて……」
「朱志香……」
「本当に……初めて……ありがと……」
そう何度も繰り返す朱志香が愛おしくて恋しくて、その身体をさらに抱きしめる。
「愛しています……僕と一緒に、生きてください……!」
「うん……私も……私も嘉哉くんと一緒に生きたい……!」
その言葉と、背中に回された温かい手の感触が何よりも嬉しかった。
暁に近い夜の静寂の中で波の音だけが船上の二人を包む。
もうこの島には戻らない、戻れない。
朱志香を六軒島から盗み出すということがどういうことなのかなんてわかりきっている。
二人を待ち受ける試練は山ほどあるだろう。
それでも朱志香が欲しかった。彼女を悲しませたくなかった。
繋いだ手に力を込めれば、同じだけ握りかえされる。
「朱志香……僕は、あなたを攫っていくことを後悔したりしません」
「うん……」
「どんなに辛いことがあっても、僕はあなたが傍にいてくれるだけで頑張れます」
「うん……私も、辛くても……嘉哉くんが傍にいてくれるから……」
決して恋い焦がれてはならない人だと分かっていた。
それでも恋をして、初めて他人の世界に踏み込んだ。
彼女の中に期待していたものが見つけられなくて、初めて本当の意味で彼女の世界を土足で踏みにじった。
それなのに微笑む朱志香が愛しくて悲しくて、彼女をこの腕の中に閉じこめた。
本当の意味で嘉音を受け入れた朱志香を、彼は一生守りたいと思ったのだ。
例えその先に待つのは深く険しい茨の森だとしても。
朱志香が笑っていてくれるなら、嘉哉はどんなことでも出来る。
誰が許さなくとも、二人の愛は二人の幸せなのだから。
新しい陽が昇る。地平線から溢れ出るその光の中で、二人は祝福の口付けを交わしたのだった。
それでも恋をして、初めて他人の世界に踏み込んだ。
彼女の中に期待していたものが見つけられなくて、初めて本当の意味で彼女の世界を土足で踏みにじった。
それなのに微笑む朱志香が愛しくて悲しくて、彼女をこの腕の中に閉じこめた。
本当の意味で嘉音を受け入れた朱志香を、彼は一生守りたいと思ったのだ。
例えその先に待つのは深く険しい茨の森だとしても。
鳥籠破り
カーテンから差し込む光に嘉音は目を覚ました。窓の外を見ればまだ暗い夜空に生まれ出でようとする太陽の光が差している。まだ少し眠れるとベッドに潜り込もうとして、普段よりも柔らかい感触に若干の驚きを覚える。ふと隣を見れば、金色の髪の少女がこちらに背を向けて眠っていた。
そして、彼は思い出す。
昨夜は彼女を腕の中にかき抱いて、無理矢理にでもこちらを向かせて、そのまま寝てしまったのだ。
「朱志香……」
少女の名を呼んで、再びその華奢な身体を抱きよせる。
「ん……」
朱志香が目をゆっくりと開ける。そのあどけなさが愛おしくて、出来るだけ優しく声を掛ける。
「お目覚めですか?」
「か……嘉哉、くん……」
彼女の瞳に一瞬だけ浮かんだのは恐怖の色。それは紛れもなく嘉音がしたことの代償。無理に事を急ぎすぎて呼ぶことを強いた彼の本名は朱志香の悲しみに彩られていて、それが少しだけ寂しかった。
「お体は……大丈夫ですか?」
「う……ん……」
「今夜はもう……何も酷いことをしませんから……」
抱きしめて柔らかな金髪を梳けば、朱志香は俯いて遠慮がちに腕を彼の背へと回す。
「朱志香様……」
「……ごめん、ね……」
「……?」
「もう、ずっと……嘉哉くんだけ見てる……から」
「朱志香様……ずっと、あなたを離さなくても……許してくれますか?」
「……うん……」
再び顔を上げた朱志香の瞳に恐怖の色はもう無かった。
代わりに浮かんでいた嘉音が求めて止まなかった幸せそうな笑顔に、彼は涙が出るほど嬉しさを感じた。
数日が経った。
「おはよう、嘉音くん」
「おはよう、姉さん」
いつも通り紗音と挨拶を交わす。いつもは優しい光を湛えているはずの紗音の瞳は何故か冷たくて、彼は違和感を感じる。それを知ってか知らずか、彼女は何食わぬ顔でこちらに問う。
「お嬢様と何かあったの?」
「……別に、何も」
「……そう。私の勝ち、だね」
それが何のことなのか、嘉音は気付くことが出来なかった。
その朝の申し送りで源次に解雇を言い渡されるまでは。
「どういうことですか!?」
「私にも分からん。……本当に思い当たることはないのか?」
問いつめれば源次は溜息を吐いて逆に問い返す。
「……ありません」
朱志香との逢瀬は数えるほどはあったけれど、二人が逢うのはいつも朱志香の部屋だったし、ましてや何処かに行ったことなんてない。本当に分からない。
『私の勝ち、だね』
紗音の言葉がフラッシュバックする。そして、嘉音は思い出す。
家具である自分が朱志香と結ばれるためには紗音が譲治と結ばれるのを阻止しなければならないことを。
そして紗音も嘉音が朱志香と結ばれるのを阻止するであろうことを。
まさか、そのために付け回していたとでも言うのだろうか。
そして嘉音が朱志香と進展したことを知り、夏妃に言いつけたのだろうか。
それしかない。
紗音は右代宮家に勤める前から仲良くしていた姉だから疑いたくはないけれど、それしか考えつかない。
「……」
姉は嘉音の幸せよりも朱志香の幸せよりも、自分と譲治の幸せを取ったのだ。
祝うと言ったくせにとても祝う気分にはなれなくて、嘉音は荷物を纏めるために自室へと向かったのであった。
荷物を纏めながら考えた。
何年も想い続けてようやく朱志香と結ばれたのだ。このまま彼女を一人にはしたくない。
愛し合うことそれ自体が罪だなんて純粋な朱志香に教えてしまうわけにはいかない。
けれど解雇された以上ここには居られなくて、それが悔しくて涙がこぼれる。
嘉音はどうすればいいのか考え続ける。
解雇されて何もしなければ彼女は自分を捜すことすら許されないだろう。
それならば。
「……絶対に……朱志香に相応しい人間になって戻ってくる……!」
溢れる涙を拭いながら彼はそう決意した。
そのまま朱志香の部屋へと急ぐ。ノックをすれば愛しい彼女が何も知らない無垢な笑顔で出迎えてくれる。
「朱志香」
「ん……!?」
部屋の中に入って朱志香をきつく抱きしめる。
「朱志香、聞いてください」
「う、うん……」
「僕は……右代宮家を解雇されました」
耳元で彼女が息を呑む。
「え……!?」
「紗音に……あなたとのことを密告されて……」
「そんな……っ」
体を震わせる朱志香をもっときつく抱きしめる。彼女が離れてしまわないように。そして、告げる。
「しばらく会えませんが……僕は必ずあなたの元へ戻ってきます。ですから待っていてください」
沈黙が降りる。悠久に感じられるほどの長い長い沈黙のあと、彼女が小さな声で呟いた。
「どのぐらい……?」
「え?」
「どのぐらい、待てばいいの……」
「……分かりません。しかし」
「いいよ……来なくても、もう……」
「朱志香……」
「待たせるだけ待たせて、結局は誰も来ないから……もう、そんなに期待させなくて、いいよ……」
朱志香の声色は悲しみと絶望に満ち溢れていて、嘉音の胸が締め付けられる。その言葉には何が去来するのか、彼には分からない。
彼女が昔の思い人をどんな気持ちで見送ったのか、この言葉で全てが分かるような気がして、嘉音の中に言いようのない憤りがわき起こる。
彼がここで去っていってしまえば、朱志香はまた独りぼっち。
紗音がいようといとこがいようと、結局鳥籠に一人残されることには変わりないだろう。
その寂しさはどれほどだろう。
自分を閉じこめる鳥籠を、広い空を舞うことすら許されないその身体を、どれほど呪うだろう。
ならば、期待をさせる必要などないではないか。彼女を手放す必要などないではないか。
「……分かりました」
「うん……」
「ですから、今日一日だけここに匿ってください」
だからそう囁く。
「どういうこと……?」
「あなたをこの島から攫っていきます」
もう一度、朱志香が息を呑んだ。
「……!」
「あなたをここに残して悲しませるぐらいなら、例え僕の身体が引き裂かれようとあなたを無理にでも攫っていく……ですから、今日中に荷物を整えてください」
「嘉哉くん……」
「もう僕はあなたを悲しませたりしない。ずっと朱志香を離さない!だから……!」
「本当、に……?」
彼女がこちらを向く。真っ直ぐ目を合わせて嘉音は叫ぶ。
「本当です、どうしても……どうしても朱志香と一緒にいたい!誰に反対されようと、例え世界中を敵に回しても、僕は朱志香が欲しいんです!」
彼女を愛しているからこそ、手放せない。
彼女に恋をしなければこの狂おしい渇望は生まれなかっただろう。
幾万の言葉を尽くしても言い尽くせないほど、彼は彼女を欲していた。
だからこそ泣きそうな顔をして立ちつくす彼女の沈黙に不安を覚える。
もしも嫌だと言われてしまったらどうしよう。
自分となどいたくないと言われてしまったらどうしよう。
その不安を必死で押し込めて声を掛ける。
「朱志香……」
不意に、朱志香の頬を涙が転がり落ちた。
「朱志香……?」
「そんなこと言ってもらったの……初めて……」
「朱志香……」
「本当に……初めて……ありがと……」
そう何度も繰り返す朱志香が愛おしくて恋しくて、その身体をさらに抱きしめる。
「愛しています……僕と一緒に、生きてください……!」
「うん……私も……私も嘉哉くんと一緒に生きたい……!」
その言葉と、背中に回された温かい手の感触が何よりも嬉しかった。
暁に近い夜の静寂の中で波の音だけが船上の二人を包む。
もうこの島には戻らない、戻れない。
朱志香を六軒島から盗み出すということがどういうことなのかなんてわかりきっている。
二人を待ち受ける試練は山ほどあるだろう。
それでも朱志香が欲しかった。彼女を悲しませたくなかった。
繋いだ手に力を込めれば、同じだけ握りかえされる。
「朱志香……僕は、あなたを攫っていくことを後悔したりしません」
「うん……」
「どんなに辛いことがあっても、僕はあなたが傍にいてくれるだけで頑張れます」
「うん……私も、辛くても……嘉哉くんが傍にいてくれるから……」
決して恋い焦がれてはならない人だと分かっていた。
それでも恋をして、初めて他人の世界に踏み込んだ。
彼女の中に期待していたものが見つけられなくて、初めて本当の意味で彼女の世界を土足で踏みにじった。
それなのに微笑む朱志香が愛しくて悲しくて、彼女をこの腕の中に閉じこめた。
本当の意味で嘉音を受け入れた朱志香を、彼は一生守りたいと思ったのだ。
例えその先に待つのは深く険しい茨の森だとしても。
朱志香が笑っていてくれるなら、嘉哉はどんなことでも出来る。
誰が許さなくとも、二人の愛は二人の幸せなのだから。
新しい陽が昇る。地平線から溢れ出るその光の中で、二人は祝福の口付けを交わしたのだった。
とりあえず……カノジェシです。しかもまともなのと変態シリーズの境目です。
まともなのにしては嘉音くんが変態、変態シリーズにしてはいい話で締められている。そんな感じです。
では、どうぞ。
抱き枕幻想曲
まともなのにしては嘉音くんが変態、変態シリーズにしてはいい話で締められている。そんな感じです。
では、どうぞ。
抱き枕幻想曲
嘉音がその情報を仕入れたのは偶然であった。
本当に偶然であった。
だがしかし、その情報は嘉音を魅了してやまなかった。
朱志香の部屋を掃除していたときに見つけた文化祭のパンフレットにその情報は載っていた。
「文化祭……行きたい……」
気になってパンフレットを捲ったのが運の尽きだ、なとど言うことはない。
そんなことを言う余裕がないぐらいに彼はその情報に魅了されていたのだから。
「朱志香さんの抱き枕カバー……1700円……!」
抱き枕幻想曲
抱き枕、と聞いて連想されるものは眠りを快適にするために使われる目に優しい色の長いクッションである。が、この場合の抱き枕とは少々違う意味もある。少なくとも嘉音にとっては。
嘉音は朱志香のことが好きである。どこが好きかと問われたら一日中語れるぐらい好きである。さらには一日中朱志香にくっついていたいという密かな野望を抱いている。
そんな彼にとって抱き枕は愛しい人と寝るときも一緒にいられる素晴らしいアイテムなのである。
「そういえばこの間譲治様があと10数年で抱き枕やシーツが流行るって言ってたな……」
その譲治も抱き枕やシーツになって紗音の部屋に保管されている。本人にはとても言えないが。それはともかく、譲治の予言によればなんでもアニメやゲームのキャラクターがしどけない格好で横たわっている絵が描かれているものになるらしい。
改めてパンフレットを見る。
「朱志香さん……可愛い……」
困ったように頬を染めた制服姿の朱志香が表面、もっと頬を染めてこちらを軽く睨む朱志香が裏面に描かれている。ちなみに裏面はフリルの沢山付いたノースリーブのネグリジェである。
「ん……?ネグリジェ……?」
このネグリジェは見覚えがある。朱志香が夏に学校の交流会とやらで鎌倉に行ったときに持っていったネグリジェだ。確かこれは上着とズボンがセットで付いていたような気がする。
「……誰かが僕の朱志香さんのネグリジェを脱がせた……!?」
それはとても許し難いことである。朱志香の美しい生足を拝んでいいのは彼だけだからである。だが、しかしである。
『べ、別に嘉哉くんのために脱いだ訳じゃなくて、えっと、そのっ……!』
脳裏に浮かぶ乱れたネグリジェ姿の朱志香が頬を赤く染めて困ったように言い訳する。その姿はいつもよりも艶を増していて、嘉音の心臓は跳ねっぱなしだ。
『朱志香さん』
『……?』
彼女の上に覆い被さって至近距離で見つめ合う。
『どんな朱志香さんもお可愛らしいです……愛しています、朱志香……』
『嘉哉くん……私も……私も好き……』
『あなたともっと触れあいたいです……』
『うん……』
朱志香が微笑んで彼に手を伸ばした。
「……お嬢様……僕のためにこの抱き枕カバーを作ってくださったんですね……絶対買い占めます」
朱志香はまだ屋敷に戻ってきていない。けれども彼には彼女の優しさが眩しく光り輝く太陽のように思えて、嘉音は新島に向かって微笑んだ。
「このパンフレット……もう五冊ぐらい貰えるかな……」
「ただいま、嘉音くん」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
朱志香に挨拶をすると、彼女は照れたようにはにかむ。これが二人きりのときであったら嘉哉くん、朱志香さんと呼び合えたのだろうなぁと嘉音は少し残念に思う。少しの間はにかんでいた朱志香がきゅっと表情を引き締めた。
「あの、さ……嘉音くん、今時間ある?」
「お嬢様のためならばいくらでもございます!」
力一杯答えると、朱志香の表情が不思議そうに緩む。可愛い。
「……う、うん、あの、ちょっと、いいかな……?」
「はい」
どのような用件だろうか。デートのお誘いかもしれない。例えば以下のような。
『嘉哉くん、今度の日曜、空いてる……?』
『はい、その日は休みです』
『あのさ……映画のチケットがね、二枚あるんだけど……』
『喜んでお供させて頂きます……朱志香』
『ありがと……大好き、嘉哉くん』
『僕も朱志香のことが大好きです!』
「……嘉音くん?」
「……!はい!」
妄想の世界から帰ってくると、朱志香が心配そうな顔をしてこちらをのぞき込んでいた。
「あの……時間ないんならまた後でいいんだぜ……?」
「いいえ、大丈夫です!さあ、参りましょう!」
彼女の手を取って部屋へと駆け出すと、数歩遅れて着いてくる。
「え、あの、え……?」
慌てる声も可愛らしくて、嘉音は少しだけ走る速度を緩めた。
部屋に着くと朱志香は頬を赤く染めて、文化祭のパンフレットを手に取った。
「あのね……今度の文化祭、一緒に来て欲しいんだ……」
「朱志香さんのお願いとあらば何でもお聞きしますよ?」
きゅ、と彼女の手を握りしめて囁くと、彼女は何故か少しだけ表情を曇らせた。
「来てくれるだけでいいから……今度の文化祭……生徒会の販売物があって、それ、見られるの恥ずかしいから……」
「朱志香さん……」
俯く朱志香の肩をそっと抱く。潤んだ目で見つめてくるのが愛おしい。
「嘉哉くん……」
「文化祭のパンフレット、僕に5冊ぐらいくださいますか?」
朱志香の身体が一瞬強張る。
「み……見たの……?」
「朱志香さんのことをもっと知りたくて……」
「そっか……全校生徒に配った分に余りがあるから……明日持ってくるよ」
恥ずかしそうに頬を染める朱志香は本当に可愛らしくて、嘉音は抱き枕カバーを絶対に買い占めようと決意したのであった。
文化祭当日。
入り口でパンフレットを受け取り、嘉音は真っ先に生徒会の部屋へと向かう。と、見知った人物に遭遇した。白いスーツに赤い髪の青年である。
「……戦人様じゃないですか」
「よう、嘉音くん」
朱志香の従兄弟の右代宮戦人である。気さくに声を掛けられれば答えはするが、嘉音にとってはそれ以上に気になることがあった。
「……どうしてここに?」
「朱志香の抱き枕カバー。知ってるだろ?」
「ええ。買い占めるために来ましたから」
「身内に恥をさらすようでアレだけど1つでいいから回収してくれ、って頼まれたんでな」
「……僕のお嬢様が……」
「ついでに紗音ちゃんからも買い占めてくるように頼まれたんだが……譲治の兄貴の抱き枕じゃなくていいのか?」
「姉さん!?」
そういえば紗音は今日は仕事だった。出がけにやたら恨めしげな顔で見送られたので覚えている。
「まぁ3枚買って朱志香に渡すって言ったら納得してくれたけどな」
「……いつもの姉さんです」
そういえば紗音は朱志香のシーツや抱き枕カバーも3枚ずつ持っていたなと嘉音は思い出す。3枚ずつというのはまだいいほうで、譲治の抱き枕カバーなどダース単位で購入しているのを彼は知っている。結婚資金が心配である。
「……紗音ちゃん、昔からそうだっけ?」
「そうじゃないですか?この間も夏の祭典の戦利品を眺めて『譲治様萌え~』って言ってましたし」
「……そういえば紗音ちゃんに絵を描かせると昔から何を描かせても譲治の兄貴になったような覚えが……」
「今でもそうですよ」
戦人が遠い目をした。
「……朱志香、元気かな……」
「お嬢様は僕の嫁です」
戦人はぎょっとしたように嘉音を見る。
「嫁!?」
「嫁です」
「いやでもそれ、やばいんじゃ……夏妃伯母さんとか」
「やばくないです。お嬢様の抱き枕カバーは僕が買い占めます!」
「……お一人様10枚までだぞ」
戦人のツッコミは勿論聞こえていなかった。
件の抱き枕カバーは大盛況だったようで、嘉音が10枚買ったときには段ボールの山が半数近く開いていた。戦利品を手に朱志香の元へと向かう。教室に入った途端に黄色い声が上がっても気にしない。
「朱志香さん!」
「嘉哉くん、来てくれたんだ……ありがとう!……あれ、戦人?」
「よ、朱志香。……なんだよ、お前珍しい格好してるじゃねぇか」
朱志香はフリルの沢山付いたゴスロリドレス姿で、さながら魔女っ子といった風である。白い肩が見えているのも可愛らしい。
「ライブの衣装だよ。……それより戦人もありがとな。あれいろんな人に買われるの、恥ずかしくて……」
「そういうと思って10枚買ってきた。紗音ちゃんの分、3枚ここで渡していいか?」
戦人がそう聞けば朱志香はきょとんと首を傾げる。
「紗音の分、限定10枚だっていったら確保しろって言ってたから取っておいてあるぜ?」
「……」
拍子抜けしたような安堵したような表情の戦人を放っておいて嘉音は朱志香に問う。
「ところで朱志香さん、ライブは……」
「あ、あぁ、もうすぐだぜ。……嘉哉くん、その荷物……」
「朱志香さんの抱き枕カバーです」
「……ありがとう。身内以外にあれをあんまり流通させるのは気が引けて……っていうか売れないもの作ってどうするんだよ……」
はぁ、と朱志香が溜息を吐く。彼女の友人らしき巫女服姿の少女がニコニコ笑いながら朱志香に声を掛けた。
「ジェシー、抱き枕カバー凄い売れ行きだって!」
「……どのくらいだよ?」
「午前中だけで完売しそうだって!午後の分12時ぐらいに来るって連絡来たよ~」
「うわぁぁぁ、なんでそんなに売れるんだよ!?」
「でもほら、ジェシの彼氏君も買ってるじゃん!」
「う……」
朱志香は頬を真っ赤に染めて俯く。その肩をコスプレ姿の少女達が押す。
「ほらジェシ、もうすぐライブだよ~?……大丈夫?」
「大丈夫だぜ……」
そう返すと彼女は気持ちを切り替えるように首を振って、あの明るい笑顔で楽しんでいってくれ、と言ったのであった。
その夜のことである。
「嘉哉くん……ちょっといいかな?」
「はい」
頬を赤く染めた朱志香に呼び止められ、嘉音は彼女の部屋に来ていた。
「今日はありがとうな……抱き枕カバー、あんなに買ってるとは思わなかったけど……」
「朱志香さんとずっと一緒にいたいんです……」
きゅっと手を握れば、朱志香は頬を真っ赤に染めてはにかんだ。
「嘉哉くん……」
「朱志香さん……僕はこの世に生まれてきて本当に良かったと思います」
きょとんと不思議そうに朱志香が首を傾げる。
「あなたとこうしていられるのが僕は何より幸せなんです」
「うん……」
「だから、朱志香さん」
「ん?」
「結婚しましょう」
一瞬の沈黙。
そのまま見つめていると、朱志香は先ほどよりも顔を赤く染めて口をぱくぱくさせていた。
「け、結婚って……その、あの、ま、まだ……えっと……!」
「お嫌ですか……?」
朱志香の嫌がることはしたくない。嘉音との結婚を朱志香が望まないのであれば彼は黙って引き下がらざるを得ないのである。が、彼女は首を横に振った。
「ち、違うの……その、まだ嘉音くん、16才だろ?」
「はい……ですが僕にはもう朱志香さんを幸せにする準備は出来ています!」
「そ、そうじゃなくて……法律ではあと2年待たないと結婚できないんだ」
そう諭す朱志香の表情はとても残念そうで、嘉音の胸がちくりと痛む。
「では、朱志香さん」
「ん?」
「婚約しましょう」
「え……?」
彼女の顔に浮かぶのは軽い驚きの表情。それすら愛おしい。
「僕が18になったら結婚してくれるんですよね?」
「あ、うん……」
「それなら、僕はあと2年このお屋敷で頑張ります。18になったらすぐに使用人を辞めて、ただの嘉哉としてあなたを迎えに行きます」
ぱふん、と朱志香が嘉音の胸に飛び込んでくる。
「嘉哉くん……!大好き、愛してる……!」
幸せいっぱいの涙声が愛しくて、嘉音は朱志香をきつく抱きしめた。
「僕もです……愛しています、一生幸せにします!」
今日も六軒島は平和である。朱志香さんと婚約した僕には向かう所敵なしだ。来週は朱志香さんと指輪を見に行く約束をした。
朱志香さんの抱き枕になれない夜も沢山あるけれど、そんな夜は朱志香さんの抱き枕が僕を癒してくれる。
だから僕は幸せだ。僕はもう家具じゃない、お嬢様のお婿さんだ。魔女も魔法ももうどうでも良くなった。僕にとっての魔女は文化祭で見た朱志香さんのゴスロリ魔女っ子だけだ。
とりあえず幸せ絶頂の僕はチャイナドレス姿の朱志香さんとらぶらぶいちゃいちゃする妄想をしながらこの物語を締めくくろうと思う。
朱志香さん、愛してます!
魔女の棋譜
使用人・嘉音
妄想が現実になった。幸せ絶頂のようで2年後を心待ちにしている。
「朱志香さんは僕の嫁。……ちょっと白馬に乗る練習してきます」(本人談)
うみねこのなく頃に、生き残れたのは全員……かもしれない。
おわり。
本当に偶然であった。
だがしかし、その情報は嘉音を魅了してやまなかった。
朱志香の部屋を掃除していたときに見つけた文化祭のパンフレットにその情報は載っていた。
「文化祭……行きたい……」
気になってパンフレットを捲ったのが運の尽きだ、なとど言うことはない。
そんなことを言う余裕がないぐらいに彼はその情報に魅了されていたのだから。
「朱志香さんの抱き枕カバー……1700円……!」
抱き枕幻想曲
抱き枕、と聞いて連想されるものは眠りを快適にするために使われる目に優しい色の長いクッションである。が、この場合の抱き枕とは少々違う意味もある。少なくとも嘉音にとっては。
嘉音は朱志香のことが好きである。どこが好きかと問われたら一日中語れるぐらい好きである。さらには一日中朱志香にくっついていたいという密かな野望を抱いている。
そんな彼にとって抱き枕は愛しい人と寝るときも一緒にいられる素晴らしいアイテムなのである。
「そういえばこの間譲治様があと10数年で抱き枕やシーツが流行るって言ってたな……」
その譲治も抱き枕やシーツになって紗音の部屋に保管されている。本人にはとても言えないが。それはともかく、譲治の予言によればなんでもアニメやゲームのキャラクターがしどけない格好で横たわっている絵が描かれているものになるらしい。
改めてパンフレットを見る。
「朱志香さん……可愛い……」
困ったように頬を染めた制服姿の朱志香が表面、もっと頬を染めてこちらを軽く睨む朱志香が裏面に描かれている。ちなみに裏面はフリルの沢山付いたノースリーブのネグリジェである。
「ん……?ネグリジェ……?」
このネグリジェは見覚えがある。朱志香が夏に学校の交流会とやらで鎌倉に行ったときに持っていったネグリジェだ。確かこれは上着とズボンがセットで付いていたような気がする。
「……誰かが僕の朱志香さんのネグリジェを脱がせた……!?」
それはとても許し難いことである。朱志香の美しい生足を拝んでいいのは彼だけだからである。だが、しかしである。
『べ、別に嘉哉くんのために脱いだ訳じゃなくて、えっと、そのっ……!』
脳裏に浮かぶ乱れたネグリジェ姿の朱志香が頬を赤く染めて困ったように言い訳する。その姿はいつもよりも艶を増していて、嘉音の心臓は跳ねっぱなしだ。
『朱志香さん』
『……?』
彼女の上に覆い被さって至近距離で見つめ合う。
『どんな朱志香さんもお可愛らしいです……愛しています、朱志香……』
『嘉哉くん……私も……私も好き……』
『あなたともっと触れあいたいです……』
『うん……』
朱志香が微笑んで彼に手を伸ばした。
「……お嬢様……僕のためにこの抱き枕カバーを作ってくださったんですね……絶対買い占めます」
朱志香はまだ屋敷に戻ってきていない。けれども彼には彼女の優しさが眩しく光り輝く太陽のように思えて、嘉音は新島に向かって微笑んだ。
「このパンフレット……もう五冊ぐらい貰えるかな……」
「ただいま、嘉音くん」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
朱志香に挨拶をすると、彼女は照れたようにはにかむ。これが二人きりのときであったら嘉哉くん、朱志香さんと呼び合えたのだろうなぁと嘉音は少し残念に思う。少しの間はにかんでいた朱志香がきゅっと表情を引き締めた。
「あの、さ……嘉音くん、今時間ある?」
「お嬢様のためならばいくらでもございます!」
力一杯答えると、朱志香の表情が不思議そうに緩む。可愛い。
「……う、うん、あの、ちょっと、いいかな……?」
「はい」
どのような用件だろうか。デートのお誘いかもしれない。例えば以下のような。
『嘉哉くん、今度の日曜、空いてる……?』
『はい、その日は休みです』
『あのさ……映画のチケットがね、二枚あるんだけど……』
『喜んでお供させて頂きます……朱志香』
『ありがと……大好き、嘉哉くん』
『僕も朱志香のことが大好きです!』
「……嘉音くん?」
「……!はい!」
妄想の世界から帰ってくると、朱志香が心配そうな顔をしてこちらをのぞき込んでいた。
「あの……時間ないんならまた後でいいんだぜ……?」
「いいえ、大丈夫です!さあ、参りましょう!」
彼女の手を取って部屋へと駆け出すと、数歩遅れて着いてくる。
「え、あの、え……?」
慌てる声も可愛らしくて、嘉音は少しだけ走る速度を緩めた。
部屋に着くと朱志香は頬を赤く染めて、文化祭のパンフレットを手に取った。
「あのね……今度の文化祭、一緒に来て欲しいんだ……」
「朱志香さんのお願いとあらば何でもお聞きしますよ?」
きゅ、と彼女の手を握りしめて囁くと、彼女は何故か少しだけ表情を曇らせた。
「来てくれるだけでいいから……今度の文化祭……生徒会の販売物があって、それ、見られるの恥ずかしいから……」
「朱志香さん……」
俯く朱志香の肩をそっと抱く。潤んだ目で見つめてくるのが愛おしい。
「嘉哉くん……」
「文化祭のパンフレット、僕に5冊ぐらいくださいますか?」
朱志香の身体が一瞬強張る。
「み……見たの……?」
「朱志香さんのことをもっと知りたくて……」
「そっか……全校生徒に配った分に余りがあるから……明日持ってくるよ」
恥ずかしそうに頬を染める朱志香は本当に可愛らしくて、嘉音は抱き枕カバーを絶対に買い占めようと決意したのであった。
文化祭当日。
入り口でパンフレットを受け取り、嘉音は真っ先に生徒会の部屋へと向かう。と、見知った人物に遭遇した。白いスーツに赤い髪の青年である。
「……戦人様じゃないですか」
「よう、嘉音くん」
朱志香の従兄弟の右代宮戦人である。気さくに声を掛けられれば答えはするが、嘉音にとってはそれ以上に気になることがあった。
「……どうしてここに?」
「朱志香の抱き枕カバー。知ってるだろ?」
「ええ。買い占めるために来ましたから」
「身内に恥をさらすようでアレだけど1つでいいから回収してくれ、って頼まれたんでな」
「……僕のお嬢様が……」
「ついでに紗音ちゃんからも買い占めてくるように頼まれたんだが……譲治の兄貴の抱き枕じゃなくていいのか?」
「姉さん!?」
そういえば紗音は今日は仕事だった。出がけにやたら恨めしげな顔で見送られたので覚えている。
「まぁ3枚買って朱志香に渡すって言ったら納得してくれたけどな」
「……いつもの姉さんです」
そういえば紗音は朱志香のシーツや抱き枕カバーも3枚ずつ持っていたなと嘉音は思い出す。3枚ずつというのはまだいいほうで、譲治の抱き枕カバーなどダース単位で購入しているのを彼は知っている。結婚資金が心配である。
「……紗音ちゃん、昔からそうだっけ?」
「そうじゃないですか?この間も夏の祭典の戦利品を眺めて『譲治様萌え~』って言ってましたし」
「……そういえば紗音ちゃんに絵を描かせると昔から何を描かせても譲治の兄貴になったような覚えが……」
「今でもそうですよ」
戦人が遠い目をした。
「……朱志香、元気かな……」
「お嬢様は僕の嫁です」
戦人はぎょっとしたように嘉音を見る。
「嫁!?」
「嫁です」
「いやでもそれ、やばいんじゃ……夏妃伯母さんとか」
「やばくないです。お嬢様の抱き枕カバーは僕が買い占めます!」
「……お一人様10枚までだぞ」
戦人のツッコミは勿論聞こえていなかった。
件の抱き枕カバーは大盛況だったようで、嘉音が10枚買ったときには段ボールの山が半数近く開いていた。戦利品を手に朱志香の元へと向かう。教室に入った途端に黄色い声が上がっても気にしない。
「朱志香さん!」
「嘉哉くん、来てくれたんだ……ありがとう!……あれ、戦人?」
「よ、朱志香。……なんだよ、お前珍しい格好してるじゃねぇか」
朱志香はフリルの沢山付いたゴスロリドレス姿で、さながら魔女っ子といった風である。白い肩が見えているのも可愛らしい。
「ライブの衣装だよ。……それより戦人もありがとな。あれいろんな人に買われるの、恥ずかしくて……」
「そういうと思って10枚買ってきた。紗音ちゃんの分、3枚ここで渡していいか?」
戦人がそう聞けば朱志香はきょとんと首を傾げる。
「紗音の分、限定10枚だっていったら確保しろって言ってたから取っておいてあるぜ?」
「……」
拍子抜けしたような安堵したような表情の戦人を放っておいて嘉音は朱志香に問う。
「ところで朱志香さん、ライブは……」
「あ、あぁ、もうすぐだぜ。……嘉哉くん、その荷物……」
「朱志香さんの抱き枕カバーです」
「……ありがとう。身内以外にあれをあんまり流通させるのは気が引けて……っていうか売れないもの作ってどうするんだよ……」
はぁ、と朱志香が溜息を吐く。彼女の友人らしき巫女服姿の少女がニコニコ笑いながら朱志香に声を掛けた。
「ジェシー、抱き枕カバー凄い売れ行きだって!」
「……どのくらいだよ?」
「午前中だけで完売しそうだって!午後の分12時ぐらいに来るって連絡来たよ~」
「うわぁぁぁ、なんでそんなに売れるんだよ!?」
「でもほら、ジェシの彼氏君も買ってるじゃん!」
「う……」
朱志香は頬を真っ赤に染めて俯く。その肩をコスプレ姿の少女達が押す。
「ほらジェシ、もうすぐライブだよ~?……大丈夫?」
「大丈夫だぜ……」
そう返すと彼女は気持ちを切り替えるように首を振って、あの明るい笑顔で楽しんでいってくれ、と言ったのであった。
その夜のことである。
「嘉哉くん……ちょっといいかな?」
「はい」
頬を赤く染めた朱志香に呼び止められ、嘉音は彼女の部屋に来ていた。
「今日はありがとうな……抱き枕カバー、あんなに買ってるとは思わなかったけど……」
「朱志香さんとずっと一緒にいたいんです……」
きゅっと手を握れば、朱志香は頬を真っ赤に染めてはにかんだ。
「嘉哉くん……」
「朱志香さん……僕はこの世に生まれてきて本当に良かったと思います」
きょとんと不思議そうに朱志香が首を傾げる。
「あなたとこうしていられるのが僕は何より幸せなんです」
「うん……」
「だから、朱志香さん」
「ん?」
「結婚しましょう」
一瞬の沈黙。
そのまま見つめていると、朱志香は先ほどよりも顔を赤く染めて口をぱくぱくさせていた。
「け、結婚って……その、あの、ま、まだ……えっと……!」
「お嫌ですか……?」
朱志香の嫌がることはしたくない。嘉音との結婚を朱志香が望まないのであれば彼は黙って引き下がらざるを得ないのである。が、彼女は首を横に振った。
「ち、違うの……その、まだ嘉音くん、16才だろ?」
「はい……ですが僕にはもう朱志香さんを幸せにする準備は出来ています!」
「そ、そうじゃなくて……法律ではあと2年待たないと結婚できないんだ」
そう諭す朱志香の表情はとても残念そうで、嘉音の胸がちくりと痛む。
「では、朱志香さん」
「ん?」
「婚約しましょう」
「え……?」
彼女の顔に浮かぶのは軽い驚きの表情。それすら愛おしい。
「僕が18になったら結婚してくれるんですよね?」
「あ、うん……」
「それなら、僕はあと2年このお屋敷で頑張ります。18になったらすぐに使用人を辞めて、ただの嘉哉としてあなたを迎えに行きます」
ぱふん、と朱志香が嘉音の胸に飛び込んでくる。
「嘉哉くん……!大好き、愛してる……!」
幸せいっぱいの涙声が愛しくて、嘉音は朱志香をきつく抱きしめた。
「僕もです……愛しています、一生幸せにします!」
今日も六軒島は平和である。朱志香さんと婚約した僕には向かう所敵なしだ。来週は朱志香さんと指輪を見に行く約束をした。
朱志香さんの抱き枕になれない夜も沢山あるけれど、そんな夜は朱志香さんの抱き枕が僕を癒してくれる。
だから僕は幸せだ。僕はもう家具じゃない、お嬢様のお婿さんだ。魔女も魔法ももうどうでも良くなった。僕にとっての魔女は文化祭で見た朱志香さんのゴスロリ魔女っ子だけだ。
とりあえず幸せ絶頂の僕はチャイナドレス姿の朱志香さんとらぶらぶいちゃいちゃする妄想をしながらこの物語を締めくくろうと思う。
朱志香さん、愛してます!
魔女の棋譜
使用人・嘉音
妄想が現実になった。幸せ絶頂のようで2年後を心待ちにしている。
「朱志香さんは僕の嫁。……ちょっと白馬に乗る練習してきます」(本人談)
うみねこのなく頃に、生き残れたのは全員……かもしれない。
おわり。
お久しぶりです。私がツイッターで遊んだり本館を更新している間にコミケも終わり「うみねこ」のEP7が発売していました。
そんなわけでカノジェシSSです。今回はまとも。でもなんか薄暗い。
では、どうぞ。
「雨色恋模様」
そんなわけでカノジェシSSです。今回はまとも。でもなんか薄暗い。
では、どうぞ。
「雨色恋模様」
「お嬢様、……」
伸ばした指先は想い人には届かなかった。確実に届くはずなのに、彼女の身体は指先をすり抜けてゆく。何が悲しいのか、彼女は玉のような涙を散らしてこちらを見つめている。
「お嬢様っ……泣かないでください……お嬢様!」
涙を湛えた瞳が閉じられて、彼女が目を閉じる。その儚げな姿はまるで恋に破れた哀れな人魚姫のようで、嘉音の心は嫌な予感にざわつく。
彼女の身体は既に質量を伴わなくて、その身体をかき抱こうとした腕は何度試しても空を切る。
人魚姫を連想して、彼は不意に美しい姫君の末路を思い出す。
人魚の身でありながら人間に恋をして、美しい声と引き替えに人の足を得た人魚姫。
その恋路は叶うことはなく、姫君が恋した王子は他の女と結婚した。
恋に破れた人魚姫は王子を殺すことができなかった。
人魚姫が選んだ結末は、泡沫となって消えて行く悲しい結末。
では、嘉音の目の前にいる美しい太陽の姫君の末路は?
家具に心を寄せて、本当は片恋なんかではないのに拒絶されてしまった彼女が選ぶ結末は?
「お嬢様っ……、消えたり……しないですよね……?」
まさか、そんなはずは、と焦って引きつった笑みを貼り付ける。涙を流す朱志香は肯定も否定もしないままに、ただただ泣き続ける。
消えてしまうなんて嘘だ。
そんなことはあり得ない。
だって、まだ伝えていない。
本当の名前も、自分の全ても。
朱志香への恋心すらも。
まだ何も伝えていないのに、そんな酷いことがあって良いのだろうか。
「お嬢様……っ」
不意に朱志香の目が見開かれて、身体がふるりと震える。何かから逃れようと彼女は必死で身を捩る。
「お嬢様……お嬢様っ!?どうされましたか、お嬢様っ」
嘉音の呼びかけに応えないまま、朱志香は涙の玉を散らして無茶苦茶に藻掻き、……とうとうばしゃん、と魚が水に飛び込むような音を立てて、泡沫へとその身を変えてしまった。
「お嬢様っ……お嬢様ぁぁぁぁっ!」
頬を涙が伝うのを感じる。
朱志香が選んだ結末はこれなのか。
1人寂しく、その身体さえも残さないままに、この世に生きた証さえ残さないままに泡沫となって消えて行く結末を、彼女は選んだのか。
何も伝えさせないまま、気持ちさえも確かめることを許さずに、嘉音を置いて消えてしまったのか。
悔しくて、悲しくて、彼は膝を付く。
どこが天井でどこが床なのかすらわからない漆黒の空間に1人、取り残される。
彼女の痛みを分かってやりたかったのに、自分の気持ちを知って欲しかったのに、なんて愚かなことをしたと自分を殴りたくなる。
どこを見渡しても朱志香の姿は見あたらない。
泡沫の欠片でも良いから手元にと思ったのに、それすらも見つからない。
「嘘だ……嘘だ、お嬢様、僕をおいていくなんて……」
出来ることなら、共に消えてしまいたい。それなのに、それすら出来ないなんて。
「嘘だあぁぁぁぁっ!」
自分の声で跳ね起きると、そこはいつも通り右代宮家で割り当てられた嘉音の部屋だった。
「夢……」
ほう、と溜息を吐く。良かった、夢だ。
ここは水の泡となって朱志香が消えることがない、現実だ。
嘉音はいつの間にかかいていた汗と涙を拭ってベッドから抜け出す。深夜勤に備えるはずの仮眠が余計に深夜勤を妨げる結果になりそうで少しだけ憂鬱になる。
朱志香は何故泣いていたのかが分からなくて、気になって、仕事どころではない。
幸いまだ休憩時間はあるらしく、この時間は嘉音の名前の欄には何の事柄もかいていなかった。それを良いことに朱志香の部屋に行こうと思い立つ。
あの文化祭の日に傷つけたまま、彼女との関係はぎくしゃくしたままだった。
身分を盾に断るという仕打ちを受けた朱志香の笑顔がどこか辛そうで痛々しく、見ていていたたまれないというのも理由の一つにあった。
あんな断り方をしたのに、今更どうやって彼女と接すればいいのか分からなかった、と言うのもある。
けれども一番の理由は断腸の思いで封じ込めた朱志香への恋心をさらけ出してしまうかもしれないというおそれだった。
自分は家具で、朱志香は人間。
彼女が空を羽ばたく清らかな天使だとしたら、嘉音は地上に這い蹲る空を飛ぶことすら出来ないただの人間なのだ。
朱志香に想いを寄せてもらっただけで最上の喜びに浸らなければならないのに、それ以上を求めてはならないのに、もっと彼女が欲しいと求めてしまう。
朱志香といると、彼女の愛をさらに求めてしまいそうで、それを嘉音は何よりも恐れていた。
そんな色欲にまみれた自分の浅ましい心を無理矢理押さえ込んで、彼は朱志香の部屋へと急ぐ。
今日は雨で、船が出せない。必然的に彼女は部屋にいるはずだ。だから真っ直ぐ部屋へと向かってノックをした。
「お嬢様……嘉音です。……お嬢様?」
何度ノックをして呼びかけても部屋の中からは何の答えも返ってこない。
ふと、夢の内容を思い出す。
水の泡となって消えてしまった朱志香。
彼女の痕跡はいくら探せど見つからない。
嘉音は自分の血の気が引く音を久しぶりに聞いた。
屋敷中を探し回った。それこそクローゼットの中まで。
それなのに、朱志香は屋敷にはいなかった。一体どこに行ったというのか。
分からない。
けれども休憩時間に限りはあるわけで、彼は渋々仕事に戻らなければならなかった。
仕事に戻った所で身が入るわけでもないのだが、一応形だけでもこなしておかなければまずい。
だから割り当てられた仕事を機械的にこなす……はずだった。
廊下を歩いていると、ふとバラ庭園が目に入る。バラの蕾はまだ綻んだばかりで、親族会議までに咲ききるかは管理をしている嘉音にもよく分からなかった。
けれど、見つけた。だからこそ、と言った方が良いかもしれない。
紅と朱のプリーツスカートと紺の地に紫のラインを入れたジャケットに身を包んだ、華奢な身体。美しい金髪。嘉音の思考を先ほどから占めている右代宮家の令嬢・朱志香だ。
あぁ、これがバラ庭園の東屋の中だったらどんなに良かったことだろう。
けれど、朱志香が佇んでいる場所は東屋でも屋根のある場所でもなかった。傘も差さずに、彼女はその身体に雨粒を受けていた。
おかげで彼女のふわふわとした太陽の色をした髪の毛は雨に濡れてすっかりぺたんと萎れていて、どことなく寂しげな印象を受ける。
今、彼女はどんな表情をしているのだろう。普段は雨が降っていても彼女がいるだけで嘉音には晴れているように感じられるのに、今だけは雨粒を受ける華奢な背中が小さく頼りなく見えて、それがさらに雨をひどく降らせているように感じられた。
「お嬢様……」
不意に夢の内容が頭を過ぎる。
朱志香がこのまま水の泡となって雨と一緒に消えてしまうのではないかという不安が鎌首をもたげる。
嗚呼。
やはり自分は愚か者だ。
身分違いの恋をして、朱志香をひどく傷つけて。
それなのにまだ朱志香を求めている。諦めきれずにいる。
結局自分は家具にも人間にもなりきれない。
家具として、使用人として朱志香への恋心を封じることも出来なければ、人間として使用人を辞めて朱志香を幸せにすることも出来ないでいる。
それはなんて無様で、愚かで、見苦しいことだろう。
それを分かっていながら、しかし彼は朱志香を愛している。
だから、傘すら持たずに仕事を放り出して駆けだした。
屋敷の外は予想外に雨が強く降っていた。けれどもそれは土砂降りのような激しさではなく、まるで冬の雨のような刃を含んだ冷たい激しさだった。その中でただただ佇む朱志香に向かって走る。
「……お嬢様」
「嘉音、くん……」
声をかければ彼女は振り向く。しかしそこにはいつもの快活さはない。雨の滴が伝う頬に泣いているような錯覚をする。
「いかがなさいましたか……?」
「ううん、何でもないぜ……」
そう言って浮かべる微笑みもどこか悲しげでぎこちない。彼女が何を考えているか、嘉音には分からない。
だから、せめて雨に濡れた彼女の身体を温めたいと彼は思う。
次の瞬間、彼は朱志香を抱きしめていた。
「か、嘉音……くん……?」
泡を食ったように慌てる彼女の表情は見えない。だから耳元で囁く。
「申し訳ございません、お嬢様……少しだけ、このままで……」
掠れ声しかでない。封じていた想いが溢れだしてしまいそうで、声に色を付けることすら出来ない。
けれど朱志香は嘉音の背に腕を回す。
「お嬢様……?」
「うん……ちょっとだけ、私も……こうしていたい……」
その声色があまりに寂しげで悲しげで、彼は抱きしめる腕の力を強くする。
彼女が何を思ってこんなところにいるかなど分からない。けれど、その物憂げな姿はひどく彼の心を焦らせて、想い人を抱きしめているのだというのに切なさが嘉音を満たす。
だから彼は腕の中に閉じこめた朱志香に囁く。
「あなたの苦しみを少しで良いから……僕にください……」
朱志香は答えない。ただ、ぐす、と鼻を啜る音が微かに聞こえただけ。
それが切なくて悲しくて、彼女を抱きしめた指先に力を込める。
「あいして、います……朱志香様……」
朱志香の冷たい指先が嘉音の背中に縋る。
互いが互いの体温を感じながら、二人は互いが消えてしまわないようにといつまでも雨の中に佇むのだった。