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燭台切光忠にとって、歌仙兼定は昔のお向かいの屋敷の可愛い子、という印象だった。人見知りで、愛らしい童子で、けれど不思議と甘やかしたくなる存在だったのを覚えている。……それだけのはずが、刀剣男士として顕現した今、燭台切の目の前にいるのはすっかり成長した歌仙だった。
「僕は燭台切光忠。青銅の燭台だって切れちゃうんだよ。……うーん、やっぱり格好付かないな」
「燭台切」
「久しぶり、歌仙……くん……!?」
ただし、その姿はどこからどう見ても美しい女性の姿をしている。あれ、と面食らう燭台切に歌仙は至極美しく微笑んで見せる。
「おやおや、どうしたんだい?」
「いやだって、君、それ、その姿」
ああ、これかい、と彼女は自分の姿を見て、事も無げに雅だろう、と首を傾げた。
「昔は男の子じゃなかったかい!?」
「そうだねぇ。……顕現した当初は僕も主もいろいろと問い合わせはしてみたのだけど」
政府からの回答は『本霊がそう判断したのかもしれない』という大変頼りないものだったそうだ。救いは能力そのものに変動があるわけではない、ということで、彼女は今日も近侍として第一部隊長を務めていると言う。
「そうなんだ」
「ああ。顕現した当初は動きづらいこともあったけれど、今はそういうこともないし。……まぁ、露天風呂に入れないのが少々残念だが、不便と言えばそれくらいかな」
歌仙が胸を張ると、重たそうに膨らんだ胸がふるんと揺れる。確かにここまで立派なものであれば、さぞかし人目を惹くだろうし、視線も釘付けになろうというものだ。しかしなぜここまで、とじっくり眺めていると、彼女は居心地が悪そうに一歩後退る。
「燭台切。……君、その、……そういうの、よくないんじゃないかい」
「えっ」
はっと視線を歌仙の顔に戻せば、彼女は戸惑ったような顔をしている。太めの眉をきゅっと寄せて、若干非難の色を滲ませた翡翠の瞳がこちらを見上げる。その表情が非常に悩ましい。こちらを非難しているのにそれすら艶めいているのは、非常に燭台切の理性によろしくない。
「あ、ごめん! つい」
「まぁ、いい、けれど。……気持ちはわかるし、他の男士も同じようなものだったからね」
え、とまた声を上げる。確かに歴史修正主義者を殲滅せよとの命を本霊から預かってきているのだから、こちらの軍勢にも人がいなければ困ってしまう。しかし、他の男士も燭台切のようにじっくりとあの柔らかそうな胸に見入っていたのかと思えば、あまり気分の良いものではない。
「駄目だよ、歌仙くん。君は今、女の子なんだから、ちゃんと自覚した格好しなきゃ」
「え……しかし燭台切」
「前もちゃんと閉めて! ただでさえ見えてるんだから、何かあったら困るだろう?」
歌仙の胸元はどういう構造をしているのかは知らないが、鎖骨から膨らみのはじめにかけて窓が開いている。谷間が少しだけ見えるのが、よくないものを引き寄せてしまいそうだ。柔らかく藤の花のようにうねる長めの髪の毛も、細くて形のいい指も、何もかもが扇情的だ、と思う。ここにいるのは付喪神とはいえ、男連中だ。何かあったらつらい思いをするのは歌仙なのだから、という兄心めいたもので口に出してしまったが、それは彼女の機嫌をどうも損ねたらしい。
「燭台切」
すぅっと彼女の瞳が冷たく光る。
「之定が一振りを侮っているのかい? 女の身では何もできないだろうと? 僕が第一部隊長だと先ほど説明したことは、君の頭に入らなかったのかな?」
すっかり臍を曲げてしまった彼女は、どうしたら機嫌が直るだろうか。慌てることは慌てたが、拗ねてしまえばわかりやすい。もともと少女めいていて可愛らしかった顔は、女性になってしまえば違和感もなく、大輪の花を思わせる。そんな整った容姿でありながら、記憶通りの気の短さと拗ね顔に口の端がほころぶのがわかる。
「なんだい君、にやにやして……ほら、さっさと主のところに行くよ! それからなんでもすればいいだろう」
くるりと外套を翻して部屋を出ようとする歌仙を後ろから抱きしめる。柔らかな髪に鼻先を埋めれば、蜜柑の花の良い香りがする。
「君ねぇ……!」
「ごめんね、歌仙くん。……再会したらすごく綺麗な女性になっていたから、誰かに何かされたら嫌だなって思ったんだ。決して君を侮ったわけじゃない」
「……それで?」
「もしよかったら……昔みたいにいろいろ話したいんだ。君が、見てきたこととか、ここのこととか」
歌仙の表情を見ることは、当たり前だがかなわない。だが、冷たい雰囲気が少しだけ和らいだのを感じた。
「いいけれど、まずは主のところだ。……そのあとで、背中でも流してあげよう。僕も風呂はまだだし、君だってこんなに寒いのだからそのまま寝るわけにはいかないだろう」
戸を開ければ今は真夜中だ。真っ暗な中でしんしんと音もなく降る雪は幻想的で、だからこそ凍てつくような寒さが襲ってくる。確かにこの時間に主……審神者なるもののもとへ行き、そのまま寝るのは少し寒い。
「君の部屋、暖房もつけていないからね。今日は僕の部屋で寝ればいい」
「あのね、僕が言ったこと、聞いていたよね?」
あまりにも据え膳……いや、無防備な誘いに思わず問えば、ふふんと彼女はこちらを流し見た。
「僕は今までここまで触らせたことはない。……明日の朝、大倶利伽羅に君を僕のいい人だと紹介されたくなければ、今夜は鉄壁の理性で耐えたまえ」
「なんて横暴な……」
思わずつぶやけば、歌仙はふいと顔をそらす。寒さのせいか、少しだけ耳と頬が赤い。
「嫌なら冷たい布団で寝ることだね」
「嘘、頑張って格好良く耐えるよ!」
二日目から風邪などひきたくない。自分の鉄壁の理性なるものがどれほど信用できるかは分からないが、とにもかくにも温かい寝床を確保したかった。
(それと、歌仙くんに教えないといけないこともできたし……ね)
正確にはできてしまった、というべきだろう。昔馴染みがこうも無防備だとは思わなかったし、こんなにも飢えた獣の群れにぽつんといる羊のような状態だとは思わなかったし、何より燭台切自身の中に何か火のようなものが灯ろうとしていることも信じがたかった。
(僕だけは安全だけど、僕に一番気をつけなきゃいけないってこと)
「ねぇ、歌仙くん」
「なんだい」
「僕以外に、こういうことしたら駄目だよ」
優しく諭すように口にすれば、彼女は少し考えて、そうだね、と頷いた。
「どうも僕の姿は……というより、僕の胸に目が行く者もいるようだし、自分から日の中に飛び込む虫のような真似はしないさ」
もうしているんだけどなぁ、という感想はさておいて、彼女はさっさと部屋を出て、凍てつくように寒い廊下を歩いてゆく。そのあとをついていけば、厳重にしまった一室の中に歌仙は声をかけた。
「主。起きているかい? ……ああよかった。新しい刀剣男士だよ」
ほら入って、と促され、燭台切は扉の中へと足を踏み入れた。
脱衣所で服を脱ぎながら、燭台切は審神者に言われたことを反芻する。
(食事は決まった時刻に。出陣は部隊攻勢による。給料は何に使ってもいい。家具の使い方は部屋にあるマニュアルを読むこと。……それと、不純異性交遊だろうが同性交遊だろうがオーケー。ただし刃物沙汰にならないように。……風呂の時間は各自自由だが、近侍部屋の近くの風呂場には入らないこと)
近侍部屋の近くの風呂場とは、つまり、この部屋である。隣では歌仙がするすると事も無げに戦装束を脱いでいて、非常に忍耐力を試されている。どうしよう、と固まっていると、彼女がこちらを覗き込んだ。
「どうしたんだい燭台切。半端に脱いだままで固まったりして」
「あのさ、歌仙くん」
「なんだい」
「僕も、男だからね?」
「知ってるよ」
「なんで隣で脱いでるの!?」
「僕の専用の風呂だからだよ!」
ほんのり赤い頬でこちらを見る歌仙は少し幼くも見えて美しい。だが、いくら昔は童子のなりをしていた立派な付喪神だとしても、目の前の現実は彼女は立派な女性だろうと訴えかけてくる。
「だからね、歌仙くん」
殆ど脱ぎ終わって、湯帷子を着けようとしている柔らかい身体をぎゅっと抱きしめる。
「お風呂でもっといいこと、してもいいんだよ?」
これはただの肉欲だろうか。目の前に現れたのが彼女だったということで、その色香に欲望が暴走しているだけなのだろうか。
「……っ」
歌仙がようやく意図を察知してくれたらしい。むき出しの脇腹にちりりと爪を立てられて、腕の力を強くする。
「鉄壁の理性はどうしたんだい」
「いいよ」
「……なんだって?」
「好きに紹介すればいい。……それで、どう? お風呂の中でも、君の布団でも……既成事実を作ってから報告したほうが、やりやすいよね」
「訳が分からない」
そうかい、と首をかしげる。彼女がもし男の身体だったとしたら、こんな風に性急に求めただろうか。
「君は、僕の身体が珍しいだけだろう」
「たぶん違うよ」
多分!? と歌仙が眉を跳ねさせる。
「君が男の身体でも、僕は同じことを言ったと思うよ。……あんなにも綺麗だったのだもの、悪い虫が付かない保証がないからね」
「え、あ……」
自分の胸に伝わる鼓動は先ほどよりも少し速い。自分の鼓動もきっと速くなっていることだろう。
「ね、悪い虫はね、一人だけならいい虫なんだよ」
知ってた? と問いかければ、脇腹に食い込む指先がさらに力を籠める。
「つまり、自分がそうだと言いたいのかい」
「もちろん。……僕なら君のことよく知ってるし、辛い思いはさせないよ」
「……そんなこと言われても、君はずっと昔、僕の憧れの君だったわけだし」
「主はそういう書物、好きなんだろう? 主君を楽しませるのも臣下の役目じゃないか」
「主をダシにするのはやめないか。……いざというときに面倒になるだろう」
何がどう面倒なのかは教えてくれなかったが、彼女はペタリと頬を燭台切の胸に押し当てる。
「僕を娶りたいのなら、お小夜に頼むんだね。……まだここにはいないけれど」
「貞ちゃんは?」
「いないよ。……誰だいそれは」
「太鼓鐘貞宗。伊達の家で一緒だったんだけど……そっか、いないんだ」
「その貞ちゃんとやらが来たら僕は二股に掛けられるのかい? 随分執心のようだけど」
その声は少し拗ねているように低くて、可愛らしい嫉妬に頬が緩む。
「まさか! 君をどうやって振り向かせようか相談しようと思ってさ。……ああ、お風呂、入ろうか」
温かな身体を解放すれば、歌仙がじっとりとこちらをにらむ。燭台切の言葉が本当かどうか値踏みするような眼だ。確か昔、初めて出会った時もこんな感じだったような気がする。
「昔みたいだね」
「それは警戒もするだろう。いきなり抱きすくめられたり、貞操の危機にさらされたりしたのだし」
「それは悪かったけど」
歌仙くんも気を付けなきゃ、と言いながら小さな手を引っ張って浴室の戸を開ける。ぱっと明かりがついて、大きな風呂に燭台切は目を見開いた。立派な檜風呂だ。硫黄の香りがするから、きっと温泉が湧いているに違いない。
「まずはそこの椅子に座りたまえ。掛け湯をしてあげるよ」
言われたとおりに檜の椅子に腰かけると、背中に湯が掛けられる。
「ここの風呂は熱いからね。向こうは人がいる分、少しは冷えているかも」
そう言いながら、彼女はスポンジを泡立てる。よいしょ、と背中を流しながら、彼女は口を開いた。
「……こういうのは、明日から一人でやっておくれ。僕が誰か一人を優遇するのは本丸の風紀とやらが乱れる、と長谷部が言っていた」
「長谷部?」
「へし切長谷部。知っているだろう、信長様が軍師だった黒田に渡した……」
「……ああ。彼ね。……その長谷部君は、君とどういう関係なの」
我ながら意地の悪い聞き方だと思うし、こういう言葉を第三者として聞いたら、絶対に関わらないようにするだろう。既成事実だなんだと、まだ恋人にもなっていない女性に対して恋人面もいいところだ。長谷部に関しては名前だけは聞いたことがある、といった有様だが、当の本人がこういうことを言われていると知ったら、全力で誤解を解きに来るだろう。
「別にどういう関係だろうと問題ないだろう。前の主は確かに仲が悪かったけれど、彼と僕にはそういうことはないから安心していい。……ただ、彼に貰ったユニなんとかの肌着は誰かに譲ったほうがよさそうだ」
「そうだね。でも女性ものが合う男士はいないだろうし、勿体無いから僕がクッションにでもしてあげるよ」
他の男から貰ったものなど着るなと言いたいところだが、譲り先がなくて捨てられるのもなんだか哀れである。
「自分でできるからいいよ」
ばっさりと切り捨てられたが、燭台切は続ける。
「僕が買ってあげるから」
「……君、本気か?」
「本気だよ。着物も、茶器も、花器も。君が好きなもの、僕が全部買ってあげる」
そう口に出した瞬間、唐突にそうか、と思った。自分が歌仙の悪い虫になりたいのも、長谷部が歌仙に肌着を贈ったのが気に食わないのも、歌仙を振り向かせたいのも、すべて一つの感情から来ているのだ。
「僕、君のこと、好きになっちゃったみたい」
「……な、ん」
だから、よろしくね。そう微笑めば、彼女は唸る様に言葉を絞り出す。
「君、は……!」
「歌仙くん?」
振り向こうとすれば、ざばっとお湯が掛けられる。
「前は自分でやりたまえ! 僕は隣で身体を洗う!」
そういう行動が迂闊だというのに、歌仙は乱暴に桶を置くと、隣の椅子に腰かけて湯帷子の帯を解く。白い肩がむき出しになって、慌てて燭台切は声を上げる。
「ちょっ、歌仙くん!」
「見るんじゃない!」
「そんな理不尽な!」
言い合いながら燭台切は身体を洗い、泡を流してから湯船に浸かる。熱いお湯が身体を包むが、鋼の身だったころのような心配はない。肉の身体にじんわりと馴染む湯が心地よい。
「本当に迂闊だよ……君」
視線の先にはまだ身体を洗っている歌仙がいる。湯帷子はすっかり脱いでしまって、美しい肢体がよく見える。泡だらけではあるが美しいものだ。
「歌仙くん、本当君、ちゃんと自覚したほうがいいよ」
「君こそ昔馴染みが女の身だと分かった瞬間に懸想なんて、不毛なことはやめたほうがいい。……昔は憧れていたのだから、嬉しくはあるけれど」
「そういうとこ僕の理性に優しくないよね!」
勢い付けて湯から上がり、彼女を後ろから抱きしめる。手のひらを滑らせれば、腕の中の身体がびくりと跳ねた。その反応をそ知らぬふりで囁きかける。
「……僕もね、人間の暮らしはそこそこ知っているんだよ。ねぇ、今度は僕が洗ってあげようか」
「い、いや、いい! 全力で遠慮する!」
身を捩られては、泡で滑って転びそうになる。仕方なく開放すれば、歌仙はシャワーのコックを捻ってシャワーヘッドを燭台切に向けた。熱い湯が掛かって、泡を洗い流してゆく。一通り流れたと判断すると、彼女は自分の身体を流し始めた。シャワーの音に紛れて、彼女は言う。
「燭台切」
「なんだい?」
「既成事実くらいは許してやらんこともない。幸い僕には主からいただいたそういうときのとっておきがあるからね、先に着替えて待っていてくれ」
「え、いいの」
「いいも何も、君が言い出したことだろう。……近侍部屋はここを出てすぐだ。名札があるからわかるだろうし、入っていていいよ」
突然のお許しに心が浮つくのを感じる。恋というのはここまで浮かれさせるものなのだろうか。
「……オーケー。最高の一夜にしてみせるよ」
君がこの先、誰と何をしようとも、忘れられないくらいに。そう片目をつぶってみせれば、こちらを向いた歌仙の唇の端が吊り上がる。
「できるものなら。……期待しているよ」
「期待していて」
風呂から上がり、浴衣に着替える。近侍部屋に行く道々も、さてどうやって歌仙兼定という美しい女を自分のものにするかを考えれば、燭台切の中に燃える闘争心という名の焔が勢いを増す。彼女は今宵、どんな姿を見せてくれるのだろうと知らず、彼は唇を舐めた。
おわり